ほんの気の迷いというか勇気出したというか。
自分はあまり社交的じゃないほうだと自覚しているけど、その時は自然に声を掛けていた。
なんか最近めちゃ表情柔らかくなったやん?
何かええことあったん。
「どこに行くの?栗栖くん」
心の中で妄想トークするときの方言バージョンは表にはでてこない。
そんな風にこの三年間処世してきたから。
なんかいややん?
大阪人って東京に来ても関西弁喋ってるよね?って、転校してきたとき俺どんだけ言われた?
いや出身大阪ちゃうし。
これ播州弁やし。
ボケとツッコミが標準仕様のおもろいキャラ期待されても困るし。
栗栖は不思議そうな顔をこちらに向けて立ち止まる。
同じクラスの生徒に初めて急に話しかけられたら、そうなるよな。
栗栖一藍。
たぶんどっか外国の血が混じってる。
柔らかい茶色の髪と紺色の目。
教室では誰とも喋らず独特の空気をまとっている、気になるクラスメイト。
「えっと。君の名前なんだった?」
栗栖はそう尋ねたあと、こう独り言のように呟いたのを俺は聞き逃さなかった。
「Compagnon de class 1」
え?今なんとかアンって言った?
何語なん何人なん?
なんなん?
「あぁ俺。城田裕樹、です」
動揺して敬語で喋ってしまった。
あかん。
なんか卑屈。
栗栖は教室では笑わず、休み時間も一人で過ごして近寄りがたいオーラを出している。
でも、今はほのかに口角を上げて目を優しく細めているから安心する。
首を少しかしげて、こちらの目をしっかり覗き込む。
「ゆうき?よろしくゆうき。それで、どうかした?」
いきなり名前呼びかい!
やっぱり欧米人?
うかつにもコンマ5秒固まってしまった。
「いや。栗栖、最近なんか休み時間になったら嬉しそうな顔してるなぁって思ってて。どこ行くのかなぁ…って」
フリーズして素早く再起動したおかげか、素直に本音が言葉になった。
そう。
どっかの国の俳優みたいな整った顔と明るい髪色と冷ややかな眼差しでクラスメイトに一線引いてる奴おんなぁ誰も声かけへんなぁ本人もそれで平気そうやなぁと、遠巻きに見ていた四月。
新入生という特別な時間が薄れてぽつぽつ仲良く話せる相手もでき、一緒に弁当を食べる仲間もできて高校生というステージに馴染みかけてきた、新緑の季節。
大人しい部類の自分でも緊張せずに済む仲間に恵まれて、ようやく周りを冷静に観察できるようになってきたところだった。
栗栖には話しかけたことはなかったけれど、心の中ではクリスだんだん柔らかい目になってきたやん日本に馴染めてよかったやんって、他人事ながらほっとしていたのは事実。
って、勝手に栗栖のこと見た目で外国人やと決めつけてるけど。名前めっちゃ日本人やけど。
「うん。今すっごく楽しい。一緒に来る?」
クリスもとい栗栖が言う。
あ!笑った!
