――20××年4月末日、スターライト出版 書籍編集部第三課。
小説投稿サイト『ノベルマーケット!』の公式サイトにて、今期のノベルマーケット大賞の最終結果が発表された。
自分のデスクで該当ページの確認を行った【ノベルマーケット大賞 担当編集者:赤入 沙穂】は、机に突っ伏しながら、大きなため息をこぼした。
(ああ、終わった……)
何者かによる公式掲示板への真偽不明の告発文の書き込み、削除によって注目を浴び、荒れるに荒れた第五回の大賞選考。他部署と連携して調査を進め、部内で再三話し合い、コンテストの中止も幾度となく検討されてきた本選考だったが、最終的な落としどころが、今確認したページの通りだった。
「出ましたね、結果発表。〝大賞なし〟に、必要最小限の不正報告。これでよかったんですかねえ……」
机に突っ伏していた沙穂に、通りがかりと思しき後輩社員の西が声をかける。
沙穂はのそりと上体を起こすと、苦笑を覗かせながらぼやいた。
「仕方ないわよ……。編集部はあくまで受賞候補作に対しての評価を公正に行うだけ。事実の調査にも限度があるし、余計な情報を開示すれば憶測が憶測を呼んで、悪戯に騒ぎが大きくなるだけだもの」
沙穂のぼやきに、西がつられるように苦笑している。
「あー、まあ……ですよねえ。でも、五作品中四作品が受賞辞退を申し出てきただなんて、もはや前代未聞の伝説回じゃないですか」
それを言われると耳が痛い。沙穂はまた一つ、大きなため息を吐き出した。
「本当、前代未聞すぎるわよ。色々見抜けなかった自分にもへこむけど、どれもこれも純粋に作品はいいと思って推してたから、全っ然笑えないわ」
西のいう通り、ヒアリングの後、四人の候補者たちが受賞辞退の申し入れをしてきた。
一人はエッセイ部門の日暮。ヒアリングの際に自白したことがきっかけで過去の不正が発覚し、サイトの規約違反によってアカウントの停止処分を受けた。
二人目は田島。彼もヒアリングの際に誹謗中傷の事実を認めており、調査を行った結果、ノベルマの別アカウントにて他ユーザーへの複数の批判コメントが確認された。だが、相応の読書記録も残されており、作品をきちんと読み込んだ上でのコメントであろうことがすでに確認されている。その内容について、誹謗中傷ととるべきか辛口批評と取るべきか非常に悩ましいラインのものが多く、結果、厳重注意として処分を終えた。
なお、これはあくまでノベルマ内にて確認されたコメントに対するもので、他サイトのコメント等に関しては処罰の対象には入っていない。また、ノベルマでは、これをきっかけに複数アカウントの登録を禁止する方向で規則改正を進めるという話が持ち上がっている。
三人目は皇。彼女はヒアリングの際は盗作の事実を完全否定していた。だが、なんの心境の変化があったのか、その後、事実を認める旨の連絡と、選考辞退の申し入れがあった。
もちろん、事実を確認する調査も行ったのだが、何より比較対象となる作品が軒並みネット上から削除、あるいは非公開にされており、本人が証言していること以上の事実確認が困難であるため、社内的には盗作との認定には至らなかった。
「いやでも……今でも信じられないんですが、恋愛部門の皇愛莉さんの作品って、結局、盗作だったんですかね?」
「わからないわ。本人はアイデアとストーリー展開を似せて作ってしまったと話していたけど、そもそも元となる作品が消されてるからね……。例の検証サイトから辿って被害を受けた作者に話を聞こうにも、活動やめてる人ばっかりでコンタクトも取れないし」
「ううむ、そうなんですね……」
「まあ、本人が認めている以上、どのみち受賞候補の対象からも外れていたはず。彼女はとても女性の心を掴むのが上手くて、魅力ある作品を書ける子だったから……本当に残念」
残念なんてものじゃない。ノベ大の担当者である沙穂は、彼女の作品に大きな魅力を感じ、部内でも再三プッシュするほど期待をかけていただけに、落胆の色が隠せなかった。
