部屋の灯りを点け、僕はゆっくりとドアを後ろ手に閉めた。
 あんなに荒れていた窓の外は静まり返っており、部屋の中にも静寂が漂っている。僕自身が僅かに発する、息遣いが聞こえるほどに。
 僕がこの部屋を訪れたのは、これで三回目だ。
 一回目は邑木先生を探していた時に、大輔と芽衣と。
 二回目は春香を探していた時に、芽衣と。
 そして三回目は今、僕だけだ。
 二回目に見た時から、部屋の様子は変わっていなかった。大きなテーブルに並べられた凶器は鎮座しており、二回目に大騒ぎとなった拳銃がなくなっていること以外は本当にそのままだ。斧も、鉈も、包丁も、ナイフも、ロープも、この極限状態においては死を彷彿とさせるあらゆる道具が、その使われる時を静かに待っているようだった。これほどまでにおぞましい光景であるにもかかわらず、僕の心は思った以上に凪いでいた。
 やっと僕は、自分の中の罪を償うことができる。
 自分のやらかしてきたことをなんとも思っていないあいつらとは違う。
 僕は僕自身の手で、自分の過去と決別するのだ。
 ゆっくりと歩きながら、ひとつひとつ凶器を眺めていく。
 僕の贖罪に相応しい凶器はなんだろうか。
 さすがに車はこの部屋にはないので、それ以外ということになる。この大きな金鎚はどうだろうか。自刃で撲殺というのは、少々難しいか。
 そこでふと、あるものに目が留まった。小さなガソリン携行缶とライターだった。
「舞は……焼死体で、見つかったんだったな」
 何度も読み返したネットニュースを思い出す。舞の死因は全身打撲と脳挫傷による外傷性ショックではあるが、遺体そのものは焼かれていた。身元は近くにあった彼女の荷物や保険証、そして焼け残った身体の一部をDNA鑑定して判明したのだ。
 熱かっただろうか。あるいは、既に死んでいたからなにも感じなかったのだろうか。
 二つある携行缶のうちのひとつを手にとり、ゆっくりと蓋を開ける。鼻を衝くガソリンの臭いが漏れ出してきた。
 おそらく、この方法が一番償いになるのだろう。すぐには死ねないだろうが、それ自体も彼女への償いになるような気がする。
 僕は迷わず、一つ目の携行缶の中身を周囲にぶちまけた。二つ目は頭から被った。今まで嗅いだことのない強烈な臭気が僕を包み込んだ。これで火を点ければ、僕は間違いなく焼け死ぬだろう。
 このペンション自体が火事になる可能性も頭をよぎったが、おそらく火が燃え広がるころには天井に設置されたスプリンクラーが作動するはずだ。そうなれば僕の焼死体だけができあがり、あいつらには被害が及ばない。正一と芽衣の計画を乗っ取った誰かさんが僕の死を確認したら、きっと解放されるはずだ。
 そう。だからあとは、僕が罪を償うだけ。それで、すべてが終わる。
 僕は最後に、舞の顔を見ようと懐のポケットからスマホを取り出した。写真アプリを起動すると、一番上にあるアルバムをタップする。
 ――私、赤嶺舞っていうの! よろしくね!
