最寄り駅から大通りを南へ真っすぐ歩いて行くと、交通量の多い国道に出る。その交差点を東に曲がってしばらくすれば、ネットカフェ『INARI』の看板が見えてくる。
信号待ちで歩道を占拠している、いかにもこれから二次会ですという集団の脇をすり抜けて、千咲は歩道沿いに交差点を曲がっていく。
街路樹もすっかり色付き、温かい日も続いている今週は、絶好の紅葉狩り日和なのだろう。歩道に植えられライトアップされているイチョウの木を見上げて、少ししんみりした気分になる。
早朝に帰宅して、日が完全に落ちてから出勤する、そんな昼夜逆転の生活に身体もすっかり慣れてきた。三か月ある試用期間もようやく半分が過ぎ、社員としてこなす業務は一通り覚えたはずだ。
飲食店の多い大通りとは違い、その一本隣の通りはアパートや事務所が並んでいる。中には一戸建て住宅風の隠れ家的な店も紛れているらしいので、時間さえあれば覗いてみたいとはいつも思っていた。
その少し落ち着いた雰囲気の細い通りに面したT字路に、制服を着た高校生らしき少女が一人佇んでいた。紺色のブレザーに、グレーのプリーツスカート、若草色のネクタイは深みのある青のストライプ柄。この辺りではあまり見かけない制服だから、県外の私立高校の物だろうか。
すれ違いざま、千咲はその女子高生の顔を見て、思わず息を飲んだ。セミロングのストレートヘアで、眉の長さに揃えられた前髪。その額から流れている鮮血は左目と頬を真っ赤に染め上げている。
少女の立つ場所には、まだ瑞々しく咲きほこる花束が幾重にも供えられていた。
――ああ、こないだの事故の……。
自動車と女子高生との接触事故は、夜間の点滅信号で一時停止しなかった運転手の一方的な過失だった。塾帰りで一人この歩道を歩いていた彼女は、通りから勢いよく飛び出して来た車に吹き飛ばされ、頭部を強く打ってこの場で即死だったという。
自分と大差ない年齢の彼女のことを考えると、胸がぎゅっと締め付けられる。ほんの一瞬でピリオドを打たれてしまった少女の未来。どんなに無念なことだろうか。
その想いとリンクしてしまったのだろう、少女の魂が千咲をその場に足止めするよう引いているのを感じた。急に重く動かし辛くなった両足。だが、振り返らずゆっくりと地面を踏みしめるよう歩き続けていると、店の看板が近付いた頃にはふっと軽くなった。
「ハァ、またお前……今日は地縛霊か」
入店するなり、白井から呆れ顔で小言を言われる。また匂いを嗅がれるのかと身構えるが、今回は千咲の真っ青な顔色で感付いたらしい。
「途中まで憑いてきていなくなったんなら、土地から引き離して浄化させたってことだろ。面倒な奴とは、いちいち目を合わすな。とりあえず、奥で塩でも振っとけ」
言われるまま、厨房に入った千咲は『食塩』と大きく描かれたパッケージを手に軽く悩む。塩はここにはこれか抹茶塩しか無かったはずだ。果たして、普通の食塩にお清めの効果があるのだろうか?
「ま、いっか」
気休めにしかならないかもしれないが、食塩を一摘みするとそれを自分の両肩に向かって振りかけた。あの少女が無事に成仏できていることを願いながら。
浄化された後の彼女がどうなるかなんて分からない。けれど、少なくともあの場にずっと立ち尽くし続けているよりはマシなはずだ。
フロントで夕勤からの申し送りの確認をしていると、駐車場の方から騒々しいくらいのエンジンの空ぶかし音が響いてくる。ブルルンブルルンというよりバリバリに近い割れるような複数の音に、建物が軽く振動しているほどだ。あまりの煩さにエントランスのガラス窓越しに外を様子見れば、駐輪スペースに大型バイクが三台停まっているのが確認できた。
駐車場の外灯をメタリックに反射している大型オートバイ。今にもトランスフォームしそうな大きなバイクが横並びしている様は迫力がある。バイクとお揃いのロゴ入りブルゾンやウエアを着ていることから、ハーレーダビッドソン好きのツーリンググループなのだろう。
バイクや自転車の旅中でホテル代わりに利用していく人は多い。一人旅もあれば、彼らのように仲間と一緒にというのもある。特にこの店は国道に面しているので、道中で見つけ易い。
バイカー達はオートバイに積んでいた荷物を抱えて入店すると、揃って喫煙席のリクライニングシートを希望した。隣り合わせになった三つのブースを用意して案内すると、
「さすがに休憩無しはキツかったなー」
「もう、尻が限界……」
「腹減ったぁ」
思い思いに喋りながらも、ブースに着くなり食事メニューをチェックし始める。彼らのやり取りは終始仲良し三人組感に溢れていて、なかなか微笑ましい。年齢は三人ともバラバラで二十代後半から三十代後半まで差があったが、同じ趣味で気が合うのだろう。
順にシャワー室を利用した後、それぞれに店のサービスを楽しんでいたようで、ドリンクバーや蔵書コーナーで誰かしらの姿を見かけていたが、日付が変わる頃には三人とも各ブースで就寝に付いたようだった。
三人の内、一番早くに目覚めたのは年長の男だった。トイレに立ったついでに他の二人の分のホットコーヒーを淹れて、喫煙席へと持ち帰る。隣のブースを扉越しに覗いて、友人がまだ寝ているのを確認し、そのサイドテーブルに湯気の立つマグカップをそっと置いた。そして、二つ隣の席も同じように覗き込んで、ブースに誰も居ないことに気付いた。
「あれ、トイレにはいなかったよな?」
