「……お菓子作りっていうか、料理ってさ。作っている間はそのことで頭がいっぱいになるやろ? 作り慣れていないものなら、特に」
この返事で、予想が確信に変わった。
……翼は本当に、優しいと思う。――仕事を辞めた私が無気力で病んでいたからこそ、私にばかり調理をやらせたのだろう。
それに、子どものお手伝いレベルのことでも大袈裟に褒めてくれたし、小さな成功体験を積ませたかった……とも考えられる。
翼なら、ありえる。昔から明るくていつもニコニコしてるけど、人のことをよく見ている子だったし。
「いつまで熱い視線を向けてくるん。そろそろ照れてくるわ」
おちゃらける翼から、私はまだ視線を逸らしてあげない。
「家に泊めてくれたり、一緒にプリン作って元気づけようとしてくれたり……翼はさ、なんでここまで優しくしてくれるの?」
「友達やから」
「私のこと好きなの?」
「アホちゃう? 友達に優しくするのに、別に理由なんかいらへんやろ」
「そういうところ、翼は昔から変わってないね。だから中学校のときも友達がたくさんいて、人に囲まれていたんだろうね」
「何言うてるん。これが優しさだっていうんなら、優しさをウチに教えてくれたんは海未やで?」
あまりにも予想外な発言に、目を瞬かせた。
「え? 出会った頃から翼は優しかったじゃん。私が教えたのって、学校付近の遊び場所くらいじゃない?」
翼はマグカップを置いて、「ちゃうで」と笑った。
「小学校卒業と同時に大阪から引っ越してきたウチは、訛りが抜けへんくてからかわれとったやろ? だけど海未はからかってくる連中を一蹴してな、ウチに『関西弁っていいね! かわいい!』って言うたんや」
「……全然、覚えてない」
覚えていないと言った私に、なぜか翼はうれしそうだった。
「覚えてないほうがウチはうれしい。だって、ウチにとって大切な思い出のそれは、海未にとっては当たり前の優しさだってことやん」
「うーん? そういうものなの?」
「せやで。海未が言ったなんでもない言葉に、ウチはどれだけ救われたかわからへん。だからな、ウチは海未が世界を敵に回しても、ウチだけは海未の味方でいるって決めとんねん。十二歳のあの春から、ずっとや」
そう言って、翼は白い歯を見せた。
「まあ、跳ねるカラメルから守ることは難しいけどな。辛いとき悲しいとき、寂しいときとかうれしいときにな、海未が望むなら、どこまでも一緒におるから」
「……やっぱり、カラメルから守るのは難しいんだ?」
「せや。跳ねるあいつの前にウチはあまりにも無力や」
翼は、できないことは言わない。
ということは、「どこまでも一緒におる」というのは、彼女にとって実現可能な行動だということだ。
それってさ、それって……。
「思っていた百倍くらいのビッグラブじゃん」
「せやろ?」
なぜか胸を張る翼を見て、私の頬は緩んだ。
「おおきに。……で、合ってる?」
「おうてるで。イントネーションは違うけどな」
成人しても東京に住んでいる翼は今も、関西弁を使い続けている。標準語を使うつもりはないらしい。
翼が標準語を使おうが英語で話そうがなんなら宇宙語で喋るようになっても、なんだっていい。
私はこれからもずっと、彼女と友達でいる。それだけだ。
☆
翌日。朝早くからテンションの高い翼に叩き起こされた。
「海未! プリン固まったで! 早速食べようや!」
朝の弱い私でも瞬時に目が覚めるくらいの、魅力的な提案だった。
布団から出てリビングルームに向かうと、テーブルの上にはバケツがどんと置かれていた。思わず笑って、中を覗き込むとプリンはちゃんと固まっていた。
「すご、ほんとにできてる。ね、このサイズのお皿あるの?」
「百均ショップでバケツ買うときに一緒に買うてきてる」
翼が大きな平皿とスプーンを持ってきて、バケツの横に置いた。
「そんじゃ、海未。お皿に開けてや」
「え⁉ 超重大任務じゃん! 失敗したらどうするの⁉」
「かまへん。成功しても失敗してもSNSにも上げへんし、お腹に入れば一緒やし」
二十代女子とは思えない発言だが、翼がいいならいいか。
「じゃあ、文句は禁止ね。……せー、の!」
お皿をバケツの上に被せてひっくり返すと、バケツが軽くなる。ドキドキしながらお皿からバケツを取り除くと、少し形は崩れてしまったものの、ぷるるんとした大きなプリンが現れて思わずふたりで声が出た。
