『あけましておめでとうございます。昨年は本当にお世話になりました。今年も逢いに行くので、またよろしくお願いします。たぶん、七日の夜。遅くなるかもだけど、顔を出せるかなと思います。ちなみに、うちの雑煮はすましでした。南さんのお家は関東風だった?』
 一月一日になったばかりの、午前〇時。
 中高生のころであればまだしも、この年になって、こんな時間に年賀メールを貰うとは思わなかったな、と思う。しかも相手が、「時東はるか」だ。
「そういえば、白みそだったな……」
 母親が関西の出身だったので、南家は白みその甘い雑煮だった。健在だったころの母は、このあたりは角餅しか売っていないと不満たらたらで、年末が迫ると実家から丸餅を送ってもらっていた。
 昔話に刺激され、幼いころたびたび行った母方の実家が思い浮かんだ。
 南が高校生だったころに祖父母は相次いで鬼籍に入ったので、もう何年も赴いていない。今は叔父夫婦が住んでいるはずだが、彼らに会ったのも両親の三回忌が最後である。
「なにが白みそ? 雑煮でも作ってくれるの?」
「そういや、おまえは自分の家で関東風食って、俺の家で関西風食って喜んでたな」
「うん。どっちも好き。おいしいよね」
 へらりと笑った春風が、そのままごろりと炬燵に寝ころんだ。
「おい、こら。そこで寝るなよ」
「さすがに寝ないって。あー、そうだ。凛もさ、今日の朝は俺の家ね。連れて行かないと母ちゃんが拗ねるから」
「あー……」
「そのつもりで母ちゃんも用意してるんだから。それとも新年早々、俺が怒られてもいいの、凛ちゃんは」
 ひとりの正月もひとりの大晦日も、それほど寂しくはない、と。本心で南は思っている。だが、そう思うことができるのは、毎年律義に誘う春風がいるからだ。
 ――まぁ、だから、ありがたい話だよな、本当。
「それで、三日は俺と一緒に東京ね。月ちゃんと海斗くんが待ってるから」
 楽しみだね、と。珍しく屈託のない調子で告げられ、南は残っていたビールを喉に流し込んだ。
 七時間後には春風の家でお節をつついて、三日には旧友と逢い、七日には時東がここに来る。
『白みそ。着いたら食わせてやるから、気をつけて帰って来いよ』
 せっかくだから、丸餅でも探してみようか、と考えたところで、「楽しみ」にしている自分を南は自覚した。これは、どういう感情なのだろう。
 時東から返ってきたゆるいキャラクターのスタンプを眺め、最後に会ったときの会話を思い返してみる。
 時東は衒いなく「好き」だと言う。
 南さんのごはんが好き。この家が好き。南さんが好き。
 刷り込みが完了した雛かなにかのように、似非臭い笑みを引っ込めて、まっすぐに告げる。かわいくないわけはない。けれど、必要以上に気に留めないようにしよう、と南はずっと思っていた。
 それなのに、気に留めそうになってしまった。
 ――去年に捨てておくべきだな、これは。
 年を跨いでまで持っていていいものではないし、必要以上に考えるようなことでもない。そう思い切って、南はスマートフォンの画面を閉じた。


[13:南凛太朗 1月3日21時15分]


「えー! なんで! なんで、凛太朗が抜けるの!」
 べったりと月子にしがみつかれ、南はしかたなく座り直した。春風や時東ならいざ知らず、どこもかしこも華奢な身体はどうにもこうにも振り払い難い。
 おまけに、言っていることは、完全なる駄々っ子だ。持て余した気分で溜息を呑み込み、拗ねた顔の月子に視線を向ける。
 東京の海人のマンションで新年会という名の飲み会が始まり、約一時間。あっというまに酔っ払いができあがっている。
「抜けるって言っても、すぐだって。すぐ。小一時間で帰ってくるから。そのあいだだけ」
 三人で呑んで待っていたらすぐだろう、と南は宥めにかかった。
 不愛想だの、冷たいだの。怖いだの。そんなふうに称される自分にしては優しい声音を出したというに、びっくりするほど効果がない。新手の子泣き爺かなにかだろうか。つまることろ、離れる気配がないということだ。
「だって、ひさしぶりに会ったのに。こういうときくらい、あたしを優先してくれてもいいじゃない」
 おまえが一番に優先されたい相手は、俺じゃなくて春風だろうが、との心の声が届いたのか。あるいは、単純に見かねたのか。苦笑いと一緒に春風の助け舟が飛んできた。
