古今東西、同じ名称の食べ物も、地域が変われば味も変わる。日本の最たる例は雑煮だろうが、おでんもそうであったらしい。
つまるところ、生まれも育ちも関東で、近しい親戚もみな関東の時東にとって、南の家で食べたおでんは、ちょっとした新世界だったのだ。
「どうしよう、これ」
「いや、全部、こっちで処理してもいいんですよ? 基本的に皆さんそうしてらっしゃるんですから。変なところでマメですよねぇ、悠さん」
段ボール箱の山を前に唸った時東の隣で、台車にせっせと段ボール箱を積み上げていた岩見が笑う。
「まぁ、悠さん、あのラジオ、テンション高かったですもんねぇ。あちらさんとしては嬉しい宣伝だったんでしょう。はい、一箱どうぞ。お好きなら、もう一箱持って帰ります?」
「いや、……一箱でいい。大丈夫。岩見ちゃん、悪いけど残りは処理しといてくれる?」
ご当地おでんセットの詰まった箱を手に、時東はへらりとほほえんだ。
南が作ったものであればいざ知らず、味のない食べ物を二箱は厳しい。そもそもとして、譲り渡すような知人もいない身だ。
「もちろんです。お疲れさまでした、悠さん。今日はこのあとオフなんですから、ゆっくりしてくださいね」
「うん。そのつもり。岩見ちゃんもお疲れさま」
もう一度にこりと笑って、事務所の駐車場に向かう。
助手席に置いた箱の側面を、時東は運転席から一瞥した。記載されているのは、先だって聞いたばかりの南の母親の出身地だ。
――うーん、どうしようかな、これ。
いかんせん、味のわかるものを食べたのが優に二週間ぶりだったので、あの日の自分のテンションは突き抜けていたのだ。
それでもって、未知なる体験だった生姜醤油の効いたおでんも、想像以上においしかった。おまけにビール付き。味のある晩酌も大変ひさしぶりで、繰り返しになるが、時東のテンションは高かった。
その勢いのまま、出演したラジオの生放送で熱くおでんの魅力を語った。結果がこれである。
「置いといてもいいけど、そのまま忘れそうだしなぁ、俺」
関係者から「宣伝ありがとうございます、お礼に……」と言って事務所宛てに配送されたご当地おでんセット。一箱貰い受けたのは、時東なりの誠意だ。だが、しかし。
「あ」
そこまで考えて、時東はそうだと思いついた。時刻は十時五十分。木曜日は南食堂の定休日だが、今の自分は南の家を知っている。
くわえて、オフである本日の、このあとの予定はないときた。
「結局、このあいだのお礼も言えてないし」
言い訳がましく呟いて、ひとまず自宅に向かうべく、時東はシートベルトを締めた。家に戻って、バイクに乗り換えて、またすぐに出かけよう。あの家にお裾分けを届けに。
[4:時東はるか 11月24日10時46分]
向かう風は冷たいが、口笛を吹きたくなるほど気分が良い。空は晴天。ひさしぶりの丸一日オフデーで、なによりも、向かう先は南家だ。
「南さーん。あれ、いない?」
店を素通りし、数日前に訪問したばかりの南家のドアベルを鳴らす。返ってこない反応に肩を落とした時東だったが、約束をしていたわけでもない。
――家にいると思って押しかけたけど、どっか出かけちゃったのかなぁ、南さん。
目つきは悪いが、南は男前に分類される顔をしているし、面倒見も良い。くわえて情にも厚そうだ。
彼女のひとりやふたり――いや、ふたりいたらおかしいと思うけど――、いてもおかしくないのだろう。そうでなくとも、定休日に友人と遊びに出るというのは、十分にありうる話だった。でも、なんか。拗ねた子どもの心地で呟く。
「……気に食わない」
って、さすがにおかしいだろ。こぼれたひとりごとに、時東は門扉の前で天を仰いだ。箱を抱えたまま立ち尽くすこと、約二分。
ひとつ諦めて、緩やかな坂を下り始める。もしかしたら、店にいるかもしれない。どうせ時間はあるのだし、物は試しというやつだ。
人通りのない国道沿いをゆっくりと歩く。足元から響く虫の声といい、なんだか妙に長閑な空気だ。
自分のいる業界と比べると、随分とゆったりとしていると思った。
「こっちにもいない、か」
半ば以上わかっていたことでも、目の当たりにすると落胆するのが人情だ。
南食堂の入口に出ているのはそっけない『定休日』の木の札で、中は見えないものの物音ひとつ聞こえてこない。
――家の前にでも置いて帰ろうかなぁ。いや、べつに持って帰ってもいいんだけど。
こうなると連絡先を知らないことがちょっと不便だ。だが、知りたいかと問われると、前言を撤回して悩むところではある。この距離感が心地の良さの秘訣とわかっているからだ。
