亡くなった母にそっくりな容貌で天気が良ければ空ばかり見上げている一藍を、年の離れた兄たちが心配して見守っていた日々がかつてあった。

 葡萄畑が果てしなく広がる丘陵。
 一藍が家の中に居ない時は、たいがい青空が美しく広がっている一日。


 兄の中ではいちばん年が近い紫樹(しじゅ)が高校生のとき、膝を抱えて青空を見上げていた一藍が「空に行きたい」とつぶやいたのを聴いて決心した。

 自分がこの幼い弟を守るしかない。

 こんなに幼くて、まわりの子どものようには母の抱擁を求めても得られない一藍のことを放っておいて、頑なに一度も会おうとしない父はいったいなんなんだ。
 何様なんだ。

 普段穏やかな紫樹に怒りの(ほむら)が灯ると、それは()ぜるほどに育っていく。

 一藍に会ってもらえなくてもいい。
 それでも一度は一藍を父の住むところまで連れていこう。
 一藍が愛しい妻にそっくりだから会いたくないだなんて莫迦なことを思っているのなら、お望みどおり一藍の髪の色も目の色もそっくり変えてやるよ。
 

 飼い慣らせない父への怒りと栗色の髪と海色の瞳になった一藍への愛情を織り交ぜた心で、寄り添うようにして二人でアイルランドに向かった日のことを紫樹はいつまでも覚えているだろう。



 そして十歳を過ぎた頃、一藍は紫樹に言った。
「一人でもいいから日本で暮らしてみたい」

 きょうだいの中で一藍だけ日本に行っても外国人のままだ。
 父が故郷に引き籠もり、必要な手続きを放置したから。
 滞在するためには在留外国人として学生ビザで生活する必要もあるし、アルバイトもできないという制限もある。在留カードを所持しつづける不便さは、日本人としてもスムーズに日本で生活を始められる二重国籍のある紫樹や朱里とは違う生き方だった。
 それでも一藍が日本で何年か生活をすれば父の手続きがなかったことを補う国籍法の制度を用いて、一藍の日本国籍を取得することができるかもしれない。
 そうすれば一藍も成人してからフランス人として生きるか日本人として生きるかという自分たちと同じ悩ましい選択肢を、ようやく自分たち兄姉と同じように持てるようになるかもしれない。

 大学で薬草学を学んだ紫樹はいろいろな場面で一藍の心のケアに心を砕いていたが、法律を学んでいる親友から聞いた話を思い出して一藍の言葉に背中を押されるようにして、せめて高校生活からでも一藍が日本で生活を始められるようにと環境を整えていった。

 まず自分がフランス国籍ではなく日本国籍を選択しよう。
 年齢的にどちらかを選択しなければならない。
 一藍と双子のように仲の良い朱里と、小鉄にも頼んで日本に一緒に行ってもらおう。
 あの二人だったら理解してくれるはずだ。


「紫樹兄。俺は自分の青空を探しにいこうと思う。いい?」


 母と父に抱きしめられなかった分の愛を、どうしたら僕らはこの弟に与えてあげられるんだろう。