* * *

 ボクは、戦々恐々として場の流れを見守っていた。
 いや正確には見守ることしかできなかった。今回の計画はボクと芽衣で考え、実行に移したものだ。それなのに、ほとんど自分の思った通りには進んでいなかった。
 もしかしたら、芽衣が裏でなにかしているのかもしれない。そんなふうに幾度も思ったが、ペンションに監禁された時から芽衣の行動に大きな変化は見られなかった。予約投稿で設定した時間からズレた時間にメールが来た時も、彼女は特に裏で手を回しているふうではなかった。
 そして今、ボクは二人だけになった広間で芽衣に肩を掴まれている。内容は、容易に想像できた。
「時間もないから単刀直入に訊く。私たちの計画、順調なの?」
 やはり、芽衣も違和感には気づいていたらしい。その顔にはボクへの不信感がありありと表れていた。
 ただそれは、ボクも同じことだ。
「わ、わからないんだよ……。計画にないことが起きているのは、芽衣のせいじゃないのか?」
「私がそんなことするわけない。わかるでしょ?」
 そうだ、わかる。芽衣はボクの計画をずっと尊重してくれていた。
 今回の一件は、ボクが計画の大枠を作っていた。あの事故で『舞を殺したやつ』だけでなく、彼女の人生をめちゃくちゃにしておきながら償いをしていないやつらをも追い込み、本性を曝け出させる。あのような悪事に手を染めていながら、誰もが羨む一流企業に就職して輝いていくあいつらのことが許せなかった。実家の古臭い土建屋を継がなければならないボクとは雲泥の差で、心の中ではボクのことを見下しているに違いなかったから。
 そんなボクの心中を聞いてくれた芽衣は、僕の計画を最大限に活かせるよう提案してくれていた。芽衣はこの惨状を記録して編集し、捨て垢を使ってSNSにばら撒く。大勢はただのエンターテイメントととるだろうが、一部では調査特定が行われるに違いない。一流企業に内定をもらった社会人手前の大学生たちにとってはこの上ない復讐になるだろうと、そう言ってくれた。
 しかも、やや尻込みをしていたボクの背中を押してくれもした。
 ――そもそもそんな過去を持っていながら隠し通しているほうが悪いよね。
 ――私たちはそれを白日のもとに晒しているだけだよ。
 ――そうしないと、あまりにも舞が報われなさすぎる。そんなのは理不尽。そうじゃない?
 何度も何度も、元気づけてくれた。
 芽衣のおかげで、ボクはあいつらを追い詰める計画を完成させ、実行に移すことができたのだ。
 だから、芽衣が最後の最後でボクを裏切っているはずがない。そうなのだと、思いたい。
 でもそうなると、誰が……?
 誰が、大量に並べた凶器の中に本物の拳銃を紛れ込ませたんだ?
 誰が、眠らせるだけのはずだった邑木先生を崖下に突き落としたんだ?
 誰が、メールの内容を少しずついじったんだ?
 誰が、予約投稿とは違う時間にメールを送信したんだ?
 誰が、エントランスに通じる唯一の扉の鍵を付け替えたんだ?
 誰が、誰が、だれが……?
「正一じゃないなら、誰かが私らの計画を乗っ取ったのかも」
 数十秒の沈黙のあと、芽衣はおもむろに言った。その可能性は、ボクも考えてはいた。
「でも、誰が……?」
「わからない。ただ、そうなるとかなりやばいかも」
 芽衣の言葉に、ボクも頷く。
 現在、計画に齟齬は生まれているものの、当初の目的のひとつである「邑木ゼミメンバーの悪事と本性を晒すこと」は達成するように動いている。もし乗っ取られているとするならば、そいつはボクらの計画の全容を知ったうえで細部に調整を施し、ボクら自身もわからない手法でみんなを追い詰めていることになる。しかもそれは、邑木先生への危害と拳銃の調達などというより過激な方向での調整だ。その調整の中に、ボクらへの危害や精神的ショックを与える暴露が含まれていない保証はない。すなわち、ボクらもまたターゲットにされているのだ。
「とりあえず、そろそろみんなに追いつかない? 早く行かないと怪しまれるから」
「そうだね。もうあとは、成り行きに身を任せるしか――」
「その必要はない」
 その時、張りの通った声が響き渡った。
 ほぼ同時に、閉まっていた広間の扉が開く。
「やはり、お前だったんだな、正一。芽衣も共謀していたのは意外だったが」
 開け放たれた扉の前には、大輔を始めとした面々がボクらのほうを見つめていた。その表情は想像以上に落ち着いていて、怒りや悲しみよりも戸惑いのほうが多いようだった。
「どう、して……?」
「これだよ、これ。お前らの会話を、外から盗み聞きしてたんだよ」
 重厚な扉の近くにあるソファ。その隙間から、マイク部分を上にした状態で置かれたトランシーバーのようなものを大輔は取り出した。
「まあ、元々俺は正一のことをあやしくは思っていた。なんせ、マウスの場所を知っていたからな」
「マウス?」
