* * *
朗々と語られる大輔の推理を、私は冷めた気持ちで眺めていた。
正直、想定外ではあった。まさかここまで、大輔が思考を巡らし、真剣に『赤嶺舞を殺したやつ』を突き止めようとしているとは。詐欺師だった彼のことだから、最後の最後まで私たちを欺き、手のひらの上で踊らせ、疑心暗鬼にさせたところで自分以外の誰かを懺悔の部屋に送り込むものだと想像していた。これは私にとって、とても嬉しい誤算だった。
こういう場には進行役が必要不可欠だ。進行役がいないと状況が整理できないし、なによりいつまで経っても話が先に進まない。揉めるだけ揉めてはいおしまいなんてことになれば、見ている側としてはなんとなく物足りないだろう。もちろん、それはそれで実に滑稽な絵面には違いないので、一定の需要はありそうだが。
そう、滑稽。今の状況は、一連の監禁暴露事件を画策した私からしても想定通りの、見るに耐えない有り様だった。
「じ、じゃあつまり、その舞の兄ちゃんだっていう赤嶺弘樹が、どこかでオレらのことを見ているってことか?」
「そうなるな。おおかた屋敷のあちこちにカメラでもつけて監視しているんだろう」
「んだよ……それ。オレらは見せ物じゃねえっての! つか、どーすりゃいいんだよ!」
大輔が赤嶺弘樹の素性についておおよその説明を終えてから、優がどこか怯えた口調で言った。
さっきまで散々大輔に敵意を向けていたかと思えば、今度は得体の知れない敵を認識して助けを乞うている。およそ、冷静に事態を把握して解決策を提示してくれそうな大輔に縋ることにしたのだろう。この変わり身の早さはさすがとしか言いようがない。
加えて、今カノの春香や元浮気相手の透子に、まるでわだかまりがどこぞへ消えてしまったかのごとく話しかけてもいる。状況的に仕方ないとはいえ、やはり優への抵抗感がある春香の表情に気づかないものなのか。その心情を察することができないものなのか。どこまでも自分の心の安定しか考えていない、情けないダメ男だ。
「優、落ち着いて。あんまり騒ぐと刺激することになるじゃん。大丈夫だから」
「あ、ああ……」
「大輔も、状況はわかったよ。それで、ウチらの中にある共犯者を探し出して、直接『赤嶺舞を殺したやつ』を誰だと思っているのか聞き出して、その人に真偽を問うってことだよね?」
「そういうことだな」
そんなダメ男にもかかわらず、なんだかんだで完全には見捨てきれないのは春香だ。騒ぐだけの浮気魔なんて無視して話を進めていけばいいのに、どうしても優の近くからは離れたくないらしい。そんなんだから都合のいい女にされて浮気されるのがわからないのか。
そしてなにより、あれだけ過去に舞のことをいじめて、その過去を掘り返されてパニックになっていたくせに、しばらく時間が立てば平然とまた犯人探しの話し合いに加わっている。広間の隅かどこかの部屋で縮こまって震えていればいいものを。おそらく取り巻きの透子にでも慰めてもらったんだろう。こいつはこいつで、実にいい性格をしている。殺人犯と自分がそう変わらないことを、どこまで自覚しているんだろうか。
「じゃあとりあえず、ウチらから検査して。荷物も部屋に置いてあるから」
「わかったと言いたいところだが、もはやさっきの任意云々は白紙だ。全員、一斉に検査する。つっても、さすがに身体検査は同性同士だからな。女子は隣にある部屋で芽衣が主で、男子は広間で俺が主で身体検査するぞ。そしてその後に各自の部屋に行って荷物検査だ」
あとは、こいつ。
最初からずっと場を仕切っている詐欺師野郎の大輔だ。
さっきから自信満々に己の推理を披露し、悦に浸っているのが丸わかりだ。きっと詐欺をしていた時も同じように恍惚とした表情を浮かべて人を陥れる計画を練っていたんだろう。
加えて、議論の争点を『赤嶺舞を殺したやつ』から「メールの送り主の共犯者」にすり替えてきた。もしあのまま「『赤嶺舞を殺したやつ』は誰か?」という議論を続けている流れになっていたら、間違いなく大輔も槍玉に挙げられる。そうなれば議論の主導権なんて握れるはずもなく、最終的に彼が懺悔の部屋行きになる可能性だって高くなるのだ。このすり替えは、その辺りまで見越しての発言なのだろう。そして思惑通りに「メールの送り主の共犯者は誰か?」という流れで議論が転がり始めている。要は、自身の罪から逃れるための自己保身なのだ。罪悪感なんてまるでない、頭のネジが二、三個はぶっ飛んでいる正真正銘のクズだ。
