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 小富士山の中腹にある神社の参道は集落からまっすぐに伸びる石段だ。

 一段ごとの奥行きと高さの割合を取り違えたのではないかというほど勾配がきつく、下から見上げるとほぼ垂直に見えるため、よそから来た客はみな尻込みして引き返してしまう。

 かつては漁の安全を祈願していた島の老人たちも、もうこの石段を登るには足腰が衰えすぎてしまい、祠の屋根には草が生え、鳥居から続く石畳は泥や貯まった落ち葉に埋もれていた。

 剪定されずに枝の伸びきった木々に囲まれた境内はトンネルのようで昼なお暗く、戦没者の慰霊碑、比較的新しい海難事故による犠牲者の慰霊碑など様々な石碑が建っているが、そのどれもが苔に覆われ細かな字は読み取れない。

 カフェを飛び出した茉里乃は、丘の稜線から続く裏道をたどってこの神社に来ていた。

 石段の最上段から向こう岸の本土を眺めると、間を隔てる狭い海は荒波をうねらせながら川のように流れ、空には鯨の群れにも似た暗い色の雲が流れていた。

 この狭い島には一人になれる場所はあまりない。

 見捨てられたこの神社は数少ない茉里乃の居場所なのだった。

 持って出てきたビニール傘に木々から滴が落ちてきて、太鼓のように大きな音を立てる。

 自分のわがままだということは分かっている。

 しかし、学校の同級生に自分も混ぜてほしいと頼めない茉里乃にとっては、たかがたこ焼きパーティーでも、それだけではない意味があるのだった。

 不意に、雨垂れの音がやむ。

 顔を上げると、雨脚が弱まって、さっきまで黒かった雲の色が淡くなっていた。

 人の気配を感じて振り向くと、そこには体のメリハリが服の上からでも分かる若い女性が立っていた。

 へそをチラ見せしたTシャツに、はち切れそうなデニムパンツ、踵の細いリゾート風サンダルは石段の険しい神社には似合っていないが、観光客でもなさそうだ。

「どうかしたの?」

 話しかけられて思わず後ずさるが、石段の端で踏みとどまる。

「お姉ちゃんと喧嘩したんでしょ」

 言い当てられて思わず目を見開くと、そんな様子を見て相手が笑みを浮かべる。

「ここからお姉ちゃんの悪口叫んじゃいなよ。スッキリするから」

 茉里乃はふるふると首を振った。

 相手は手を後ろに回して胸を揺らしながら一歩奥へ下がった。

「どうして? 言っちゃいなよ。雨に紛れて下までは聞こえないから」

 茉里乃は唇を震わせながら声に出した。

「お姉ちゃんは悪くないの。いつも正しい」

 息が漏れるようなかすかな声だったが、ちゃんと聞き取ってくれたらしい。

「正しいことがいつも正しいとは限らないじゃん。正しいことって言い返せないから悔しいでしょ」

 茉里乃はこくりと頷いた。

「わがまま言ったっていいんだよ。茉里乃ちゃんだって間違ってないんだから。何かをしたいって気持ちは間違ってるわけじゃないもん」

 名前を呼ばれて茉里乃は息をのんだ。

「大丈夫。心配ないから」

 相手がタンタンと弾むように二歩踏み込んできて、ぽんぽんと茉里乃の頭を撫でた。

 ふわりといい匂いに包まれる。

 どうしてそうなのかはまるで分からなかったが、心が軽くなった気がして、茉里乃はこわばっていた表情を少しだけほぐしてはにかんだ。

「やまない雨はない。反対に、晴れの日が続けばまた雨が降る日もある。ただそれだけ。意味なんかないの」

 そして、若い女はもう一度茉里乃の頭を撫でた。

「だから大丈夫。心配ないから」

 と、神社の脇参道からエンジンのうなる音が聞こえてきた。

 集落から丘を上がってくる車一台分の細い道が脇参道と呼ばれているが、こちらも勾配が険しく、軽トラックの悲鳴が聞こえてくるものの、なかなか姿は現れない。

 ――あれ?

 ふと見回すと、どこにも若い女の姿はなかった。

 ――いったい誰だったんだろう。

 神社の横の空き地に止まった軽トラックから潮が降りてくる。

 茉里乃は自分から歩み寄っていった。

「ごめん」

「なによ、ずいぶん素直じゃない」と、潮が苦笑を浮かべる。「久しぶりに殴り合いの喧嘩でもするかと思って肩回して準備してきたのに。これでも昔は裏の番長と恐れられてたんだからね」

「嘘だよ。お姉ちゃんは待ち伏せされたら裏口からぐるっと大回りして帰るような人だからでしょ」

「なんで知ってんのよ。あたしもボッチでしたけど悪い?」

 ふるふると首を横に振る茉里乃の肩に手を回して、潮が助手席のドアを開ける。

「帰ろ」

「うん」

 ドアを閉め、運転席側に回って車に乗り込むときに、潮は草の生えた祠に向かって軽く頭を下げた。

 雨がやみ、木々に囲まれたトンネルの入り口にある鳥居から淡い日差しが差し込んできた。

 軽トラックは切り返して向きを変えると、うなり声を響かせながら丘の向こう側へと消えていった。