 どういうことだろうか。どうしてマウスで、ボクがあやしくなるのか。
 ボクが大輔を睨んでいると、大輔は今から説明してやるとばかりに肩をすくめた。
「正一さ、午後にこの広間でくつろいでいた時、今日初めて来たって言ってたよな? 友達とネットで探して、偶然見つけたとも言っていたはずだ」
「あ、ああ」
「つまり、正一にとってはこの場所は自分で来たことがあるわけでも、実際に行った友達から聞いて知っていたわけでもない、サイトで見ただけの場所のはずだ。それなのに、どうしてお前は引き出しの、それも奥にマウスがあるのを知っていたんだ?」
 大輔の言葉に、背筋に冷たいものが走った。腹の底から、焦燥感のようなものがせり上がってくる。吐きそうだ。けれど、必死に我慢する。
「見ての通り、備え付けのパソコンはモニターに繋がれたノートパソコンだ。ネットカフェじゃあるまいし、普通、初めて来た場所にノートパソコンがあればその手元にあるタッチパッドを使って操作するだろ。しかし正一はタッチパッドを一度も使わずに、引き出しの奥のほうからマウスを取り出して操作していた。まるで、そこにマウスがあるのを知っていたみたいに」
「そ、それは……! サイトに、書いてあって……!」
「ほう? マウスは引き出しの奥にありますってか? 印刷してくれたここの資料を見れば噓かどうかはすぐわかるぞ?」
「くっ……」
 ぐうの音も出ない。
「まっ、あれだけ大きな暴露話が書かれたメールがポンポン送られてくるのに正一はいつも率先して開封しに行ってたし、そもそも基本に立ち返ればこの計画はペンションの構造を熟知していないとできないものだ。その意味でも、まず疑わしいのは正一になる。だからこそ俺は疑っていた。そして念のため、ついさっき仕掛けておいたBluetoothで連携できるトランシーバーから聞いていたわけだ。元々バーベキュー用の資材を集めに行く時の連絡用として持ってきていたものだったから少し聞き取りづらくはあったが、こっちには録音機器も置いておいたし、言い逃れはできないぞ」
 今度は広間にあるテーブルの配線ボックスから、録音機材を取り出してきた。どこまでも用意周到な元詐欺師に開いた口が塞がらない。
 どうやら、まんまとはめられたわけだ。こうやって移動を重ねて隙ができるのを待っていたということか。腹立たしい。
「なるほど、ね……。でもその口ぶりだと、ボクらの計画を乗っ取ったのは大輔じゃないんだよね?」
「ああ、それは知らん。俺もでかいことを言っているが、正一と赤嶺祐樹が共謀しているものとばかり思っていたからな。そこは外れていたわけだ。まあ今の話を聞けば、もしかすると正一と芽衣が共謀して計画、実行したこの事件を、あいつが乗っ取った可能性もあるがな」
 大輔は自嘲するような笑みを浮かべてから、広間を見回す。どこか挑発的でありつつも語り掛けるような口ぶりなのは、ボクらが仕掛けたもの以外のカメラを意識してだろうか。
 しばらく大輔は広間を物色して回っていたが、目的の成果は得られなかったらしくやれやれと首を振った。
「まっ、これ以上はどうしようもないだろ。幸いにして、計画を乗っ取った誰かさんと正一らの目的は同じみたいだからな。きっと『赤嶺舞を殺したやつ』が誰なのかの答えは同じのはずだ。だから、聞かせてもらおうか。いったい誰が、『赤嶺舞を殺したやつ』なのかを」
 大輔は蔑むような冷たい視線をボクに向けてきた。さすが、多くの人を巻き込み週刊誌を騒がせた少年詐欺グループの参謀殿は格が違う。犯罪にまで手を染めたのにボクは下になるのだ。まったく、どこまで行ってもボクは落ちこぼれということか。
「ああ、わかったよ……」
 もうここまで来れば、ボクにできることは最後の真実を、悪事を、本性を突き付けることだけだ。
 それで、全てが終わる。
「『赤嶺舞を殺したやつ』は、お前だよ。真斗――」
 いつの間にか、あんなに荒れていた外は静かになっていた。

 * *

 赤嶺舞。
 彼女と初めて会ったのは、とある会社の長期インターンシップに参加するべく面接に臨んだ時だった。
「初めまして。データ分析事業部の赤嶺舞と申します。……なーんて、堅苦しいこと言ってるけど同じ大学の同学年だからね! よろしくー!」
 小さな部屋で、ボクは彼女と向き合っていた。
 ボクは志望者で、彼女は面接官。聞くところによると、大学一年生の早々にこの会社の短期インターンシップ企画に参加して成果を出し、そのまま長期インターンシップに参加する確約を得たらしい。もちろんそこでも確かな成果を上げており、こうして学生のインターン生採用の面接官を担当するくらいには信頼も勝ち得ているようだった。
 これほどの差をまざまざと見せつけられ、当初ボクは心から嫉妬していた。歳下の、それもこんな小さくて頼りなさそうな天然ドジっ子に負けるなんて悔しくて仕方なかった。