本当に、どいつもこいつもクズばかりだ。三人だけじゃない。ほかのみんなもそうなのだ。今まで一緒に大学生活を過ごしてきて、そんな輩が近くにいたなんて思わなかった。こんなにもたくさん“自分”を隠してる人がいるなんて。
「……まっ、ひとのこといえないか」
小さく、自重気味に口の中で転がす。すると、昔の嫌な記憶が蘇ってきた。私は慌てて首を横に振り、思考を掻き消した。
「どうしたのー、芽衣?」
名前を呼ばれてハッとする。そしてすぐに愛想笑いを浮かべた。
「ううん、なんでもない。検査だよね。早くやろ」
やばいやばい。このすぐに思索にふけって黙りこくってしまうのは私の悪いくせだ。
私はいつも通り小さく頷いてから、春香たちのあとに続いた。広間を出て、すぐ隣にある部屋に入る。今日は誰も使っていない客室のひとつだ。
私は頭を切り替えて、別れ際に大輔から言われた通り率先して身体検査を行った。おそらく、自ら検査を申し出てきた春香や透子の意志を汲み取っての指示なのだろう。まあ、まったくの無意味なのだが。
まずそもそも、この計画を画策したのは私と彼だ。春香や透子は計画に関わっていないのだから、調べてもなにも出てくるはずがない。持っているのは「メールの送り主の共犯者は誰か?」に繋がる証拠ではなく、舞の人生をめちゃくちゃにした後ろ暗い過去だけだ。
それに私は調べて困るようなものを手元には置かない。常識だ。手元に置こうものなら、こんな極限状態では瞬く間に非難と猜疑の視線を集めてしまう。言い訳なんてなんとでもできるが、わざわざ自分からボロを出すような真似をするはずがない。
さらにいえば、大輔の推理は当たっている部分もあるが、外れている部分も多い。私と一緒に計画を考え、遂行しているのは赤嶺祐樹ではない。そのことに、彼は気づいていない。
確かに大輔の洞察力はすごかった。私たちの中にこの計画を立てたやつがいるところまでは正解だ。けれど、そこまでだ。
「さっ、これで終わりかな」
私自身の身体検査も二人にしてもらい、もちろん何事もなく終了した。男子のほうはひとり多いからもう少し時間がかかるだろうということで、しばらく待つことになった。
その間、お喋り好きな春香は予想通りずっと口を動かしていた。男子の中にメールの送り主の共犯者がいるのかとか、誰がそうなんだろうとか、どうして今になってこんなことをしたんだろうとか、自身が気になっていることを次々と訊いてきた。取り巻きの透子は嫌われないようにするためか、春香に同意する意見ばかりを述べていた。私は自身の内心を悟られないように、曖昧な笑みを浮かべて適当に返事をした。
私たち以外、誰もいない部屋でこうして話していると、どうしても昔のことが頭をよぎった。
――次はさー、どんなことしよっか?
あの時、絵画教室として使われている部屋には、春香たちのグループと私だけがいた。
舞をいじめる計画を話す春香たち。聞きたくもない罵詈雑言が教室内を飛び交い、私は我関せずという顔でその様子を遠くから眺めている。
――あいつマジウザいくらいはしゃぎ回ってたから、ちょっと落ち着かせるためにロッカー閉じ込めない?
――いいね〜! さんせ〜!
――わかるー。あれマジうっとおしかったもんー
下品な笑い声が窓際から聞こえてきて、私は思わず耳を塞ぎたくなった。
私は舞と友達だった。
舞は、内気で人見知りな私にも気軽に話しかけてくれた。時には一緒に絵も描いてくれた。休みの日には遊びに誘ってくれて、近くの公園でブランコに乗ったり私の家でゲームをしたりした。
本当に優しくて、私と同じく小柄なのに頼りがいがあって、なにより笑顔が可愛い自慢の友達だった。
そんな大切な友達を傷つけるなと叫びたかった。
暴れて泣き喚きたかった。
でもそんなことをすれば間違いなく糾弾され、次のいじめのターゲットにされる。それはなにより恐ろしかった。結局、内気な性格も相まって私はなにも言えなかった。そろそろと目をつけられないようにこっそり帰るので精一杯。時折り、「わかってるよね?」みたいな視線で見られたこともあって、その度にびくびくしていた。
そして私は、いじめられている舞を遠くから見ているだけだった。
――芽衣ちゃん、おはよう。
無視した。
――芽衣ちゃん、筆貸してくれない?
