吾輩は猫ではない。
猫又である。
梅雨とかいう季節が過ぎて今日も絶好の島日和だというのに、《島のカフェ こころのこり》には相変わらず客などおらんようで、吾輩が中庭のテーブルの下で芝生を引っ掻いて爪とぎをしておると、長女の潮が椅子に腰掛けて預金通帳を眺めておった。
何かいいことでもあったのか、お団子頭に手をやりながらニンマリと笑みを浮かべるのはいいのだが、せっかくの穏やかな波音が下手な鼻歌でかき消されるのは迷惑というものだ。
カフェの中に避難してくると、窓辺では次女の飲兵衛と三女の寝坊助が姉の様子を見てヒソヒソ話をしておった。
平日の昼時なのに女子高生がおるのは、夏休み前の期末試験とやらで、ここのところ学校が早く終わるかららしい。
「ねえ、羽美ねえ」と、茉里乃がちょいちょいと指をさす。「潮おねえちゃんてさ、時々あんなふうに通帳開いてニンマリとしてるじゃない。あれってなんなの?」
「お金が振り込まれたから喜んでるんじゃないの?」と、羽美香は興味なさそうに白葡萄酒をグラスに注ぐ。
「どこから?」
「知らないけど」
「だってさ、うちって、現金商売でしょ。光熱費の支払いで引き落とされるのなら分かるけど、お金が振り込まれるはずないじゃん」
「まあ、そうかもね」
「あの潮おねえちゃんが笑っちゃうくらいのお金なんて、相当な金額じゃないの。絶対おかしいよ。笑い方がマフィアのボスみたいだもん」
「あんたね、言い方」
茉梨乃はくるりと向きを変えて窓に寄りかかった。
「映画とかでさ、なんでもないカフェでコーヒー飲んでたような常連客が実は黒幕でしたみたいなのあるじゃん」
「ああ、どんでん返しとちゃぶ台返しを勘違いしちゃってるパターンね」
「うちのお店、マネーロンダリングの拠点になってたりしないよね」
「あのね」と、歳の離れた末っ子の悪ノリをたしなめるように羽美香が咳払いをした。「支払いの期限内にやりくりしてなんとか引き落としに間に合って安心してるだけかもよ。こんな小さなカフェだけど、おねえだって、一応経営者なんだからさ。毎月毎月綱渡りの自転車操業、お客さん来なくて火の車なのかもよ」
「それじゃあ、なおさら笑う余裕なんてないじゃん」
「かもね」と、飽きてしまった羽美香の返事が雑になる。
「どっちにしろ、あれは安心とかそんな笑い方じゃないよ」
寝坊助女子高生は外では無口のくせに、家ではしょっちゅうこんな馬鹿話をしておるのだ。
と、そこへ潮が入ってきた。
「ちょっと、あんたたち、何の話してんの」
「うわあああっ」「ごめんなさい」
二人とも話に夢中で、潮が席を立っていたことにまったく気づいていなかったらしい。
「何よ、どうしたのよ」
「な、何も見てません。何も見てませんから。あ、そうだ、テスト勉強しなくちゃ。ごめんなさい。いい子にしてます」
いぶかしがる潮に両手を振りながら茉梨乃が後ずさって逃げ出す。
「何あれ、どうかしたの?」
「さあね」と、話を向けられた羽美香は白葡萄酒をぐいっと流し込んで肩をすくめた。「酔っ払ってるんじゃない?」
「あんたじゃないんだから」と、潮は鼻で笑って厨房へと入っていく。
おい、おまえら。
吾輩の飯を忘れてはおらぬか。
「ポム」
なんじゃ、酔っ払い。
「尻尾なんか振って、お客さんを呼んでくれてるの?」
吾輩の尻尾は招き猫の手ではない。
だが、吾輩は猫又である。
招いてほしけりゃ、魔法の一つでも使ってやらんでもない。
まったく、客の来ないカフェは困るのう。
暑くなってきたことじゃし、吾輩のお気に入り、玄関ポーチのオリーブの木陰で昼寝でもしてくるとするか。
物好きな旅人が吾輩を見つけて立ち寄ってくれるかもしれんからな。
