カンカンカンとシリウル公爵が木槌を打ち鳴らす。
「まず、カリノさんの逆移送を求めます。それから騎士団は、本件についてもう一度関係者から話を聞き、真相を洗い出してください。現状のままでは、カリノさんが犯人であるという証拠が揃っておりません。大聖堂では、例の短剣の血痕について調べてください」
その言葉に総帥らは神妙な面持ちで頷いた。ややこしくなってしまった、とでも思っているのだろう。
それに引き換え、イアンは涼しい顔をしている。
「以上で、閉廷とします」
カツーンと甲高い音が鳴り響いた。
「おい、フィアナ。どういうつもりだ」
退室しようとするフィアナを呼び止めたのは、第一騎士団の団長だ。
「どういうつもりも何も……私は、ただ事実を口にしただけです」
「そうじゃない。あの証拠品はなんだ!」
「証拠品……とまで言えるものかどうかわかりませんでしたので……」
「おまえ、情報部の人間だからって調子にのるなよ」
場所を考えろ、と二人のやりとりに入ってきたのは総帥だった。
「こうなったら、我々も身の振り方を考えるべきだ。行くぞ」
団長は総帥の声に素直に従いつつも、フィアナに向かって舌打ちするのは忘れなかった。
一気に気が抜けた。
「大丈夫ですか?」
イアンが穏やかに声をかけてきた。
「はい、大丈夫ですが。間違いなく彼らを敵に回しましたね」
フィアナは、ははっと笑って誤魔化した。
「騎士さま……」
右手にあたたかなものが触れたと思ったら、それはカリノの手だった。
「ありがとうございました……」
「カリノさん。まだお礼を言うのは早いですよ。これから真実を明らかにするため、再捜査が行われますから。そこで、アルテール殿下が今まで何をやってきたのかがわかるでしょう」
フィアナの言葉でカリノの口元がゆるんだ。
「カリノさんは、また騎士団預かりとなります。その手続きが終わるまではこちらで過ごすことになりますが……」
フィアナがそう言い終えたところで、カリノを引き取るために近衛騎士隊の人間がやってきた。
「今日は、なかなか面白いものを見させていただきました」
近衛騎士の男も不気味に笑う。
「手続きが終わり次第、騎士団本部にお戻ししますので」
「わかりました」
近衛騎士の男は、イアンに視線を向けた。
「大聖堂側も無傷とはいかないでしょうね」
「……覚悟のうえですよ。あの王太子を引きずり出せただけ、マシでしょう」
二人は腹の内を探り合うかのように視線を絡ませる。フィアナがそれに割って入る。
「では、カリノさんをよろしくお願いいたします」
フィアナが近衛騎士の男に頭を下げると、今までのイアンとのやりとりなどなかったかのように、彼も「お預かりします」と紳士に対応してくれた。
退室するカリノの背を見送ってから、フィアナも部屋を出ようと動き出す。
「……フィアナさん」
イアンに名前を呼ばれたのは初めてかもしれない。
「少し、お時間をいただけますか?」
それはフィアナにとっても願ってもない話だ。
アルテールの言葉には、いろいろと含みがあった。確認しておきたい点はいくつもある。
「はい……よろしくお願いします」
部屋を出て、二人並んで回廊を歩く。天窓から降り注ぐ太陽光により、生暖かい空気が頬にまとわりつくのが、ほんの少し不快だった。
王城の裏手にある庭園――裏庭は開放されていた。そこにぽつぽつと並ぶ東屋の一つに、二人は入った。
そよそよと風が吹き、花の香りを運んでくる。
「それで、どんなご用でしたか?」
フィアナが声をかけた。
時間をとってほしいと言ったのはイアンのほうだ。
「はい。あなたには、聖女の秘密を知っておいてもらったほうがよいのかと思いました」
「聖女様の秘密ですか?」
同じ日差しであるのに、天窓越しに感じる光と花々を照らす光は、違うもののように見える。
「はい。幼い巫女たちは、だいたい十三歳を境目に聖女になれるかどうか、判断されます」
淡々と言葉を紡ぎ出すイアンに、フィアナは耳を傾ける。
聖女になれるかどうかは、魔石の力を使いこなせるかどうかによるものらしい。
魔石の力を使いこなせると認められたら、その巫女は聖女と呼ばれる存在となるのだ。聖女とまではいかなくとも、魔石を利用できる力が認められれば上巫女と呼ばれるようになる。上巫女と呼ばれる彼女たちは、たいてい十八歳前後で力が発現するらしい。
しかし、それには代償が伴う。
一度、魔石の力を覚えた身体は魔石を欲するようになる。
「魔石を欲するって、具体的には魔石をどうしているのですか?」
フィアナが思いつくのは、魔石に触れることくらいだろう。だが、イアンの話を聞いているかぎり、聖女と魔石の関係はもっと深いもののように思えてきた。
