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「急なお呼びたてをして申し訳ありません。メールにてご連絡しました通り、ノベルマの公式掲示板に悪質な書き込みがありまして……。もちろん、編集部としても情報を鵜呑みにしているわけではありませんが、内容が内容なだけに、本件について当事者である受賞候補者の皆様からも少しお話しを伺いたいなと思いまして、皇さんにもご足労いただきました次第です」
 三月二日、午後五時。
 予定通りに会社を早退した足でスターライト出版社にやってきた愛莉を出迎えたのは、以前、名刺を貰った〝赤入〟という編集者だった。
 先日説明会の時に対面した彼女は、しなやかな黒髪をアップスタイルにまとめた、小綺麗な女性だというイメージだったが、今日はだいぶ髪の毛が乱れており、表情も疲弊している。
 前回彼女と一緒に出てきた〝西〟という編集者は出てこないのだが、急な面談だったし、別件が忙しいのだろうか。
 そんなことを考えながら、愛莉は赤入と例の書き込みの件についての話を進める。
 愛莉はその場で、近況報告に書き込んだ声明文通りの事情であることを説明をした。
 〝NARERUYO〟で活動していた当時、嫉妬を受けることが多く、執拗な誹謗中傷を受けたり、『盗作ではないか』と言いがかりをつけられたことが度々あったこと。
 そしてその度に、それは誤解であり無実であることを訴えてきたこと。
 今回のことについてもおそらく、その時のやり取りが流出し、それに目をつけた犯人がノベ大の最終選考を引っ掻き回そうと悪戯に書き込んだものなのではないかと推測していることを、丁寧に説明してみせた。
 赤入は何も言わずただ黙って愛莉の話を聞き、最後には「皇さんのお話はよくわかりました」と述べて、ほとんど一方的に愛莉が話をするだけで、約十五分ほどの面談が終わろうとしていた。
 あくまで今日は、告発文についての真偽を決着する場というわけではなく、受賞候補者側の主張を聞くための場なのだろう。赤入はこちらの不安を気遣うようににこりと笑い、
「例の書き込みについては、現在、編集部の方でも独自に調査中です。今日お呼びたてした受賞候補者の皆さんや皇さんの主張も、きちんと踏まえた上で予定通りに最終選考が行われますので、あまり外部の心無い言葉には振り回されることなく、引き続き、ご自身の創作活動等に集中するようお願いいたします」
 そう締めくくって、手元の手帳や資料をまとめようとした。
「あ、あのっ」
 愛莉は思わず、半分腰を上げながら引き止めるような声を投げる。
「はい?」
「その、編集部の方で独自に調査中って……犯人、特定できそうなんでしょうか?」
 今にも壊れそうな心臓をおさえて、愛莉が聞けたのはその一点だけだった。
 他にも、もっと具体的に自分はどうなってしまうのかとか、選考が不利になってしまうのかとか、色々聞きたいことはあったのだが、緊張や不安で頭のなかがうまく纏まらず、それしか出てこなかった。
 赤入はぽりぽりと頬をかくと、苦笑しながら答えた。
「そうですね……。大賞の選考に関わる大事なことですから、現在、該当部署にて極めて慎重な調査が行われているところです」
「そ、それじゃあっ」
「ですが、もし犯人が特定できたとしても公表はしませんし、申し訳ないのですが受賞候補者の皆様にも開示することができません。調査結果の全ては、機密情報や個人情報にもあたりますから」
「……っ」
 それもそうだろう。赤入のいうことはもっともだ。
「そう……ですよね……。すみません、息を荒くして……」
 愛莉は返す言葉なく、ぺたりと椅子に座り込む。その様子を見た赤入は心底申し訳なさそうに眉を顰めながらも、労わるように言った。
「皇さん。お気持ちはわかりますが、調査の結果が如何であれ、あなたの作品には商業として勝負できる素敵な魅力があったからこそ、受賞候補作として選出させて頂いたんです。もしも『盗作』という疑いが、皇さんの主張なさる通りに事実無根なのだとしたら、どうか胸を張って、ご自身の創作活動を続けられてくださいね」
 赤入の言葉が、痛いほど胸に刺さる。
「……」
 労わられて嬉しいはずなのに、優しい言葉をかけられればかけられるほど、自分の不甲斐なさが身に染みて胸が苦しくなるのはなぜだろう。
「ありがとう……ございます」
 目頭が熱くなる。愛莉は赤入の穏やかな笑みを真正面から受け止めることができなくて、俯いたまま頷き、さっと目元を拭ってから応接室を退出すると、早々にスターライト出版の本社ビルを後にした。

(商業として勝負できる魅力、か……)
 ビルを出て信号待ちをしている間、愛莉はぼんやりと赤入の言葉を思い返す。
 めちゃくちゃにされてしまったノベルマ大賞最終選考。辛い思いをしているのは、告発文を受けた自分だけではない。自分の作品を選んでくれた編集部の人たちや、普段応援してくれているファンの子たちだって、悔しかったり悲しい思いをしているはずだ。
(しっかりしなくちゃ……)
 いい加減現実に向き合わなければ。ここまで続けてきた努力を無駄にしてなるものかと、愛莉は意を決してスマホを立ち上げる。
 まずは現状を直視しよう。どうするかはそれから考えることにして、ひとまず、ツブヤイターにアクセスしようとしたのだが、電波が悪いのか、すぐにはインターネットに繋がらなかった。
 信号が青に変わる。スマホを見ながら歩き出そうとして……――。
「愛莉さん!」
「……⁉︎」
 突然、背後から腕を引かれ、驚きでびくりと肩を跳ね上げる。
 振り返るとそこには、愛莉を待ち構えていたと思しき田島が、今にも泣きそうな顔でそこに立っていたのだった。