猫又である。
梅雨とかいう季節が過ぎて今日も絶好の島日和だというのに、《島のカフェ こころのこり》には相変わらず客などおらんようで、吾輩が中庭のテーブルの下で芝生を引っ掻いて爪とぎをしておると、長女の潮が椅子に腰掛けて預金通帳を眺めておった。
何かいいことでもあったのか、お団子頭に手をやりながらニンマリと笑みを浮かべるのはいいのだが、せっかくの穏やかな波音が下手な鼻歌でかき消されるのは迷惑というものだ。
カフェの中に避難してくると、窓辺では次女の飲兵衛と三女の寝坊助が姉の様子を見てヒソヒソ話をしておった。
平日の昼時なのに女子高生がおるのは、夏休み前の期末試験とやらで、ここのところ学校が早く終わるかららしい。
「ねえ、羽美ねえ」と、茉里乃がちょいちょいと指をさす。「潮おねえちゃんてさ、時々あんなふうに通帳開いてニンマリとしてるじゃない。あれってなんなの?」
「お金が振り込まれたから喜んでるんじゃないの?」と、羽美香は興味なさそうに白葡萄酒をグラスに注ぐ。
「どこから?」
「知らないけど」
「だってさ、うちって、現金商売でしょ。光熱費の支払いで引き落とされるのなら分かるけど、お金が振り込まれるはずないじゃん」
「まあ、そうかもね」
「あの潮おねえちゃんが笑っちゃうくらいのお金なんて、相当な金額じゃないの。絶対おかしいよ。笑い方がマフィアのボスみたいだもん」
「あんたね、言い方」
茉梨乃はくるりと向きを変えて窓に寄りかかった。
「映画とかでさ、なんでもないカフェでコーヒー飲んでたような常連客が実は黒幕でしたみたいなのあるじゃん」
「ああ、どんでん返しとちゃぶ台返しを勘違いしちゃってるパターンね」
「うちのお店、マネーロンダリングの拠点になってたりしないよね」
「あのね」と、歳の離れた末っ子の悪ノリをたしなめるように羽美香が咳払いをした。「支払いの期限内にやりくりしてなんとか引き落としに間に合って安心してるだけかもよ。こんな小さなカフェだけど、おねえだって、一応経営者なんだからさ。毎月毎月綱渡りの自転車操業、お客さん来なくて火の車なのかもよ」
「それじゃあ、なおさら笑う余裕なんてないじゃん」
「かもね」と、飽きてしまった羽美香の返事が雑になる。
「どっちにしろ、あれは安心とかそんな笑い方じゃないよ」
寝坊助女子高生は外では無口のくせに、家ではしょっちゅうこんな馬鹿話をしておるのだ。
と、そこへ潮が入ってきた。
「ちょっと、あんたたち、何の話してんの」
「うわあああっ」「ごめんなさい」
二人とも話に夢中で、潮が席を立っていたことにまったく気づいていなかったらしい。
「何よ、どうしたのよ」
「な、何も見てません。何も見てませんから。あ、そうだ、テスト勉強しなくちゃ。ごめんなさい。いい子にしてます」
いぶかしがる潮に両手を振りながら茉梨乃が後ずさって逃げ出す。
「何あれ、どうかしたの?」
「さあね」と、話を向けられた羽美香は白葡萄酒をぐいっと流し込んで肩をすくめた。「酔っ払ってるんじゃない?」
「あんたじゃないんだから」と、潮は鼻で笑って厨房へと入っていく。
おい、おまえら。
吾輩の飯を忘れてはおらぬか。
「ポム」
なんじゃ、酔っ払い。
「尻尾なんか振って、お客さんを呼んでくれてるの?」
吾輩の尻尾は招き猫の手ではない。
だが、吾輩は猫又である。
招いてほしけりゃ、魔法の一つでも使ってやらんでもない。
まったく、客の来ないカフェは困るのう。
暑くなってきたことじゃし、吾輩のお気に入り、玄関ポーチのオリーブの木陰で昼寝でもしてくるとするか。
物好きな旅人が吾輩を見つけて立ち寄ってくれるかもしれんからな。