蒼空が石賀谷と城田の三人で小鉄の運転する車で一藍の自宅に到着したとき、自分だけじゃなく二人も同じように感じているのがわかった。
 お屋敷ってこういう家のことを言うんだろう。
 石造りの大きな構えの建物の周りには庭園が広がり、大きな木が家を守るように建物に緑の影を落としている。
 朝に走る森林公園には木に名前を書いた札が下げられているから、蒼空はたくさんの木の名前を知っていた。
 一藍の家の大きな木は(ケヤキ)だった。
 蒼空が欅を見上げていると玄関が開いて朱里が笑顔で出てきた。
 とたんに隣の石賀谷の体温が上昇するのが伝わってくる。

「いらっしゃい。来てくださってほんと嬉しい」
「はいッ!」
 石賀谷がピッと背筋を伸ばして、やや上目線のまま大きな声を出す。
「石賀谷さんにまた会えて夢みたい。城田くんは…はじめまして。一藍のクラスの様子、今日ゆっくり聴かせて?」
 城田が頷くと、朱里は再び石賀谷に向き合って少しはにかんだように言った。
「あなたがまさか一藍の知ってる人だとは思わなくて」
「俺もです!」

 直立不動のまま石賀谷が声を張りあげている横を、車を仕舞い終えた小鉄が無言でクールに通り過ぎて家に入っていった。
(小鉄さんって視線だけで人を殺せそう…)

「私たち同級生なんだから敬語はなし。それでいいでしょう?」
 そう言われて石賀谷はすぐに言葉を出せなかったみたいだった。
「……わかった」
 普段水が流れるように次から次へと言葉を繰り出す石賀谷が短く小さな声で答えたので、蒼空は温かい気持ちで親友の今味わっているだろう胸の高鳴りと鼓動の乱れを理解した。


 蒼空は一度両親の結婚二十周年を祝う夜にシックなフレンチレストランに連れていかれたことがあるが、目の前に並べられた白い皿に盛られた料理を見てそのときの料理を思い出していた。
 サングラスを外した小鉄が白いシンプルな襟付きのシャツに着替え、腰にエプロンを巻いた姿で料理をサーブする。
 この人なんでもできるんだなと、蒼空は何度目かに驚いていた。
 ボディガードと運転手とシェフと…執事?
 他にもいろいろと一藍の世話をしているんだろう。

 向かいで一藍が嬉しそうに笑っている。
 一藍が蒼空の右隣の城田にも微笑みかける。
 左隣の石賀谷の前には朱里がいて、すでに二人は恋人同士のような目線を交わしているのが微笑ましかった。
 夕食まで二人が庭を散歩していたので、その濃い時間帯でいろいろお互いの気持ちを伝えられたんだと思う。


 蒼空は夕食まで一藍の話を聴いていた。
 今まで聴いたことがないさまざまなこと。
 一泊を前提に夕食に招待された三人それぞれが部屋を与えてもらったことにも驚いたが、蒼空は自分の部屋で一藍から聴いた家族の話にも驚いた。

 蒼空は一人っ子だが、一藍は七人きょうだいの七番目だった。
 夕食のときに会うことになる紫樹という名前の兄は三番目の兄。
 一番目は結婚してイギリスで暮らし、二番目の兄は世界を放浪中。
 一緒に日本で高校生活をしている朱里は三番目の姉。
 一番目の姉はフランスで一藍が生活していた家で夫と子どもたちと暮らしている。
 二番目の姉はニューヨークにいる。

 そこまで聞いて蒼空は不思議に思った。
 なぜ一藍は父と母の話を全くしないんだろう。
 小鉄の存在や三番目の兄が保護者になっていることから、何か事情があるのだろうと蒼空は両親のことを聞けずにいた。
 今目の前にいる一藍は心から楽しそうで、ときどき蒼空の方を見て目が合うたびにとびきりの笑顔になる。
 蒼空は目を開けてくれなかった一藍の血の気の引いた顔をまた思い出して、今は自分の瞳をまっすぐに覗き込んでくれている現実に深く安堵した。