無視した。
――芽衣ちゃん、一緒に帰ろう?
無視した無視した無視した。
舞がいじめられ始めてから、私は舞のことを避けるようにした。直接は加担しなかったけれど、私は舞を守ることも寄り添うこともしなかった。私はただ、傍観者に徹した。
そんなことがしばらく続いたあと、舞は二階にあった教室から飛び降りた。幸いにも命は助かったけれど、私は後悔の念でいっぱいになった。
すぐに謝りたかった。
でも舞は絵画教室を辞め、どこかへ引っ越してしまった。電話をかけたけれど、着信拒否されていた。私は結局、謝れなかった。……大学生になって再会するまでは。
――もしかして、芽衣ちゃん?
大学の入学オリエンテーションの時、不意に声をかけられた時は心臓が止まるかと思った。振り返ると、小柄ながらもすっかり大人びた舞がいた。
嬉しかった。悲しかった。悔しかった。楽しかった。怖かった。
いろんな感情が綯い交ぜになって押し寄せてきて、私はその場で泣き崩れてしまった。何度も謝って、謝って、謝った。
でも、舞は私を抱きしめたり許しの言葉をかけたりはしなかった。ただそっと、ハンカチを渡してくれた。
それから少しずつ、私たちは話すようになった。それぞれべつの友達と行動をともにしていたけれど、顔を合わせれば軽い雑談ができるようにはなった。積年を溝を埋めるように、私たちは会話を重ねた。
そうして迎えた、大学二年生。舞が、一緒のゼミに入ろうと誘ってくれた。泣くくらい嬉しかった。私は二つ返事で了承して、一緒に邑木ゼミに入った。
ここからまた、私たちは友達になる。友達に戻れる。
舞が死んだのは、そんなふうに私が思っていた、その矢先だった。
絶望だった。目の前が真っ暗になって、頭の中は真っ白になった。人は本当に絶望すると、涙すら出てこないのだとわかった。
死因は交通事故によるものだという。けれど、発見された遺体は焼死体となっていた。
悪意に満ちている。舞のことよりも自分の身を守ることしか考えていない。そんなクズのほうが死ねば良かったのに。
私はどんな手を使ってでも「舞を殺したやつ」を見つけようと思った。そして私なりに調べていくうちに、「彼」も同じように舞の事故死を調べていることを知った。
だから、私たちは結託した。
そしてこの場を作り上げたのだ。
「――……さっ、そろそろあっちも終わってる頃だろうし、戻ろうか」
私は春香たちの話の合間を縫って提案した。二人は少し緊張に顔を固くしつつもゆっくりと頷いた。
そんなに緊張しなくても大丈夫なのに。この検査では、話は前に進まない。「メールの送り主の共犯者」は見つからなくて、手詰まりになって、また『赤嶺舞を殺したやつ』に話が戻るだろうから。
そんなことを思いつつも表情には出さず、私たちは広間に戻った。すると案の定、険しい表情の大輔たちに迎えられた。
「女子も終わったみたいだな。それで? どうだったんだ?」
「なにも変なものはなかった。そっちは?」
「こっちもなにもなかった。ということは、あとは荷物検査だな」
想像通りのやり取り。それはそうだ。そしてその荷物検査でもなにも見つかりはしない。
「よし。じゃあ、荷物検査は部屋が広間から近い順に見ていこう。見るのは全員でだ。異論があるなら今のうちに聞くが?」
異論の声は上がらなかった。全員が納得をしているのかいないのかわからない表情で互いの顔色を伺っている。
この荷物検査で、またひとつ時間は進んでいく。私たちが望んだタイムリミットまで、着実に時を刻んでいくのだ。
その時、静まり返った広間に単調な電子音が響いた。
私たちは弾かれたように一斉にその音が鳴ったほう、備え付けのパソコンに目を向ける。
新着メールを受信した音だ。そしてチラリと時計に目をやれば二十一時ちょうど。それが指し示すのは、ひとつしかない。
「暴露メール、もうそんな時間か。急がないとな」
どこか苛立ちを見せつつ、大輔はパソコンに近づいた。私たちもその後に続く。
今度は誰の過去が明らかになるのか。大輔以上のことをしている人がいるのか。あるいは「メールの送り主の共犯者」を探している流れになにか釘を刺されるのではないか。そんな思い思いの想像が、みんなの頭の中を駆け巡っていることは想像に難くない。