「さっ、今日から大学だけじゃなくてこっちでも仲間だね! 頑張っていこ!」
 けれど、そんな嫉妬心はすぐに氷解することとなった。彼女は、赤嶺舞は確かに類まれな才能を持っていた。
 持ち前の明るさを活かして、職場では良好な信頼関係を築いていた。インターン生としての引け目を感じさせず、社員の一員として誰もが認めるほどの存在感を放っていた。天然ドジなところは普段だけで、仕事のこととなるとまず隙はなかった。そのくらいに「できる人」で、ボクはいつしか尊敬の気持ちを持つようになった。
 恋心はなかったように思う。孤高の人とは正反対の性格ながら、ボクにとっては高嶺の花のような存在だったからかもしれない。ただそれでも、気持ちの強さだけは負ける気はなかった。舞の恋人の真斗にも、そのくらい彼女のことを想っていて欲しかった。一方的ながら、本気でそう思っていた。
 それなのに、ボクはあの日見てしまった。
 大輔がバイトをしている弁当屋に寄った帰り道に、大学付近の坂道でなにやら草むらをうろうろしている真斗を。
 ひと通り辺りを確認し終えてから、ホッとしたようにわきに停めてあった車に乗り込んで帰るところを。
 その時は、なんのことかわからなかった。けれど、翌朝のネットニュースを見てボクは愕然とした。部屋着のまま、ボクはすぐさま昨日真斗を見かけた場所まで走っていった。
 その場所は規制線が貼られていた。たくさんのパトカーやら警察官やらがいた。野次馬も多く、口々に焼死体が見つかったことやボクの通う大学の生徒だったことを噂していた。
 そこでボクは確信した。あの時、真斗は何かを轢いてしまったんだ。けれど暗がりで見つけられず、あるいは勘違いか何かだと思って、そのまま帰宅した。
 でも実際は、轢いていた。しかもその相手は、あろうことか彼の恋人で、ボクの憧れの人でもある赤嶺舞だった。
 絶望が心を支配した。どこまで暗く、重く、粘り気のある闇だった。
 当初、ボクは見たことを警察に伝えようと思った。こっそり真斗の車を見ると真新しい凹みがあったし、言い逃れはできないだろうと踏んでいたから。でも、心のどこかであの舞が選んだ真斗なら自首してくれるのではないかと期待もしていた。
 だから、最初は知らぬ存ぜぬを突き通し、真斗の判断を待ってみた。
 でも、真斗は結局自首しなかった。ボクはとことん憤り、そして刺すような悲しみが心中を支配した。
 そうしてボクは、警察にすべてを話した。友人のショックで考えられなかったけど、時間が経って思い出したことがあると言い訳をして、見たことをすべて話した。警察の人はなにやら驚いた顔をしていたが、小さく頷くと「ありがとう」とお礼を言ってくれた。
 ボクは大役を果たした気分になって、事の成り行きを見守った。真斗が逮捕されるのだと、そう信じて疑わなかった。そしてその時に、ボクはどれだけ舞と真斗が不釣り合いな存在で、舞の気持ちを踏みにじっているかを罵倒しようと考えていた。
 けれど、さらに事態はボクの予想とは違うほうに転がった。
 警察は、真斗を逮捕しなかった。ボクの事情を聞いてくれた人に詰め寄ると、「彼は舞さんを轢いていないから」の一点張りだった。さらに、「君は直接彼が舞さんを轢いたところを見たわけではないだろう?」と逆に睨み返される羽目になった。
 意味がわからなかった。だからボクは、その後に開催された気分転換の飲み会の席で、真斗に直接問い質すことにした。
 お酒に弱い真斗が潰れないよう気をつけながらお酒を勧め、程よく酔いが回ったところでボクは真斗と二人きりになりあの日の夜のことを訊いた。
 でも真斗は、「わからない」「怖い」の二言しか言わなかった。ボクは完全に、失望した。
 警察も真斗の良心も当てにならない。こうなったら、ボクが舞の無念を晴らしてやる。
 そうして、僕は頭の片隅で妄想のごとく考えていた計画を形にした。
 途中から芽衣がボクと同じような気持ちを抱えていることを知り、協力してもらうことになった。その過程で春香や透子が昔舞をいじめていたこともわかって、ボクの怒りはどんどん積み重なっていった。
 ボクらの計画の最終目的は、「舞を殺した真斗に罪を償わせること」と「邑木ゼミメンバーの本性と悪事を晒すこと」になった。
 だから、ボクらは計画を実行に移した。
 実家の火薬庫にあった産業用爆薬を盗み出して土砂崩れを起こさせ、みんなを閉じ込める。懺悔の部屋に大量の凶器を並べて恐怖を増幅させ、そこへ悪事の書かれたメールという火種を投下して疑心暗鬼を生み出し、極限状態に追い込む。
 身の破滅だと言われればそうかもしれないが、それでもボクらはみんなが、真斗がどうしても許せなかった。
 ゼミメンバー全員の本性と悪事を白日の下に晒して社会的制裁を加え、真斗には然るべき方法で罪を償ってもらう。
 赤嶺舞を殺したのは、真斗なのだから――。