「小鉄の料理は口に合いますか?」

 朱里と石賀谷が向き合っている横のホスト席に座る紫樹が静かな声で尋ねてきた。
 長めの黒髪で細身の紫樹は一藍から十一歳離れていると聞いたけれど、大学生くらいに見える。
 柔らかな声で物腰が丁寧な紫樹からそう聞かれて、蒼空たちは一斉に声を出す。
「美味しいです!」
「うまいです!」
「最高です!」
 三人の反応に対して紫樹が嬉しそうに微笑むと、少しだけ口元が一藍と似ている気がした。
紫樹兄(しじゅにい)。今日は特別な日なんだから飲んでいい?」
「一藍」
 紫樹は困ったようにしばらく苦笑してから、出入りする小鉄に目で合図をした。
「一藍は呑むのが好きなの。ここだけの話にしてね」
 朱里がいたずらを告白する子どものように小さく舌を見せた。
「朱里。蒼空のおうち酒屋さんなんだって。だからきっと蒼空も飲んでる」
「いやいやいや呑んでないよ?」

 蒼空は慌てて否定する。
 前に一度、未成年なのに呑んでいそうな発言をした一藍をもっと問い詰めていれば良かったかもしれない。
(1981 年までフランスの高校でワイン飲むのを誰も止めることはなかったって記事あったなぁ…)
 小鉄が静かに一藍の前にグラスを二つ置き、赤ワインを注いだ。
 一つを紫樹のところに運び、今晩初めて口を開いた。
「本当は皆につぎたいところだが」
「うん。僕も同感だ」
 紫樹がにっこりと笑うのを見てから小鉄は部屋を出ていった。
 一藍が赤ワインを飲むのを初めて見た。
(え、ほんとに呑んじゃっていいの?)
 でも未成年だからだめだと言えないほど、滋養に溢れた飲み物を喉に流し込む小動物のような自然さで、一藍はゆっくりと丁寧にワインを口元に運んでいた。
(可愛い…。フェネックみたい)
 目が合うとはにかんだ。
 一藍のこの表情は初めて見た。
 この表情は朱里と似ている。一歳違いだから同じ表情になると並んだ二人が双子みたいに見えた。

「紫樹兄。一藍がもう大丈夫なの分かったでしょう。安心したでしょう。こんな素敵な人たちに傍にいてもらって。こんなに一藍らしく自然でいるのよ」

 朱里が少し真面目な声になって斜め前の兄に話しかけた。

「もう守らなくても大丈夫よ。髪の色を元に戻してあげていいでしょう?」

 一藍の目がすこし揺れたのを蒼空は見た。
(髪の色?この綺麗な栗色が消えちゃうのか?)
 石賀谷も城田も、今語られようとしている何かが繊細な事柄だと察知したようで素早くお互いの顔を見合わせた。

「俺も同じこと考えてた。染料落としたい。あと、目も。週明けからカラコンも使わないでいようと思う」

「え?栗栖、目の色ホンマは違うん?髪の色も明るく染めてたん?」

 城田が一藍に尋ねた。
 確かに髪の色は朱里より明るい。
 そして朱里の瞳は虹彩の明るい茶色で、一藍は海色、紫樹は黒い瞳。
 きょうだいでもこんなに髪の色も瞳の色も違うんだと、まず今日はそのことが不思議な気がしていた。

「一藍は髪を明るくしてるんじゃなくて。紫樹兄の手作りの染料でトーンを落として暗くしてるの」

 朱里がそう言ったとき、蒼空は驚いて一藍を見た。
同じタイミングで一藍もこちらに目を向ける。
 あまり見ないクールな表情をしていた一藍は、視線が絡まるとほんの少しだけ口角を上げて、笑った。

「いいんじゃないか。元に戻す時期だと僕も思う」

 紫樹が穏やかな声で言った。

「詳しいことはまた一藍から聞いてください。一藍は兄弟の中で一番、亡くなった母に似ているんです」
 紫樹は初めて、手元にあるワインをゆっくりと一口飲んだ。
「兄弟の中で一藍だけ父に会ったことがありません。父が会おうとしなかったんです。一藍を生んですぐに母が亡くなってしまってから父は変わった。しかも生まれた四番目の息子が母に似ていることを聞いて頑なに会おうとしなかった」
 紫樹が静かに話し出したので皆は食事の手を止めて耳を傾けた。
 一藍だけがグラスを傾けてワインを飲んでいた。
 蒼空はそんな一藍を見て、この髪の色と海色の目をした一藍を心に刻みこむ。