まあ、次は私の暴露が書かれているんだけどね。
最後を除いて、ここから先は優程度の悪い過去話が書かれているだけだ。大輔のような悪事に手を染めているやつはそういない。
「よし。正一、開いてくれ」
一応の役割付けなのか、大輔はこれまで通り正一を席につかせるとメールを開くよう促した。正一はためらいつつも頷き、開封ボタンをクリックする。
『西野芽衣は、陰湿誹謗中傷者。
表立っては何も言わないが、裏では誹謗中傷を繰り返している。
赤嶺舞に対するいじめの時も見て見ぬフリをするだけでなく、裏垢や捨て垢で陰口を投稿し、自殺に追い込む手助けをした。』
「え……」
思わず、呆けた声が漏れた。
計画通り、ターゲットは私だった。
ここまでは打ち合わせ通りだ。驚くことは何もない。
でも、その内容に若干の違いがあった。
私はこの計画が終わった後、こっそり撮っている映像データを回収し、編集して捨て垢で晒さないといけない。そのことを想起する内容は、暴露メールには書かないよう「彼」と取り決めをしていた。何がきっかけで私たちが計画しているとバレるかわからないからだ。
でも、ここにはそれが書いてある。
私は驚きを隠せず、咄嗟に「彼」のほうへ目を向けた。
「今度は芽衣か。なるほどね、まあこれは仕方ないだろ。芽衣の性格だと、面と向かっていじめを止めるなんて無理だろうしな」
けれど、その間に大輔が割って入り、視線は遮られた。直前の「彼」の顔にあったのは、どんな表情だったのか。
もしかして、裏切られた?
沸々と疑惑が心に湧き上がってくる。思い返してみれば、いくつか計画と違うところがあった。ただ計画を主導しているのは「彼」なので、やむを得ない事情で変更したのだろうと推測していた。
でも、もしかしたら、違う……?
「芽衣……ごめん」
唐突に謝られ、私の思考は中断した。見れば、春香だった。
「今さらで、ほんとごめん。謝る機会見つけられなくて……でも、今がその時だと思うから……ほんとに、ごめん。ウチのせいで、仲良かった二人の関係を壊して……ごめん。謝っても許されることじゃないけど謝らせてほしい。本当にごめんなさい」
深々と春香は私に頭を下げた。そしてそのすぐ横で、透子も謝罪の言葉を口にした。
ここは、計画通りだ。いじめの傍観者になってしまった自分の過去を晒して、同情を買う。人間はそんなに強くない。そのことを第三者ならわかってくれるだろうから、きっと擁護してくれる。そう思っていた。
ただそれでも。本当になにを今になってと、思わずにはいられなかった。こんな場をセッティングされなければ謝れないのか。タイミングがなければ謝れないのか。そんな怒りが湧いてきて、でもそれは自分も同じなのだということに気がついて、口をつぐむ。
「ううん、私も悪いから。だから、謝られる資格はない」
有り体な言葉を口にして、私はふっと息を吐いた。
もうこの二人に構っている暇はない。今の私にとって重要なのは、この暴露話よりも細部にある計画のズレの理由を知ることだ。
「ほら、さっきも言ったが時間がない。そうしたけじめはここから出た時にゆっくりとしよう。今は共犯者を見つけるのが先決だ。悪いが先に行くからな。最初の荷物検査は真斗だから、みんな遅れず部屋に来てくれ」
大輔の言葉を皮切りに、みんなは疲れた顔をしつつも広間から出て行く。
私たちも、怪しまれないように早々にその列には加わらないといけない。でも、「彼」に問い質すなら今しかない。私たち自身への注意が疎かになっている、今しか。
「ねぇ、どういうことなの、正一?」
私は、この計画の相棒の肩を掴んだ。
朗々と語られる大輔の推理を、私は冷めた気持ちで眺めていた。
正直、想定外ではあった。まさかここまで、大輔が思考を巡らし、真剣に『赤嶺舞を殺したやつ』を突き止めようとしているとは。詐欺師だった彼のことだから、最後の最後まで私たちを欺き、手のひらの上で踊らせ、疑心暗鬼にさせたところで自分以外の誰かを懺悔の部屋に送り込むものだと想像していた。これは私にとって、とても嬉しい誤算だった。
