ふるさとは遠きにありて思うもの。
幼い頃に父方の祖父が言っていた日本語を一藍はよく思い出す。
ふるさとから遠く遠く離れて生きた祖父が生まれた日本に来て、二ヶ月近くになる。
ここでも一藍は、空を見上げている。
葉が出るのとほぼ同時に花を咲かせている白い桜の花びらが散って、一藍が咄嗟に広げた手のひらに落ちてきた。
今、自分自身のふるさとは遠くにある。
ふるさとを想って哀しく歌うことは、まだ、ない。
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蒼空が何気なく手に取った曾祖父の本は、短い物語だった。
最初に見たのはまだ小学校低学年のとき。
戦争にはぎり行かなくて済んだという昔話をたくさん碧空にしてくれたらしい曾祖父が遺したもの。
膝に乗って曾祖父を見上げていた記憶は幼すぎて、ない。
なぜか物心ついたころから曾祖父の存在感が強すぎて自分に流れている血の本流とか起源を考えさせられてしまうことがあった。
自分が心惹かれること、緑に包まれた森林公園の中を走り続けている日々、朝陽と夕陽が尊いと感じる気持ち、人に対して好き嫌いがはっきりしなくて八方美人と言われたことがあるとかないとか。
そんな何もかもが自分が生まれた時から魂の中に刻まれて決められていたんじゃないかというようなことを割と普通に考える方だったので、やはり親の親、そのまた親から受け継いだ何かがあるのだろうか、その中の一人が手に取っていた物語はどんな世界なんだろう?と興味があった。
小学生の時にそんな話を友達にするとぽかんとされたし、親に聴けば聴いたで哲学的なことを考えている子どもだと言われるばかりで答えを返してくれるわけではなかったので、自分の原点に触れようと思ったときは蔵の中にある古い本を手に取って読んでみるくらいしか手探りの方法はなかった。
社交的で陽気な性格だと大人から言われていたけれど、一方で蒼空独特のやり方で自分に向き合うことが性に合っていたんだろう。たぶん。
曾祖父が遺した本の中で、自分の名前がタイトルの一部になっている古い本があった。
作者は日本人ではなく、地名も登場人物のセリフも身近なものではなかったから中学生になってようやく読み進めてみても頭に入らなかった。
五回目くらいにその本を開いたときは高校生になっていて、ほとんどの時間は陸上部の活動に占められる日々だった時期。
その反動で夏のある暑い一日に蔵に忍び込んだとき、ふたたび手にしたとたんに吸い込まれるように最初から最後まで読み切ってしまった。
主人公が最後に暗闇から光あふれる庭のほうを見て、そこに一人見知らぬ人物が座っているのに気付く。
切り取られた風景の中で静止画のようにみじろぎしない背中。
一歩一歩その光と背中に向かって歩み寄っていく。そこで終わり。
見知らぬ人物とこのあと自分は話をするのか。声を掛けたら振り返るのか。それが一番の感想。
いつのまにか主人公を自分に重ね合わせていた。
蒼空が去年読んだこの本を、昼休みにきまぐれにいつもと違う廊下を使って購買から帰る途中に思い出したのは偶然じゃないだろう。
人通りの少ない校舎が春の日差しを遮って暗がりになっている先に中庭が一部見えた。
無機質なコンクリートの間から緑が見えて綺麗だった。そして、そこに座った人物の華奢な背中の輪郭をふちどるように昼の太陽が高い角度から優しくスポットライトを当てている。
その一角を見つめて、蒼空は立ち止まる。
ポートレートみたいに区切られた風景。真新しいブレザーとかなり明るめの栗色の髪。静止画みたい。
階段を上ろうとしていた体の向きを変えて、ゆっくりと知らない背中に近づいていく。小さく見えていた身動きひとつしない背中は近づいてみても揺れもしない。
光のなかで塑像のように、そこに居る。
「何してる?」
蒼空は声を掛けていた。あの物語には書かれていなかった続きをなぞるように。



