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(あれ……)
 時刻は二十三時ちょうど。愛莉が通報するボタンを押したところ、〝このスレッドは削除されました〟という文言に弾かれ、不発に終わった。
 そればかりか、ブラウザバックで戻った先には、数秒前まで掲載されていたはずの悪質な書き込みが、綺麗すっかり消えてしまっていたのだ。
(消されてる……?)
 何度更新ボタンを押しても、やはり悪質な書き込みは跡形もなく消えていて、愛莉はまるで悪い夢でも見ていたのだろうかと、狐につままれたような気持ちになる。
 もちろん、想定外の出来事だったためスクリーンショットなども撮っていない。ひとまず目の前から不快で恐ろしい書き込みが消えて多少はホッとしたものの、このご時世、手放しで安堵できるはずもなかった。
[あれ、ノベルマの例の書き込み、消された?]
[運営が動いたのかな? さすがにヤバすぎる書き込みだったもんね]
[でもそのうちスクショ出回るっしょ]
[>シェア参照。もう回ってるっぽいー]
 ツブヤイターのタイムラインが賑わっている。ようやく取り残されていた話題に乗っかった気分だ。
 愛莉の元にも、普段懇意にしてくれている読者アカウントからスクリーンショット付きのDMが送られてきていた。
[愛莉さん! さっきまでノベルマにこんな書き込みが……。これ、嘘ですよね? デマなら訴えた方がいいですよ! 自分も運営に通報しようと思ったんですけど、ノベルマの書き込みはあっという間に消されちゃって。今ではツブヤイターに魚拓が回ってます]
 善意で教えてくれているのだろうけれど、今の愛莉には、認めたくなかった現実を無理やり突きつけられているようで苦しさしかなかった。
 ノベルマーケットの公式掲示板から、何事もなかったかのようにあの告発文が消え去ったというのに、ツブヤイターのタイムラインは今なおひどく荒れている。
 愛莉は項垂れて頭を抱えたまま逡巡した。
 どうすればいい。このままではあらぬ疑いがかけられて大賞どころではなくなってしまう。
 ツブヤイターで声明文を出そうか、いや、文字数制限のあるツブヤイターよりも字数制限のないノベルマのブログのような機能『近況報告』で出した方がいいだろうか。
 混乱する頭であれこれと対応を練っていたそのとき、ツブヤイターのグループDMに新着通知がついた。
[ノベルマの公式掲示板の告発文、書き込んだの誰?]
 日暮からだ。普段の明るさがカケラもない。ひどく激昂している様子が手に取るようにわかる。
 愛莉は激しく動揺した。
 悪質な書き込みは、受賞候補である五人全員に対しての告発文だった。
 必然的に愛莉は、五人以外の誰か――例えば、一次や二次選考で落ちた外部の人間――が、嫉妬を拗らせて至った行為なのではないかと、なんとなくそう思い込んでいたのだが、日暮は受賞候補者五人の中に犯人がいると断定しているかのような文言だった。
[ちょっと待って なんでだよ、勘弁してくれ こっちだって今、わけわかんなくてテンパってるっつうのに、なんで俺らの中に犯人とか]
 しばしの沈黙ののち、かなり動揺した様子で返事を返してきたのは、田島だ。
 既読して間もなく、再び日暮から興奮気味に分断されたメッセージが届く。
[とぼけないでよ]
[〝金魚の森〟にうちのサブ垢があること、知ってるの、このグループメンバーだけだから]
[メイン垢は公にしてるけど、サブ垢は公にしてなかった]
[でも、掲示板の告発文にサブ垢のこと書かれてた]
[誰かがグループDMの内容から、うちのキャラを特定したとしか思えない]
[誰なの 絶対許さない]
 確信したようにそう言い切る日暮。
 鬼気迫るメッセージを見て、もし日暮の言っていることが本当だとすれば、この五人の中に犯人がいるのだという事実に、愛莉は心底ゾッとした。
 いやでもなんで? どうして?? 他の四人のことはともかく、自分のことまで晒したら自滅確定じゃないかと、混乱する頭を掻きむしる。
 わからない。愛莉と同じく動揺と困惑を隠せないと思しき田島が、その疑問をぶつけてきた。
[待ってくださいてば だったらなおさら、こっちだってなんのつもりなのか聞きたいっての こんなことして、今年のノベ大がどうなるかぐらい誰だって総三できんだろ]
 想像が総三になっている。誤字に気がつけないほど、田島の感情は乱れているようだ。
 愛莉は自然と、まともな意見を言っているように見える田島を応援したい気持ちに駆られていたのだが。
[田島、アンタの仕業でしょ]
 ――宵町だ。
 音もなく届いたその冷え切った一文に、背筋が凍る。
[ちょ、なんで俺]
[知らないわよ きっと自分にだけはここから這い上がれる何らかの勝算があるんでしょ? そもそも隠れて誹謗中傷するような鬼畜、信用できないし。みんなで集まろうって声かけられた時から怪しいと思ってたんだよ っていうか、『〝秘密の過去〟を晒されたくなければ最終選考辞退しろ』ってアタシのこと脅し続けてたのも、やっぱりアンタなんでしょ⁉︎]
[違う!! 待ってって 俺じゃない、いや、それはアレだけど、でも、俺ホントにこんな告発文の書き込みなんかしてないって!]