初めて見た。
こんな人懐っこい顔するん意外やわ。
そんな風に明るい気持ちを惜しげもなく手渡してもらったからか結構人見知りする自分でも素直に頷き、歩き出す栗栖の隣に並んで付いていった。
二年五組の教室に辿り着くと、昼休みでざわついている上級生の教室に栗栖はためらいもなく入っていく。
「ソウ」
栗栖が弾んだ声を出す。
後ろを向いていた背の高い二年生が振り返り、笑みを深めながらゆっくりと近付いてくる。
上級生にも名前呼びか~い。
やっぱクリス日本人ちゃうな。
「一藍。今日も元気?」
え。
この先輩ごっつイケメン。
「友達連れてきたの?一藍が友達と一緒に居るの見るの初めて」
ソウと呼ばれた先輩が自分と栗栖を交互に見て、さらに声を明るくして嬉しそうに言う。
わ~。
栗栖の友達認定。
ええんかな。
こんなキラッキラでハイスペックそうな友達、今までいたことないけど。
「さっき友達になったんだ」
栗栖が俺を見て微笑んだので柄にもなくドキッとしてしまった、その時。
「お~!一藍!聴いてくれ~」
どかどかと近付いてきたガタイのごつい先輩が泣きそうな顔を作り、慣れ慣れしげに栗栖の背中をバンと叩く。
栗栖がとたんに顔をしかめたのを見て、表情豊かやなぁと感心してしまった。
「俺、ついに女神に会っちゃった」
ラガーマンみたいにマッチョな先輩が似合わない言い回しをした。
栗栖は動きを止める。
「俺、こんな物思いするの人生で初めて」
栗栖の冷たい視線を意に介さずラガーマン風マッチョ先輩は話し続ける。
「なぁ一藍。聞いてる?一目惚れと初恋が同時に来たんだってば!」
ソウ先輩がこちらを気遣って以下説明してくれた。
石賀谷という名前の先輩は先週の部活前(ガチでラグビー部員だった)、「女神」に遭遇したという。
女神って令和にも存在するんや。
古代ちゃうん神話ちゃうん?
妄想トークでは多弁な自分も現実の世界では言葉少なめなのが通常なので、笑いそうになっても澄ました顔でいた。
「先週すっごく綺麗な女子を見たんだって。今日この話ばかりでさ」
ソウ先輩が石賀谷先輩を横目に、とびっきり優しい笑顔で言う。
仲良い同級生、なんかええな。
俺は好きな恭ちゃんの話誰にも言えてへんよな。
急に寂しい気持ちに襲われつつ、それでも怒涛のように展開していく目の前のドラマに釘付けだった。
「そう。寝ても覚めてもってやつ。でもまだ誰か分かんないままで胸が苦しい」
「新鮮すぎ。恋煩いってこんな感じなんだ?」
ソウ先輩が微笑んだまま俺たちの前にある机に座った時、栗栖がソウ先輩の長袖シャツの手首の部分を掴んで言った。
「ソウは?好きな人がいる?」
「俺?」
二人が目線を合わせるのを、外野の俺は無言で見守っている。
ええぇ、なんなんこのシチュエーション。
自分ここに居ってもええん?
「いないなぁ…今のところ。別に理想高くもないんだけど」
先輩は少し目線を上げて考えるような表情をした後、視線を下げて誠実な声で返事をした。
そうしたら。
栗栖が絞り出すような声で言った。
「俺は」
「うん」
「あなたの心が欲しい」
一瞬世界が静かになったように感じた。
「あなたの心を自分のものにしたい」
映画の中のワンシーンみたいに二人が互いの瞳を覗き込んでいる。
えええぇ。
今何が起こってるん?
普段地味すぎる生活の日々にこれまた女神的な存在の何かにダメ出しされて俺ここに放り込まれたん?
栗栖これ告白してるん?
「そんなふうに言われたのは初めてだなぁ」
ソウ先輩は掴まれていない右手を栗栖の頭にポンと置いて、栗栖の髪をわしわしと掻き混ぜた。
いや冷静すぎ!…って横にいる石賀谷先輩も特に反応ないしこれっていつものやりとり?
…マジか。
急に世界がグローバルになった気がする。
「ありがとう」
わぁ。イケメンは心もイケメン。
「一藍はさ。心の中にある言葉を一生懸命日本語に変えてくれたんだろ?ありがとう。また部活の時に話そう。走りながら」
栗栖が羽田恭子と同じ陸上部に入ったらしいことを先輩の返答を耳にして思い出した。
恭ちゃん、こんなええ男ばかりいる部活おるん。
俺かわいそすぎやん。
栗栖が軽く手を上げて教室を後にするのを見て、慌てて会釈して付いていく。
この休み時間だけで三年分老成した気分。
自分から栗栖に声かけしたことで同級生の想いに触れたり、新しい二人の先輩の人生に触れたり。
言葉や想いを出してもいい。
出して素直に相手に手渡してもいい。
そんなことが俺にもできたら。