「諦めなって、月ちゃん。凛、デートだから。デート」
「デート!? とうとう!?」
「誰がデートだ」
 そうして、なにが「とうとう」なのか。語弊のある言い方をするな、と否定するよりも、するりと離れた月子が春風にすり寄るほうが早かった。
「じゃあ、あたしもハルちゃんとデートする」
「はいはい。俺だけじゃなくて、海斗くんもいるけどね」
 春風のあしらい様に、南は思わず無言になった。
 俺の言動を雑だと非難する暇があるなら、自分の言動を省みろ。指摘したい内容はそれに尽きる。
 ――月子が憐れって言うと、さすがに、ちょっとあれだけど。
 でも、こう、なんというか。放っておくと、十年経っても同じやりとりをしている気がして、やきもきとしてしまうのだ。なにせ、十年近く前も同じやりとりをしていたと知っているので。
 めげずににこにこと話している月子を見守っていると、ちょいちょいと肩を叩かれた。視線を向ければ、呆れ半分といった調子で海斗が囁く。
「行くなら今のうちに行ったほうがいいと思うけど。またうるさくなるよ」
「……そうする」
 助言に従い、上着を手にそっと立ち上がる。リビングを出ようとしたところで、へらりと笑った春風が月子に見えない角度で手を振った。
 春風ばかりを見つめる月子は、まったく気がつく様子がない。苦笑いひとつで南は静かにドアを閉めた。
 いかにもうれしそうな姿を見ると、ついつい「付き合ってやればいいのに」と思ってしまう。親心のような、兄心のような、そんな感情。
 ――でも、そうなったら、海斗が気の毒か。
 幼馴染みの常套句は、「月ちゃんには海斗くんがいるでしょ」だ。「自分よりも海斗のほうが月子に合っている」ということで、「妹のようにしか見ることはできない」ということだ。
 わかっているから、南は「つい」を呑み込み続けている。
 月子は春風のことが好き。海斗は月子のことが好き。
 学生時代に結成したバンドらしく好きの矢印が乱立しているわりには、自分たちはうまく付き合っているのだろう。
 けれど、それも仲間であれば当然のことだと南は思っている。だが、これから会う男はその理論に頷くことはないのだろう。
 誰にでもすぐに心を開いて懐くふうでいて、核になる部分の壁が厚く、人を信用していない男だから。
 そういった微妙な機微に触れるたび、あのころはそんなふうではなかったのに、と。寂莫とした感情が蠢く。
 忘れたことにしている時東に、言うつもりはないけれど。
 月子の楽しそうな声は、玄関にいてもはっきりと届く。一時間後に戻ってきたときも、きっとこの調子だろう。想像して、南は笑った。
「あいかわらずだな」
 施錠ついでに見送りに来た海斗が、ふっと目元を笑ませる。次に響いたのは、春風いわくの執事然とした静かな声だった。
「時東はるかに会った?」
「最近って意味で?」
「あの生放送以来って意味。先に謝っておこうかなと思って」
「月子の分か」
 生放送の舞台裏事情は承知しないものの、相前後するタイミングで出演していたことは知っている。あのお転婆がなにか言ったのだろう。
 苦笑した南に、海斗もまた柔らかな苦笑を見せた。
「理解が早くて助かります。そのとおり。ごめんね。月子、『いろいろ知ってるのよ』って匂わせて遊んでたから」
「ろくでもねぇな」
「うん、ごめん。でも、そこが月子の良いところだから」
 会話になってない、と呆れたが、この男が月子に盲目的であることも昔からのことなのだ。
 まぁ、べつに、時東になにか言われたとして、説明をすればいいだけだ。たいした問題ではない。上着を羽織り、ひとつ頷く。
「いいよ、べつに。そもそも月子に話したの、俺だし」
 月子に強請られた結果であるし、好き勝手に脚色して理解していた気はするが、それはそれだ。
「なら、よかった」
 安堵した表情の海斗に「じゃあ、またあとで」と見送られ、南は東京の街に出た。
 思えば、ひとりで明るい夜を歩くのは、随分とひさしぶりだった。
 地元の町の夜はあれほど暗いのに、たかだか二時間弱の移動で到着するこの街は、不思議なほど人と光にあふれている。

 南さん、三日の夜、東京にいるの? じゃあ、俺、逢いたい。
 それが、新年早々に始まったメッセージのやりとりの流れで、三日の予定を伝えた際の時東の返事だった。