 初めて会った日のことが思い出される。花見と題した新歓コンパで、彼女は本当に無邪気に笑っていた。
 それから僕らは順調に、本当に順調に日々を過ごしてきたはずだったのに。
 あの一時の喧嘩のせいで、僕は苛立ち、バイト帰りの車のスピードを上げ、彼女に気づかず轢いてしまったのか。
 どうして、と思わずにはいられない。どうして、こうなってしまったんだろうか。
 決して悪事に手を染めたいわけではないのに、環境がそれを許さない。理不尽は唐突に、我が身に降りかかってくる。
 どうしようもなかったんだろう。これが運命だったと、割り切るしかないのだ。
「さて……時間もあまりないしな」
 僕はせめて舞との思い出が詰まったスマホだけは燃やさないでおこうと思った。ガソリンを撒いた場所から、やや離れた位置にあるテーブルに置く。
「あっ」
 その時、ガソリンで濡れていた指からスマホが滑り落ちた。手帳型ケースのカード入れから、僕の免許証やICカードが床にばら撒かれる。それらを拾おうとして、手が止まった。
「舞の、名刺……」
 それは、彼女がインターン先で使っていた名刺だった。最後の喧嘩をした時、僕は彼女から名刺入れを投げつけられた。それは僕がバイトから家に帰ってきた時にもまだ床に転がっていた。
 舞が死んだというニュースを聞いた時に、僕は閉じこもっていた一週間で何度か名刺入れを眺めていた。罪悪感からか、忘れないようにするためか、僕は名刺を一枚抜き取ってスマホケースに入れていた。これは、その時の名刺だ。
 ふと、思った。
 もしここに僕の免許証がなくて、彼女の名刺だけが転がっていたとしたら、警察は僕の焼死体を誰だと思うだろうか。舞だと思うだろうか。
 いや、思わないだろう。衣服は違うし、男性平均の体格をしている僕とかなり小柄な舞では背格好が違い過ぎる。それにDNA鑑定をすれば、一発でバレてしまう。今の技術はかなり進んでいて、髪の毛一本や皮膚片だけで鑑定ができるのだから。
「皮膚片、だけで……」
 なにか、嫌な感覚が脳裏をかすめた。
 どうして、僕が轢き逃げしたはずの遺体に火がつけられていたのか。
 誰が、何の目的で火をつけたのか。
 もし。もし、あの事故で死んだのが舞だと思わせたかったことが目的だとしたら、どうだろうか。
 舞の身体の一部を切断し、わざと燃え残るようにしておく。舞の服を遺体に着せ、周囲には身元がわかる彼女の荷物をばら撒いておく。そうすれば、偽装できるのではないだろうか。
 でも、そんなことをしてなんの意味がある?
 そんなことをして、誰が得をするというのか。
 現に今、誰も幸せになっていない。頭の隅で画策していたらしい正一の計画遂行を焚き付け、舞に関わりのあった邑木ゼミのメンバー全員が不幸になっている。こんな復讐みたいなことをして、いったい誰が……?
 そこで、ひとつのおぞましい可能性に思い至った。僕は戦慄して、目を見開く。
「もしかして、舞自身が、遺体を偽装した……――?」

「だいせいかーいっ!」
 
 懺悔の部屋に似つかわしなくない、明るい声が響き渡った。

 *

 唐突に響いた声のほうを、僕はゆっくりと振り返った。
「久しぶりだね、真斗くん」
 そこには、あの頃とほとんど変わらない姿で小首を傾げる舞がいた。
「本当に、舞なのか……?」
 白のブラウスと紺のロングスカートに身を包み、肩ほどまで伸びた髪は黒く透き通っている。手元にはなにやらコードのついた機器を持っており、確かな生者としての存在感がそこにはあった。けれど僕は、到底信じられなかった。
「もう、正真正銘の私だよー。真斗くんの恋人で、邑木ゼミのほかのメンバーみんなに酷いことをされた過去を持つ、紛れもない赤嶺舞だよ」
 くしゃりと顔を綻ばせるが、その目は笑っていなかった。大輔と同じくらい、いやそれ以上の静かな冷酷さが宿っているように見えた。
「じゃ、じゃあ本当に……自分の身体の一部を、遺体のそばに置いて……?」
「え、そんな怖いことしないよ。やだよ。だって私、痛いの嫌いだもん」
 どういうことだろうか。それじゃあ、あの遺体は……?