まぁ、いいか、と割り切って、段ボール箱を抱え来た道を戻る。妙に長閑と表現したとおりの、田園が目立つ片側一車線の田舎の国道だ。車の通りも多くない。
周囲を眺めながら歩いていた時東の足が、ふと丁字路を折れる前で止まった。田んぼの中に人がいたからである。
草刈りに精を出しているようだが、いやに動きがきびきびとしている。田園風景に似合うおじいちゃんかと思いきや、案外と若そうだ。
こんな田舎にも若い人はいるんだなぁ、なんて。推察を楽しみつつ、しげしげと見下ろしていると、ひょいと顔が上がった。その顔に、ぱしりと目を瞬かせる。
「南、さん?」
「あ? なにやってんだ、おまえ」
段ボール箱を抱えて見学をしていた自分は、たしかに「なにやってんだ」だったかもしれない。へらりとした笑みを取ってつける。
「いや、ちょっとお裾分け? というか、南さんこそなにやってるの? 南さんの畑?」
「田んぼな、これ。休耕地だけど。近所のばあちゃんの田んぼなんだけど、誰も継ぐ人いなくてな」
だから自分が草刈りをしているのだと説明されて、へぇ、と頷く。田んぼとも無縁の人生だったので、聞いてもよくわからない。なけなしの知識で、時東はもうひとつを問いかけた。
「草刈機とか使わないんだ?」
「なにで動くと思ってんだ。金かかるだろうが」
呆れたように返して、南が立ち上がった。頭に巻いていたタオルを外し、乱暴に汗をぬぐっている。
「お裾分けって、それ?」
「え、あ、うん。あの、このあいだ、ラジオで南さんのおでんのこと話したら、ご当地おでんセットが大量に送られてきたの。それで」
「あぁ、おまえ、えらいハイテンションだったもんな」
「……え?」
「先に家、行ってるか? もうちょっと、こっち、時間かかるから」
田んぼから放物線を描いて飛んできた鍵が、きれいに箱の上に落ちた。相変わらず、なんて雑さだ。おかげで、「南さん、俺のラジオ聞いてるの?」という疑問を呑み込んでしまったではないか。
ほんの少しの逡巡のあと、時東は残ることを選択した。南の言うとおり先に家に向かってもよかったのだが、もう少し立ち会いたかったのだ。
「見てていい?」
「べつにいいけど、楽しくもなんともねぇぞ」
言うなり、南は再びしゃがみ込んだ。雑草を刈り取るリズミカルな音と虫の鳴き声が混ざり合っていく。
なんか、いいな。しみじみと見つめ、時東もあぜ道に座り込んだ。やっぱり、良い天気で、良い景色だ。
つまるところ、生まれも育ちも関東で、近しい親戚もみな関東の時東にとって、南の家で食べたおでんは、ちょっとした新世界だったのだ。
「どうしよう、これ」
「いや、全部、こっちで処理してもいいんですよ? 基本的に皆さんそうしてらっしゃるんですから。変なところでマメですよねぇ、悠さん」
段ボール箱の山を前に唸った時東の隣で、台車にせっせと段ボール箱を積み上げていた岩見が笑う。
「まぁ、悠さん、あのラジオ、テンション高かったですもんねぇ。あちらさんとしては嬉しい宣伝だったんでしょう。はい、一箱どうぞ。お好きなら、もう一箱持って帰ります?」
「いや、……一箱でいい。大丈夫。岩見ちゃん、悪いけど残りは処理しといてくれる?」
ご当地おでんセットの詰まった箱を手に、時東はへらりとほほえんだ。
南が作ったものであればいざ知らず、味のない食べ物を二箱は厳しい。そもそもとして、譲り渡すような知人もいない身だ。
「もちろんです。お疲れさまでした、悠さん。今日はこのあとオフなんですから、ゆっくりしてくださいね」
「うん。そのつもり。岩見ちゃんもお疲れさま」
もう一度にこりと笑って、事務所の駐車場に向かう。
助手席に置いた箱の側面を、時東は運転席から一瞥した。記載されているのは、先だって聞いたばかりの南の母親の出身地だ。
――うーん、どうしようかな、これ。
いかんせん、味のわかるものを食べたのが優に二週間ぶりだったので、あの日の自分のテンションは突き抜けていたのだ。
それでもって、未知なる体験だった生姜醤油の効いたおでんも、想像以上においしかった。おまけにビール付き。味のある晩酌も大変ひさしぶりで、繰り返しになるが、時東のテンションは高かった。
その勢いのまま、出演したラジオの生放送で熱くおでんの魅力を語った。結果がこれである。
「置いといてもいいけど、そのまま忘れそうだしなぁ、俺」
関係者から「宣伝ありがとうございます、お礼に……」と言って事務所宛てに配送されたご当地おでんセット。一箱貰い受けたのは、時東なりの誠意だ。だが、しかし。
「あ」
そこまで考えて、時東はそうだと思いついた。時刻は十時五十分。木曜日は南食堂の定休日だが、今の自分は南の家を知っている。
