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 翌日、瀬川さんは奥様を連れて来店した。

 申し訳なさそうな顔で私の様子を窺う瀬川さんと、仏頂面を隠そうともしない奥様、そして何より二人の間に漂う雰囲気から、ウエディングシューズを私が作るという話を奥様は納得しているわけではないと察した。

「本日はお忙しい中ご来店くださりありがとうございます。初めてのご利用となるお客様でございますので、当店のシステムから説明させていただければと思いますが、よろしいでしょうか?」

 打ち合わせを開始した瞬間、開口一番に奥様は言った。

「あなたがウエディングシューズを手掛ける職人さんなんですよね? 見た感じ、あたしより若いように見えますけど……本当にあたし好みの靴を作れるんですか? 支払いって前払いですよね? 一生に一度の結婚式で履く大切な靴を高いお金を出して買うのなら、下手な靴は絶対に履きたくないです。気に入らない仕上がりだったらどう責任取ってくれるんですか?」

 奥様は一見、綺麗に手入れされた真っすぐな黒髪と控えめな目鼻から大人しい印象を受けるが、どうやらかなり対応の難しいお客様のようだ。横であたふたとフォローに励む瀬川さんのことなどまるで無視して、来店直後からずっと私を審査するかのように視線を浴びせ続けている。

 これがプライベートで会った人なら間違いなく喧嘩上等と反撃を開始するところだが、今は仕事中だ。私は奥様の目を見て、丁寧な口調で告げた。

「私は靴職人として、すべての靴へ持てる技術と愛情を込めて作っています。しかし、お客様一人ひとりにご満足していただけるよう尽力はいたしますが、それはあくまで私の心持ちの話であって、お客様の満足度を保証するものではございません」

 奥様が「絶対に満足させますからご安心ください」という言葉を欲しがっているのはわかっている。だけど私には、どんなお客様が相手でも必ずとか絶対という言葉は使うべきではないという持論がある。

 決して責任逃れをしたいわけではなく、人の気持ちをサービスの提供側が決めつけるのはおかしいと思っているからだ。

「はあ? 何それ? こんな責任感のない人に、高いお金を払ってまで大事な靴を作ってもらおうなんて思えないんですけど!」

「お客様に信頼してもらえないことには、私も何もできません。ですからまずはオーダーメイドシューズのメリットとデメリットを、私の口から説明させていただきたいのですが」

 売り言葉に買い言葉で言っているのではなく事実を述べているだけなのだが、奥様はますます眉を吊り上げてついに席を立ってしまった。

「いらないわよ時間の無駄だし! 帰るよ俊哉!」

「ま、待てよ恵梨香(えりか)! ちゃんと話を聞こう! な?」

 おろおろする瀬川さんの手を引いて店を出て行こうとする奥様の後ろ姿を見たとき、靴職人として見過ごせない靴の歪みに気がついた。

「失礼ですが奥様、肩こりか腰痛に悩んでいませんか?」

 出入口まで一直線だった奥様の足が一度止まり、怪訝な瞳で振り返った。

「……なんでわかったの? っていうか、社会人なんて大体が肩こりか腰痛持ちじゃん。あたしを引きとめるために当てずっぽうに言ったんなら、マジムカつくんだけど」

「履かれているブーツの踵の内側がすり減っています。これは、踵が歪んでいることが原因です。人は歩く度に体重の二割増しにあたる衝撃が足にかかりますから、歪みがあると立っているときに人が本来持っている正常なバランスが保てず、骨ではなく筋肉を使うようになります。結果、筋肉の緊張が骨格を歪ませてしまって、腰痛や肩こりの症状を引き起こすんです」

 私を見極めるように見据えていた奥様は、商談スペースに戻ってきた。

「……知識はある程度備わっている、そう考えていいのね? 話を聞かせてもらってもいいかしら?」

「もちろんです。ではまず、こちらのパンフレットをご覧ください」

 ようやく、話をする許可をいただけたらしい。私が説明を始めると、瀬川さんは心底安堵した表情を見せた。

 奥様――瀬川恵梨香さんは、私の腕とオーダーメイドシューズというシステムにとにかく不安があるらしく、少しでも気になるところがあれば攻撃的に突っかかってきては揚げ足を取ろうとしてきた。