「まあ、時間もないから簡潔に説明するね。まずあの遺体はね、私の双子のお兄ちゃん、赤嶺弘樹の遺体なんだ」
「なに……?」
 驚愕に声がかすれる。そんな僕の様子に、彼女は満足げに頷いた。
「すごく珍しいんだけどね、私とお兄ちゃんは異性だけど一卵性双生児だったんだ。難しいことは省くけど、お母さんのお腹の中で細胞分裂を繰り返していくうちに染色体の一部が欠落することで生まれるの。性別の部分だけが異なる、他はまったく同じ遺伝子を持つ双子。それが私とお兄ちゃんなんだー」
 舞は嬉々とした口調で語りながら、ゆっくりと僕のほうへ近づいてくる。
「もちろん、警察の化学捜査でも考慮には入ると思うよ。戸籍を調べれば双子だってわかるし。でもね、あの時お兄ちゃんは少年詐欺グループの事件があって身を隠して生活していた。つまり、世間一般的にはどこでなにをしているのかわからない状態だったの。対して私は遺体が見つかった近くの大学に通っていて、あの時をきっかけにぱったりと消息が途絶えた。服装は女性ものだし、あの時のお兄ちゃんは男性にしては小柄で長髪だったから焼けてしまえば女性に見えなくもないし、そもそも近くには私の持ち物が散乱してたからね。そりゃ普通に考えれば、あの遺体は私ってことになるよ」
「でも、どうしてそんなことを……」
「そこだよねー。私もさ、べつに最初からあんなことするつもりじゃなかったんだよ。真斗くんと喧嘩した後にアパートに帰って、お兄ちゃんが部屋の前で待ち構えていたりなんかしなければさ」
「え……」
 舞は僕のすぐそば、壁際に置いてあった水槽を掴むと中身の水を勢いよく僕にかけた。すぐそばで、金魚がぴちぴちと跳ね回る。
「驚くよね。さっきも言ったけど、お兄ちゃんの消息は世間様は当然、私も知らなかったんだから。しかもさ、なんで来たと思う? 俺がこんな惨めなことになったのはお前のせいだ、って言うんだよ? 挙句には一生俺の面倒を見ろとか、どこで聞きつけたのか言うことを聞かないと彼氏に酷いことをするとかふざけたことを言ってくるの。おかしいよね」
 舞は僕の近くにしゃがむと、ポケットから取り出したハンカチで僕の顔を拭き始めた。懐かしい匂いが、ふわりと香った。
「部屋には絶対入れたくなかったから、散歩しながらそんな話をしてたの。それで、ちょうどあの坂道近くに差し掛かった時に断ったら首を締め上げられたの。私、ターナー症候群っていって遺伝子的に小柄だから簡単に持ち上げられちゃって、とても怖かった」
 そこまで聞いて、ようやく僕は思い至った。
「まさか……あの時僕が轢いたのって……」
「そうだよ。私の首を締め上げているお兄ちゃんの身体をこすったの。私たちはそのまま転がって近くの草むらに倒れ込んだ。暗かったから、きっと見つけられなかったんだよね。でも真斗くんのおかげで、私は命拾いをした」
 僕の顔を拭き終わった舞が、そっと僕を抱きしめた。
「偶然でも嬉しかったな。だってさ、首を締め上げられている時に思い浮かんだのって、ぜんぶぜんぶ嫌な思い出だったんだよ? 春香と透子と芽衣にいじめられて、大輔に家庭をめちゃくちゃに壊されて、お父さんと優には強引に迫られた挙句裏切られて、正一には意味わかんない一方的な期待をかけられて、ほんとしんどかった。そんな最低最悪の走馬灯が駆け巡っていたところに、彼氏が奇跡みたいな確率で助けてくれたんだもん。これはもう、運命だよね」
「そ、れは……」
 確かに、そこまで追い込まれた状況の舞にとってみれば、運命だったのだろう。どこまでも裏切られ、見捨てられ、虐げられた人生を送ってきた舞にとって、その偶然はなにものにも代えがたい奇跡だったのかもしれない。
 けれど、今この抱き締められている状況で僕の心に浮かんできたのは、恐怖だった。
「そこでね、私は決心したの。以前から考えていた復讐計画を実行しようって。