こういう場には進行役が必要不可欠だ。進行役がいないと状況が整理できないし、なによりいつまで経っても話が先に進まない。揉めるだけ揉めてはいおしまいなんてことになれば、見ている側としてはなんとなく物足りないだろう。もちろん、それはそれで実に滑稽な絵面には違いないので、一定の需要はありそうだが。
そう、滑稽。今の状況は、一連の監禁暴露事件を画策した私からしても想定通りの、見るに耐えない有り様だった。
「じ、じゃあつまり、その舞の兄ちゃんだっていう赤嶺弘樹が、どこかでオレらのことを見ているってことか?」
「そうなるな。おおかた屋敷のあちこちにカメラでもつけて監視しているんだろう」
「んだよ……それ。オレらは見せ物じゃねえっての! つか、どーすりゃいいんだよ!」
大輔が赤嶺弘樹の素性についておおよその説明を終えてから、優がどこか怯えた口調で言った。
さっきまで散々大輔に敵意を向けていたかと思えば、今度は得体の知れない敵を認識して助けを乞うている。およそ、冷静に事態を把握して解決策を提示してくれそうな大輔に縋ることにしたのだろう。この変わり身の早さはさすがとしか言いようがない。
加えて、今カノの春香や元浮気相手の透子に、まるでわだかまりがどこぞへ消えてしまったかのごとく話しかけてもいる。状況的に仕方ないとはいえ、やはり優への抵抗感がある春香の表情に気づかないものなのか。その心情を察することができないものなのか。どこまでも自分の心の安定しか考えていない、情けないダメ男だ。
「優、落ち着いて。あんまり騒ぐと刺激することになるじゃん。大丈夫だから」
「あ、ああ……」
「大輔も、状況はわかったよ。それで、ウチらの中にある共犯者を探し出して、直接『赤嶺舞を殺したやつ』を誰だと思っているのか聞き出して、その人に真偽を問うってことだよね?」
「そういうことだな」
そんなダメ男にもかかわらず、なんだかんだで完全には見捨てきれないのは春香だ。騒ぐだけの浮気魔なんて無視して話を進めていけばいいのに、どうしても優の近くからは離れたくないらしい。そんなんだから都合のいい女にされて浮気されるのがわからないのか。
そしてなにより、あれだけ過去に舞のことをいじめて、その過去を掘り返されてパニックになっていたくせに、しばらく時間が立てば平然とまた犯人探しの話し合いに加わっている。広間の隅かどこかの部屋で縮こまって震えていればいいものを。おそらく取り巻きの透子にでも慰めてもらったんだろう。こいつはこいつで、実にいい性格をしている。殺人犯と自分がそう変わらないことを、どこまで自覚しているんだろうか。
「じゃあとりあえず、ウチらから検査して。荷物も部屋に置いてあるから」
「わかったと言いたいところだが、もはやさっきの任意云々は白紙だ。全員、一斉に検査する。つっても、さすがに身体検査は同性同士だからな。女子は隣にある部屋で芽衣が主で、男子は広間で俺が主で身体検査するぞ。そしてその後に各自の部屋に行って荷物検査だ」
あとは、こいつ。
最初からずっと場を仕切っている詐欺師野郎の大輔だ。
さっきから自信満々に己の推理を披露し、悦に浸っているのが丸わかりだ。きっと詐欺をしていた時も同じように恍惚とした表情を浮かべて人を陥れる計画を練っていたんだろう。
加えて、議論の争点を『赤嶺舞を殺したやつ』から「メールの送り主の共犯者」にすり替えてきた。もしあのまま「『赤嶺舞を殺したやつ』は誰か?」という議論を続けている流れになっていたら、間違いなく大輔も槍玉に挙げられる。そうなれば議論の主導権なんて握れるはずもなく、最終的に彼が懺悔の部屋行きになる可能性だって高くなるのだ。このすり替えは、その辺りまで見越しての発言なのだろう。そして思惑通りに「メールの送り主の共犯者は誰か?」という流れで議論が転がり始めている。要は、自身の罪から逃れるための自己保身なのだ。罪悪感なんてまるでない、頭のネジが二、三個はぶっ飛んでいる正真正銘のクズだ。
本当に、どいつもこいつもクズばかりだ。三人だけじゃない。ほかのみんなもそうなのだ。今まで一緒に大学生活を過ごしてきて、そんな輩が近くにいたなんて思わなかった。こんなにもたくさん“自分”を隠してる人がいるなんて。
