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「高い材料買うと自分が貰う金額減っちゃうんですよ? 良いんですか?」

「良いんだよ。どうせなら俺も凝ったもの作りたいんだよ」

 帰りに先輩と近所のスーパーに寄って、そんな会話をした。先輩がカゴの中に入れていく材料を見ても、俺には一切何を作るのか予測が出来なかった。

「うわぁ、すげぇな。キッチンも広いし、綺麗だし、これは汚さねぇようにしねぇと」

 家に入るなり、暫く誰も使っていないキッチンをまじまじと見ながら、先輩はそんなことを言った。その姿を見ながら、適当な紙とペンを用意する俺。

「先輩、一応、手書きですけど、契約書にサインしてもらって良いですか?」

 リビングのテーブルに着いて、俺は先輩を呼んだ。

「お前、それ、パチンコ屋の広告の裏じゃんか」

 向かいに座った先輩につっこまれた。彼の言う通り、白い紙の裏にはカラフルなパチンコ屋の宣伝が印刷されている。

「道端で配ってたんで」

「未成年に?」

「身長で勘違いされたんですかね」

 さらっと答えて、俺は裏紙に契約の項目を書き、それを同時に大きな声で読み上げることにした。

「一、先輩との契約は一年間とする。――三年になったら先輩も受験とかあると思うので、取り敢えず、一年契約にしましょう」

「おう、それが良いだろうな」

 俺が一項目を読み上げると先輩も納得したように頷いた。甲とか乙とかは、よく分からないから使わない。まあ、俺と先輩だけが分かれば良いだろう。

「二、先輩に払うお金は一日一万円とする。ただし、そこから材料費などを引く」

「三、休日は来ても来なくても良しとする。来た場合は平日と同じように料理をしてもらい、その代わりにお金を払う」

「四、先輩がうちに滞在する時間は先輩の家族が心配しない時間までとする」

「五、都合が悪いときは無理して来なくても良い。ただし、ずる休みをする毎にもらえるお金は減ることとする。来られないときは理由と共に連絡すること」

「おい、なんか多くないか?」

 カリカリと紙に高速で文字を書いていく俺を見て、先輩が焦ったように文句を言い始めたけれど、今、どんな顔をしているだろうか。

「六、学校でも普通に接すること。無視したりしないこと」

「七、特別な用事が無ければ一緒に家に帰ること。そのときにスーパーにも一緒に寄ること」

「八、俺と一緒に居る時間を大切にすること。俺に対して雑な扱いはしないこと」

「ちょっ、待てって、なんかどんどん増えて……」

「九、先輩、俺と……」

「なんだ?」

 ピタリと止まる俺を見て、先輩が困惑しているのが雰囲気から感じ取れる。

 ――あっぶない、付き合ってください、って書こうとしてしまった……。平常心。平常心。

 自分の欲望をぐっと堪えてペンを走らせ、そして読み上げる。

「九、先輩、俺と……たまに遊んでください」

 一瞬の沈黙。

「ぷっ、それお願いじゃねぇの? まあ、いいけど」

 どうやら、上手く切り抜けたようだったが、笑われてしまった。先輩が楽しそうなら、まあ、良いか。

「改めまして、盛満 傑(もりみつ すぐる)です。宜しくお願いします」
染谷(そめや)……だ、よろしく」

 ――あれ? 下の名前教えてくれないんだ? でも、まあ、サインしたら分かってしまうんですけどね。

 ぺこっとお互いに頭を下げ、俺はにやけそうになる表情筋を必死に操作しながら、先輩に紙とペンを差し出した。それを受け取った先輩は、なにか少し躊躇しながら、少ししかなくなってしまった裏紙の隙間に自分の名前をフルネームで書いていく。

「莉央……」

 先輩のフルネームは『染谷 莉央(そめや りお)』で、俺は小声でそれを口に出しながら、眉間に右手を当てて自分の顔を隠した。

 ――はぁ……名前まで可愛いとか俺を殺す気かよ……。

 こんな欲望ダダ漏れの瞳で先輩のことなど見られない。しかし、俺には先輩に言っておかなければならないことがある。

「あと、先に言っておきますけど、俺、先輩の顔がすごく好みです」

 先ほど、契約の項目、九で切り抜けた理由がなくなってしまったわけだが、まあ良いだろう。勝手に納得して、先輩を見つめる俺。やはり顔が好みだ。

「はぁ!? なんで、サインしたあとに言うんだよ!?」

 俺がスッと取り上げた契約書を、手を伸ばして奪い返そうとする先輩だったが、残念、一緒に立ち上がっても身長が届かない。

「だって、先に言ったらサインしなかったでしょう?」
「ばっかじゃねぇの、お前! 卑怯だろ?」

 テーブル越しでは絶対に無理だと思ったのだろう。こちら側に来ても多分無理なのだが、先輩は俺の真横まで来て、背伸びをし、契約書を取り返そうとした。しかし、せっかく先輩と仲良くなれるチャンスが来たのだ。絶対に逃さない。

「嫌われるリスクを負いながらも正直に言ったんですから許してくださいよ」

 先輩と向き合って契約書を斜め後ろに上げながら俺はさらりと言った。もう何も怖くはない。なんたって、ここには先輩との契約書(強い絆)があるから!

「変なことしたら許さねぇからな?」

 手が届かないと分かりながらも一縷の望みを信じているのか、先輩は諦めずに手を伸ばしてくる。

 ――近い……。可愛い。このままギュッとしたい。

「変なことって?」

 意地悪く尋ねてみる。

「それは……っ」

 俺の言葉で先輩の動きがピタリと止まり、みるみるうちに顔が赤くなっていく。

 ――一体、何を想像したんだろう。真っ赤になってて可愛いな……。やばい、顔がにやけそう。でも、先輩をいじめるのはこれくらいにしておこう。

「先輩、俺、腹減りました」
「お前なぁ! 先輩を揶揄うんじゃない!」
「痛って!!」

 めちゃくちゃ脇腹を叩かれた。

 ――あ、冗談だと思われたっぽい。まあ、今はいっか。