 手始めに、真斗くんが行ったあとに気絶しているお兄ちゃんを私の車でもう一度轢いた。その後に火をつけて、崖から突き落としたの。あとは崖下に行ってさっきの細工をしたら完成。これであの遺体を轢いた車種も時間帯もすべて監視カメラに映るから、真斗くんが犯人になることはまずないよね。
 そしてこの偽装によって、私は世間的には死んだことになる。そうなれば、あの過剰な期待を私に向けてくる正一が動くと思った。私、彼がインターン先に入ってきた時にパソコンのセットアップとか手伝ったんだけど、その時に正一のパソコンでリモートワークの設定をしていて偶然、彼がこの計画をこっそり練っていたのを知ったんだ。だから、この偽装が最後の一押しになるだろうって。それに元々、私は恨みのある人みんなに声をかけて同じゼミに入らせて、まとめて復讐しようとしてたから。きっと嫉妬深い正一なら、計画の標的をゼミメンバーに定めるだろうって、そう思った」
 耳元で、舞はひとつ息を吐いた。全身が、更なる恐怖でぞわりと泡立つ。
「でも、あの計画には粗があった。正一はクラウド上に計画書を保存しててね、私は設定の時にこっそり自分のデバイスでも入れるようにしてたの。それで私がいなくなった後にどう修正するかも見てたんだけど、結局その粗は解消されなくて。だから私は、この計画を乗っ取ることにした。そのあとのことは、正一からさっき聞いたよね? そうして今、すべてが思惑通りに運んでこうして真斗くんと抱き合っている」
「じゃ、じゃあ……僕が罪を償おうとするのも、計算のうちだと……?」
「うん。優しくて誠実な真斗くんなら、きっと最後はこの部屋に来てくれると思った。私のことを殺したかもしれないっていう曖昧な状況でも、罪悪感を抱えている真斗くんだったらきっと罪を償おうとするはずだって思ってた。本当は真斗くんには真実を伝えたかったんだけど、伝えちゃうと私の復讐は完遂しないから。だから、本当にごめんなさい。二年間も、必要のない罪の意識を持たせちゃって」
 その時、懺悔の部屋の扉が乱暴に叩かれた。外からはなにやら叫び声が聞こえ、扉を開けようとドアノブを回す音が鳴る。
「あーあ。来ちゃったか。鍵かけたから大丈夫だけど、まあそうだよね。ここの部屋の様子は、広間でもわかるようにパソコンにリンク送ったし。ほんと、いけない子たちだなあ」
 冷え切った声が、耳元でつぶやかれた。
 と同時に、ペンション全体が揺らぐような轟音が響き渡った。
「な、なんだ!? 今のは!」
「大丈夫。遠くの部屋で、産業用爆薬が爆発しただけだから」
「産業用、爆薬……?」
 つい最近、聞いた言葉。そうだ、確か、正一の説明の中であった。
「正一が盗み出す時にね、私も盗んでおいたの。あとは一緒に盗んだマニュアル通りに電気雷管を繋いでこのペンション内に張り巡らせて、ここにある起爆装置を押せば爆破するようになってるってわーけ」
 そこで、彼女はためらいもなく手元にある小さなボタンのうちのひとつを押した。一瞬後、再び爆発音がこだます。さっきよりは、いくぶんか近い。
「大丈夫。さっきのと今のは、広間から出るなってメールに書いたのに、その約束を破ったことへの脅しだから。ほら、部屋の外が静かになったでしょ?」
「ま、舞……君は……」
 身体が硬直して動けなかった。
 あんなに無邪気で、自分の気持ちを素直に伝えてきていた舞。
 もしかして、こっちが素顔なのか。こっちが、本性なのか……。
「さーて。いつまでもこうしてるわけにはいかないよね。最後の仕上げをしないと」
 舞は僕の懐から離れると、壁にかけられた時計に向かって大手を振った。
「みんなー見えてるー? 聞こえてるー? 今から私は、懺悔の部屋で罪を償わなかった『赤嶺舞を殺したやつ』を殺しまーす。もちろん、この映像を見ているみんなのことなんだけど、わかってるよねー?」