「……まっ、ひとのこといえないか」
小さく、自重気味に口の中で転がす。すると、昔の嫌な記憶が蘇ってきた。私は慌てて首を横に振り、思考を掻き消した。
「どうしたのー、芽衣?」
名前を呼ばれてハッとする。そしてすぐに愛想笑いを浮かべた。
「ううん、なんでもない。検査だよね。早くやろ」
やばいやばい。このすぐに思索にふけって黙りこくってしまうのは私の悪いくせだ。
私はいつも通り小さく頷いてから、春香たちのあとに続いた。広間を出て、すぐ隣にある部屋に入る。今日は誰も使っていない客室のひとつだ。
私は頭を切り替えて、別れ際に大輔から言われた通り率先して身体検査を行った。おそらく、自ら検査を申し出てきた春香や透子の意志を汲み取っての指示なのだろう。まあ、まったくの無意味なのだが。
まずそもそも、この計画を画策したのは私と彼だ。春香や透子は計画に関わっていないのだから、調べてもなにも出てくるはずがない。持っているのは「メールの送り主の共犯者は誰か?」に繋がる証拠ではなく、舞の人生をめちゃくちゃにした後ろ暗い過去だけだ。
それに私は調べて困るようなものを手元には置かない。常識だ。手元に置こうものなら、こんな極限状態では瞬く間に非難と猜疑の視線を集めてしまう。言い訳なんてなんとでもできるが、わざわざ自分からボロを出すような真似をするはずがない。
さらにいえば、大輔の推理は当たっている部分もあるが、外れている部分も多い。私と一緒に計画を考え、遂行しているのは赤嶺祐樹ではない。そのことに、彼は気づいていない。
確かに大輔の洞察力はすごかった。私たちの中にこの計画を立てたやつがいるところまでは正解だ。けれど、そこまでだ。
「さっ、これで終わりかな」
私自身の身体検査も二人にしてもらい、もちろん何事もなく終了した。男子のほうはひとり多いからもう少し時間がかかるだろうということで、しばらく待つことになった。
その間、お喋り好きな春香は予想通りずっと口を動かしていた。男子の中にメールの送り主の共犯者がいるのかとか、誰がそうなんだろうとか、どうして今になってこんなことをしたんだろうとか、自身が気になっていることを次々と訊いてきた。取り巻きの透子は嫌われないようにするためか、春香に同意する意見ばかりを述べていた。私は自身の内心を悟られないように、曖昧な笑みを浮かべて適当に返事をした。
私たち以外、誰もいない部屋でこうして話していると、どうしても昔のことが頭をよぎった。
――次はさー、どんなことしよっか?
あの時、絵画教室として使われている部屋には、春香たちのグループと私だけがいた。
舞をいじめる計画を話す春香たち。聞きたくもない罵詈雑言が教室内を飛び交い、私は我関せずという顔でその様子を遠くから眺めている。
――あいつマジウザいくらいはしゃぎ回ってたから、ちょっと落ち着かせるためにロッカー閉じ込めない?
――いいね〜! さんせ〜!
――わかるー。あれマジうっとおしかったもんー
下品な笑い声が窓際から聞こえてきて、私は思わず耳を塞ぎたくなった。
私は舞と友達だった。
舞は、内気で人見知りな私にも気軽に話しかけてくれた。時には一緒に絵も描いてくれた。休みの日には遊びに誘ってくれて、近くの公園でブランコに乗ったり私の家でゲームをしたりした。
本当に優しくて、私と同じく小柄なのに頼りがいがあって、なにより笑顔が可愛い自慢の友達だった。
そんな大切な友達を傷つけるなと叫びたかった。
暴れて泣き喚きたかった。
でもそんなことをすれば間違いなく糾弾され、次のいじめのターゲットにされる。それはなにより恐ろしかった。結局、内気な性格も相まって私はなにも言えなかった。そろそろと目をつけられないようにこっそり帰るので精一杯。時折り、「わかってるよね?」みたいな視線で見られたこともあって、その度にびくびくしていた。
そして私は、いじめられている舞を遠くから見ているだけだった。
――芽衣ちゃん、おはよう。
無視した。
――芽衣ちゃん、筆貸してくれない?
