「おまえさぁ、冷凍もの嫌いなの?」
「へ?」
「いや、冷凍ものというか、レトルトというか、既製品?」
 しげしげと段ボール箱を眺めていた南に問われ、時東は曖昧に首を傾げた。たぶんだけど、どれも意味一緒じゃないかな。
 自分を居間に放り込むなり風呂に消えたと思えば、出てくるなりこれである。おまけに、ろくに拭いてもいないので、毛先からぽたぽたと水滴が落ちている。いや、まぁ、家主が気にしていないなら、畳が濡れてもいいと思うけど。
「え、いや、うん……まぁ、好きではないけど、でも嫌いだから南さんに押し付けに来たわけじゃないよ?」
「ひとりのときにでも食えばいいのに。それとも、尋常じゃない数が送られてきたりするの? こういうの」
「まぁ、そんなところ、です」
 大概の場合は事務所で処理します、とも言いづらい。濁した時東を追求することなく礼を述べると、南は廊下に出て行った。もちろん、箱は抱えたままだ。
 チーンと響いた鐘の音に、なんとなく尻の据わりが悪くなる。仏壇のある家の慣習かもしれないが、供えていただけるようなものではないのだ。
「あのさ、南さん」
 仏間に恐る恐る顔を出すと、立派な仏壇が視界に入った。線香の独特の香りが鼻先をかすめていく。
 時東の声に、しっかりと正座をしていた南が振り返った。なんだ、来たのか、とばかりの、ほんの少し意外そうな顔。
「俺もちょっと、ご挨拶させてもらってもいい?」
「いいけど」
 仏前から退いた南のあとを受けて、時東も膝をついた。並んでいる遺影は四つ。
 比較的新しいと感じたのは、埃を被っていなかったからかもしれない。おそらくは、南の祖父母と両親だ。
「蝋燭だけ消しといてな」
「はーい」
 立ち去る背中に良い子の返事をし、ちんと鈴を鳴らす。南に似た、気難しそうでいて、どこか優しそうな男性と、お喋り好きそうな雰囲気の笑顔の女性。
 もう、ここは俺ひとりだから。はじめて南の家に訪れた際に、彼が言った理由がよくわかった。
 息子さんには大変お世話になっています。いつもありがたくおいしいごはんをいただいています。ついでにできれば、今後ともよろしくお願いしたいです、と。
 最後は神頼みの様相だった気もしたが、よしとして、時東はそっと蠟燭の火を手で消した。


[5:時東はるか 11月24日15時20分]


