広大な宇宙のどこかには、人類以外の生命が存在している。
そんな願望にも似た想いは科学の発展により、今や、手の届くところまで来ていると言っても過言ではない。もう間もなく、地球外生命体は見つかる。
が、それはなにも、人類の力とは限らない。
近くまで来ているのだ。
すぐそこまで。声が聞こえる、その距離まで――。
東京都、立川。
東京の名を借りた、自然あふれる地。この一角に、居住の決め手ともなる自然景観を損なわぬよう、地上部分は可能な限り地味で質素に、そして、その大部分を地下へと埋めた研究所がある。
七川新は、この研究所に籍を置く学者の一人だ。
「はあ、今日も孤独だ。研究所って設備こそ凄いけど、大きな監獄みたいだよな」
研究室へと続く廊下を歩いていると、大学から友人、仲瑞樹は真っすぐと前を見ながらに言う。学生の頃から何年も同じ環境に身を置いているだろう、と思いつつ、新は言葉を返す。
「瑞樹ってさ、昔からそれ言ってるよな。でも孤独って、ひとりぼっち、とかそんな意味だろ? それを言ったら、ずっと一緒にいる俺の立場はどうなる? 俺は、お前といるから孤独だと感じたことなんてないんだぞ」
「それは辞書通りの意味だろ。これはな、俺の感情の話なんだよ。ほんと、新みたいに無駄に頭が良すぎるっていうのも考えようだよな」
やれやれ、と言いたいのだろう。両手を天上に向け、瑞樹は首を振った。
感情論を持ち出されると、なにも言い返すことができなくなる。
「ところでさ」
ころりと表情を変え、瑞樹は言う。
「あとどれくらいで、見つかると思う?」
「それは……惑星の方か?」
違うとわかりつつ、口元を緩ませながら新が口にすると瑞樹の顔が、今度は呆れたものへと変わった。からかい甲斐のあるやつだった。
「知ってるだろ? 俺は〝そっち〟にはまるで興味が無いんだよ」
吐き捨てられた言葉が、静かな研究所内に響き渡る。新は慌てて顔の前で指を立て、続く言葉を制した。
「おい、そんな大声で言うなって。他の先生に聞かれたらどうする? 怒られるなんてもんじゃすまないぞ」
「気にすんなよ。この時間はまだ、ほとんど誰もいないから」
「ほとんど、だろ?」
新は恐る恐る視線を左右に振ったが、どうやらまだ、誰も来ていないらしい。どうして朝から心拍数を上げなきゃならない、と瑞樹を睨んだが、瑞樹はとぼけた顔をするだけで、反省の色はまるでなかった。
宇宙科学開発情報センター。二人のいるこの研究所では現在、大きく二つの研究を行っている。
一つは、惑星の観察と新しい惑星の発見。
観察するのは主に太陽系惑星、即ち、地球を含め、太陽の周りを回る惑星を指す。小学校で習う「水金地火木土天海」というやつで、水星や金星など、地球以外にも七つの惑星が存在している。
一方、新しい惑星の発見は、この太陽系惑星に属さない惑星、いわゆる太陽系外惑星と呼ばれる惑星の発見のことを指している。その実態はおろか、正式な数ですらも今の人類の技術では把握できていない、まさに神秘の領域とも呼べるものだった。
そしてもう一つの研究が、太陽系惑星、太陽系外惑星を問わず、地球を除いたあらゆる惑星においての生命を探索する、地球外生命体の探索である。
この研究に、新と瑞樹も属していた。
世界中の天文学者たちが「あと数年だ」と口を揃えながら、なかなか実現には至らない。手掛かりになりそうなものを見つけては、この無限の宇宙には、人類以外の知的生命体がいると心を躍らせる。
そんな夢や希望、歓喜の渦に魅了され、二人は日夜研究を続けていた。
「もう少し周りを気にしろよ。いつか寝首を掻かれるぞ」
「ふん。だって実際そうだろ? 宇宙のことを知れば知るほど、その広大さに気付かされる。時間さえ掛ければいくらだって新しい惑星が見つかるって思えちまう。そう考えると仮に新しい惑星が見つかったって、『やっぱりありましたね』って感想以外は抱かない。そんなもの、達成感もクソもねーよ」
眉根を寄せ、遠くを睨むように瑞樹は言う。
「言ってることもわからなくはないけど、もう少し、言い方をだな――」
