◇
ほどなくして説得を成功させた青木が、日暮を連れて戻ってきた。
身長は百七十センチほどだろうか。くたくたになったカーキ色のモッズコートにチノパンを穿き、足元はボロボロのスニーカー。伸び放題の黒髪はボサボサで、表情には覇気がない。目の下にはくっきりとクマが浮かんでいた。
「皆さん、お連れしました。日暮セイさんです」
ハラハラしているのを隠せないような控えめな声で、青木が日暮を紹介する。
「……」
紹介を受けても何も言わず、ただ不機嫌そうな態度を示す日暮。
唖然とする愛莉と田島。相変わらず興味がなさそうにしながらも一応は顔を上げて日暮を見る宵町。三者からの注目を浴びた『彼』は、刹那、いかにも殺気立った表情で一同を睨みつける。
まるで一触即発。ヒリヒリした空気が室内を包み込んでいた。
「ど、ども。田島チイトです。い、いやァまさか、主婦さんだと思っていたセイさんが、まさかの主夫さんだったとは……」
空気を読んで、場をなごますように田島が遠慮がちな自己紹介を挟むと、日暮はキッと田島に視線を注ぎながら、皮肉めいた発言を返した。
「自分は別に、今まで一言も『主婦』だと明言したことはないけど? まあ、あえて誤解されやすいような言動をとったり、〝パパ友〟より〝ママ友〟って言葉を意識して使ったり、それっぽいエッセイ記事を書いたり、ゲームのアバターもわざと女キャラを選んでたけど、そんなの今じゃ普通にあることだし、周囲が勝手に勘違いして『ママ』だと思いこんでただけだろ。何か問題でも?」
「あ、いえ、ないっす! 全然問題ないっす! ただ、その、意外だなあと思って……はは」
果敢に攻め込んではいくのに、やはり最後は頼りなく尻すぼみになってしまう田島。
田島に救いを求めるような視線を投げられた愛莉は、引き攣った笑いを交えつつ、会話をつなぐ。
「あ、あの、初めまして。皇愛莉です。いつもツブヤイターでつぶやきを拝見してました。そ、その、わたしもてっきり女性かと思い込んでいたので、びっくりしました」
「……」
「あ、もちろん、驚いたってだけで、責めてるわけじゃないですよ。ただ、今の世の中なら男性の育児参加も当たり前になってますし、シングルファザーでも珍しくないような気がするんですけど、なぜパパではなくママに見えるようなそぶりをとってたのかなって……」
「――ふぅん。アンタが皇さんね。想像通り、上品で隙のない綺麗なお姉さんって感じか。やっぱり仕事もプライベートも充実してるバリキャリは違うねえ」
半ば話を遮るよう、つっけんどんに会話を捻じ曲げてくる日暮。田島の時はまるでスルーだったのに、愛莉の自己紹介に関しては妙に前のめりな食いつき方だった。
今までツブヤイターで接してきた態度とはまるで違う。前提として『告発文』に対する怒りがあるからだろうとはわかりつつも、やはり愛莉は、その剣幕に戸惑いを隠せなかった。
「いや、あの。別にそこまで充実してるわけじゃ……」
この人に、いったい自分の何がわかるのだろう。
プライベートが充実? 実際はそう見せかけているだけ。自分にだって色々ある。この人に自分の本質など何一つわかるはずがないのに勝手なことを言わないでほしい――と、そう言いかけそうになるのをグッと堪える。
それはきっとお互い様だ。自分だって日暮のことを、時間が有り余っていて趣味でエッセイを書いているお気楽な専業主婦、ぐらいに思い込んでいた。
実情は……きっとそうではない。日暮の疲れきった表情と、手抜きがすぎる髪型や服装を見れば、それは一目瞭然だった。