 時計のところに、カメラが仕込んであるのだろう。心の底から楽しそうに、舞は叫んだ。まるで、舞台の上でスポットライトを浴びて演技する俳優のようだった。
「みんなも心のどこかでわかってたよねー? もしかしたら自分が、『赤嶺舞を殺したやつ』なんじゃないかってさー。でもみんなは、罪悪感を持ちながらも償うことはしなかった。そればかりか、真斗くんの事故を責め立てて自分は悪くない、自分はここで償うべき人じゃないって思ってたんだよねー? ほんとに最低最悪だよねー? 自分のことは棚に上げて、他人ばかり責めるなんてさー。それが、みんなの本性なんだよねー? だからさ、さっさと死んでくれない?」
 先ほどよりもさらに近いところで、再び爆発音が鳴った。ペンション全体が大きめな地震と大差ないほどに揺れた。
「みんなどんな顔してるのかなー? 怒ってるのかなー? 怯えてるのかなー? 泣いてるのかなー? でもそれってさ、みんなが私にしてきたことなんだよー? 程度が違うとか、関係ないからね? 私が感じた怒りも、怖さも、悲しみも、その時々にとっては死に限りになく近い大きなものだったんだよ? 人の気持ちがわからないみんなには、わかんないかなー? まあ、もはやどうでもいいけどね」
 立っていられないほどの揺れと轟音が、ペンション全体を揺るがした。電気が明滅し、スプリンクラーが作動する音が聞こえる。僕は尻もちをつき、舞自身も大きくふらついた。おそらく次が最後だというのが、直感的に伝わってくる。
「じゃあ、そろそろ本当にやばいからさ、私たちは一足先に逃げちゃうねー? もしかしたらみんなも悪運だけは強いから、上手くいけば逃げられるかもねー。まあ既に、広間の前は火の手が上がってるだろうから無理だと思うけど。ちなみに次の爆破先は広間そのものだから、そのままそこに留まってたら痛みも熱さもなく天国……じゃなくて地獄にいけると思うよー」
 どこか狂気的で高らかな声を響かせて、舞は笑った。
 今まで見たことのないその横顔に、僕は心底恐怖した。
 僕が好意を抱いた舞は、こんな表情をしていたか。
 ――私も、真斗くんのことが好き!
 そんなふうに素直で真っ直ぐな言葉を伝えてくれた舞は、こんなだったか。
 ――みんなー! 今日の休憩中のおやつは私の試作品チョコレートケーキです! 練習してて余ったから食べて食べてー!
 ゼミ活動中に、みんなにおやつを振る舞う舞は、こんなだったか。
 ――私~お酒そんな強くなくて~~。ごめん~~~~。
 飲み会で楽しそうに飲んでいた舞は、こんなだったか。
 舞は本当に、心からこの爆破劇をしたいと思っているのか……?
「はーい、それじゃあそういうことだから。地獄で会おうねー。じゃあ、バイバ――」
「待って! 舞!」
 だから僕は、震える足を叱咤して立ち上がった。
 最後の起爆装置のボタンを押そうとしていた舞に横から抱き着く形で阻止する。
「な、なにするの? 真斗くん?」
「ダメだよ、舞。これ以上、罪を重ねたら……!」
 次のボタンを押せば、間違いなく六人全員が吹き飛ぶ。これだけは止めなければならない。
「どうして? どうしてそんなこと言うの……? 真斗くんも、あいつらと同じなの……?」
 悲痛な声をあげて、舞は僕を真っ直ぐ見据えてきた。黒い瞳の向こう側は、なにも見えない。
「舞、もういいだろ? 爆破をやめよう。そして、二人で自首しよう」
「ううん、やだ。やめない」
「頼む、舞」
「嫌だって言ってんの。そこまで言うなら、真斗くんが選んでよ」
 カチャリと金属同士が擦れる低い音がした。見れば、舞の手には拳銃が握られていた。
「大輔に持っていかれたものと合わせて二丁。お兄ちゃんの忘れ形見みたいなもんだよ。この拳銃と起爆装置を渡すから、真斗くんが選んで。起爆装置を押して私の人生をめちゃくちゃにしたあいつら六人を吹き飛ばすか、その拳銃で私を殺すか」