無視した。
――芽衣ちゃん、一緒に帰ろう?
無視した無視した無視した。
舞がいじめられ始めてから、私は舞のことを避けるようにした。直接は加担しなかったけれど、私は舞を守ることも寄り添うこともしなかった。私はただ、傍観者に徹した。
そんなことがしばらく続いたあと、舞は二階にあった教室から飛び降りた。幸いにも命は助かったけれど、私は後悔の念でいっぱいになった。
すぐに謝りたかった。
でも舞は絵画教室を辞め、どこかへ引っ越してしまった。電話をかけたけれど、着信拒否されていた。私は結局、謝れなかった。……大学生になって再会するまでは。
――もしかして、芽衣ちゃん?
大学の入学オリエンテーションの時、不意に声をかけられた時は心臓が止まるかと思った。振り返ると、小柄ながらもすっかり大人びた舞がいた。
嬉しかった。悲しかった。悔しかった。楽しかった。怖かった。
いろんな感情が綯い交ぜになって押し寄せてきて、私はその場で泣き崩れてしまった。何度も謝って、謝って、謝った。
でも、舞は私を抱きしめたり許しの言葉をかけたりはしなかった。ただそっと、ハンカチを渡してくれた。
それから少しずつ、私たちは話すようになった。それぞれべつの友達と行動をともにしていたけれど、顔を合わせれば軽い雑談ができるようにはなった。積年を溝を埋めるように、私たちは会話を重ねた。
そうして迎えた、大学二年生。舞が、一緒のゼミに入ろうと誘ってくれた。泣くくらい嬉しかった。私は二つ返事で了承して、一緒に邑木ゼミに入った。
ここからまた、私たちは友達になる。友達に戻れる。
舞が死んだのは、そんなふうに私が思っていた、その矢先だった。
絶望だった。目の前が真っ暗になって、頭の中は真っ白になった。人は本当に絶望すると、涙すら出てこないのだとわかった。
死因は交通事故によるものだという。けれど、発見された遺体は焼死体となっていた。
悪意に満ちている。舞のことよりも自分の身を守ることしか考えていない。そんなクズのほうが死ねば良かったのに。
私はどんな手を使ってでも「舞を殺したやつ」を見つけようと思った。そして私なりに調べていくうちに、「彼」も同じように舞の事故死を調べていることを知った。
だから、私たちは結託した。
そしてこの場を作り上げたのだ。
「――……さっ、そろそろあっちも終わってる頃だろうし、戻ろうか」
私は春香たちの話の合間を縫って提案した。二人は少し緊張に顔を固くしつつもゆっくりと頷いた。
そんなに緊張しなくても大丈夫なのに。この検査では、話は前に進まない。「メールの送り主の共犯者」は見つからなくて、手詰まりになって、また『赤嶺舞を殺したやつ』に話が戻るだろうから。
そんなことを思いつつも表情には出さず、私たちは広間に戻った。すると案の定、険しい表情の大輔たちに迎えられた。
「女子も終わったみたいだな。それで? どうだったんだ?」
「なにも変なものはなかった。そっちは?」
「こっちもなにもなかった。ということは、あとは荷物検査だな」
想像通りのやり取り。それはそうだ。そしてその荷物検査でもなにも見つかりはしない。
「よし。じゃあ、荷物検査は部屋が広間から近い順に見ていこう。見るのは全員でだ。異論があるなら今のうちに聞くが?」
異論の声は上がらなかった。全員が納得をしているのかいないのかわからない表情で互いの顔色を伺っている。
この荷物検査で、またひとつ時間は進んでいく。私たちが望んだタイムリミットまで、着実に時を刻んでいくのだ。
その時、静まり返った広間に単調な電子音が響いた。
私たちは弾かれたように一斉にその音が鳴ったほう、備え付けのパソコンに目を向ける。
新着メールを受信した音だ。そしてチラリと時計に目をやれば二十一時ちょうど。それが指し示すのは、ひとつしかない。
「暴露メール、もうそんな時間か。急がないとな」
どこか苛立ちを見せつつ、大輔はパソコンに近づいた。私たちもその後に続く。