「僕はまだ中学生くらいだったけれど、それでも父を説得したりと必死でした。一藍に会ってほしいって。でもそれは叶わなかった」
 小鉄が入ってきてデザートを丁寧に並べていく。
 紫樹が話していることを耳にしても、殺し屋のような小鉄の表情は一切変わらない。

「数年後、一藍が幼いときに空ばかり見上げているのをある教育者が心配して医師につなげたことがあるんです。同級生の子どもたちが外ではしゃいで遊びまわっているときに、空に行きたいって膝を抱えて座っている児童がいたら大人は放っておけないですよね。でも僕には一藍が病院から帰ってくると更に自分の殻にこもるようになった気がした。高校生だった僕は医師が一藍のケアをしようとしてくれていたのをわかってはいたけれど逆に治療という行為が一藍を損なってしまうんじゃないかと恐れました」

 紫樹は仕草で皆にデザートを進めたが、蒼空は手をつけられなかった。
 一藍だけが少し真面目な顔をしたまま小鉄のガトーショコラを食べていた。

「僕はまだ未熟だったんです。今もですけど。一藍をなんとかしたくて僕は大学生になって薬草を煎じて、祈るような気持ちで染料を作って幼い一藍に言ったんです。母はもう空の上だけど父はまだ生きている。愛しすぎた妻に一藍が似すぎているから父は一藍に会うのが辛いんだ。髪の色を変えてあげるから父に会いにいこうって。瞳の色だってコンタクトで変えられるって。結局父のところに行っても一藍には会ってくれなかった。でもそのとき幼い一藍が髪を染めて目の色も変えて僕と共にアイルランドに行って…そんな非日常を(くぐ)り抜けたあと、とても安定したんです。父の話を耳にするだけでいたから、もしかしたら実物に会いに行くというプロセスが一藍にとって現実に繋がる重しみたいになったのかもしれない」

 蒼空は一藍が隣の朱里から皿を受け取り、朱里のガトーショコラを食べ始めるのを見守っていた。
 そしてその一藍の海色の瞳が本当は何色をしてるんだろうと思わずにいられなかった。

「数年前一藍が日本で生活したいと言い始めたとき、同時にまた空を見上げるようになったのに気付いたんです。だから、僕自身もまた揺れたり心配になったりして。僕は過保護だと思いながらも願掛けのように、日本で生活を始めるときにまた僕の染料で髪を染めさせてって頼んだんです。僕は偏見の塊かもしれないけど、日本の方は周りと違うものを排除しようとする意識が強い気がする」

 紫樹がそう言ったとき、隣の城田が激しく首を縦に振った。

「一藍の目の色も髪の色も目立ちすぎる。だからしばらくその色を抑えていいかと僕は一藍に尋ねました。でもその言い方は一藍にとって決定事項に聞こえたんじゃないかな。素直に髪を染めてカラーコンタクトを入れてくれたけど、一藍にとってそれがいいことなのかどうかは実は僕も悩みながら過ごしていたってのが本音です。皆さんが居てくれるから今ここで正直に話せて、僕はよかった」

 そう紫樹が長い語りを終えたとき、いつの間にか部屋の隅で無言で立っていた小鉄が冷ややかな声で言った。

「デザートを早く食え」



 その夜、一藍はバス付の蒼空の部屋で髪の染料を落としたいと言ったので、蒼空は一藍がシャワーを使っている間、ゲストルームに置かれた棚を見て一藍が出てくるのを待っていた。
 イギリスとアイルランドのウィスキーが並べられている。
 一藍の父に会いにアイルランドに行ったと言っていたから、この家族にはこのあたりは縁のある土地なのだろう。

