◆◆◆
――20××年2月20日13時35分。スターライト出版 書籍編集部第三課。
担当作家との電話打ち合わせを終えた【ノベルマーケット大賞 担当編集者:赤入 沙穂】は、何気なく壁掛けの時計を見てハッとした。
(あ、もう十三時過ぎてる。今日って確か、ノベルマ大賞の受賞候補者発表の日よね。サイト、チェックしなきゃ……)
広げていた手帳や原稿を机の隅に寄せ、マウスを手にしていつものページにアクセスする。
『ノベルマーケット!』
登録ユーザー数百万人。数ある小説投稿サイトの中でも、今や五本指に入るほどの大手だ。
スターライト出版で書籍編集者をしている入社六年目の沙穂は、毎年開催されるノベルマーケット大賞の担当を務めるようになって今年でもう五回目。一年が経つ早さと、回数を重ねるごとに増えるユーザー数や投稿作品数を実感しながら、サイトトップに表示されている『ノベルマ大賞、受賞候補者決定!』の新着記事をクリックする。
(よし、問題なし。公式掲示板の反応は……っと)
サイトのトップには、ユーザーたちが自由に書き込みできる掲示板機能がある。
普段であれば、そこには新作の宣伝であったり、面白かった推し作品の紹介だったりと、さまざまな見出しのスレッドが乱立し、作者と読者が入り混じって賑やかな交流を交わしているのだが、毎年この時期はノベルマ大賞関連の見出し一色に染まる。
作者にとっても読者にとっても、それだけ注目度の高いコンテストだということだ。
(おー。いつも以上に盛り上がってるなー。第一回目から頑張ってきた甲斐があるわ)
手探りと試行錯誤の繰り返しだったこれまでの道のりを思い浮かべ、沙穂は満足顔で頷く。
手応えに酔いしれていつまでも眺めていたい気分だったが、業務がおしているのでそういうわけにもいかない。掲示板の内容チェックはサイトのWEB担当に任せるとして、大賞担当である自分は、ひとまず受賞候補者たちの反応をチェックしてみることにした。
――まずは、ファンタジー小説部門の《田島 チイト》。
確認のため真っ先に飛んだのは、常駐しているであろう田島の〝ツブヤイター〟――通称〝ツブ〟と呼ばれる呟きSNSだ。
彼のフォロワー数は八千人をゆうに超えており、受賞候補者五名の中でも最も多い。
気さくで接しやすく賑やかな性格であることに加え、元〝NARERUYO〟――国内最大手の小説投稿サイト――のトップランカーだったことも、人を集めている理由の一つだろう。
ツブヤイターでは創作のことも日常のことも包み隠さず自由奔放に発言しており、それらの投稿が全て事実だとすれば、彼は都内の大学に通う大学生であることを公言している。
ノベルマ内部で確認できる彼の登録情報によると現在二十一歳となっているので、おそらく大学生だというのは事実だろう。とにかく創作仲間の多い彼には、情報拡散力の面でも高く期待していた。
『ノベルマ大賞受賞候補キタァーッ! ちょっとみんな来月からの読者投票マジで頼むよ!? 票入れてくれなきゃオレマジ泣いちゃうからね!? 拡散よろしくーっ』
案の定、サイトに情報が公開されてからまだ三十分程度しか経っていないというのに、彼が呟いた発言はもう二百以上も〝いいね〟がついており、同数近くの拡散ボタンも押されている。
『チイトすげー! よしお前、元〝NARERUYO〟トップランカーの意地見せてこいー!』
『きゃ〜! チイトさんかっこいい〜! 大賞獲ったら酒奢って〜!』
『うわー。チイトもついに書籍化作家かー? サインくれよー!』
仲間たちからの激励の言葉もノリノリだ。
(いい感じに盛り上がってるわね。人も良さそうだし、ファンタジー部門で彼を推してよかった)
――次いで、沙穂が確認に飛んだのは、同じくツブヤイターに登録されている、とあるアカウント。
『嬉しい! ノベルマ大賞さん、受賞候補に選ばれました。来月頭から始まる読者投票、応援よろしくお願いします』
女性らしい絵文字がさりげなく添えられたこの呟きは、恋愛小説部門の《皇 愛莉》のものだ。
ノベルマ登録情報によると現在二十四歳。フォロワー数約四千五百人。ツブヤイターでは大手企業勤務であることを公言しており、過去に投稿した写真一覧が確認できる〝メディア欄〟を見ると、働く風景を切り取ったような写真や、お洒落なOLグッズ、ごく稀にイケメンらしい彼氏とのデート写真などが掲載されていた。
『愛莉さんさすがです! 絶対投票しに行きますね!』
『やったー! 愛莉さんくるって信じてた! ノベルマに登録がないリア友にも声かけときますね!』
『ついにきたー! ノベルマでいいね一杯押した甲斐ありましたっ。っていうか、愛莉さんの神作が書籍化しない世の中の方がおかしいんですよ!』
続々と届くお祝いコメント。皇はそのコメント一つ一つに丁寧かつ謙虚に返信しており、そのひと呟きに、彼女の人柄の良さと律儀でマメな性格が全て凝縮されているようだった。
(本人もファンもすごく喜んでるし、完璧なファンサービスね。さすがだわ……!)