今度は誰の過去が明らかになるのか。大輔以上のことをしている人がいるのか。あるいは「メールの送り主の共犯者」を探している流れになにか釘を刺されるのではないか。そんな思い思いの想像が、みんなの頭の中を駆け巡っていることは想像に難くない。
まあ、次は私の暴露が書かれているんだけどね。
最後を除いて、ここから先は優程度の悪い過去話が書かれているだけだ。大輔のような悪事に手を染めているやつはそういない。
「よし。正一、開いてくれ」
一応の役割付けなのか、大輔はこれまで通り正一を席につかせるとメールを開くよう促した。正一はためらいつつも頷き、開封ボタンをクリックする。
『西野芽衣は、陰湿誹謗中傷者。
表立っては何も言わないが、裏では誹謗中傷を繰り返している。
赤嶺舞に対するいじめの時も見て見ぬフリをするだけでなく、裏垢や捨て垢で陰口を投稿し、自殺に追い込む手助けをした。』
「え……」
思わず、呆けた声が漏れた。
計画通り、ターゲットは私だった。
ここまでは打ち合わせ通りだ。驚くことは何もない。
でも、その内容に若干の違いがあった。
私はこの計画が終わった後、こっそり撮っている映像データを回収し、編集して捨て垢で晒さないといけない。そのことを想起する内容は、暴露メールには書かないよう「彼」と取り決めをしていた。何がきっかけで私たちが計画しているとバレるかわからないからだ。
でも、ここにはそれが書いてある。
私は驚きを隠せず、咄嗟に「彼」のほうへ目を向けた。
「今度は芽衣か。なるほどね、まあこれは仕方ないだろ。芽衣の性格だと、面と向かっていじめを止めるなんて無理だろうしな」
けれど、その間に大輔が割って入り、視線は遮られた。直前の「彼」の顔にあったのは、どんな表情だったのか。
もしかして、裏切られた?
沸々と疑惑が心に湧き上がってくる。思い返してみれば、いくつか計画と違うところがあった。ただ計画を主導しているのは「彼」なので、やむを得ない事情で変更したのだろうと推測していた。
でも、もしかしたら、違う……?
「芽衣……ごめん」
唐突に謝られ、私の思考は中断した。見れば、春香だった。
「今さらで、ほんとごめん。謝る機会見つけられなくて……でも、今がその時だと思うから……ほんとに、ごめん。ウチのせいで、仲良かった二人の関係を壊して……ごめん。謝っても許されることじゃないけど謝らせてほしい。本当にごめんなさい」
深々と春香は私に頭を下げた。そしてそのすぐ横で、透子も謝罪の言葉を口にした。
ここは、計画通りだ。いじめの傍観者になってしまった自分の過去を晒して、同情を買う。人間はそんなに強くない。そのことを第三者ならわかってくれるだろうから、きっと擁護してくれる。そう思っていた。
ただそれでも。本当になにを今になってと、思わずにはいられなかった。こんな場をセッティングされなければ謝れないのか。タイミングがなければ謝れないのか。そんな怒りが湧いてきて、でもそれは自分も同じなのだということに気がついて、口をつぐむ。
「ううん、私も悪いから。だから、謝られる資格はない」
有り体な言葉を口にして、私はふっと息を吐いた。
もうこの二人に構っている暇はない。今の私にとって重要なのは、この暴露話よりも細部にある計画のズレの理由を知ることだ。
「ほら、さっきも言ったが時間がない。そうしたけじめはここから出た時にゆっくりとしよう。今は共犯者を見つけるのが先決だ。悪いが先に行くからな。最初の荷物検査は真斗だから、みんな遅れず部屋に来てくれ」
大輔の言葉を皮切りに、みんなは疲れた顔をしつつも広間から出て行く。
私たちも、怪しまれないように早々にその列には加わらないといけない。でも、「彼」に問い質すなら今しかない。私たち自身への注意が疎かになっている、今しか。
「ねぇ、どういうことなの、正一?」
私は、この計画の相棒の肩を掴んだ。