 ボウモア。

 これうちの親父がすごく好みの味だと力説していた銘柄だ。
 スモーキーでクセが強くて虜になる。
 親父の言葉が今この場で浮かんで複雑な気持ちになる。
 一藍に会わない一藍の父と、毎日顔を合わせてうっとうしいくらいあれこれ蒼空にからんでくる蒼空の父。
 いろんな家族のかたちがあって、どれも家族。

 バスタオルを頭にかぶせ、扉を開けて一藍が出てきた。
 蒼空は一藍を見つめる。
 タオルの隙間から銀色と金色が混ざったような木漏れ日より明るい髪が覗いていた。
 一藍はずっと顔を上げずにバスタオルの下で無言でいる。
 蒼空はタオルの上から一藍の頭をがしがし搔き回した。
「ドライヤーある?」
「ある」
「乾かそ?」
「うん」

 一藍はバスルームに引き返して銀色のドライヤーを手にして窓側のコンセントに挿し、無言でドライヤーを蒼空に手渡してきた。
 バスタオルを深くかぶって俯いたままでいる。
 蒼空はバスタオルをゆっくりと一藍の上からどかせて髪を乾かし始めた。
 髪の色を本来の色に戻して、それを今、蒼空の前で晒している。部屋の照明で透けるように金色に輝く。
「泣くなよ」
 一藍は何も言わずに俯いたままだった。

「髪すごく綺麗だから。泣かないでいいよ」



 翌日蒼空は少し酔ったようなふわふわとした心持ちだった。
 一藍のように少しアルコールを飲んだというわけでもないのに。

 あの後、金色の髪に戻った一藍と一緒に、皆と合流して夜空を見た。
 城田も石賀谷も一藍の髪の色を見て一瞬言葉を出せないでいたみたいだったが、二人同時に歓声を上げて一藍に抱きついていた。
 長い夜の終わりに天文部の城田と星の好きな紫樹がマニアックな会話を続けていた横で一藍が小さなグラスを手にしていたので何を飲んでいるのかと思って顔を近付けたら、かなり強いアルコールと燻された木材の香りが立ちあがった。

「一藍、これボウモア?」
「うん。蒼空も普段飲んでる?」
「だ〜か〜ら!…呑んでないって」
「どうして銘柄が分かった?」
「俺が泊まらせてもらう部屋に置いてあったから」

 26歳の紫樹はほとんど呑まないのにこの未成年は…。

 父のことを想って飲んでいるんだろうか。
 一藍が生まれ育った土地はブドウ畑の広がるワインの生産地だったと聞いた。
 だからといって未成年で呑んでいいわけではないだろうけれど。
 飲酒ルールって国籍が違うと通用しないんだろうか。
 それに。
 一藍なりの心の落ちつけ方とかがあるのかもしれない。
 

 一藍の飲み方は静かで上品で、酔うそぶりも全く見せない。
 小鉄も紫樹もなにも言わずにいるので蒼空は一藍の家族のやり方を見習って見守ることにした。

 この夜は一藍が本来の持って生まれた髪の色のままでそこに居るのを見て、蒼空は心の底から湧き上がってくる喜びに浸されていた。
 この前から地獄に落とされたように絶望したり、天国に昇ったように幸福感に包まれたり。

 こんなに蒼空の心を振り回すこの揺れに、もしかして自分は酔ってしまったんだろうか。


 朝になって部屋に光が入ってきているのが分かり、蒼空は体を起こした。
 昨晩は多くのことを聞いて一藍の転機に立ち会った。
 さらに少し夜更かしをしたということもあるのか、蒼空は雲の上にいるように身体が軽くて自分が透明な存在になったような不思議な心のまま気が付いたら廊下を歩いていた。
 自分が着替えたのか、顔を洗ったのか、どこに向かっているのか気にもしないで、心の向くまま風の吹くまま、軽くなった自分を味わっていた。

 広間で数人の女性が集まって、マットの上で体を動かしている。
 昨日紫樹から、月2回女性支援の一環で自宅を開放してヨガのクラスに使ってもらっていて、その日が今日だと言われた気がする。
 いちばん手前に一藍がいる。
 そして蒼空は迷いなくそこに近付いていき、一藍に触れた。
 蒼空が普段相手に差し出す言葉を紡ぎだす部分を、一藍のその同じ場所に、そっと寄せていって。

