母親と飛行機に乗って東京までやって来たのは、それから二週間後の週末のことだった。お母さんにとっては二週間ぶりの東京だろうけれど、私は初めてだった。幼い頃から病気だったので、心臓移植をする前は遠出なんかしたことがない。移植をした後も、飛行機に乗るような機会はなかった。

 空港に降り立つと想像以上に人が溢れていて、ここが東京か、と感慨深い気持ちになる。桜晴が生まれ育った場所。気のせいかもしれないけれど、桜晴の心臓が、故郷に帰ってきて喜んでいるように感じられた。
 桜晴の住んでいた町は郊外なので、空港からは長いこと電車に揺られていた。郊外とはいえ、電車は最後まで混み合っていて、北海道の違いを見せつけられた気分だ。私は、乗り換えの度に駅で他人と肩をぶつけないようにして歩くので精一杯だった。お母さんは何度か東京に来ているので慣れていると思ったのだけれど、私と同じように頑張って人波を避けていた。

「昔、お父さんが東京に連れて行ってくれたことがあったの。『美空(みそら)、都会の肉はうまいぞ』って焼肉屋さんに連れて行ってくれた。なんで東京まで来て焼肉なんだろうって思うわよね。私はてっきりお台場の夜景とか、浅草の観光地とか、東京らしいところに行けると思ってたから拍子抜けしちゃって。でもね、お父さんは破天荒な人で、そういうところが好きだったの。結局、お肉は北海道の方が美味しかったんだけど。お父さんが私を楽しませようとしてくれてるのは伝わってきて、嬉しかったな。美雨と三人でも行けたらもっと楽しいだろうなって、ずっと思ってたわ」

 お母さんがお父さんとの思い出話を語るのを、私は窓の外の移り行く景色を眺めながら聞いていた。北海道のお肉、桜晴にも食べさせてあげたかったな——なんて、自然に彼のことが浮かんで、また胸がツンとした。

「もうすぐ着くみたいね」

 電車のアナウンスが、桜晴の住む町の名前を告げた。
 つい二週間前まで、私が桜晴として生活していた、馴染みのある地名を聞いて切なさがぐんと増す。たった二週間のことだけれど、現実では三年の月日が流れている。町並みも変わっているかもしれないと思いつつ、変わっていなければいいな、と自然に願っていた。
 やがて目的の駅に辿り着き、改札を潜り抜けると、私は迷わず左の道に出た。

「あら、道分かるの?」

 不思議そうに母が首を傾げる。いけない。母から桜晴の家の住所は聞いていないんだった。

「あ、なんとなくこっちかなって……当たってた?」

「ええ。合ってるわ。勘が冴えてるわね」

 母が適当な誤魔化しを信じてくれてほっと胸を撫で下ろす。
 桜晴の町は、三年前と変わらず、閑静な住宅街のままだった。でも、歩いているうちに、時々知らないスーパーや飲食店が現れてどきりとする。たった三年の間にも、店は入れ替わる。何度も目にした風景の中に溶け込む異物が現れたようで、目が眩んだ。

 切なさや、懐かしさでエモーショナルな気分に浸りながら、母と並んで静かに道を歩いた。今にも前方から桜晴がやって来て、初対面を果たすのではないか——なんて、ありもしない妄想が頭の中に浮かんでは消える。心臓移植の相手が桜晴だったというのは何かのドッキリで、私と桜晴を引き合わせるために、お母さんが仕込んだ罠だったらいいのに。浅はかな願いに胸を焦がしながら、ただひたすら前へと進んだ。

「ここよ」

 現れた一軒の戸建ての家を指さして、お母さんは足を止める。「鳴海」という表札の掲げられた見慣れた家を、「我が家」としてではなく来客として訪問することになるなんて、思ってもみなかった。
 母が、インターホンを鳴らす。軽快な音がその場に響き渡る。途端、私の心臓はドクドクと大きく鳴り始めた。「我が家」に帰ってきた桜晴が反応しているのか、はたまた私自身が緊張しているからなのか。どちらも正解のような気がした。
 少し待って、カチャリ、という鍵の開く音がして心臓が跳ねた。