「謙遜しなくても、アンタの普段の充実感万歳の呟きや、小綺麗なナリを見ればわかるっての。なんで俺が自分の性別をはっきり公表しないでいるかわかるか? わからないよな、アンタには。いつも『忙しいけど毎日頑張ってキャリア積んでます』みたいな、上昇志向が強い自分に酔いしれてる感じの呟きを、育休者への当てつけのように垂れ流してるもんな」
「! け、決してそんなつもりは……」
「どうだか。アンタにそのつもりはなくても、俺にはそう見えたけど」
日暮の毒吐きが止まらない。よほど鬱憤が溜まっていたのか、目を血走らせて、延々と愚痴を吐く。
「ま、確かに俺はアンタと違って休職中だし労働力も皆無だよ。産後鬱の嫁が生後間もない双子を置いて出て行っちまったからな。俺が面倒を見なきゃどうにもならない状況だったから出世ルート外れるのを覚悟して会社に育休申請……したはいいけど、うちはそっちと違って理解のない零細企業なもんで、パタハラからのリストラ示唆で半ば追いやられるように事実上のクビとか。労働環境のアップデートが追いついてない現代社会の悪いとこ総取りみたいで笑えんだろ?」
「な……」
自虐的に笑う日暮。思っても見なかった事実に、愛莉はただ動揺して彼の愚痴を受け止めることしかできない。
日暮はさらに続ける。
「――で。保活、転職活動しながら二十四時間ろくに寝ずに子守してっけど、何もかもうまくいかないし、気持ちばかり焦って死にたくなるし、かといって子はほっとけないし、憂さ晴らしに生産性のない毎日をツブなりエッセイなりに正直に書き込もうものなら、アンタみたいな上昇思考バリバリのバリキャリに『男なのに』『甲斐性なさすぎ』って見下されのは確実だろ。そんな惨めな思いをするぐらいならせめて女のふりして沽券を保った方がマシだと思って、本来の性別を黙ってたってわけ」
まくしたてるよう、一息で一気に鬱憤を吐き出し、ゼエゼエと息を切らす日暮。
愛莉は口を挟まなかった。いや、あまりの剣幕に、口を挟『め』なかった。
ほどなくして説得を成功させた青木が、日暮を連れて戻ってきた。
身長は百七十センチほどだろうか。くたくたになったカーキ色のモッズコートにチノパンを穿き、足元はボロボロのスニーカー。伸び放題の黒髪はボサボサで、表情には覇気がない。目の下にはくっきりとクマが浮かんでいた。
「皆さん、お連れしました。日暮セイさんです」
ハラハラしているのを隠せないような控えめな声で、青木が日暮を紹介する。
「……」
紹介を受けても何も言わず、ただ不機嫌そうな態度を示す日暮。
唖然とする愛莉と田島。相変わらず興味がなさそうにしながらも一応は顔を上げて日暮を見る宵町。三者からの注目を浴びた『彼』は、刹那、いかにも殺気立った表情で一同を睨みつける。
まるで一触即発。ヒリヒリした空気が室内を包み込んでいた。
「ど、ども。田島チイトです。い、いやァまさか、主婦さんだと思っていたセイさんが、まさかの主夫さんだったとは……」
空気を読んで、場をなごますように田島が遠慮がちな自己紹介を挟むと、日暮はキッと田島に視線を注ぎながら、皮肉めいた発言を返した。
「自分は別に、今まで一言も『主婦』だと明言したことはないけど? まあ、あえて誤解されやすいような言動をとったり、〝パパ友〟より〝ママ友〟って言葉を意識して使ったり、それっぽいエッセイ記事を書いたり、ゲームのアバターもわざと女キャラを選んでたけど、そんなの今じゃ普通にあることだし、周囲が勝手に勘違いして『ママ』だと思いこんでただけだろ。何か問題でも?」
「あ、いえ、ないっす! 全然問題ないっす! ただ、その、意外だなあと思って……はは」
果敢に攻め込んではいくのに、やはり最後は頼りなく尻すぼみになってしまう田島。
田島に救いを求めるような視線を投げられた愛莉は、引き攣った笑いを交えつつ、会話をつなぐ。
