小鉄に通院後に高校に寄ってもらい、一藍は昼休みの校舎に走りこんだ。
小鉄は気が短い。
十分だけ待ってやると言われたら、十分後には一藍が乗ってなかろうが構わずに自宅に向けて発車する、ということだ。
朝は姉の朱里と一緒に、帰りは一藍だけで小鉄の車で登下校している日々。
いつもは他の生徒の目に入らないように高校の1キロ先にあるブーランジェリーの前で降ろしてもらってそこから歩いて向かっているが、今日は昼休みの時間帯ということもあって高校の正門横まで乗せてもらった。
廊下を速足で駆けて二年生の教室に一週間ぶりに近付いた。
四針縫った額の傷なんて大したことはないのに、登校はできなかった。
小鉄からMRIを撮ること、余震が来る恐れがあるから一週間高校を休むことを命ぜられた一藍は、蒼空不足だった。
蒼空に毎日会っていた日常が取り上げられたことで、今またあの日みたいにワクワク蒼空に向かっている。
廊下側の開かれた窓から覗くと、教室の外窓側の席で一人で座っている蒼空が見えた。
誰とも会話せず窓の外の景色を眺めている。
「蒼空!」
一藍が大きな声で呼びかけると、蒼空がゆっくりと振り返った。目を大きく見開いている。
「五分しかここにいられないんだ」
一藍が息を弾ませているところまで蒼空は慌てて近寄り、廊下の窓越しに手を伸ばして一藍の額左側に貼られたガーゼに触れる。
「大丈夫だった?ここ以外どっか怪我してた?ずっと休んでるから気が気でなかった」
「きがきでないって何?」
一藍はまた尋ねてしまう。
あ、今日は聞いてる時間ないんだった。
五分ですること、言いたいこと、聞きたいことの優先順位を素早く整理して一藍は窓越しのまま蒼空の着ている制服のシャツのボタンを外していく。
「…一藍何してるの」
「着せてくれたシャツ。蒼空の匂いがしたから」
「うん」
「学校来れない間ずっと着てたかったのに小鉄が洗わないとだめだって。小鉄、蒼空も会ったね。急に学校に入ってきたから驚いたんじゃない?あの日は朱里を迎えにいく途中で地震が来たから、先に俺のほうを回収したんだって」
「こてつ…」
一藍にすっかりシャツを脱がされてしまってTシャツ一枚にさせられながら、蒼空はこてつって小さい鉄って書くのかな、小さいって字が全然似合わない人だったのに…と独り言のように呟いている。
一藍は持ってきていた紙袋から蒼空から借りていた制服のシャツを取り出し、今度はそれを蒼空に着させる。
「洗ったシャツ返す。今日もすぐに帰らないといけないから今着てる服をもらってく。これ着て今日を乗り切る。それから」
「それから?」
「今度うちに遊びにきて。小鉄の作るゴハン美味しいんだ。夕食を一度ぜひ一緒にって紫樹兄が。蒼空に会いたがってるんだ」
「お兄さん?」
そこまで早口のやりとりを二人でしていると石賀谷が近寄ってきた。
「一藍~!心配しただろ。波佐美のこのやつれた顔、見てみ?」
「和明」
「お。俺、石賀谷から昇進?」
「和明に会いたいって。朱里が」
「は?誰?」
「女神女神ってこの前。休んでる間に朱里から話聞いてわかった。それ朱里」
「はい?」
「音楽室でピアノ弾いてたんだろ女神。違うの?」
そう言うと石賀谷が形相を変えて一藍の襟元を掴んで締め上げてきたが、蒼空が慌てて間に入って制止してくれた。
「そう!音楽室で会ったの。普段聴こえない時間にピアノの音したからつい覗いちゃったの。そしたら。え?なんで?あかりって、誰?」
「時間切れ。あとは蒼空に聴いて」
一藍は走り出した。
背後では今頃、蒼空が和明に朱里の話をしているだろう。
一藍の姉と知ったらとても驚くだろう。
一藍は、朱里から話を聴いてと詰め寄られた自分の部屋での一時間を反芻し、笑いながら小鉄の車に向かって廊下を走る。
一藍の学校に忍び込んだときに騎士に会ったって。
しかも一目惚れしただなんて。
言うことのずれ加減も時代錯誤も二人は似てるから、きっと和明と朱里はうまくいくんだろう。



