「やっぱりですか。……いやあ、でもそれ聞いた時、本気でびっくりしましたよ。僕、いまだに解せないんですけど」
「そりゃ私だってびっくりしたし、今でも信じられないわよ」
「どうして彼女は、自滅を覚悟してまであんな告発文あげたんですかね?」
 西に問われ、沙穂は数日前、調査結果を元に、本人と再度面談をしてやりとりした際のことを思い返しながら答える。
「彼女いわく、きっかけは〝ぷんぷん丸〟に脅されたことだったみたいよ」
「〝ぷんぷん丸〟って……田島さんにですか?」
「ええ。そもそも彼女は、例の親殺しの件、事故であっても自分のことを責め続けているじゃない。息苦しい生活の中で、創作活動を唯一の心の拠り所にしていたのに、なにも知らない第三者に自分の罪を咎められたり、脅かされたりするのは相当苦痛だったんだと思う」
「なるほど……。確かに宵町さんって、口調はきついけど、ああ見えてかなり生真面目そうなところありますもんね」
 腕を組んでうんうんと頷く西に、沙穂は相槌を打つ。
「そうなのよね。まあそれで、このままじゃたとえ受賞したって永遠に不当な脅しの影に怯えることになる。だったらもう自滅も辞さない覚悟で、〝ぷんぷん丸〟の正体を暴いてやろうっていうのがそもそもの発端だったらしいわ。……でも」
「……でも?」
「受賞候補者の仕業だと睨んで調べていくうちに日暮さんの不正に気付いて、皇さんと青木さんの疑惑にも偶然たどり着いて、大賞には相応しくないと思ったから全員を巻き込むことにした、って本人は言ってるんだけど……」
 沙穂は言いながら、西と同じように腕を組み、小難しい顔でうーんと唸った。
「なんか解せないって顔、してますね?」
「だって、変じゃない。西くんだってシステム課から回してもらった、削除済みの告発文画像、見たでしょ?」
「……? はい、見ました」
「あの告発文にはたくさんのソース画像が貼ってあった。本人の件に関する画像や、本人が実際に会った時にこっそり写真を撮ったっていう田島さんのアイコン切り替え画像、検索して調べれば出てくる日暮さんの不正証拠ならまだしも、〝皇さん〟と〝青木さん〟の告発に使われていたソース画像って、調べようと思っても全然出てこないのよ」
 一瞬、きょとんとした顔で沙穂を見る西。彼は組んでいた腕を外して、顔にかけていた黒縁メガネを押し上げると、身を乗り出すように問うた。
「そうなんですか?」
「ええ」
「二人のソース画像って確か……皇さんは、各種投稿サイトのレビュー欄にあげられたパクリ指摘の画像と、ツブヤイターで揉めてるDMやりとり画像。青木さんの方は〝Jおぢたん〟とかってやつの画像でしたよね?」
「ええ。どちらもすでに削除済みになっているせいか検索にはヒットしないの。特に皇さんのDMやりとり画像の方は、検証サイトに載ってる画像ってわけでもなかったから、今は活動していない被害者と密接にコンタクトを取らないと入手できないような画像じゃないかな」
「あーなるほど……」
「もしも彼女が執念でたどり着いたんだとしたら、それこそホラーじゃない」
 眉間に皺を寄せる赤入に、西が納得したように何度も頷きを返した。
「言われてみれば確かにそれは謎が残りますねえ」
「まあ、彼女、時間だけはあるようだから、執念で調べたり、証言者をかき集めて裏を取ったっていうなら納得はできるんだけどね。そこまでするかなあって……」
 沙穂は手元の資料を机に伏せ、椅子の背もたれに体を預けて、逡巡するようになにもない宙を見つめる。西はぽりぽりと頬をかきつつ、先輩編集の蟠りを払拭してやることにした。
「自滅覚悟の告発文をあげるぐらいですし、それぐらい執念と正義感が強かったってことなんじゃないですかね?」
「そうね……。彼女がそう言ってる以上、そう思うことにするしかないのよね」
「気持ちはわかりますし残念ですけどね。僕らにはもう調べようもないことですし……」
 心底そうにこぼす西に、沙穂は諦めたような嘆息を吐き出す。
「わかってる。もう終わったことだし、これ以上、クビを突っ込むのも良くないわよね」
「そういうことです。……それはそうと、その後の彼女はやっぱり、意思は変わらないんですか?」
 空気を変えるように尋ねられた沙穂は、手元の資料を見つめながら、悲しい現実を認めるよう、
穏やかな声でつぶやいた。
「……ええ。『もう、全てが終わったから』って。お世話になってる読者への挨拶が済んだら、もう二度と、宵町闇として作品は書かないって」
「そうですか……。まあ、心無い人間から今後ずっと殺人者呼ばわりされて事故のことを思い出すのも辛いでしょうし、そうなりますよね……」
 西のため息に、沙穂は静かに頷く。
 沙穂は最後の面談で、『宵町闇』はもう終わりにする、『新しいペンネームも二度と立ち上げない』と宣言した彼女の表情を思い出し、その決意は固いであろうことを確信していた。
 あれだけ才能がある彼女が筆を置くだなんて残念すぎる現実だが、彼女にとってはそれが、告発文の『代償』なのかもしれない。
 我が強いように見えて、その実、事故を自分のせいだと言い張る繊細な感情をも持ち合わせている彼女のことだ、きっと、他人の未来を奪ったことにもそれなりの責任を感じているのかもしれない。
「……過去イチ良作揃いの伝説回になると思ったんだけどなあ」
「前代未聞の伝説回には変わりがないと思いますよ?」
「それもそうね、これも勉強だわ。……いつかまた、彼女たちが自分の過ちを乗り越えて戻ってきてくれるといいわね」
「そうですね……」
 沙穂はそっと目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をするように大きく息を吸ってから、ふうと吐き出す。
 すっきりしない謎は残ったままだが、いつまでも立ち止まっているわけにもいかない。
 気持ちが落ち着くと、目を開け、背筋をシャンと伸ばし、前を向くように頬を叩いて、机の端に寄せていた原稿の束を引き寄せる。
「さて。仕事仕事。来月刊の校了が終わったら、次回の大賞に向けて動き出さないと」
「ですね。僕も次回からはサブ担入りますんで、たくさんフォローします。次回こそ、スターライト出版の名に恥じない名作を生み出しましょう!」
 後輩編集の心強い励ましに背を押されるよう頷いてみせると、沙穂は手元の原稿に視線を落とし、今、自分ができる精一杯に意識を集中させるのだった……――。

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