「おい。お前らはもう、勤務時間中だよな? くだらない私語は慎めよ」
新の注意を遮るように、背後から男の声がした。その声に、自然と背筋が伸びる。
振り返ると、そこには瑞樹よりもさらに睨みを利かせた多田信二が立っていた。多田の目つきがいつにも増して悪いのは、今が早朝だからというわけではなさそうだった。
「す、すいません、多田さん。気を付けます」
余所行きの笑顔を取り繕い、新は軽く頭を下げる。が、隣で瑞樹が「仕事はちゃんとしてんだから良いじゃねぇか」と、ぎりぎり戸田にも届きそうな声で呟いた。
「おい、仲。なにか言ったか? どうやらお前の声は、この地球上では幾分か聞き取りにくくなっているのかもしれん。お前の好きな地球外生命体とやらに、操られてるんじゃないのか」
んだと、この、と多田の挑発に、瑞樹の足が一歩前へと動く。新は急いで瑞樹と多田の間に身体を入れた。
「ま、まぁ、一旦落ち着きましょう。瑞樹も、元はと言えば俺らの声がデカかったってのも、あるわけだしさ」
正確には瑞樹の声だけどな、と思いながらも、この場を収めるには自分も加害者になった方が手っ取り早いだろうと、新は二人に向かって視線を運んだ。瑞樹は大きく、明らかに多田にも聞こえる舌打ちをしたが、一先ずはそれ以上の言動を取ることはなかった。
新が多田に向かって眉毛を上げて合図を送ると、ふん、と鼻を鳴らして踵を返し、多田は研究所の奥へと向かって行った。
「おい、新。なんであんなやつの肩を持つんだよ」
「肩を持つとか、そんなんじゃないけどさ。ほら……」
研究分野が違うだけで、研究熱心な根っこの部分はお前と似ているだろ――と口から零れそうなところで、新は言葉を飲み込んだ。鎮火しかけた火種に、再びガソリンを撒く必要などない。
「必死なんだよ。むこうもむこうでさ」
苦虫を噛み潰したような顔をして、瑞樹は唇を尖らせる。
こうして二人の仲裁をするのも、何度目になるのだろう。それを数えるのもバカらしく感じるほど、この意地の張り合いとも言えるいざこざは、ある意味、日常茶飯事だった。
多田は同じ大学で学年は一つ上、年齢は二歳年上の先輩で、新とは違い、当時から主に新しい惑星の発見について研究を重ねている。
瑞樹と多田の間に確執が生じたのも、この大学時代のことだ。
きっかけはよくある、取るに足らない些細なこと。ちょっとした意見の食い違いの中で、瑞樹が浪人を経て入学した多田をバカにするような発言をしたことから始まった。口論は互いの研究分野にまで及び、それ以来、事あるごとに互いの研究内容をバカにするような発言が飛び交っている。
初めはただただ険悪な二人としかみていなかったが、多田が高校時代、世話になった先輩の元で研究の手伝いを行ううちに没頭し過ぎて勉強に手がつかなくなったことが浪人した理由だと聞いて、新は考えを改めた。
好きなことで視野が狭くなってしまうのは、本当に瑞樹とよく似ていると思ったからだ。だからこそ互いに干渉し、反発しあっているのだと、今でも思っている。
「図星を突かれたからやっかんでるだけだろ。そこら辺にあるはずの新しい惑星が見つからないんじゃ、それくらいしかやることもないだろうからな。そういうのを『ただ』の八つ当たりって言うんだ……多田だけに」
当然、季節外れの悪寒に襲われる程度の冗談に、新は突っ込むことなどしない。代わりに、「お互い認めているくせに、素直じゃないな」と口にして、瑞樹の反応も待たずに研究室へと向かう。
なんでそうなるんだよ、という瑞樹の声が、新の鼓膜を程よく刺激していた。
「おぉ、おはよう。ふたりとも、今日も元気そうだね」
「氷室さん、おはようございます」
研究室の扉を開けると、二人の所属する地球外生命体探索チームの長であり、室長の氷室が、コーヒーを片手にモニターを眺めていた。その湯気に、氷室の掛けた眼鏡が白く曇っては透明に戻ってを繰り返している。
一見すると、ふくよかで穏やかな、どこにでも居そうなおじいちゃんである氷室だが、この世界ではかなりの有名人で、宇宙に関する様々な発見をしてきた、この研究所きっての切れ者である。