 それでも根気よく話をしていくうちに段々と期待を見せてくれるようになり、最終的には二人から「注文をお願いしたいと思います」という言葉をいただけた。

 しかし喜ぶのはまだ早い。ここからが本当の打ち合わせである。

「ウエディングドレスはマーメイドラインなのですね。でしたら、靴はポインテッドトゥにされるととてもシャープな印象を与えられると思いますよ。ピンヒールにすれば、後ろ姿がより美しくなりますし」

「やっぱりそうですよね! あたしもそうするつもりだったんです! ちなみに、エキゾチックレザーってシャープなデザインとは合わないでしょうか?」

 注文が決まった後は本当にスピーディーに話が進んでいった。

 エレガントさを全面に出したいというので、足を包む甲革に牛革を使用したシルバーのグリッターを使ってみたらどうかと提案してみたところ、大層気に入ってくれて採用となった。

 一方で可愛らしさも捨てきれないという要望には、プリンセスを彷彿とさせるクリスタルの薔薇をシュークリップで付けることで応えた。ヒールの高さは背の低い瀬川さんとのバランスを考慮して低めにするということで、デザインの話はまとまった。

 歪みのある恵梨香さんの足を細かく採寸し、仮靴が完成したらまた連絡しますと伝えて今日の打ち合わせが終わった。

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 翌日。私は採寸した恵梨香さんの足のデータと睨めっこしていた。納期までとにかく時間がない。今日から急ピッチでウエディングシューズ製作に取り掛かる必要がある。

 コーヒーを飲んで腕まくりをした。作業開始だ。

 恵梨香さんの足型に最も近い木型に、デザインをのせて型紙を切り出していく。足を包む甲革の原型となる型紙は設計の要となるから、とても重要な作業だ。

 型紙が完成したら、甲革を作るために型紙を革に当てて裁断する。天然素材の革は一枚一枚の品質が違うばかりではなく場所によっても大きな違いがあるため、元々の傷や繊維の走り方を考慮して慎重に裁断する必要があるのだ。

 裁断した革は機械で漉いてから漉き包丁を使用してさらに薄くし、手で揉みほぐす。革を漉いて薄くするのは、重ね代部分の厚み調整と、パーツ全体の減圧が目的だ。

 甲革の縫製は基本的にミシンを使用するが、細部の縫合や装飾的なステッチなどは手縫いで行っている。革を縫い合わせる前に腰裏にデザイン名と製作者のサインを入れるのが通例だが、今回は私のサインは入れずに、結婚式の日付と瀬川さん夫妻の名前を入れた。

 甲革と同様に加工した中底と、つま先部分と踵部分の保形のための芯材を木型に固定し、縫製された甲革を木型に被せた。そしてワニという道具を使って、つま先部分から順に甲革を引っ張って中底に固定させる作業を進めていく。吊り込みと呼ばれるこの作業によって革に靴の形状を覚えさせ、立体的な靴に仕立てていくのだ。

 細革を吊り込みの終わった甲革と中底に縫い付け終わっても、まだ底付けという大事な作業が残っている。私は軽くストレッチをして全身の筋肉を伸ばしてから、疲れ目によく効く目薬をさした。

 ここまで終えるのに十日もかかってしまった。休んでいる暇なんてない。すぐに後半戦に取り掛かる必要がある。

 晴れの日に『サン・メイド』の靴を選んでいただいたこと、後悔なんてさせやしない。

 靴職人としての矜持を胸に全力で靴と向き合った。

 尽力の甲斐もあって、恵梨香さんのウエディングシューズは『サン・メイド』が案内しているセミオーダーの納期より大幅に短い、三週間で完成させることができた。