 ヒュッと心臓が縮み上がった。思わず、彼女から一歩距離をとる。
「私は、半端な覚悟で計画を実行してるんじゃない。もう、後戻りはできないの。だから、失敗するなら死を選択する。私を止めようとするなら、つまりはそういうことだよ」
「僕に、舞を撃てと……?」
 僕の問いかけに、舞はこくりと頷いた。と同時に、何かが崩れるような衝突音が遠くでこだました。
「もう時間はないよ。ペンションは崩れ始めてるし、火も燃え広がってる。一応、火薬の量や爆薬の設置場所を調整してあるから、まだみんなは生きてるはずだよ。出られてもないと思うけどね。でもそれも、もう時間の問題。ここだって、いつまで無事かわからないよ」
 再び、轟音が部屋全体を揺らした。ガラスが割れ、遮光カーテンが吹き飛び、壁にかけてあった絵が落ちる。点滅する電気が、彼女の顔に幾度も影を落とした。
「選んで、真斗くん。私を殺して、ここにあるエントランスに通じるドアの鍵を奪い、みんなを助けに行くのか。あるいは、起爆装置を押してみんなを殺し、私と一緒にここから逃げるのか」
 凛とした声とともに、舞は僕の右手に拳銃を、左手に起爆装置を握らせた。それから胸のあたりで鍵をひとつ握り締め、祈るように僕のほうを見る。
 もう、舞はなにも言わなかった。
 ただ真っ直ぐに、僕の目を見ていた。
 僕も、彼女の瞳を見つめ返した。
 これほど彼女と向き合ったのは、いつぶりだろうか。
 心臓の音が早くなっていく。大急ぎで、全身に血液を送っている。
 僕は、どうすればいいんだ……?
 自分のことは棚に上げて、僕を責め立てたみんなを助ける義理はあるのだろうか。
 ペンションが揺れた。もう何度目になるかわからない揺れ。焦燥感がせり上がってくる。
 僕は、どうすればいいんだ?
 僕のことを真っ直ぐに好いてくれて、悲運の人生を送ってきた舞。彼女を救うには、みんなを殺せばいいのだろうか。
 呼吸が乱れる。
 平衡感覚が保てなくなる。
 めまいがする。
 部屋が揺れる。
 轟音が響く。
 時間がない。
 早く、早く決めないと……!
 僕の判断が、みんなを、舞を、殺すかどうか、決める、決める、きめるきめる――――
「――真斗くんっ!」
 必死な声が、耳を衝いた。
 直後、鳴り響く銃声とともに僕の身体が後方へ跳んだ。
 背中を強かに打った僕は、もんどりうって転がっていく。
 なにが起こったのかわからなかった。
 僕はゆっくりと起き上がり、前を見て、血の気が引いた。
「舞……っ!」
 そこには、血の海が広がっていた。彼女の胸のあたりは赤黒く染まっており、そこから流れて出ているらしかった。
 ハッとして窓の外を見ると、真夜中だというのにこれでもかと明るくなっていた。よく見ればパトカーのランプがいくつも回っており、その手前にいる何人かは銃をこちらに向けている。
 そこで、理解する。
 もしかして、警察は僕を撃ったのか?
 拳銃と起爆装置を持つ僕を犯人だと認識した警察が、凶行を止めようとして、撃ったのか?
 舞はそれを察知して、僕を、庇って……?
「ま、さとくん……はやく、にげて……」
 消え入るような声が聞こえた。僕は慌てて舞に駆け寄り、ゆっくりと抱き起こす。
「真斗くん……もう、時間切れ、だよ……。これ、鍵……今から、すぐに行けば……きっと、まだ、間に合う……から」
「あ、ああっ……わ、わかった……! 舞を警察に渡して、治療を頼んだら、すぐに」
「それじゃ、ダメ……。まにあわ、なくなる……。もう、一刻の猶予も、ない……の」
 舞は震える手で僕の頬を触ると、小さく笑った。
「ごめんね……真斗くん。優しい真斗くんに、辛い選択をさせて……ごめんね。それから、よかった……最期は、人殺しで終わらなく、て……――」
 舞の手が床に落ちたのと、扉が勢いよく開かれたのは、ほぼ同時だった。