 おまえ今日、飯は食って帰るんだよな、という半ば決定事項だった南の誘いに乗った時東の前に現れたのは、どこか懐かしい電気鍋だった。
「わ、いいね。お鍋? ひとりだとできないもんね」
 昨今は一人鍋もあるらしいが、どうせ鍋をつつくならば大人数でつつきたい。南の家のそれも、四、五人で囲むのに適したサイズという感じだ。
「まぁな。そういや、おまえ、このあいだ、会ったんだよな? 春風。あいつとか来ると、出すこともあるけど。俺もそれくらいだな」
「幼馴染みなんだって? なんというか、あんまり田舎にいなさそうな人だよね」
「あのな。田舎って言っても、二時間走れば東京だからな、一応」
「それはよく知ってます」
 そうでもなければ、そうそう来ることもできやしない。いや、もう少し遠くても、もしかしたら通っていたかもしれないが。
 寄せ鍋なのか、うどんすきなのか。「ありものだけど」と南が適当に葉物や根菜を放り込んだ鍋がぐつぐつと煮える音がする。
 こういった雑多さも、お家ごはんという感じでいいなぁ、と時東は頬を緩ませた。できあがりを待つあいだのとりとめのない会話もまたよしだ。
「でも、いいね。今でも仲良さそうで」
「田舎だと、小中高ずっと一緒ってあたりまえだからな。私立に行く選択肢もねぇし。家も近いし。そら、仲も続くわ。よっぽど相性が悪くない限り」
 そういうものなのだろうか。時東にはよくわからない。わからないついでに、時東は話を変えた。
「南さんってさぁ。彼女とかいないの?」
「なんで」
「だって、結婚とかしたら、来づらいじゃん」
 まったく時東の理由でしかなく、そもそもで言えば、店に行くだけであれば、なにひとつ関係のない話であるのだが。このあいだから、どうにも気になっていたのだ。
 神妙に尋ねた時東の顔を見て、南がふっと苦笑を浮かべた。
「そんな予定のやつがいたら、定休日に草刈りして、おまえの相手してねぇよ」
 それは、まぁ、たしかにそうだ。来た当初のもやもやが晴れ、時東は一気に嬉しくなった。この先もそうであればいいのに、と浮かれたまま思ってしまったが、さすがにそれは呪いに近い。
 そんなことを願われているとは知らない顔で、「そろそろいいか」と南が鍋の蓋を開ける。湯気と一緒に煮えた白菜の匂いが広がって、「わぁ」と時東は歓声を上げた。
「どこの子どもだ」
「時東さんのところの悠くんです。この際、南さんのところの悠くんでもいいけど。――あ、いただきます」
「こんなバカでかい子どもをつくった記憶はいっさいないけど、はい、どうぞ」
「いただきます」
 どうでもいいやりとりすら楽しくて、幸せな心地で時東は手を合わせた。
 味のわかる温かいごはんを南と食べる空間が、すっかりと代えがたいものになってしまっているなぁ、とも思いながら。
「南さんはずっとここに住んでるの?」
「いや」
 たまたま振っただけの話題だったのだが、南は中途半端に言葉を切った。
 言いづらいことだったのだろうか。そうだとすれば、べつに言わなくてもいいのだが。そんなことを考えながら、もぐもぐと豚肉を頬張る。鶏肉のぷりぷりとした食感もいいけど、豚は豚でいいなぁと思う。なにより、味があるし。
 ちら、と正面に座る南に目をやると、新しい発泡酒の缶を開けているところだった。
 ――いや、本当、いいんだけどな。べつに言わなくて。
 だって、ただの世間話だ。
 時東は自分がドライだと知っている。人間関係に深入りをする気がないのだ。そういう意味で言うと、最近の自分は少しばかりイレギュラーかもしれない。
 お裾分けなどという取ってつけた理由で、この人に会いに来ている。缶に口をつけ、南が呟くように言った。
「大学は東京だったから、そのあいだはさすがに離れてた。三年くらいだけど」
 それはまた中途半端な期間だな、と思った。問われたくないのであれば、匂わさなければいいのに。嘘だとわかっても、自分は話に乗るのに。さも平然と、ほほえんで。
 呆れ半分な感情を抱きつつも、人当たりの良い顔で相槌を打つ。
「でも帰ってきたんだ、ここに」
「うちの親が死んだから。昔はあんな店、誰が継ぐかって思ってたのにな」
 話半分で動かしていた時東の箸が止まった。気がついているのか、いないのか。自嘲のような表情を浮かべ、南が酒を傾ける。続いた声は静かだった。
「そのときは、まだ、ばあちゃんが生きてたんだけど、手続きとかも大変だった。俺も二十歳そこそこで、なにもわかってなかったし。ただ、もう二度といいわって思ったな。面倒くせぇ。死亡届出して、保険喪失させて、家も土地も、全部名義変えて、なかったことにして、喪主までやって、火葬して。もういいわ、あんなのは」
 結婚しないのか、という問いの答えだったことに、時東は一拍遅れて気がついた。
「去年、ばあちゃんが死んだときは、多少スムーズにできたけど、なんの自慢にもならねぇわな」
「おばあさんは安心したんじゃない。それでも。南さんがここにいてくれて」
 少なくとも、時東だったら安心する。この人が同じ家にいれば。口にすることはさすがに憚られたけれど。
 にことほほえむと、南の顔に張りついていた厳しさが和らいだ気がした。だが、気のせいだったかもしれない。
「変なこと言って悪かった」
 あまり知らない他人だから口にできてしまう、ということはある。だから、止まっていた箸を動かし、おいしいね、と時東は呑気に笑った。
「帰るんだよな、今日は」
「うん。明日、午前中から仕事なんだ、俺」
 そのつもりで酒は飲んでいない。南もそのつもりだったはずだ。つまり、確かめているだけ。そう承知しているのに、引き留めたがってるようにも響く。
 凶悪だなぁと苦笑したくなったものの、なにに対してのことなのかはわからないことにした。

「南さん、俺ね」
 二十二時を回るころになって暇を告げた時東を、南は玄関先まで見送りに出てくれた。
 今日はありがとう、と伝えようとした言葉を呑み込んで、南を見る。台詞を変えた理由は衝動に近かった。
「少なくとも、俺は南さんの店で南さんに逢えてよかったよ」
 あのとき、あのロケに出て、あの店に入って。南さんのごはんを食べてよかった。心の底から時東はそう思っている。
 じゃあなというように、南が軽く片手を上げる。にこりと笑い、時東はごちそうさまと頭を下げた。
 なんとなくエンジンをかける気にならなくて、国道までバイクを押したまま歩いていく。向かってくる人影に気がついたのは、半分ほど下ったときだった。
「春風さん」
「今、帰り?」
 立ち止まった時東を、ほんの少し意外そうに見つめた春風が首を傾げた。
「あいつ今日、変じゃなかった?」
「え……?」
 返答に迷った時東に、春風が小さく笑う。
「あぁ、ごめん。なんでもない」
 なんでもない、って。なら聞くなよ。思ったが、それだけだ。曖昧にほほえみ返した時東の脇を、春風はあっさりとすり抜けていく。
 凛、と彼を呼ぶ明るい声。時東にはすることのできない呼び方。あっというまににぎやかになった背後を気にしないふりで、時東は細い道を下りきった。
 ヘルメットを被り、手袋をつけながら、きっとお裾分けは、またお裾分けされていくのだろうなぁ、と。せんないことを思う。そうして、ひとつ溜息を吐いた。なんだか気に食わない。昼間にも湧いた謎の感情が、また自分の中で渦巻いている。
 ――なんなんだろうな、本当。
 エンジンを回し、夜の国道を走り出す。昼間の比でなく、夜の風は冷たかった。
 前言撤回。渦巻く感情を諦めて、時東は認めた。
 羨ましくないなんて、嘘だ。あそこにもっといたいと、なぜか強く思ってしまっている。
 こんな感情、「少しイレギュラー」じゃ収まりきらないとわかっているのに。