また、その見た目の通りとも言える温厚な性格の持ち主でもあり、研究所内外を問わず、人望も厚い。これは余談だが、そんな性格も自分にだけは牙を剥くらしく、健康診断で肥満度指数が八年連続の上昇となったことを受け、大量の砂糖とガムシロップで糖質の塊と化したコーヒーも、ここ半年では一度も見ていなかった。
そのせいか、コーヒーを飲む量も、ガクンと落ちたのだが。
「氷室さん! 何かわかりました?」
入室するや否や、瑞樹は氷室に尋ねた。氷室の元には連日、世界各国から大小様々なデータや研究結果などが送られてくる。その結果について朝一番に瑞樹が尋ねるのは、もはや日課となっていた。
「瑞樹くん。きみは本当に熱心だねぇ」氷室は微笑む。
笑うと目が無くなるので一層、仏のように優しく見える。
「瑞樹、昨日は俺らもデータ分析を一緒にやっただろ? そんなに早く、何かがわかるわけ――」
「実は、ちょっと気なることがあってね」
「な、何か見つかったんですね……!」
新の言葉など、まるで存在していなかったかのように、瑞樹は目を見開いて氷室の元へと駆け寄った。
「ある惑星の、大気の分析結果なんだけどね……少し、不思議だと思わないかい?」
氷室は推移を続けるモニター数値の一部を指差すと、隣のモニターに映し出された地球の大気データと比較しながら言った。
「あれ? これってたしか」
「そうなんだ。この物質は、今までこの地球でしか確認されていなかった。地球上の生物によって吐き出されてできるものだからね。それなのに、この惑星ではこんなにも地球と近しい数値で存在している。仮に、ここだけで判断して一つの仮定を立てるとするなら――」
「この惑星には、地球上の生物とよく似た生物が存在する可能性がある」
瑞樹の言葉に、魂が震えた気がした。実際に、モニターを見ながら唇を摘まんだ瑞樹の手は震えている。
「氷室さん。このデータ分析の依頼主ってたしか」
モニターの右上に表示された管理番号に、新は見覚えがあった。
「ああ。先日、新くんと瑞樹くんに見てもらった、アメリカの研究所のものだ。あそこは機器が揃っているし、優秀な学者も多からね」
そこからデータ分析依頼が来る氷室も、十二分に凄いだろうと新は思う。
「なにより、氷室さんはそこの教授と、古くからのお付き合いなんでしたっけ?」
「その通りだ。だからこのデータも、信頼度の高いものだと僕はみている」
「じゃあ……データ自体に誤りがある可能性は低いってことですね?」
目を輝かせ、瑞樹は口元を緩ませた。氷室の表情も、それに応えるように柔らかいものへと変わる。
「そうだね。少なくとも、僕はそう考えている……とはいっても、これだけで断定するのは時期尚早というやつだ。我々は研究に身を置く者。様々な状況が偶然、偶発的に生じた結果という可能性も考えなければならない。あくまで、このデータだけで仮定を立てるとすれば、の話だよ」
釘を刺すように、氷室は語尾を強めた。しかし、瑞樹の顔が曇ることはない。
「ほ、ほらな。やっぱり地球以外にも、生命体は存在しているんだ。新、これから忙しくなるぞ」
肩慣らしでもするように、瑞樹は腕を回し始める。このデータを瑞樹に見せるのも時期尚早だったのでは、と新が視線で氷室に訴えると、氷室も同じことを感じ取ったのか、呆れるように薄くなった頭を掻いた。
「とにかくだ。いま氷室さんが言ったように、このデータだけじゃなんとも言えない。もう少し分析、解析を進めていこう」
瑞樹の心に訴えるように、新は声のボリュームを上げたつもりだったが、「あと少しだ……」と呟く瑞樹には聞こえてすらいないようだった。ただ、このデータのお陰で何らかの可能性が生まれたことに違いはなく、その気持ちは痛いほどにわかる気がした。
「新くんの言う通りだよ。一先ずこの結果についてはあくまで仮説、ということで、今朝先方には報告をしている。こういう未知のものは、何が起こるかわからないからね。慎重に進めていこう」
「はい!」
どこぞの国の軍隊のような返事をして、瑞樹はやる気に満ち溢れた表情で自席に座った。
だが、その期待が形になることはなく、この日はこれ以上、何も見つかることはなかった。