「でっっっか! すごい! これほんとにプリン⁉」
「正真正銘のプリンや! うっわ、ほんまにできた! 写真撮ろ、写真!」
プリン単体と、プリンを入れた翼と私ふたりのツーショット写真をはしゃぎながら何枚かスマホに収めた私たちは、ようやく着席して手を合わせた。
「「いただきます!」」
小皿に取り分けるなんてことはせず、大きなプリンにふたりでスプーンを入れて食べた。こんなに大きいのに、味はちゃんと美味しいプリンなのが不思議だ。まるで自分が巨人になったかのような錯覚を起こす。
「超美味しい! 大成功じゃない⁉」
「せやな。天才パティシエと優秀なアシスタントの手にかかれば、こんなもんや」
ニヤリと笑いながらプリンを頬張る自称優秀アシスタントと一緒に食べるプリンは、本当に美味しい。全部食べたら絶対に太るとわかっているのに、なかなかスプーンを止めることができないくらいだ。
それでも少しお腹が満たされてきた頃、
「さて、味変しよかな。ちょっと待ってな」
席を立った翼が冷蔵庫から持ってきたのは、絞るだけのホイップクリームだった。
「あ! 最高!」
「せやろ? 生クリームたっぷりかけたろ。そんで、ほら。秘密兵器や」
「さくらんぼ⁉」
「絞った生クリームの上に載せたら……じゃん! 喫茶店のプリンや!」
「天才過ぎない⁉ 大学院生になるとそんなに賢くなるの⁉」
「院生は関係ないで。ウチのIQの高さが導き出した答えや!」
バカなやり取りをしながらお腹が捩れるくらいに笑った。
「ごちそうさまでした」のタイミングを完全に見失った私たちは、のんびりと、まったりと、ちゃんとした食事を放棄して、プリンを食べながらいろいろな話をした。
「大学院って何するの?」
「ずっと研究やで」
「ふーん、私には縁のない世界だなぁ。凄いなあ」
「二十歳の時から社会人として働いているほうが、立派やと思うけどな。っていうか、人の髪の毛を洗ったり染めたり切ったりって、相当凄いことやで?」
「そうだよ、凄いんだよ? ……まあ、上手くできないことも多かったんだけどさ」
「海未、プリンや。気持ちが沈みそうになったら甘いものを口に入れるんや!」
プリンを救ったスプーンを翼に向けられて、私はそれにぱくついた。
「美味しい! ねえ、褒めてよ! 私、めっっっちゃ頑張ったんだから!」
「なんぼでも褒めたる。海未は凄い! かっこいい! 天才! 最高!」
「へへ、ありがと。……あ、そういえば翼は髪の毛染めたことないの?」
翼の長い黒髪は艶やかで、痛みとは無縁に見えるほどとても綺麗だ。
「ないな。白髪が出てきたら染めるかもしれへんけど」
「そうなんだ。じゃあ、イメチェンするときは私に言ってよ。染めてあげる。あと、ベリショとか興味ない?」
「んー、全然興味ないなぁ。でも海未がやってみたいんだったらいいで。金髪にしても、坊主にしても」
綺麗な髪の毛を触りながら、名残惜しさなど微塵も見せずに翼は言う。
「え、なんで?」
「なんとなく。知らん誰かにやられるよりは、海未のほうがええなって」
おそらく本当に、翼は自分の髪の毛に拘りはない。
だけどそれでも、彼女が自分の髪の毛の自由を私に委ねるという発言に、胸が躍る。
美容師という仕事が向いてないと思って、辛くなった。店長に叱られるたびに、お客様に満足していただけなかったことに落ち込むたびに、ハサミを持つ手が重くて嫌になった。
でも、私が今、一瞬でもワクワクした理由。
その気持ちさえあれば、また歩き出せると思った。
「……翼、ありがとうね。私今日、家に帰るね」
「そっか」
「お礼に何かしてほしいことはある?」
「なんもせんでええよ。たまにこうやってバカに付き合ってくれたら、それで」
翼が笑っているのを見ると、力が貰える気がした。
「じゃあ、今度は大人バージョンのたこ焼きとか作る? 水の代わりにブランデー入れたり、タコの代わりにキムチ入れたり」
「関西人にそんな邪道なたこ焼きを提案してくるなんて、ケンカ売って……ええやん! 絶対やろ! めっちゃおもろいやん!」
プリンを完食して、後片付けをしたら、家に帰る。
だけど、まだ食べ終わってはいないから。
