この件について、加藤は何も情報を持っていないようなのであえて話さないでおいたのだが……。
 亜恋は、とある事情により、噂ではなく実際に、宵町闇が告発文の犯人であったことも知っている。
 ――そもそも宵町闇は、《とある人物とのトラブル》により、本来書きたかったジャンルではないホラージャンルで、身分を隠して第五回ノベルマーケット大賞にエントリーしていた。
 ノベルマが投稿サイト初上陸だというのは嘘で、自分を偽っての創作活動に、疑問と葛藤を抱きながらもやるからには勝ち上がりたいという前向きな気持ちで挑んだエントリー直後。
 偶然作品を読みにきた〝青木春奈〟のうっかりミスによって、自身の大事なプライベート情報が深夜のツブヤイターにひっそりと解き放たれる。
 青木と断交してこれ以上の情報漏洩防止を徹底したにも関わらず、一次選考結果発表間際には〝ぷんぷん丸〟に目をつけられ、自身の触れられたくない過去が暴かれるかも知れない脅しにストレスを抱えながら迎えた『受賞候補作発表』の瞬間。
 そこに《因縁のトラブル相手》の名前があったのを認めた時、宵町闇は漠然とした形で『告発』を思い立つ。
 アイツ―― 《因縁のトラブル相手》――にだけは、〝大賞〟を渡したくない。
 やるならば、徹底的にやってやる。
 そうして宵町闇は、くだんの『告発文』について、綿密な構想を画策し始める。

 ファンタジー部門の田島チイトは、脅しの犯人が、彼の仕業ではないかと睨んでいたこともあり、偶然誘われた茶会にて、離席の隙をついて確証がとれたため、告発文に巻き込んだ。

 エッセイ・ブログ部門の日暮セイは、かねてから誹謗中傷や脅しの犯人を特定しようとネット情報を漁っていた時にランキング不正の疑惑に辿り着いており、不正が許せなかったから、巻き込むことを決意した。

 青春部門の青木春奈は、誰にも触れられたくない自身の秘密を、不可抗力とはいえ世間に垂れ流してしまったことへの報復……という大義名分もあったが、一番は、かねてから彼女が毒親やパパ活に悩んでいたことを知っていたため、決別の背を押すためにも、告発文に巻き込むことにした。

 ホラー・ミステリ部門にノミネートされた自分自身の作品は、告発文を公表することによって、大なり小なり他人の人生を潰すことへの代償として、それが必須条件だと感じていた。

 そして、恋愛小説部門の皇愛莉は――。

「……ほんっと亜恋さんお詳しいなあ。まあ、ご自身の盗作被害にあった作品が絡んでいるわけだから、そりゃ詳しくチェックもしたくなるんでしょうけども」
「そりゃそうですよ。私、こう見えて意外と執念深いし、『相手が認めるまで絶対許さない&炎上覚悟で戦って何がなんでも謝罪させる』タイプなので……」
 亜恋はタブレットから顔をあげ、えへ、と愛想よく笑う。
「えー。でも亜恋さん、盗作被害を訴えて相手に突っぱねられた時、泣き寝入りするしかない精神的ダメージで活動休止に入ったって、気弱な感じのこと言ってませんでしたっけ??」
 何も知らない加藤が小首を傾げる。そんなの建前に決まってるじゃないか、とは、口が裂けても言えなかった。亜恋が「それはそうなんですけどお」と、曖昧に笑ってはぐらかしていると、ふと、加藤が何かに気づいたように小難しい顔で腕を組む。
「あれ……そういえば、亜恋さんが活動休止されてたのって、ちょうどその第五回のノベ大さんの開催期間とかぶってませんっけ? ひょっとして、『活動休止』とかいいつつ、実は別名義とかでノベ大さんに参加されてたとか、そんなわけないですよね⁉︎」
 おそらく加藤は、戯れのつもりで言ったのだろう。
 鋭い指摘にくすくすと笑った亜恋は、
「……バレました?」
 と、あざとく小首を捻り返す。
「へっ⁉︎ いや冗談だったんですけど……まさか本当に参加されてたんですか⁉︎」
 間に受けた加藤は、素っ頓狂な声を出して、身を乗り出してきた。
「実はそうなんです。っていっても、別名義でこっそり、ですけどね」
「ちょっとちょっと亜恋さん水臭いじゃないですか、教えてくださいよー。なんていう名義なんですか? もし作品残ってるなら読ませて欲しいですけど!」
 前にのめりすぎだ。亜恋はもったいぶるようにすっとぼける。
「ありがたいんですけど、恋愛ジャンルではないので、加藤さんのお好みじゃないかも」
「そうなんですか? なんのジャンルなんです?」
「ホラーです」
「ホラー⁉︎ え、じゃあ、別名義は……?」
 半信半疑といった感じで興味本位に尋ねてくる加藤に、亜恋は微かに目を細めて答えた。

「『宵町 闇』です」

 その名が、第五回ノベルマ大賞受賞候補者の一人であろうことに思い当たった加藤が、目を見開いて驚愕すると、亜恋は曇りのない表情で微笑う。
 それぞれの受賞候補者を道連れにしたのは、彼女からのささやかな報復だ。
 あれから三年――。
 誹謗中傷をやめ、本気で作品作りに取り組み、好きなものを書いて頭角を現し始めた田島チイト。
 素性を隠すのをやめ、自分のありのままの姿で楽しそうに毎日を語るヒグラセイジ(元・日暮セイ)。
 毒親と決別し、本来書きたかったジャンルで好きなように作品を書き、着実にプロへの道を登り始めている赤草波留(元・青木春奈)。
 盗作、そして自分を大切にしてくれないブラック会社をやめ、自分のプライベートと趣味を両立させながら、過去の過ちを乗り越えて生き生きとした作品を発表するようになった莉衣亜(元・皇愛莉)。
 第五回ノベルマーケット大賞受賞候補者を辞退し、元の冴えないペンネームに戻りつつも、好きなジャンルで自由に自分の世界を綴り、大切な読者に一作品一作品、丁寧に届ける毎日に戻ってきた亜恋――。

 皆、虚構に囲まれた世界で苦しみながら創作をしていた頃より、今の方が生き生きとして楽しそうに見えるのだが、それは果たして真実の姿なのか、それとも、上辺だけの姿なのか……?
 亜恋はそれぞれのSNSで、今日も自分の創作に向き合う彼らの投稿を眺めながら、ふふっと笑う。
「さ、雑談はここまでにして、加藤さん、そろそろ打ち合わせ始めましょ」
 ――もう、受賞候補者たちのエトセトラはいらない。
 もしまた次にぶつかり合うことがあったら、その時は容赦せず、作品そのもので勝負しよう。
 そうしていつか、堂々と勝負して、『受賞』という名の冠を手にしてやる。
 泣いても笑っても、どんなに辛くても苦しくても、自分たち書き手は、書くことでしか前には進めないから。
 果てない闘いと挑戦を前に、亜恋はきゅっと口元を引き締めて姿勢を正すと、新作の発表に向けて、編集担当者と白熱した議論を交わすのだった。



 ―了―