感心する沙穂。彼女にはある種のカリスマ性があり、ノベルマ内外に関わらず〝愛莉信者〟と呼ばれる熱烈な読者がついている。
田島チイトと同じく、かつては〝NARERUYO〟で活動していたようだが、恋愛ジャンルが強めのノベルマと違って、〝NARERUYO〟はファンタジー一強のサイト。おそらくそちらでは書籍化につながるような縁がなかったのだろう。今では後発のノベルマにメインの活動場所を移し、〝NARERUYO〟からもたくさんの読者を引っ張ってきてくれている、非常にありがたい存在だ。
(彼女が大賞を獲ったら、ファンたちは大賑わいだろうな。仕事忙しいらしいけど、受け答えからして要領も良さそうだし、何よりかなりの速筆みたいだから、将来的にも期待できるわね。さて、ファン以外の子の票がどうなるかしらね……)
沙穂は期待に胸を弾ませながら、次の候補者をクリックする。
――三人目。ホラー・ミステリー小説部門の《宵町 闇》。
ノベルマ登録情報によると二十一歳となっており、ツブヤイターでのフォロワー数は約二百二十人。
先にチェックした二人に比べると明らかにフォロワー数は少ないが、そもそも彼女――アイコンがやや中性的な女性に見えるだけで実際の性別は不明――は、ノベルマに登録したのが去年の今頃で、ツブヤイターの開設も同じ時期。おそらくぽっと出の新人なのだろう。
彼女は第五回ノベルマ大賞の一次審査が始まった去年の春頃、奇抜なホラー作品を初投稿してノベルマ内を騒がせた。センシティブな題材に賛否両論はあったものの、作品の面白さはすぐに広がり、一気にランキング上位へ。恋愛、青春、ファンタジーが強く、ホラージャンルが弱いノベルマではかなり異例のことだった。
もしもスターライト出版にホラー系を扱うレーベルがあったら、すぐに書籍化の声がかかっていたことだろう。だが、その時点で社内にホラージャンル刊行を検討する余地はなく、編集部としてできることは、彼女がホラー以外の主力ジャンル作品をサイトに上げてくることを待つしかなかった。
(でも結局、彼女が発表するのはひたすら奇抜なホラー作品だったのよね……)
面白いのにもったいない、と、当時の沙穂は非常に歯がゆい思いをしていたっけ。
その後は残念ながらエッセイ部門の作品におされていまいち伸び悩んでいたものの、今回、ノベルマ大賞の開催に合わせホラージャンルのレーベルを新設するという話が社内で持ち上がり、彼女の存在が再び編集部内で注目され、今回の選出に繋がったというわけだ。
沙穂は宵町のツブヤイターにアクセスするが、受賞候補に選ばれたことを告知する呟きはない。
『天気予報外れてズブ濡れ。お気に入りのスカートが台無し。今日雨降らないとか言ったヤツ、マジで滅びればいい』
最新の呟きは五日前で、天気予報が外れたことに対する不満を吐露しているだけだった。
それ以前の呟きを遡ると二週間以上も前のものだし、元々あまりSNSを頻繁に更新するタイプではないのかもしれない。もちろん、まだサイトの情報を見ていないとか、編集部が出した通知に気づいていない可能性もあるだろうけれど。
沙穂のチェックは四人目に移る。
――20××年2月20日13時35分。スターライト出版 書籍編集部第三課。
担当作家との電話打ち合わせを終えた【ノベルマーケット大賞 担当編集者:赤入 沙穂】は、何気なく壁掛けの時計を見てハッとした。
(あ、もう十三時過ぎてる。今日って確か、ノベルマ大賞の受賞候補者発表の日よね。サイト、チェックしなきゃ……)
広げていた手帳や原稿を机の隅に寄せ、マウスを手にしていつものページにアクセスする。
『ノベルマーケット!』
登録ユーザー数百万人。数ある小説投稿サイトの中でも、今や五本指に入るほどの大手だ。
スターライト出版で書籍編集者をしている入社六年目の沙穂は、毎年開催されるノベルマーケット大賞の担当を務めるようになって今年でもう五回目。一年が経つ早さと、回数を重ねるごとに増えるユーザー数や投稿作品数を実感しながら、サイトトップに表示されている『ノベルマ大賞、受賞候補者決定!』の新着記事をクリックする。