そんな願望にも似た想いは科学の発展により、今や、手の届くところまで来ていると言っても過言ではない。もう間もなく、地球外生命体は見つかる。
が、それはなにも、人類の力とは限らない。
近くまで来ているのだ。
すぐそこまで。声が聞こえる、その距離まで――。
東京都、立川。
東京の名を借りた、自然あふれる地。この一角に、居住の決め手ともなる自然景観を損なわぬよう、地上部分は可能な限り地味で質素に、そして、その大部分を地下へと埋めた研究所がある。
七川新は、この研究所に籍を置く学者の一人だ。
「はあ、今日も孤独だ。研究所って設備こそ凄いけど、大きな監獄みたいだよな」
研究室へと続く廊下を歩いていると、大学から友人、仲瑞樹は真っすぐと前を見ながらに言う。学生の頃から何年も同じ環境に身を置いているだろう、と思いつつ、新は言葉を返す。
「瑞樹ってさ、昔からそれ言ってるよな。でも孤独って、ひとりぼっち、とかそんな意味だろ? それを言ったら、ずっと一緒にいる俺の立場はどうなる? 俺は、お前といるから孤独だと感じたことなんてないんだぞ」
「それは辞書通りの意味だろ。これはな、俺の感情の話なんだよ。ほんと、新みたいに無駄に頭が良すぎるっていうのも考えようだよな」
やれやれ、と言いたいのだろう。両手を天上に向け、瑞樹は首を振った。
感情論を持ち出されると、なにも言い返すことができなくなる。
「ところでさ」
ころりと表情を変え、瑞樹は言う。
「あとどれくらいで、見つかると思う?」
「それは……惑星の方か?」
違うとわかりつつ、口元を緩ませながら新が口にすると瑞樹の顔が、今度は呆れたものへと変わった。からかい甲斐のあるやつだった。
「知ってるだろ? 俺は〝そっち〟にはまるで興味が無いんだよ」
吐き捨てられた言葉が、静かな研究所内に響き渡る。新は慌てて顔の前で指を立て、続く言葉を制した。
「おい、そんな大声で言うなって。他の先生に聞かれたらどうする? 怒られるなんてもんじゃすまないぞ」
「気にすんなよ。この時間はまだ、ほとんど誰もいないから」
「ほとんど、だろ?」
新は恐る恐る視線を左右に振ったが、どうやらまだ、誰も来ていないらしい。どうして朝から心拍数を上げなきゃならない、と瑞樹を睨んだが、瑞樹はとぼけた顔をするだけで、反省の色はまるでなかった。
宇宙科学開発情報センター。二人のいるこの研究所では現在、大きく二つの研究を行っている。
一つは、惑星の観察と新しい惑星の発見。
観察するのは主に太陽系惑星、即ち、地球を含め、太陽の周りを回る惑星を指す。小学校で習う「水金地火木土天海」というやつで、水星や金星など、地球以外にも七つの惑星が存在している。
一方、新しい惑星の発見は、この太陽系惑星に属さない惑星、いわゆる太陽系外惑星と呼ばれる惑星の発見のことを指している。その実態はおろか、正式な数ですらも今の人類の技術では把握できていない、まさに神秘の領域とも呼べるものだった。
そしてもう一つの研究が、太陽系惑星、太陽系外惑星を問わず、地球を除いたあらゆる惑星においての生命を探索する、地球外生命体の探索である。
この研究に、新と瑞樹も属していた。
世界中の天文学者たちが「あと数年だ」と口を揃えながら、なかなか実現には至らない。手掛かりになりそうなものを見つけては、この無限の宇宙には、人類以外の知的生命体がいると心を躍らせる。
そんな夢や希望、歓喜の渦に魅了され、二人は日夜研究を続けていた。
「もう少し周りを気にしろよ。いつか寝首を掻かれるぞ」
「ふん。だって実際そうだろ? 宇宙のことを知れば知るほど、その広大さに気付かされる。時間さえ掛ければいくらだって新しい惑星が見つかるって思えちまう。そう考えると仮に新しい惑星が見つかったって、『やっぱりありましたね』って感想以外は抱かない。そんなもの、達成感もクソもねーよ」
眉根を寄せ、遠くを睨むように瑞樹は言う。
「言ってることもわからなくはないけど、もう少し、言い方をだな――」
「おい。お前らはもう、勤務時間中だよな? くだらない私語は慎めよ」