 必死に弁明めいた田島のメッセージが届くが、
[もう何も信じられないし誰も信じない 最低。絶対犯人炙り出して訴えてやる]
 宵町の怨念めいたその一言を最後に、メッセージのやり取りは途絶えた。
(ああ……もう嫌だ……)
 続く沈黙。渦巻く不安と疑心暗鬼。
 田島には悪いが、何か擁護を挟もうという気持ちは微塵も起きなかった。
 愛莉としても、まずは状況を整理するための時間が必要だったし、今ここで不用意に発言をして、気が立っている他のメンバーに『じゃあお前の仕業か』と、とばっちりのようなあらぬ疑いをかけられるのも御免だった。
[愛莉さん 信じてください、俺じゃないです ほんと俺じゃないんですって なんでこんなこと]
 やがて田島から個別のDMが届いたが、信じたい気持ちと、もしかしたら田島が犯人かもしれないという恐怖心ですぐには返す言葉が出てこなかった。
 愛莉は震える手でぎゅうとスマホを握りしめる。
(確かに茶会やグループDMの主催は彼だったし、ことあるごとに結託しようとする彼の姿勢には、何か裏があるんじゃないかと疑いたくなるみんなの気持ちもわかる。……でも、わざわざ自分の首を絞めてまで、チイトさんがあんな告発文を書き込む必要がある?)
 冷静に考えれば、田島は犯人じゃない気がする。――だが、
(いやでも待って……。チイトさんは自分に自信がないって言ってた。誹謗中傷をしてまで他の候補者たちを蹴落とそうとしてたり、本当に宵町さんを脅して辞退を促そうとしていたのなら、それがうまくいかなくて、自暴自棄になって書き込んじゃったとか……その可能性はない?)
 突飛な発想だとも思ったが、不安や疑惑は一度抱えてしまうとそう簡単には消えてくれない。五人の中に犯人がいる以上、誰かしらがなんらかの意図があって、尋常ではない行動に出ていることは、まぎれもない事実なのだ。
(わからない……)
 もつれた糸を解こうとすればするほど、謎が深まり、糸が絡まり合っていく。
[チイトさん]
[誹謗中傷とか、宵町さん脅したって、それ自体は本当なんですか]
 気がつけば愛莉は、縋るような思いでその文字を紡ぎ、送信していた。
[それは、その]
 ただ一言、『違う』と否定してくれていれば、告発文の犯人は田島ではないと無条件で信じていたかもしれない。しかし、彼から返ってきた言葉は、暗に肯定を示すような、煮え切らないその一言だけ。
 愛莉は無性に胸が苦しくなり、唇をかみしめる。
[もういいです]
[すみませんが 明日の配信、キャンセルさせてください]
 送信したメッセージに、既読マークはすぐついた。
 けれどその日はもう、田島からの返事はなかった。
「……」
 ツブヤイターのタイムラインを見やれば、今なお、告発文のことで憶測や卑劣行為への罵詈雑言が飛び交い、ひどく荒れているように見えた。
 愛莉は迷いに迷った後、意を決してノートパソコンを立ち上げ、ノベルマの『近況報告』機能を開く。
 今、この惨状から逃げ出したいのは山々だが、騒動が起きたからといって、運営が今回のノベルマ大賞を取りやめるかどうかはまだわからない。
 時刻は間もなく三月一日の深夜0時になる。告発文への問い合わせや抗議文が殺到したところで、さすがにこの時間じゃサポートセンターやノベルマ編集部も動かないだろうし、日付を越えてしまえば自動的にシステムが切り替わってノベルマのサイトから読者投票が可能になってしまう。
 ほんのわずかでも最終選考が継続する可能性があるのならば、ぼさっとはしていられない。
 自分の名誉のため、自分を応援してくれている読者のため、大賞を勝ち取るため――断固として汚名を雪ぐべく声明文をあげようと、愛莉は感情の赴くままにキーボードを打ち込んだ。