 そんな気がした。


 
 一藍が蒼空の手を引いてハーブ園に引っ張っていき、蒼空の顔に何かの葉っぱを近付けてきた後から、蒼空はようやくクリアな自分を取り戻した。
「俺、今、目が覚めたような気分がする」
 そう言って蒼空がしっかりと一藍に向き合うと一藍も蒼空の目を見て「うん大丈夫そう」と頷いた。
「今日朝ヨガクラスがある日だったから紫樹兄が薬草から作ったお香を焚いてる。違法・合法ハーブとかじゃないから安心して。効きすぎる人がいるかもと聞いてたけど初めて見た。蒼空、夢の中にいた?」

 紫樹さんの薬草?
 効きすぎたってどういうことだろう。
 そして俺は一藍に何かをした気がする。

「紫樹兄が薬草で風邪を治してくれたり傷を消してくれたりしてたから、子どもの時は紫樹兄は魔法を使えるんじゃないかって思ってたんだ。人を幸せにする魔法を知ってるんだろうって信じてた時があったなぁ」
 一藍は子ども時代を懐かしむように遠い目をして、ハーブ園の上に広がる空を少し見上げてから再び蒼空に向き合う。
「ヨガしながら蒼空のこと考えてて身体起こしたら歩いてくる蒼空が見えて。近くに来た蒼空がまだ夢の続きにいるみたいな様子だったから、久しぶりに紫樹の魔法かと思ったんだ」
 そう言って笑う。
「さっき蒼空、俺に近付いてそっとビズしたよね。あ、ビズって言うのは…」
「わぁ!待って待って言わないで!…夢じゃなかったんだやっぱりやらかしてた。一藍ごめん!」
「どうして謝るの。俺は嬉しかったのに」
「…ぇえ?」
「嬉しい気持ち伝わってないの?もう一回ビズする?」
 そう言った一藍がそっと目を閉じて蒼空に顔を寄せてきたので、蒼空は体温を上げて赤面してしまう。
「待って待って!まだ心の準備が!」

 蒼空が普段出さない大声を出すと、蒼空のシャツの襟首を掴んで身を寄せた一藍が悪戯っぽい笑みを浮かべて目を開けた。

…その顔、可愛いすぎる。

「カラコンここで外す」
 一藍が庭園の静けさの中ではっきりと早口で言ったので、蒼空はさらに目が覚めた思いがした。
 今日三度目の覚醒。
「うん」
「蒼空と話してから外そうと思って。紫樹に守ってもらう魔法は今日で終わり」

 地震があったとき駆けつけた蒼空の声で目が覚めた一藍は、閉じたまぶたの内側の感覚でコンタクトが外れているのに気が付いて目を開けられないままでいたという。
 それがとても蒼空を悲しませていることが伝わってきて何度か目を開けてしまいそうになったけど勇気が湧いてこなかったんだと、昨晩語ってくれた。

 少しずつ、そして時には一度に相手のことを知ることになって、受け取る側も大きく揺れる。
 揺さぶられる感覚は未知の感覚で、蒼空はそこに居続けて、そしてその大波に翻弄されたいと願う。


 髪の染料を落としたときのように顔をしばらく伏せて涙をぬぐうようなそぶりをしていた一藍が顔を上げた。

 まっすぐに蒼空の目を見つめてくる。

 深い海の色だと思っていた一藍の瞳の色は、真っ青な空の色だった。

「一藍の名前の藍って青色と繋がってる。俺の蒼も青色だし。さっきまでの色も好きだし、今の空色も、俺は好きだ」

 一藍が来月ステージで一曲だけ歌うことになったと昨日こっそりと耳打ちしてきたことを思い出した。
 きっとそのステージに立つ一藍の瞳は青い空を映してさらに青く、藍く、蒼く見えるんだろう。


 それに自分は魅入られてしまうんだろう。


 蒼空はそう確信しながら、目の前で笑う金色の髪をした一藍を飽きずに見つめていた。