「あ、あの、初めまして。皇愛莉です。いつもツブヤイターでつぶやきを拝見してました。そ、その、わたしもてっきり女性かと思い込んでいたので、びっくりしました」
「……」
「あ、もちろん、驚いたってだけで、責めてるわけじゃないですよ。ただ、今の世の中なら男性の育児参加も当たり前になってますし、シングルファザーでも珍しくないような気がするんですけど、なぜパパではなくママに見えるようなそぶりをとってたのかなって……」
「――ふぅん。アンタが皇さんね。想像通り、上品で隙のない綺麗なお姉さんって感じか。やっぱり仕事もプライベートも充実してるバリキャリは違うねえ」
半ば話を遮るよう、つっけんどんに会話を捻じ曲げてくる日暮。田島の時はまるでスルーだったのに、愛莉の自己紹介に関しては妙に前のめりな食いつき方だった。
今までツブヤイターで接してきた態度とはまるで違う。前提として『告発文』に対する怒りがあるからだろうとはわかりつつも、やはり愛莉は、その剣幕に戸惑いを隠せなかった。
「いや、あの。別にそこまで充実してるわけじゃ……」
この人に、いったい自分の何がわかるのだろう。
プライベートが充実? 実際はそう見せかけているだけ。自分にだって色々ある。この人に自分の本質など何一つわかるはずがないのに勝手なことを言わないでほしい――と、そう言いかけそうになるのをグッと堪える。
それはきっとお互い様だ。自分だって日暮のことを、時間が有り余っていて趣味でエッセイを書いているお気楽な専業主婦、ぐらいに思い込んでいた。
実情は……きっとそうではない。日暮の疲れきった表情と、手抜きがすぎる髪型や服装を見れば、それは一目瞭然だった。
「謙遜しなくても、アンタの普段の充実感万歳の呟きや、小綺麗なナリを見ればわかるっての。なんで俺が自分の性別をはっきり公表しないでいるかわかるか? わからないよな、アンタには。いつも『忙しいけど毎日頑張ってキャリア積んでます』みたいな、上昇志向が強い自分に酔いしれてる感じの呟きを、育休者への当てつけのように垂れ流してるもんな」
「! け、決してそんなつもりは……」
「どうだか。アンタにそのつもりはなくても、俺にはそう見えたけど」
日暮の毒吐きが止まらない。よほど鬱憤が溜まっていたのか、目を血走らせて、延々と愚痴を吐く。
「ま、確かに俺はアンタと違って休職中だし労働力も皆無だよ。産後鬱の嫁が生後間もない双子を置いて出て行っちまったからな。俺が面倒を見なきゃどうにもならない状況だったから出世ルート外れるのを覚悟して会社に育休申請……したはいいけど、うちはそっちと違って理解のない零細企業なもんで、パタハラからのリストラ示唆で半ば追いやられるように事実上のクビとか。労働環境のアップデートが追いついてない現代社会の悪いとこ総取りみたいで笑えんだろ?」
「な……」
自虐的に笑う日暮。思っても見なかった事実に、愛莉はただ動揺して彼の愚痴を受け止めることしかできない。
日暮はさらに続ける。
「――で。保活、転職活動しながら二十四時間ろくに寝ずに子守してっけど、何もかもうまくいかないし、気持ちばかり焦って死にたくなるし、かといって子はほっとけないし、憂さ晴らしに生産性のない毎日をツブなりエッセイなりに正直に書き込もうものなら、アンタみたいな上昇思考バリバリのバリキャリに『男なのに』『甲斐性なさすぎ』って見下されのは確実だろ。そんな惨めな思いをするぐらいならせめて女のふりして沽券を保った方がマシだと思って、本来の性別を黙ってたってわけ」
まくしたてるよう、一息で一気に鬱憤を吐き出し、ゼエゼエと息を切らす日暮。
愛莉は口を挟まなかった。いや、あまりの剣幕に、口を挟『め』なかった。