「わかった、案内するよ」
「ありがと」

 学業優先の毎日を送っているとはいえ、芸能活動と学業を両立している八木沢くんは校舎のことを把握する時間が圧倒的に足りていないのかもしれない。
 俺は机から立ち上がって、母さんお手製の弁当を手に取った。

(八木沢くんとお弁当、お揃いだ……)

 同じ家に住んでいて、同じ人に弁当を作ってもらっているのだから、弁当の中身に違いが出るわけがない。
 そこまで母さんは工夫するような人ではないと知っているけど、知っているからこそ『お揃い』を心で堪能することができるというもの。

「昼休みに入ったばっかだと、購買めちゃくちゃ混んでるらしいよ」
「先輩たち優先とか?」
「あ、ううん。購買の人、三階と二階と一階で販売してくれるから、先輩に気を遣うこともないみたい」

 昼休みという時間帯なこともあって、廊下は生徒たちが行き交って活気づいていた。
 教室で昼食を食べるだけがすべてじゃないってことを知るのと同時に、人とすれ違う度にみんながみんな八木沢くんを一瞬でも視界に入れていることに驚かされる。

(しゅう)?」
「男子校なのに、凄いなって」

 八木沢くんを視界に入れはするものの、特に何かを話しかけてくる生徒はいない。
 八木沢くんの隣を独占できているのは自分だけだって気づくと、自然と背筋が伸びる。
 俺は恐縮することなく、誇らしげに廊下を歩いていく。

「八木沢くんの人気を肌で感じるなって」

 八木沢嶺矢に人気があることが、自分が褒められているかのように嬉しい。

「追っかけって怖い印象があったけど、この学校のみんなは優しいね」
「芸能科はなくても、芸能活動が許可されているだから……芸能人は遠くに追いやられるのかも」
「俺は、八木沢くんを放っておかないけどね」

 隣を歩く八木沢くんの表情を確認もせず、これから向かう放送室へと真っすぐ視線を向けたときのことだった。

(しゅう)、そういうこと口にするな……」
「あ、確かに、あの人も一人かも」

 遠くからでも整った顔立ちだと判断できてしまう一人の美男子が、こちらへと向かってくるのが分かる。
 すれ違いざまに感じた香水の香りから、すぐに芸能人だと判断できた。
 確かに芸能科が存在しない学校でも、芸能活動が許可されているだけの価値が我が高校にはあるのかもしれない。

「今の人、アイドルグループのセンターやってる」
「へえ……」

 今度は、一人の冴えない印象の男子生徒とすれ違う。

「今のは、大手事務所に所属する新人俳優」
「芸能人だらけ……」
「変に騒ぎ立てる人がいないのは、芸能人がたいして珍しくないからかも」
「なるほど」

 そのあとも、賑やかな昼休みという時間帯では何人かの生徒とすれ違う。
 すれ違う男子生徒に手を振られると、八木沢くんは俳優として恥じない素敵な笑顔で応じる。
 その、素敵だと思う笑顔に俺は魅入ってしまうわけだけど。

(普段の八木沢くん、ほとんど笑わないからなー……)

 せめて学校にいるときだけでも、俳優八木沢嶺矢の仮面を外してほしい。
 そんなことを思っても、八木沢くんは『俳優八木沢嶺矢』というキャラクターを守っていく。
 学校での悪い評判や噂が未来の自分を邪魔しないように、八木沢くんは今日も完璧を装っていく。

(しゅう)?」

 すれ違う男子生徒一人一人に笑顔を向ける八木沢くんに見入っていたせいで、少し反応が遅れた。

「あ……」
「何? どうかした?」

 これ以上、八木沢くんの負担を増やしたくない。
 クラスメイトを心配する時間があったら、八木沢くんには少しでも芸能人の仮面を外して休んでほしい。彼に心配をかけないように、自分なりの笑顔を整えていく。

「……俺は誰が芸能人なのかはわからないけど」

 芸能人様の笑顔に比べたら、一般人の笑顔なんて歪すぎて仕方がないかもしれない。
 それでも、彼に心配をかけないための顔を探していく。

「弊社の俳優が一番かっこよく見えるね」

 恥ずかしがることなく、八木沢くんに自分の感じたことを素直に伝える。
 いつもなら勇気がいるような発言も、隣に八木沢くんがいるっていう心強さが自分を変えてくれる。

「八木沢くん?」

 隣を歩く八木沢くんの表情が、ほんの少し赤面しているように見える。

「ほんと……柊は高校生らしくない」

 俺が顔を覗き込もうとすると、八木沢くんは必死で自分の表情を隠そうとする。

「ね、ね、八木沢くんも、もっと顔、見せて」
「毎日は飽きる……」
「八木沢嶺矢ファン、舐めないでもらいたいんだけど」

 背伸びをしたところで、自分よりも高身長の八木沢くんに追いつくことはできない。
 俺にだけ見せてくれる顔を拝めないのは残念だったけど、ほんの少し赤面していたような気がするっていう貴重さににやりと口角が上がった。