くわえて、オフである本日の、このあとの予定はないときた。
「結局、このあいだのお礼も言えてないし」
言い訳がましく呟いて、ひとまず自宅に向かうべく、時東はシートベルトを締めた。家に戻って、バイクに乗り換えて、またすぐに出かけよう。あの家にお裾分けを届けに。
[4:時東はるか 11月24日10時46分]
向かう風は冷たいが、口笛を吹きたくなるほど気分が良い。空は晴天。ひさしぶりの丸一日オフデーで、なによりも、向かう先は南家だ。
「南さーん。あれ、いない?」
店を素通りし、数日前に訪問したばかりの南家のドアベルを鳴らす。返ってこない反応に肩を落とした時東だったが、約束をしていたわけでもない。
――家にいると思って押しかけたけど、どっか出かけちゃったのかなぁ、南さん。
目つきは悪いが、南は男前に分類される顔をしているし、面倒見も良い。くわえて情にも厚そうだ。
彼女のひとりやふたり――いや、ふたりいたらおかしいと思うけど――、いてもおかしくないのだろう。そうでなくとも、定休日に友人と遊びに出るというのは、十分にありうる話だった。でも、なんか。拗ねた子どもの心地で呟く。
「……気に食わない」
って、さすがにおかしいだろ。こぼれたひとりごとに、時東は門扉の前で天を仰いだ。箱を抱えたまま立ち尽くすこと、約二分。
ひとつ諦めて、緩やかな坂を下り始める。もしかしたら、店にいるかもしれない。どうせ時間はあるのだし、物は試しというやつだ。
人通りのない国道沿いをゆっくりと歩く。足元から響く虫の声といい、なんだか妙に長閑な空気だ。
自分のいる業界と比べると、随分とゆったりとしていると思った。
「こっちにもいない、か」
半ば以上わかっていたことでも、目の当たりにすると落胆するのが人情だ。
南食堂の入口に出ているのはそっけない『定休日』の木の札で、中は見えないものの物音ひとつ聞こえてこない。
――家の前にでも置いて帰ろうかなぁ。いや、べつに持って帰ってもいいんだけど。
こうなると連絡先を知らないことがちょっと不便だ。だが、知りたいかと問われると、前言を撤回して悩むところではある。この距離感が心地の良さの秘訣とわかっているからだ。
まぁ、いいか、と割り切って、段ボール箱を抱え来た道を戻る。妙に長閑と表現したとおりの、田園が目立つ片側一車線の田舎の国道だ。車の通りも多くない。
周囲を眺めながら歩いていた時東の足が、ふと丁字路を折れる前で止まった。田んぼの中に人がいたからである。
草刈りに精を出しているようだが、いやに動きがきびきびとしている。田園風景に似合うおじいちゃんかと思いきや、案外と若そうだ。
こんな田舎にも若い人はいるんだなぁ、なんて。推察を楽しみつつ、しげしげと見下ろしていると、ひょいと顔が上がった。その顔に、ぱしりと目を瞬かせる。
「南、さん?」
「あ? なにやってんだ、おまえ」
段ボール箱を抱えて見学をしていた自分は、たしかに「なにやってんだ」だったかもしれない。へらりとした笑みを取ってつける。
「いや、ちょっとお裾分け? というか、南さんこそなにやってるの? 南さんの畑?」
「田んぼな、これ。休耕地だけど。近所のばあちゃんの田んぼなんだけど、誰も継ぐ人いなくてな」
だから自分が草刈りをしているのだと説明されて、へぇ、と頷く。田んぼとも無縁の人生だったので、聞いてもよくわからない。なけなしの知識で、時東はもうひとつを問いかけた。
「草刈機とか使わないんだ?」
「なにで動くと思ってんだ。金かかるだろうが」
呆れたように返して、南が立ち上がった。頭に巻いていたタオルを外し、乱暴に汗をぬぐっている。
「お裾分けって、それ?」
「え、あ、うん。あの、このあいだ、ラジオで南さんのおでんのこと話したら、ご当地おでんセットが大量に送られてきたの。それで」
「あぁ、おまえ、えらいハイテンションだったもんな」
「……え?」
「先に家、行ってるか? もうちょっと、こっち、時間かかるから」
田んぼから放物線を描いて飛んできた鍵が、きれいに箱の上に落ちた。相変わらず、なんて雑さだ。おかげで、「南さん、俺のラジオ聞いてるの?」という疑問を呑み込んでしまったではないか。
ほんの少しの逡巡のあと、時東は残ることを選択した。南の言うとおり先に家に向かってもよかったのだが、もう少し立ち会いたかったのだ。
「見てていい?」
「べつにいいけど、楽しくもなんともねぇぞ」
言うなり、南は再びしゃがみ込んだ。雑草を刈り取るリズミカルな音と虫の鳴き声が混ざり合っていく。
なんか、いいな。しみじみと見つめ、時東もあぜ道に座り込んだ。やっぱり、良い天気で、良い景色だ。