綺麗な髪の大切な友達と、甘くて、黄色いそれを口に入れながら、お喋りは続く。 (了)
この返事で、予想が確信に変わった。
……翼は本当に、優しいと思う。――仕事を辞めた私が無気力で病んでいたからこそ、私にばかり調理をやらせたのだろう。
それに、子どものお手伝いレベルのことでも大袈裟に褒めてくれたし、小さな成功体験を積ませたかった……とも考えられる。
翼なら、ありえる。昔から明るくていつもニコニコしてるけど、人のことをよく見ている子だったし。
「いつまで熱い視線を向けてくるん。そろそろ照れてくるわ」
おちゃらける翼から、私はまだ視線を逸らしてあげない。
「家に泊めてくれたり、一緒にプリン作って元気づけようとしてくれたり……翼はさ、なんでここまで優しくしてくれるの?」
「友達やから」
「私のこと好きなの?」
「アホちゃう? 友達に優しくするのに、別に理由なんかいらへんやろ」
「そういうところ、翼は昔から変わってないね。だから中学校のときも友達がたくさんいて、人に囲まれていたんだろうね」
「何言うてるん。これが優しさだっていうんなら、優しさをウチに教えてくれたんは海未やで?」
あまりにも予想外な発言に、目を瞬かせた。
「え? 出会った頃から翼は優しかったじゃん。私が教えたのって、学校付近の遊び場所くらいじゃない?」
翼はマグカップを置いて、「ちゃうで」と笑った。
「小学校卒業と同時に大阪から引っ越してきたウチは、訛りが抜けへんくてからかわれとったやろ? だけど海未はからかってくる連中を一蹴してな、ウチに『関西弁っていいね! かわいい!』って言うたんや」
「……全然、覚えてない」
覚えていないと言った私に、なぜか翼はうれしそうだった。
「覚えてないほうがウチはうれしい。だって、ウチにとって大切な思い出のそれは、海未にとっては当たり前の優しさだってことやん」
「うーん? そういうものなの?」
「せやで。海未が言ったなんでもない言葉に、ウチはどれだけ救われたかわからへん。だからな、ウチは海未が世界を敵に回しても、ウチだけは海未の味方でいるって決めとんねん。十二歳のあの春から、ずっとや」
そう言って、翼は白い歯を見せた。
「まあ、跳ねるカラメルから守ることは難しいけどな。辛いとき悲しいとき、寂しいときとかうれしいときにな、海未が望むなら、どこまでも一緒におるから」
「……やっぱり、カラメルから守るのは難しいんだ?」
「せや。跳ねるあいつの前にウチはあまりにも無力や」
翼は、できないことは言わない。
ということは、「どこまでも一緒におる」というのは、彼女にとって実現可能な行動だということだ。
それってさ、それって……。
「思っていた百倍くらいのビッグラブじゃん」
「せやろ?」
なぜか胸を張る翼を見て、私の頬は緩んだ。
「おおきに。……で、合ってる?」
「おうてるで。イントネーションは違うけどな」
成人しても東京に住んでいる翼は今も、関西弁を使い続けている。標準語を使うつもりはないらしい。
翼が標準語を使おうが英語で話そうがなんなら宇宙語で喋るようになっても、なんだっていい。
私はこれからもずっと、彼女と友達でいる。それだけだ。
☆
翌日。朝早くからテンションの高い翼に叩き起こされた。
「海未! プリン固まったで! 早速食べようや!」
朝の弱い私でも瞬時に目が覚めるくらいの、魅力的な提案だった。
布団から出てリビングルームに向かうと、テーブルの上にはバケツがどんと置かれていた。思わず笑って、中を覗き込むとプリンはちゃんと固まっていた。
「すご、ほんとにできてる。ね、このサイズのお皿あるの?」
「百均ショップでバケツ買うときに一緒に買うてきてる」
翼が大きな平皿とスプーンを持ってきて、バケツの横に置いた。
「そんじゃ、海未。お皿に開けてや」
「え⁉ 超重大任務じゃん! 失敗したらどうするの⁉」
「かまへん。成功しても失敗してもSNSにも上げへんし、お腹に入れば一緒やし」
二十代女子とは思えない発言だが、翼がいいならいいか。
「じゃあ、文句は禁止ね。……せー、の!」
お皿をバケツの上に被せてひっくり返すと、バケツが軽くなる。ドキドキしながらお皿からバケツを取り除くと、少し形は崩れてしまったものの、ぷるるんとした大きなプリンが現れて思わずふたりで声が出た。