新の注意を遮るように、背後から男の声がした。その声に、自然と背筋が伸びる。
振り返ると、そこには瑞樹よりもさらに睨みを利かせた多田信二が立っていた。多田の目つきがいつにも増して悪いのは、今が早朝だからというわけではなさそうだった。
「す、すいません、多田さん。気を付けます」
余所行きの笑顔を取り繕い、新は軽く頭を下げる。が、隣で瑞樹が「仕事はちゃんとしてんだから良いじゃねぇか」と、ぎりぎり戸田にも届きそうな声で呟いた。
「おい、仲。なにか言ったか? どうやらお前の声は、この地球上では幾分か聞き取りにくくなっているのかもしれん。お前の好きな地球外生命体とやらに、操られてるんじゃないのか」
んだと、この、と多田の挑発に、瑞樹の足が一歩前へと動く。新は急いで瑞樹と多田の間に身体を入れた。
「ま、まぁ、一旦落ち着きましょう。瑞樹も、元はと言えば俺らの声がデカかったってのも、あるわけだしさ」
正確には瑞樹の声だけどな、と思いながらも、この場を収めるには自分も加害者になった方が手っ取り早いだろうと、新は二人に向かって視線を運んだ。瑞樹は大きく、明らかに多田にも聞こえる舌打ちをしたが、一先ずはそれ以上の言動を取ることはなかった。
新が多田に向かって眉毛を上げて合図を送ると、ふん、と鼻を鳴らして踵を返し、多田は研究所の奥へと向かって行った。
「おい、新。なんであんなやつの肩を持つんだよ」
「肩を持つとか、そんなんじゃないけどさ。ほら……」
研究分野が違うだけで、研究熱心な根っこの部分はお前と似ているだろ――と口から零れそうなところで、新は言葉を飲み込んだ。鎮火しかけた火種に、再びガソリンを撒く必要などない。
「必死なんだよ。むこうもむこうでさ」
苦虫を噛み潰したような顔をして、瑞樹は唇を尖らせる。
こうして二人の仲裁をするのも、何度目になるのだろう。それを数えるのもバカらしく感じるほど、この意地の張り合いとも言えるいざこざは、ある意味、日常茶飯事だった。
多田は同じ大学で学年は一つ上、年齢は二歳年上の先輩で、新とは違い、当時から主に新しい惑星の発見について研究を重ねている。
瑞樹と多田の間に確執が生じたのも、この大学時代のことだ。
きっかけはよくある、取るに足らない些細なこと。ちょっとした意見の食い違いの中で、瑞樹が浪人を経て入学した多田をバカにするような発言をしたことから始まった。口論は互いの研究分野にまで及び、それ以来、事あるごとに互いの研究内容をバカにするような発言が飛び交っている。
初めはただただ険悪な二人としかみていなかったが、多田が高校時代、世話になった先輩の元で研究の手伝いを行ううちに没頭し過ぎて勉強に手がつかなくなったことが浪人した理由だと聞いて、新は考えを改めた。
好きなことで視野が狭くなってしまうのは、本当に瑞樹とよく似ていると思ったからだ。だからこそ互いに干渉し、反発しあっているのだと、今でも思っている。
「図星を突かれたからやっかんでるだけだろ。そこら辺にあるはずの新しい惑星が見つからないんじゃ、それくらいしかやることもないだろうからな。そういうのを『ただ』の八つ当たりって言うんだ……多田だけに」
当然、季節外れの悪寒に襲われる程度の冗談に、新は突っ込むことなどしない。代わりに、「お互い認めているくせに、素直じゃないな」と口にして、瑞樹の反応も待たずに研究室へと向かう。
なんでそうなるんだよ、という瑞樹の声が、新の鼓膜を程よく刺激していた。
「おぉ、おはよう。ふたりとも、今日も元気そうだね」
「氷室さん、おはようございます」
研究室の扉を開けると、二人の所属する地球外生命体探索チームの長であり、室長の氷室が、コーヒーを片手にモニターを眺めていた。その湯気に、氷室の掛けた眼鏡が白く曇っては透明に戻ってを繰り返している。
一見すると、ふくよかで穏やかな、どこにでも居そうなおじいちゃんである氷室だが、この世界ではかなりの有名人で、宇宙に関する様々な発見をしてきた、この研究所きっての切れ者である。
