どき、としつつも、愛莉は曖昧に笑って誤魔化す。
「あー……まあ、忙しいのは確かなんですが、速筆だけが取り柄なので。通勤電車の中で他の方の作品を読みにいってインプットして、仕事の合間合間に妄想して、帰ったらバーッとアウトプットしてから寝るって感じの毎日ですかね」
「すげえ。時間の無駄なさすぎじゃないですか⁉︎ 俺なんてパソコン開いても余裕で二、三時間はツブヤイター開いてダラダラしちゃうのに……まじで尊敬するっす」
 羨望の眼差しを向けられ、愛莉はどこか後ろめたさを感じながらも、大丈夫、おかしなことはいってないと自分自身に言い聞かせて、さりげなく話題の軸を自分から田島へ移すことにした。
「チイトさんはやらないんですか? 毎日更新。ノベルマでは長編作品をメインに活動されてるようですけど、かなりの作品数、ランキング入りされてますよね? 短編とか書いたら絶対注目集まると思うんですが……」
「あー、俺、短編書くの苦手なんすよね。うまくまとめられなくて、なんだかんだダラダラ長くなっちゃうみたいな。でも、確かに毎日更新って集客力抜群なんすよね。読者投票期間中だけでもやってみようかなぁ」
「それがいいかも。って……すみません。今気づいたけど、チイトさんもうすぐ四年生か。就職活動の方は大丈夫です?」
 何気なく首を捻ると、田島はへらりと笑って、自身の無敵ぶりを口にした。
「俺、親の小さい会社継ぐ予定なんで、その辺は心配ないんすよ。本当は一度外の世界見てきてからの方がいいのかなと思ってインターンとかもやってみたんですけど、俺にはちょっと合わなかった感じで……」
「そうなんだ。いいなあ、あの就活のきりきりした感じを体験せずに済むなんて」
 何気なく呟いた一言だが、本気でため息が出てしまう。
 自分は就活前も、就活中も、内定が決まってからも、入社してからも、ずっときりきりしっぱなしだ。
 それはきっと、自分が背伸びを続けているせいなんだろうなあと、漠然とそんな気はしていた。
「愛莉さん、確かめっちゃ大手っぽいところに勤務されてませんでしたっけ」
 ふいに、田島がそんなことを言い出した。
「え、ご存知でした?」
「もち、前にふわっとつぶやかれてたの見ましたよー。つか、敵情視察するにはツブヤイター見るのが一番早いっすからね」
 得意げに言う田島。相手の素性を知ったところで作品で勝負することには変わりがないのだが、もちろん愛莉も、同じように他の候補者のことはある程度チェックしている。
「あー、あは。まあ、そうですよね。まさか受かるとは思っていなかった本命に、運よく拾ってもらえて……」
「すげーよなあ。なんかいつも綺麗なネイルとかOLグッズとかあげてて、女子力も高そうだし……そういえば彼氏さんの写真も……」
「……」
 ちらり、と気遣わしい視線が投げられた。薄々感じていたが、やはり田島は、愛莉のことが少し気になっているようだ。
 どう答えようか、愛莉は逡巡する。
 確かに、愛莉は自分のツブヤイターに彼氏らしき写真を上げていた。
 だがそれは、全て匂わせだ。
 たまに食事やなんかで会う二つ上の兄と撮った写真を、さも彼氏のように見せかけてアップしているだけ。
 本当は彼氏などいない。単なるブラコンだ。
 しかし恋愛作家と名乗るからには、やはり男の影があった方が女性ファンからの支持や共感も得られると思って『彼氏』だと匂わせることにしているし、実際に、『イケメンと付き合っているリアルが充実した大人の女性』と認識させることで、読者の作品を見る目にも多少のバイアスがかかっている気がしていた。
「あー、あれは……」
 プライバシーに配慮してくれる人が多かったせいか、ネット上ではうまく誤魔化してきたのだが、現実世界でダイレクトに聞かれてしまうと、返事に困ってしまう。
 どう誤魔化そうかと言葉を選んでいると、田島がハッとしたように顔を逸らして、慌てて自身の発言を打ち消した。
「って、すみません! めっちゃ無粋なこと聞いちゃいましたけど、プライバシーっすよね! あ、あーえっと、実はその、せっかくの縁だし、今日会ったメンツで、ツブのグループDMができるようにしたいなと思ってて……」
「ツブのグループDMって……私使ったことないんですが、複数人で会話できる機能のことです?」
「ですです。まあライバルっちゃライバルなんすけど、投票期間中に対談配信やったりとか、そのための打ち合わせとか、今日みたいに情報交換したり切磋琢磨するにはいいかなと思って。でもほら、彼氏さんとかがいたら、そういうの迷惑かな〜とかも思って」
「ああ、なるほど。そういうことなら是……」
 愛莉は頷き、前向きな姿勢で誘いを受け入れようとした……のだが。
 ――ちょうどそのとき、ピロピロと携帯が鳴った。
「……!」
 聞き覚えのある、乾いた機械音。
 会社の上司からの着信音だ。数年前まで自分が好きな歌を着信音にしていたのだが、そもそも電話が嫌いで、苦手な電話の着信音に設定するとその曲まで嫌悪感を抱いてくるようになってしまったため、無難な機械音に変更した。
 周囲の人たちが、マナーモードにしていない自分を責めるような目でこちらを見ているが、それが気にならないほど、どくどくと、心臓が嫌な音を立てていた。
「あ、愛莉さんの電話すか?」
「……折り返さないと」
「え。でも愛莉さんが降りる駅まであと十五分くらいっすよ? 今日休みなんだったら、ついてからでもいいんじゃ……?」
 目を瞬いて、不思議そうに愛莉の顔色を窺う田島。
 しかし愛莉は、即座にそれを却下した。
「ダメです、それじゃ。何かミスがあったのかもしれないし。この上司、怒ると怖いんです。なのでごめんなさい……次の駅で降りますね」
 へらり、と笑って鳴り止まない携帯電話をぎゅっと握りしめる。
(マナーモードに切り替えなきゃ……。あれ、でもどうやるんだっけ。ダメだ、慌てすぎ。どうしよう、なんか頭真っ白――)
 携帯を握りしめる手の震えが止まらず、額に汗が滲む。
 そうこうしているうちに一旦鳴り止んだかと思えば、すぐにまた、二度目の着信が入った。
 隣にいる田島は、「そ、そうっすか……」と頬をかきつつも、心配そうにこちらを見ていた。
『お待たせしました。戸中ノ駅〜、戸中ノ駅に到着します〜』
 停車駅の名前がアナウンスで聞こえた途端、愛莉はサッと席を立つ。
「すみません、今日は色々ありがとうございました」
 口早に挨拶を告げると、田島はにこりと笑ってぺこりと会釈する。
「あ、いえ。こちらこそあざっした! 家ついて落ち着いたらまた、さっきのグループDMの件、改めて連絡しますね」
「了解です」
 つられるように笑みを返し、ひらりと手を振る。田島もヒラヒラと手を振って、それに答えてくれた。
 列車が駅に停車すると、慌ただしく電車を降りる。
 最後、雑な別れ方になってしまったが、きちんと笑えていただろうか――。
[着信三件あり]
 ディスプレイを見れば、そんな配慮も一瞬で吹き飛ぶ。愛莉は急いで、電話ができそうな静かな場所へ駆け込み、スマホのボタン一つで、ふわふわした気持ちの茶会から慌ただしい現実世界へ引き戻されていくのだった。