「でっっっか! すごい! これほんとにプリン⁉」
「正真正銘のプリンや! うっわ、ほんまにできた! 写真撮ろ、写真!」
プリン単体と、プリンを入れた翼と私ふたりのツーショット写真をはしゃぎながら何枚かスマホに収めた私たちは、ようやく着席して手を合わせた。
「「いただきます!」」
小皿に取り分けるなんてことはせず、大きなプリンにふたりでスプーンを入れて食べた。こんなに大きいのに、味はちゃんと美味しいプリンなのが不思議だ。まるで自分が巨人になったかのような錯覚を起こす。
「超美味しい! 大成功じゃない⁉」
「せやな。天才パティシエと優秀なアシスタントの手にかかれば、こんなもんや」
ニヤリと笑いながらプリンを頬張る自称優秀アシスタントと一緒に食べるプリンは、本当に美味しい。全部食べたら絶対に太るとわかっているのに、なかなかスプーンを止めることができないくらいだ。
それでも少しお腹が満たされてきた頃、
「さて、味変しよかな。ちょっと待ってな」
席を立った翼が冷蔵庫から持ってきたのは、絞るだけのホイップクリームだった。
「あ! 最高!」
「せやろ? 生クリームたっぷりかけたろ。そんで、ほら。秘密兵器や」
「さくらんぼ⁉」
「絞った生クリームの上に載せたら……じゃん! 喫茶店のプリンや!」
「天才過ぎない⁉ 大学院生になるとそんなに賢くなるの⁉」
「院生は関係ないで。ウチのIQの高さが導き出した答えや!」
バカなやり取りをしながらお腹が捩れるくらいに笑った。
「ごちそうさまでした」のタイミングを完全に見失った私たちは、のんびりと、まったりと、ちゃんとした食事を放棄して、プリンを食べながらいろいろな話をした。
「大学院って何するの?」
「ずっと研究やで」
「ふーん、私には縁のない世界だなぁ。凄いなあ」
「二十歳の時から社会人として働いているほうが、立派やと思うけどな。っていうか、人の髪の毛を洗ったり染めたり切ったりって、相当凄いことやで?」
「そうだよ、凄いんだよ? ……まあ、上手くできないことも多かったんだけどさ」
「海未、プリンや。気持ちが沈みそうになったら甘いものを口に入れるんや!」
プリンを救ったスプーンを翼に向けられて、私はそれにぱくついた。
「美味しい! ねえ、褒めてよ! 私、めっっっちゃ頑張ったんだから!」
「なんぼでも褒めたる。海未は凄い! かっこいい! 天才! 最高!」
「へへ、ありがと。……あ、そういえば翼は髪の毛染めたことないの?」
翼の長い黒髪は艶やかで、痛みとは無縁に見えるほどとても綺麗だ。
「ないな。白髪が出てきたら染めるかもしれへんけど」
「そうなんだ。じゃあ、イメチェンするときは私に言ってよ。染めてあげる。あと、ベリショとか興味ない?」
「んー、全然興味ないなぁ。でも海未がやってみたいんだったらいいで。金髪にしても、坊主にしても」
綺麗な髪の毛を触りながら、名残惜しさなど微塵も見せずに翼は言う。
「え、なんで?」
「なんとなく。知らん誰かにやられるよりは、海未のほうがええなって」
おそらく本当に、翼は自分の髪の毛に拘りはない。
だけどそれでも、彼女が自分の髪の毛の自由を私に委ねるという発言に、胸が躍る。
美容師という仕事が向いてないと思って、辛くなった。店長に叱られるたびに、お客様に満足していただけなかったことに落ち込むたびに、ハサミを持つ手が重くて嫌になった。
でも、私が今、一瞬でもワクワクした理由。
その気持ちさえあれば、また歩き出せると思った。
「……翼、ありがとうね。私今日、家に帰るね」
「そっか」
「お礼に何かしてほしいことはある?」
「なんもせんでええよ。たまにこうやってバカに付き合ってくれたら、それで」
翼が笑っているのを見ると、力が貰える気がした。
「じゃあ、今度は大人バージョンのたこ焼きとか作る? 水の代わりにブランデー入れたり、タコの代わりにキムチ入れたり」
「関西人にそんな邪道なたこ焼きを提案してくるなんて、ケンカ売って……ええやん! 絶対やろ! めっちゃおもろいやん!」
プリンを完食して、後片付けをしたら、家に帰る。
だけど、まだ食べ終わってはいないから。
綺麗な髪の大切な友達と、甘くて、黄色いそれを口に入れながら、お喋りは続く。 (了)