また、その見た目の通りとも言える温厚な性格の持ち主でもあり、研究所内外を問わず、人望も厚い。これは余談だが、そんな性格も自分にだけは牙を剥くらしく、健康診断で肥満度指数が八年連続の上昇となったことを受け、大量の砂糖とガムシロップで糖質の塊と化したコーヒーも、ここ半年では一度も見ていなかった。
そのせいか、コーヒーを飲む量も、ガクンと落ちたのだが。
「氷室さん! 何かわかりました?」
入室するや否や、瑞樹は氷室に尋ねた。氷室の元には連日、世界各国から大小様々なデータや研究結果などが送られてくる。その結果について朝一番に瑞樹が尋ねるのは、もはや日課となっていた。
「瑞樹くん。きみは本当に熱心だねぇ」氷室は微笑む。
笑うと目が無くなるので一層、仏のように優しく見える。
「瑞樹、昨日は俺らもデータ分析を一緒にやっただろ? そんなに早く、何かがわかるわけ――」
「実は、ちょっと気なることがあってね」
「な、何か見つかったんですね……!」
新の言葉など、まるで存在していなかったかのように、瑞樹は目を見開いて氷室の元へと駆け寄った。
「ある惑星の、大気の分析結果なんだけどね……少し、不思議だと思わないかい?」
氷室は推移を続けるモニター数値の一部を指差すと、隣のモニターに映し出された地球の大気データと比較しながら言った。
「あれ? これってたしか」
「そうなんだ。この物質は、今までこの地球でしか確認されていなかった。地球上の生物によって吐き出されてできるものだからね。それなのに、この惑星ではこんなにも地球と近しい数値で存在している。仮に、ここだけで判断して一つの仮定を立てるとするなら――」
「この惑星には、地球上の生物とよく似た生物が存在する可能性がある」
瑞樹の言葉に、魂が震えた気がした。実際に、モニターを見ながら唇を摘まんだ瑞樹の手は震えている。
「氷室さん。このデータ分析の依頼主ってたしか」
モニターの右上に表示された管理番号に、新は見覚えがあった。
「ああ。先日、新くんと瑞樹くんに見てもらった、アメリカの研究所のものだ。あそこは機器が揃っているし、優秀な学者も多からね」
そこからデータ分析依頼が来る氷室も、十二分に凄いだろうと新は思う。
「なにより、氷室さんはそこの教授と、古くからのお付き合いなんでしたっけ?」
「その通りだ。だからこのデータも、信頼度の高いものだと僕はみている」
「じゃあ……データ自体に誤りがある可能性は低いってことですね?」
目を輝かせ、瑞樹は口元を緩ませた。氷室の表情も、それに応えるように柔らかいものへと変わる。
「そうだね。少なくとも、僕はそう考えている……とはいっても、これだけで断定するのは時期尚早というやつだ。我々は研究に身を置く者。様々な状況が偶然、偶発的に生じた結果という可能性も考えなければならない。あくまで、このデータだけで仮定を立てるとすれば、の話だよ」
釘を刺すように、氷室は語尾を強めた。しかし、瑞樹の顔が曇ることはない。
「ほ、ほらな。やっぱり地球以外にも、生命体は存在しているんだ。新、これから忙しくなるぞ」
肩慣らしでもするように、瑞樹は腕を回し始める。このデータを瑞樹に見せるのも時期尚早だったのでは、と新が視線で氷室に訴えると、氷室も同じことを感じ取ったのか、呆れるように薄くなった頭を掻いた。
「とにかくだ。いま氷室さんが言ったように、このデータだけじゃなんとも言えない。もう少し分析、解析を進めていこう」
瑞樹の心に訴えるように、新は声のボリュームを上げたつもりだったが、「あと少しだ……」と呟く瑞樹には聞こえてすらいないようだった。ただ、このデータのお陰で何らかの可能性が生まれたことに違いはなく、その気持ちは痛いほどにわかる気がした。
「新くんの言う通りだよ。一先ずこの結果についてはあくまで仮説、ということで、今朝先方には報告をしている。こういう未知のものは、何が起こるかわからないからね。慎重に進めていこう」
「はい!」
どこぞの国の軍隊のような返事をして、瑞樹はやる気に満ち溢れた表情で自席に座った。
だが、その期待が形になることはなく、この日はこれ以上、何も見つかることはなかった。