「カオル、これ、一緒に食べない?」

 咄嗟に出てきた言葉はそれだった。
 まだ半分ほど残っている牛カツを、彼女の方に差し出した。

「私、さっき食べたよ? でもそうだね……美味しかったから、もう一回食べようかな」

 ははは、と笑いながら彼女が牛カツを受け取る。サクサクと彼女が牛カツを咀嚼する音が、静寂の中に響いた。

「うん、やっぱり何回食べても美味しいね、これ! 我ながら完璧だ」

「本当、すごいよ。よくこんなに美味しいもの作れるね」

「実は昔から母親の手伝いとかよくしててね。料理教室で一気に腕が伸びたんだ」

「そっか。やっぱりカオルは、私にはないものを持ってる。だからずっと友達でいられたんだと思う」

 カオルの瞳がふるりと揺れる。私は、「なんてね」と恥ずかしさを誤魔化しながら、味噌汁を啜った。

「あ、でもさっきのカオルの話、一つだけ間違ってるよ。私、カオルのことずっと変人だと思ってた」

「えーそこ!?」

「うん。そりゃそうでしょ。てか温泉行った時、自分で『変人』って言ってたじゃん」

「それは、日波が否定してくれると思ったんですぅ」

「残念でした。カオルは立派な変人です! 親友の私が保証します」

 うう〜と、頭を抱える彼女がおかしくて、私は思わず吹き出した。彼女の方も、本気で残念がってはいないようで、やがてガハハハと大口を開けて笑い出す。

「そっかーやっぱり日波から見ても私、変人だったかぁ。でも、そんな変人と仲良くしてくれて、やっぱりありがたいよ」

「私の方こそ、感謝してる。カオルがうちに来てなかったら、失恋したショックでもうどうなってたか分からない。だからありがとう」

 牛カツを互いに頬張りながら、二人で過ごした幡ヶ谷三丁目での日々を思い返す。休日にふらりと遠出して、バカ話をして盛り上がって。女二人で、それはもう楽しすぎて、明日なんて来なくてもいいって思えたほどだ。

「カオル、また私と、遊んでくれる?」

 気がつけばカオルの両方の瞳をじっと見つめて、そう問うていた。カオルはゆっくりと目を細めた後、「もちろん!」と頷いた。

「私らは、永遠に友達だから! どっちかが結婚しても何度でも遊びに行こう!」

「お互い結婚して、おばあちゃんになって、旦那に先立たれた後も?」

「そうそう! おばあちゃんになって、また独り身になっても」

 ふふふ、と顔を見合わせて心から笑う私たち。高校生の私たちも、同じ話をして盛り上がったのを思い出す。そうだ、カオルは変わら
ない。カオルの隣にいれば、私は大丈夫。

「てかその前に、貸してたお金も返してよね」

「そうだそうだ! 大丈夫、この店で稼いでどーんと返すから」

「もう、約束よ?」

 得意そうに胸を逸らすカオルを見ていると、貸しているお金のことも、なんだかどうでもよくく思えてくるから不思議だ。

「そろそろお店、閉めないとダメだよね」

「いや、今日は大丈夫。店長にも許可とってあるし。パーっとお酒でも飲もうよ」

 そう言って厨房の冷蔵庫から瓶ビールを持ってきたカオルがニヤリと口の端を持ち上げた。
 グラスを受け取った私は、なみなみに注がれていく黄金色の液体をじっと見つめる。
 表面に溜まる泡を見ながら、いつか二人で乗った遊覧船を思い出す。船が進むごとにできる、海水の泡と波。

 ああ、もう大丈夫だ。

 翼はなくても、私たちは二人だけの船に乗って、ゆっくりと進んでいく。
 たまに疲れたら、二人であの家に帰ろう。
 幡ヶ谷三丁目、アラサー女子の停泊所に。




【終わり】