(よし、問題なし。公式掲示板の反応は……っと)
サイトのトップには、ユーザーたちが自由に書き込みできる掲示板機能がある。
普段であれば、そこには新作の宣伝であったり、面白かった推し作品の紹介だったりと、さまざまな見出しのスレッドが乱立し、作者と読者が入り混じって賑やかな交流を交わしているのだが、毎年この時期はノベルマ大賞関連の見出し一色に染まる。
作者にとっても読者にとっても、それだけ注目度の高いコンテストだということだ。
(おー。いつも以上に盛り上がってるなー。第一回目から頑張ってきた甲斐があるわ)
手探りと試行錯誤の繰り返しだったこれまでの道のりを思い浮かべ、沙穂は満足顔で頷く。
手応えに酔いしれていつまでも眺めていたい気分だったが、業務がおしているのでそういうわけにもいかない。掲示板の内容チェックはサイトのWEB担当に任せるとして、大賞担当である自分は、ひとまず受賞候補者たちの反応をチェックしてみることにした。
――まずは、ファンタジー小説部門の《田島 チイト》。
確認のため真っ先に飛んだのは、常駐しているであろう田島の〝ツブヤイター〟――通称〝ツブ〟と呼ばれる呟きSNSだ。
彼のフォロワー数は八千人をゆうに超えており、受賞候補者五名の中でも最も多い。
気さくで接しやすく賑やかな性格であることに加え、元〝NARERUYO〟――国内最大手の小説投稿サイト――のトップランカーだったことも、人を集めている理由の一つだろう。
ツブヤイターでは創作のことも日常のことも包み隠さず自由奔放に発言しており、それらの投稿が全て事実だとすれば、彼は都内の大学に通う大学生であることを公言している。
ノベルマ内部で確認できる彼の登録情報によると現在二十一歳となっているので、おそらく大学生だというのは事実だろう。とにかく創作仲間の多い彼には、情報拡散力の面でも高く期待していた。
『ノベルマ大賞受賞候補キタァーッ! ちょっとみんな来月からの読者投票マジで頼むよ!? 票入れてくれなきゃオレマジ泣いちゃうからね!? 拡散よろしくーっ』
案の定、サイトに情報が公開されてからまだ三十分程度しか経っていないというのに、彼が呟いた発言はもう二百以上も〝いいね〟がついており、同数近くの拡散ボタンも押されている。
『チイトすげー! よしお前、元〝NARERUYO〟トップランカーの意地見せてこいー!』
『きゃ〜! チイトさんかっこいい〜! 大賞獲ったら酒奢って〜!』
『うわー。チイトもついに書籍化作家かー? サインくれよー!』
仲間たちからの激励の言葉もノリノリだ。
(いい感じに盛り上がってるわね。人も良さそうだし、ファンタジー部門で彼を推してよかった)
――次いで、沙穂が確認に飛んだのは、同じくツブヤイターに登録されている、とあるアカウント。
『嬉しい! ノベルマ大賞さん、受賞候補に選ばれました。来月頭から始まる読者投票、応援よろしくお願いします』
女性らしい絵文字がさりげなく添えられたこの呟きは、恋愛小説部門の《皇 愛莉》のものだ。
ノベルマ登録情報によると現在二十四歳。フォロワー数約四千五百人。ツブヤイターでは大手企業勤務であることを公言しており、過去に投稿した写真一覧が確認できる〝メディア欄〟を見ると、働く風景を切り取ったような写真や、お洒落なOLグッズ、ごく稀にイケメンらしい彼氏とのデート写真などが掲載されていた。
『愛莉さんさすがです! 絶対投票しに行きますね!』
『やったー! 愛莉さんくるって信じてた! ノベルマに登録がないリア友にも声かけときますね!』
『ついにきたー! ノベルマでいいね一杯押した甲斐ありましたっ。っていうか、愛莉さんの神作が書籍化しない世の中の方がおかしいんですよ!』
続々と届くお祝いコメント。皇はそのコメント一つ一つに丁寧かつ謙虚に返信しており、そのひと呟きに、彼女の人柄の良さと律儀でマメな性格が全て凝縮されているようだった。
(本人もファンもすごく喜んでるし、完璧なファンサービスね。さすがだわ……!)
