一番後ろの席が落ち着く。
視力が悪くても眼鏡をかけているから差し支えないし、背中側に他人がいるより自分が周囲を見渡せているのがいい。
全体の動きを俯瞰して、観る。
好きな将棋と同じ。
後ろからクラスメイトを見渡すと、よく知らない相手も含めてそれぞれの人生を歩んでいる同級生のドラマを観ているみたいだ。
この中で相手のことを知っている方だと言える四人。
その四人のドラマは日々進行している。
自分から話すほうではないから聴き役になることが多い。
自分と違うことを考えたり、趣味が全く違うのに一緒に居ても苦にならないというのは僥倖に近いことかもしれない。
朝川は、日々新しい言葉を覚えることにまつわる感動を語る。
山崎は最近、城の石垣を専門として仕事をしていた一族の時代検証の話をしてくる。
城田は他のメンバーがいないタイミングを見計らって、小学生の頃から好きだった女子が中学、高校も一緒で隣のクラスに居て陸上部で…ただそれだけなんだけどと打ち明けてくる。
みんな違って、みんないい、とみすゞ風に思う。
最後の一人。
栗栖が俺に話してくること、聴いてくることは、かなり個性的。
日本人じゃないから、というのとも少し違う気がする。栗栖の好奇心のベクトルがあちらこちらに向いてるような。
きょうだいは日本国籍も持っているけれど、本人だけは事情があって日本の戸籍に入っていないから外国籍だと言っていた。
日本の血が四分の一入っているフランス人。
特殊な状況ゆえの特殊なベクトル?
俺が左利きだと気付いて、右利きに比べて日本語を書くのに有利だと思うけれどそうじゃないのかとか。
相手の駒を取れば次に活かすことができるというチェスと全く違う将棋のこのルールは、東洋人のメンタリティに合っているのかとか。
野良犬は見かけないけども野良猫が住宅街を歩いているのはどうしてだとか。
この全方向から来る問いかけに俺はかなり面食らう。
狙ってるわけじゃなく、純粋に疑問に思うことを聴いてくるので、気がつけば授業中に答を考えていたり。
他の三人じゃなくていつも俺にあれこれ尋ねてくるのは何故だろう。
これは俺の、純粋な疑問。
「奥村。これは何?」
今日もまた栗栖の問い。
朝川がESS部の部室に行っているので四人でペガサス座みたいな配置で昼ご飯を食べていた時、栗栖が俺の弁当箱の横に置かれていた六君子湯の個包装を手に取った。
「漢方薬。胃の調子が悪いんだ最近」
あまり言いたくない身体の不調だが、正直に皆に説明した。
昔から心配ごとや悩みがあると、自分は時々胃がやられてしまう。
「テスト勉強、根詰めた?奥村に限って食べ過ぎとかないだろうし。でも僕、そんな大人びたこと言ってみたいなぁ」
山崎が心配そうな顔をしながらのんびりした声で言う。
「漢方薬飲んでる高校生、渋いな」
城田は今日は標準語モードだ。
「渋くなんかないよ。小さな頃からこれ。胃が荒れると口内炎とか出来るタチの俺には漢方薬が効くみたい」
「胃が荒れるとこうないえんって何?」
今日の栗栖の問いは医療系か?
今日の俺は正しく答えられるんだろうか。
「ええと。内蔵と身体の器官が密接に繋がってるっていうか。東洋医学の考えだと思うんだけど、俺は調子崩すと口の中や唇が荒れがちになるの実感してるから早く整えたい。今は見えるところに傷ができてるから尚更」
唇の端に小さく傷が出来て血が滲むのも幼い時からの不調の印。
こうなると少し憂鬱だ。
「全然気づかなかった。大人っぽいのも苦労があるんだなぁ」
山崎が眼鏡を動かしながら俺の顔を覗き込み、ズレ気味の感想で労ってくれた、その後に。
栗栖が何気なく言った言葉に超弩級に面食らう。
「その傷、奥村が恋人から噛まれた跡かと思ってた」
「え?」「は?」「えぇ~?」
俺だけじゃなく、城田たちも目を見開いて同時に栗栖を見た。
唇を噛まれるって。
栗栖は何を言い出すんだ。
想像されるだけで体温が上がった。
そういう相手も経験も、ない。
「俺に恋人がいるように見える?」
「うん」
栗栖が平然と言う。
「奥村は人柄もさることながら、顔がいい。俺は奥村の顔が二番目に好き」
栗栖がまたさらりと言いのけたので二の句が継げなくなってしまった。
一番と言わないあたりがリアルで、どう受け止めていいのか分からない。
「ハサミ先輩が一番なんだな〜」
城田が大きく二三度頷きながら、いやほんと先輩イケメンだよなぁと独り言を言った。
山崎はなんだかおろおろした表情のまま三人を交互に見守っている。
話の展開についていけてないんだろう。
俺もそうなんだけど。
「そう。ソウの顔が一番好き。俺はソウに噛まれて唇に傷がついたら嬉しい」
「え!?」「は?」「えぇ~っ!!」
ソウ先輩って陸上部の先輩?
一番とか言い切る栗栖がすごい。いや、そのあとの過激発言はさらにヤバい。
このクラスで一ヶ月近くを静かにクールに過ごしていた栗栖のことも後ろの席から観ていたから、今はその時との半端ないギャップに驚いてしまう。
栗栖アツすぎるだろ。
「この“人柄もさることながら”って言い回し、最近覚えたんだけど。使い方合ってた?」
「例文として言った?」
「ううん。ほんとの気持ち。奥村は静かな佇まいとか誠実な感じがいいなって思う」
アツい栗栖に言われた言葉がなんだか胸に染みて、世界をいったんぼかやしてしまいたくてとっさに眼鏡を外そうとしたのをなんとか堪えた。
星座の一部になったまま、栗栖が繰り出す過激な台詞とは裏腹なクールな顔でサンドイッチに噛みつくのを、ぼんやり見ていた。
その間だけは、今悩みの中心にある、実家に戻って居候している姉のことを心配せずに深く息をすることができていた。
みんな違って、みんないいんだ。



