「肺炎! 鉄の男のお前が?」
 博人が頓狂な声を上げる。その声が脳天にやたら響く。
「の、なりかけだ。お前、病人の部屋で騒ぐな……」
「ああ、ごめん」
 博人は、そかそかあ、と呟きながら、麻人の眠るベッド脇にある勉強机から椅子を引っ張ってきて座った。
「鬼の霍乱ってやつか」
「うるさい」
 数時間前、自嘲気味に香坂に麻人自身が言ったのと同じことを言いやがる。やっぱり双子だ、と麻人は氷枕に頭をめり込ませながら思う。
「文化祭までに治ればいいけど。その様子だと微妙みたいだね」
「根性で治す」
「根性でどうにかなるものじゃないだろ、肺炎なんて。この時期は風邪だってしつこいって言うしさ」
 やれやれと首を振ってから博人は、そうだ、と思い出したように手を打った。
「なんかさっき、麻の後輩とかいう子が来たよ」
 後輩。麻人は布団にもぐりこみつつ、そうか、ともごもごと返す。
「麻の鞄、届けてくれたよ」
「そう」
 保健室に連れて行かれたころには意識が朦朧としていたし、あの後、すぐに校医に病院へ連行されて、その後はそのまま家に連れ帰られてしまったから、鞄のことなどすっかり失念していた。
 鞄を届けに来たという後輩。香坂だろうな、とぼんやりと思う。熱に霞む思考の中、やけにきっぱりとこちらを見た香坂の顔を思い出す。
──肩に力入り過ぎで、ほんと見てられない。
「麻、顔、赤い」
 博人の声で我に返り、麻人はふるふると頭を振って香坂の声を打ち消す。
「熱、まだ高そうだね。新しいの、持ってくるし」
 麻人の頭の下から保冷剤を抜き取って立ち上がりながら、博人はついでのように訊ねた。
「鞄届けてくれた子、誰だか見当ついてるんだろ、なんて子?」
「なんでそんなこと訊く」
「なんでっていうか……。ちょっと興味が」
 布団の端から目を出してらがらの声で問い返す麻人を見下ろし、博人はなぜか声を潜めて問いかけてきた。
「麻、学校で自分のこと双子だって話してる?」
「……いや……話す必要ないし……」
「だよね」
 博人は一度立ち上がった椅子にもう一度座り直すと、顎に手を当てて唸った。
「彼さ、玄関に出てきた俺見て、杉村先輩のご兄弟ですか? って訊いたんだ。俺たち、知ってる人が見ればまあ、どっちがどっちかわかるだろうけど、知らない人が見分けるのって至難の業じゃん。だからちょっと驚いてさ」
 麻人は学校で自分のことをあまり話さない。話す理由もないからだ。まあ、話す相手がいないというのが最たる理由といえばそうなのだが。
「あの子、どういう子なの」
「どういうって。普通の後輩だよ」
「普通の、ねえ」
 やけに勿体つけた言い方だ。なに、と起き上がろうとして、麻人はくらくらして再び布団に倒れ込んだ。無茶すんなよ、と博人が掛け布団の乱れを直す。
「彼、言ったんだ。麻人に伝えてくれって。後のことは全部任せて、体を休めることだけ考えてください、それと」
「それと……?」
「無理やり出てきたら殴りますから、って」
「はあ?」
 なに言ってるんだあいつ。声を上げかけて喉が軋む。咳き込んだ麻人を見下ろして、博人は、なんかさあ、と呟いた。
「ほっとしたような。寂しいような」
「なに……言ってる……」
 咳を呑み込みながら言うと、博人は少し笑った。
「麻にもあんな風に本気で心配してくれる子がいるんだなあと思ったらさ」
「馬鹿馬鹿しい」
 掛け布団をかぶって麻人は博人に背中を向ける。博人は、ごめんごめん、とやっぱり軽い調子で謝ってから、椅子から再び立ち上がった。
「後輩君も心配してることだし、頭空っぽにして寝ろよ」
 博人が部屋を完全に出て行くのを待って、麻人はゆるゆると布団から顔を出した。
 心配、されているのだろうか、自分はあいつに。
 そこまで考えて麻人は即座に否定した。
 嫌われたり、うざがられたりするのならまだしも、心配なんてあるわけがない。あいつには言いたいことをずけずけ言いまくってこきつかっているのだ。絶対にあり得ない。
 あり得ないはずだが、でも。
──しょうがない人ですね。
「馬鹿か俺は」
 熱のせいだろう。こんなにもあいつのことを思い出すのは。体調が万全じゃないから、脳が誤作動しているだけだ。
 そう言い聞かせていたら少し気持ちが落ち着いてきた。
 意地でも早く治す。
 誓って麻人は目を閉じた。