「出てくれた! 浪江(なみえ)です。どうもー! 久しぶり。ちょっと荷物が多くてさ、トイレにも行きたくて。中、入れてくれない?」

「カオル? 久しぶり。突然どうしたの? ていうか何その大荷物。え、なんで私の家、知ってるの?」

「細かいことは後で話すー! とにかく入れて! トイレ行きたいの〜〜〜」

 突然の彼女の訪問に面食らう暇もなく、お手洗いに行きたいという彼女の切羽詰まった事情に配慮して、私はあたふたと玄関扉を開けた。

「ありがとう、ちょっとお借りします!」

 使い古してかかとがよれよれになった靴を脱ぎ散らかして、そそくさと私の家に上がり込んでお手洗いの扉を開ける。荷物は玄関先に置いたまま。それにしてもすごい荷物だ……。バックパッカーが持っているような大きなリュックサック、手提げの鞄が三つほど。一体どうしてこんなに大荷物でうちに来たの? というか、そもそもなんでうちに——。

 もうわけが分からなくて、頭の中はぐちゃぐちゃだった。さっきまで失恋の痛手に苦しんでいたはずなのに、それ以上にテンパっていた。

「ふう〜あー良かった! ぎりぎりセーフ。日波(ひなみ)が家に上げてくれなかったら完全にアウトだったよー」

 呑気な台詞を吐きながら洗った手をブンブンその場で振っている彼女。私は潔癖というほどではないが、突然上がり込んできた彼女がタオルで手を拭かずに自然乾燥を試みているのには若干引いてしまった。

 それから彼女は玄関先に置きっぱなしにしていた大荷物たちを、えっちらおっちらと私の家の中に運び込む。私はまだ何も了承はしていないのだけれど、有無を言わさない勢いがあった。

「いやあ、疲れた〜! 今日だけでもう二万歩も歩いてる。どうりで足が痛いわけだわ」

 私の家の、ソファにへたりこんだ彼女は、疲れたと言いつつハリのある声で吐き出した。

「あの、カオル。ちょっといきなり過ぎて頭が追いついてないんだけど……一から説明してくれる?」

 もはや彼女——高校時代のかつての友人である浪江カオルが我が家に上がり込んで一息つこうとしていることは受け入れざるを得ない状況だった。それはもういい。お茶だって今から準備するつもりだ。それよりも何もよりも、一体なぜ大荷物を持った彼女が唐突に我が家に上がり込んできたのか、その理由を知りたかった。
 私が純粋な疑問をぶつけた後、彼女は目を丸くして不思議そうに瞬きを繰り返した。テレビCMで見かけるような美人な猫を思わせるその瞳に、思わず吸い込まれそうになる。
 ……いやいや、そうじゃなくて。一体なぜ、あなたがそんな目をして私を見ているの?

「あれ? LINE入れたけど見てない?」

 彼女にそう言われて初めて、私はベッドの上に置き去りにされていたスマホを素早く手に取る。家に帰ってきた時、自暴自棄になってスマホをベッドの上に投げ捨てていた。LINEを開くと、見たくもないのにピン留めされた健太とのトーク画面が一番上に表示されている。しかも、彼からメッセージが一件。「日波の家に置いてる私物、明日以降に取りに行く」——事務的な一文に、この騒動で忘れかけていた傷口が開いた。

 しかし、今は健太からのメッセージにいちいち感傷的になっている場合ではない。
 健太とのトーク画面の下に表示された新着メッセージに視線を移す。「浪江カオル」のアカウントから、確かにメッセージが届いていた。
 時刻でいうと、今日の午後三時半ごろ。その時私は代々木公園で健太と最後のデートをしていた。だから、LINEなんて見ていなくて。その後の展開はお察しの通り。健太にフラれ、スマホを見る気力すらなかった。

 カオルからのメッセージは「久しぶり! 急なんだけど今晩泊めてくれない?」というシンプルなものだった。返事をしていないのに突撃してきたのは、自由奔放な彼女の性格を考えれば何もおかしなところはない。