トイレに行くには必ずドリンクバーの前を通らなければならない。けれど、誰ともすれ違った記憶は無かった。
信号待ちで歩道を占拠している、いかにもこれから二次会ですという集団の脇をすり抜けて、千咲は歩道沿いに交差点を曲がっていく。
街路樹もすっかり色付き、温かい日も続いている今週は、絶好の紅葉狩り日和なのだろう。歩道に植えられライトアップされているイチョウの木を見上げて、少ししんみりした気分になる。
早朝に帰宅して、日が完全に落ちてから出勤する、そんな昼夜逆転の生活に身体もすっかり慣れてきた。三か月ある試用期間もようやく半分が過ぎ、社員としてこなす業務は一通り覚えたはずだ。
飲食店の多い大通りとは違い、その一本隣の通りはアパートや事務所が並んでいる。中には一戸建て住宅風の隠れ家的な店も紛れているらしいので、時間さえあれば覗いてみたいとはいつも思っていた。
その少し落ち着いた雰囲気の細い通りに面したT字路に、制服を着た高校生らしき少女が一人佇んでいた。紺色のブレザーに、グレーのプリーツスカート、若草色のネクタイは深みのある青のストライプ柄。この辺りではあまり見かけない制服だから、県外の私立高校の物だろうか。
すれ違いざま、千咲はその女子高生の顔を見て、思わず息を飲んだ。セミロングのストレートヘアで、眉の長さに揃えられた前髪。その額から流れている鮮血は左目と頬を真っ赤に染め上げている。
少女の立つ場所には、まだ瑞々しく咲きほこる花束が幾重にも供えられていた。
――ああ、こないだの事故の……。
自動車と女子高生との接触事故は、夜間の点滅信号で一時停止しなかった運転手の一方的な過失だった。塾帰りで一人この歩道を歩いていた彼女は、通りから勢いよく飛び出して来た車に吹き飛ばされ、頭部を強く打ってこの場で即死だったという。
自分と大差ない年齢の彼女のことを考えると、胸がぎゅっと締め付けられる。ほんの一瞬でピリオドを打たれてしまった少女の未来。どんなに無念なことだろうか。
その想いとリンクしてしまったのだろう、少女の魂が千咲をその場に足止めするよう引いているのを感じた。急に重く動かし辛くなった両足。だが、振り返らずゆっくりと地面を踏みしめるよう歩き続けていると、店の看板が近付いた頃にはふっと軽くなった。
「ハァ、またお前……今日は地縛霊か」
入店するなり、白井から呆れ顔で小言を言われる。また匂いを嗅がれるのかと身構えるが、今回は千咲の真っ青な顔色で感付いたらしい。
「途中まで憑いてきていなくなったんなら、土地から引き離して浄化させたってことだろ。面倒な奴とは、いちいち目を合わすな。とりあえず、奥で塩でも振っとけ」
言われるまま、厨房に入った千咲は『食塩』と大きく描かれたパッケージを手に軽く悩む。塩はここにはこれか抹茶塩しか無かったはずだ。果たして、普通の食塩にお清めの効果があるのだろうか?
「ま、いっか」
気休めにしかならないかもしれないが、食塩を一摘みするとそれを自分の両肩に向かって振りかけた。あの少女が無事に成仏できていることを願いながら。
浄化された後の彼女がどうなるかなんて分からない。けれど、少なくともあの場にずっと立ち尽くし続けているよりはマシなはずだ。
フロントで夕勤からの申し送りの確認をしていると、駐車場の方から騒々しいくらいのエンジンの空ぶかし音が響いてくる。ブルルンブルルンというよりバリバリに近い割れるような複数の音に、建物が軽く振動しているほどだ。あまりの煩さにエントランスのガラス窓越しに外を様子見れば、駐輪スペースに大型バイクが三台停まっているのが確認できた。
駐車場の外灯をメタリックに反射している大型オートバイ。今にもトランスフォームしそうな大きなバイクが横並びしている様は迫力がある。バイクとお揃いのロゴ入りブルゾンやウエアを着ていることから、ハーレーダビッドソン好きのツーリンググループなのだろう。
バイクや自転車の旅中でホテル代わりに利用していく人は多い。一人旅もあれば、彼らのように仲間と一緒にというのもある。特にこの店は国道に面しているので、道中で見つけ易い。
バイカー達はオートバイに積んでいた荷物を抱えて入店すると、揃って喫煙席のリクライニングシートを希望した。隣り合わせになった三つのブースを用意して案内すると、
「さすがに休憩無しはキツかったなー」
「もう、尻が限界……」
「腹減ったぁ」
思い思いに喋りながらも、ブースに着くなり食事メニューをチェックし始める。彼らのやり取りは終始仲良し三人組感に溢れていて、なかなか微笑ましい。年齢は三人ともバラバラで二十代後半から三十代後半まで差があったが、同じ趣味で気が合うのだろう。
順にシャワー室を利用した後、それぞれに店のサービスを楽しんでいたようで、ドリンクバーや蔵書コーナーで誰かしらの姿を見かけていたが、日付が変わる頃には三人とも各ブースで就寝に付いたようだった。
三人の内、一番早くに目覚めたのは年長の男だった。トイレに立ったついでに他の二人の分のホットコーヒーを淹れて、喫煙席へと持ち帰る。隣のブースを扉越しに覗いて、友人がまだ寝ているのを確認し、そのサイドテーブルに湯気の立つマグカップをそっと置いた。そして、二つ隣の席も同じように覗き込んで、ブースに誰も居ないことに気付いた。
「あれ、トイレにはいなかったよな?」
トイレに行くには必ずドリンクバーの前を通らなければならない。けれど、誰ともすれ違った記憶は無かった。