感心する沙穂。彼女にはある種のカリスマ性があり、ノベルマ内外に関わらず〝愛莉信者〟と呼ばれる熱烈な読者がついている。
田島チイトと同じく、かつては〝NARERUYO〟で活動していたようだが、恋愛ジャンルが強めのノベルマと違って、〝NARERUYO〟はファンタジー一強のサイト。おそらくそちらでは書籍化につながるような縁がなかったのだろう。今では後発のノベルマにメインの活動場所を移し、〝NARERUYO〟からもたくさんの読者を引っ張ってきてくれている、非常にありがたい存在だ。
(彼女が大賞を獲ったら、ファンたちは大賑わいだろうな。仕事忙しいらしいけど、受け答えからして要領も良さそうだし、何よりかなりの速筆みたいだから、将来的にも期待できるわね。さて、ファン以外の子の票がどうなるかしらね……)
沙穂は期待に胸を弾ませながら、次の候補者をクリックする。
――三人目。ホラー・ミステリー小説部門の《宵町 闇》。
ノベルマ登録情報によると二十一歳となっており、ツブヤイターでのフォロワー数は約二百二十人。
先にチェックした二人に比べると明らかにフォロワー数は少ないが、そもそも彼女――アイコンがやや中性的な女性に見えるだけで実際の性別は不明――は、ノベルマに登録したのが去年の今頃で、ツブヤイターの開設も同じ時期。おそらくぽっと出の新人なのだろう。
彼女は第五回ノベルマ大賞の一次審査が始まった去年の春頃、奇抜なホラー作品を初投稿してノベルマ内を騒がせた。センシティブな題材に賛否両論はあったものの、作品の面白さはすぐに広がり、一気にランキング上位へ。恋愛、青春、ファンタジーが強く、ホラージャンルが弱いノベルマではかなり異例のことだった。
もしもスターライト出版にホラー系を扱うレーベルがあったら、すぐに書籍化の声がかかっていたことだろう。だが、その時点で社内にホラージャンル刊行を検討する余地はなく、編集部としてできることは、彼女がホラー以外の主力ジャンル作品をサイトに上げてくることを待つしかなかった。
(でも結局、彼女が発表するのはひたすら奇抜なホラー作品だったのよね……)
面白いのにもったいない、と、当時の沙穂は非常に歯がゆい思いをしていたっけ。
その後は残念ながらエッセイ部門の作品におされていまいち伸び悩んでいたものの、今回、ノベルマ大賞の開催に合わせホラージャンルのレーベルを新設するという話が社内で持ち上がり、彼女の存在が再び編集部内で注目され、今回の選出に繋がったというわけだ。
沙穂は宵町のツブヤイターにアクセスするが、受賞候補に選ばれたことを告知する呟きはない。
『天気予報外れてズブ濡れ。お気に入りのスカートが台無し。今日雨降らないとか言ったヤツ、マジで滅びればいい』
最新の呟きは五日前で、天気予報が外れたことに対する不満を吐露しているだけだった。
それ以前の呟きを遡ると二週間以上も前のものだし、元々あまりSNSを頻繁に更新するタイプではないのかもしれない。もちろん、まだサイトの情報を見ていないとか、編集部が出した通知に気づいていない可能性もあるだろうけれど。
沙穂のチェックは四人目に移る。