 どうせ七日にはおまえがこっちに来るんだろ、とか。忙しいんじゃなかったのか、とか。言いたいことはいくらでもあったのに、気づいたときには、短時間の逢瀬を約束してしまっていた。
 壁が厚いふうであるくせに、こういうときばかり直球でかわいげのあることを言うからいけない。だから絆されてしまうのだ。
 東京に向かう道中でそう説明した南に、「デートだね」と幼馴染みはほほえんだわけだが、断じて違うと主張したい。
 デートというものは、男と女の――いや、べつに男同士でもいいのだろうが、とりあえず、付き合っている状態の人間同士の逢瀬に適用される単語であるはずだ。
 言い募ると、「いや、まぁ、いいんだけどね、なんでも」と春風は若干引いた顔をしていた。必要以上に熱く語りすぎたかもしれない。
 ――いや、でも、デートではないだろ。
 落ち着かない気持ちを誤魔化すように、内心で否定する。
 けれど、そうだとすれば、これはいったいなになるのだろうとも思う。これは、というか、自分たちの関係は。
 友人というカテゴライズは、たぶん違う。だが、ただの知人と称するには、会う頻度が高すぎる気がしている。
 そうなると、知人以上友人未満ということになるのあろうか。あるいはもっと単純に、友人になりかけている最中と評すべきなのか。
 昨年に捨てはずの煩悩が、今も脳裏をよぎることがある。そのたび、必要以上に気に留めるべきでないと言い聞かせてきたけれど。
 口からこぼれた溜息が白い息に変わり、夜に落ちていく。
 時東の言う「好き」は、「ごはんが好き」と同じ意味合いのものだ。その延長線上に「あの場所が好き」、それらを提供する存在である「南が好き」がある。それだけのもの。
 だが、しかし。「好き」と言って懐いているあいだの面倒は見てやらないとなぁ、と。南は思っている。
 あいつにとっての、ほどよい距離感の逃避先として。そうであり続けるために、必要以上に気に留めてはいけないのだ。改めて結論づけたタイミングで、ちょうど駅が見えた。
 時東と落ち合う予定の場所までは、ここから三駅。車がなくても楽に移動できるのは、都会の特権だ。田舎に住むとそうはいかない。
 人の多さにほんの少しだけ辟易しつつ、電光掲示板の表示を確認する。あと数分で乗る予定の電車が到着するようだった。
 改札に向かおうと足を踏み出した矢先、ポケットの中でスマートフォンが震えた。光る名前に、再び足を止める。
「もしもし?」
「ごめん。南さん。もう、外にいる?」
「いや、――もうそろそろ駅だけど、改札の中にまでは入ってない。どうした? 仕事、延びてんのか」
 テレビの収録だけど、遅くても九時には終わると思う。だから、九時半くらいに待ち合わせでいいかな。隙間時間なんだけど、逢えたらすごくうれしい。
 おまえはいったいいくつなんだ、と。確認したくなる素直さに絆されて結んだ約束だ。仕事で無理になったと言われても、南に責める気はない。
 水を向けてやれば、「うーん、実は」と言いにくそうな返事。
「ごめんなさい。今はちょっと休憩中なんだけど、長引きそうで。あー、もう、本当にやってられない。俺、そんなに出番ないのにさぁ」
 どんどんと不貞腐れていく調子に、南はそっと口元をゆるめた。どういう顔をしているのか、想像できる気がしたからだ。
「というか、ごめんね、本当に。南さん、もう外には出てたんだよね。お友達との新年会の邪魔した上に、こんなことになっちゃって申し訳ない」
「いいよ、べつに。電車に乗ったわけでもなかったから。ちょうどいい酔い覚まし」
「ねぇ、南さん」
 躊躇いと甘えの混ざったよびかけに、「なに?」と問い返す。なんとなく思い出したのは、海斗の家を出る前に聞いた月子の声だった。
「もしよかったら、なんだけど。もうちょっとだけ、このまま電話しててもいいかな?」
「いいに決まってるだろ」
 友人なのか、なになのか。それすらもわからない相手なのに。やたらと優しく受け止めてしまった自分に、南は少し驚いた。
 下手をすると、先ほど月子の相手をしたときより、自然と甘やかしていたかもしれない。年始にもかかわらず仕事をしていることへの労わりか。それとも、こういった甘え方をしてくることが珍しい相手だったからか。
 正解はわからなかった。けれど、電話の向こうでほっとした声が「ありがとう」と言ったので、「べつにいいか」という気分になったのだった。
 少しくらい甘やかしても、罰は当たらないだろう。