「本当、残念ですねえ。盗作って本当に難しい問題ですから、その辺り、編集部としても今後どう対応していくか、重大な課題になりそうっすね」
「ええ、そうね」
なにもない宙をぼんやりと見つめて、抑揚のない返事をする沙穂。
残念だが、もう気持ちを切り替えていくしかない。
沙穂は短く息を吐き、手元の資料を手繰り寄せる。
そしてもう一人、受賞候補を辞退した四人目はというと――。
「そういえば、青木さんと宵町さんも、例の告発文の内容自体は、リスニングの際に認めてるんですよね?」
ふと気になったように、西が首を捻る。
沙穂は指で資料の束を弄びながら、ポツリと答えた。
「そうね、宵町さんは認めてる。ただ、青木さんはご本人は認めてる感じだったけれど、母親の方が完全に否定していて断固として認めてない感じだったわ」
「あー……聞きました! あのお母さん、編集長まで巻き込んで、相当やばかったらしいですね。告発文の犯人の情報開示をしろとか、名誉毀損で訴えるだとか、慰謝料ふんだくるとか……」
沙穂は当時のことを思い出し、乾いた笑いを浮かべる。
「うん、まあ、あのお母さんは元からちょっとそういうところがあったからね。結局、彼女はそのまま選考が進んで奨励賞に決まったはいいけど……」
「『なんでうちの子の作品が大賞じゃないんだ、やはりあの告発文の影響で不当な評価にされたんじゃないか!』って編集部にクレームの電話がかかってきたんすよね……」
「よく知ってるじゃない」
「僕の同期が偶然その電話とっちゃったらしくて、散々怒鳴られてメンタルやられたと嘆いてましたよ」
「それは御愁傷様だわ……」
顔を顰める沙穂に、西は心底同情するように苦笑していた。
視線を西から外した沙穂は、やるせない表情をして続ける。
「青木さんと宵町さんの件は、あくまで今回の作品には全く関係のない、個人のプライベートの話だからね。告発文の内容が事実だったとしても作品に対する評価は変わらない。当然、不当な評価なんてするはずがないんだけど、どうにもお母様には信じてもらえない様子だったわ」
「あー。あのお母さんは単に500万欲しくてゴネてただけですよ、きっと。赤入先輩が気にやむところじゃないと思います」
「そう思えるよう気持ち切り替えるつもりだけど……やっぱり滅入るわよね」
「まあ、気持ちはわかります」
「いずれにせよ、どれだけゴネられても受賞辞退さえなければ、大賞とってたのはきっと、青木さんじゃなくて『彼女』の方だったしね」
沙穂がポツンと呟いた言葉に、西がぴくりと反応する。
「それってやっぱり……ホラー部門の宵町さんのことですか?」
西の問いに、沙穂は静かに頷く。
そう。四人目の受賞辞退は、ホラー・ミステリー部門の宵町闇だ。
リスニングの際に、告発文の内容についての全容を聞き、編集部としては多少の懸念は残っても受賞には問題がないと判断していた。なぜならば彼女の場合、あくまで不慮の事故が原因であり、『犯罪者』という事実はないからだ。
だが――。
「ええ。順当に進めば、彼女の作品が最も有力候補だったのに……どうしても辞退するって」
「もったいない。それってやっぱり、『例の件』に対するケジメみたいなもんすかね?」
辺りを憚るようにして尋ねてきた西に、沙穂は苦笑を一つこぼしてから、神妙な顔で頷く。
そして、指で弄んでいた資料を一枚摘み上げ、まじまじと見つめた。
それは例の告発文の書き込みについて調査を行っていた部署、管理本部システム課の担当者から回ってきたもので、調査の結果、例の告発文の書き込み・削除を行ったユーザーのIPアドレスが、ある受賞候補者のものと一致した、との旨が記されている。
特定されたその『ある受賞候補者』というのが、まぎれもなく、ホラー・ミステリー部門の〝宵町闇〟のことだったのだ。