「聖女や上巫女たちは、魔石を食べて生きているのです」
「えっ?」
自分の声とは思えぬような声を、フィアナは無意識に発していた。
「聖女になれる力があるかどうかを判断するとき、教皇らは巫女らに気づかれぬよう、彼女たちに魔石を食べさせます。それはお菓子の中に細かく砕いて紛れこませるのです。あの年の彼女たちにとって、お菓子は魅力的な食べ物ですからね。それからしばらくして、神聖力と呼ばれるような力が発現したら、その巫女は聖女として認められます。それから数年後、じんわりと魔石が身体に馴染んだ頃、微力ながら力が発現した巫女を上巫女と呼びまる。ですから、巫女らにとって十三歳前後、十八歳前後が彼女たちの将来を決める境目でもあるのです」
「つまり、神聖力と呼ばれる力は魔石によるものだと?」
「そうです。体内に魔石の力をため込み、それを神聖力として使っているのです」
にわかには信じられない話だ。だが、神聖力という不思議な力を持つ存在そのものも、冷静に考えれば信じられない話だ。
「では、その魔石の力を取り込むのをやめれば、神聖力は失われるということですか?」
「そうです……ですが、一度魔石の力を知った身体は、魔石を欲するようになります。それをやめれば、待っているのは死のみ」
ようは、一度魔石を食べて魔石の力を利用できるようになったら、その後は、つねに魔石を食べ続けなければならないということなのだろう。
食べても何も反応がなければ、魔石の力を受け入れる器ではないと判断されるようだ。
フィアナは知らぬうちに眉間に力を込めていた。魔石を食べるという行為が想像つかない。
「ですが、聖女の魔石は教皇が、上巫女の魔石は枢機卿が管理しています。だから彼らの許可がなければいくら聖女であっても、魔石を手にすることはできません。もちろん、上巫女の彼女たちも……」
そこでイアンは言いにくそうに顔を伏せた。
フィアナはさっと考えをめぐらせる。
魔石が必要となった聖女や上巫女。その魔石を管理しているのは教皇や枢機卿。となれば、彼女たちの命を握っているのは彼らとなる。
――ラクリーア。あいつは純潔じゃなかった。すでに奪われたあとだったよ。聖女なのに、おかしいよな?
アルテールの言葉が、頭の中で繰り返される。
「……もしかして、先ほどのアルテール殿下の言葉……聖女さまの純潔を奪ったのは……」
それ以上は言うなとでも言うかのように、イアンは大きく頷いた。
「フィアナさんの考えているとおりです。それに、あなたは……私がもう男性としての機能がないことをご存知なのでしょう?」
自嘲気味に笑うイアンだが、それでも彼は艶めいている。
「ええ、そういった話を耳にしたことはあります」
「大聖堂とは、そういうところなのです。私も若かった。聖騎士として聖女様の専属となれるのは、誇れるものだと思っていたのです。ですがね、この年になって考えるようになりました。本当にそれは正しいのかと……。そう思うようになったのも、あなたに出会ったからでしょうね」
「……えっ?」
「フィアナさんとは、何度か仕事で一緒になっております。お互い、騎士という職についておりますからね」
イアンの言うとおり、今までも同じ騎士として同じ任務についたことはある。だから今回も、顔見知りの聖騎士ということでイアンを頼ったのだ。名前は忘れていたが。
「そして、巫女であるカリノを信じようとするあなたの真っ直ぐな姿勢に、私もそろそろ自分の思うように動いてみようかと思ったのです。これ以上、私たちのような犠牲者を増やしてはならない……」
そして、イアンは小さく言葉を続ける。
――大聖堂の地下。
フィアナは素早く頷いた。
「さて、そろそろ戻りましょうか。カリノが逆移送となれば、王国騎士団のあなたもまた忙しくなるのでは?」
「私は情報部の人間ですから、直接的な捜査権はもっていないのです。こうやって話を聞いたり、あとは人知れず潜入したりして、情報を手に入れるのが仕事ですから」
「なるほど。情報には嘘も紛れ込んでいますからね。それを見抜くのもあなたたちの仕事というわけですね?」
「そうですね」
送ります、とイアンが言うので、フィアナは素直にその言葉に従うことにした。
ここから騎士団本部の建物まではすぐだというのに。
建物の入り口まで送ってもらい、フィアナはそこでイアンと別れた。
心の奥でくすぶっている熾火は、何に対しての思いなのかわからなかった。
「ただいま戻りました」
普段よりも明るい声で司令室内に入れば、すぐにタミオスが「こいこい」と手を振っている。ちらっと顔でしゃくった先は小会議室だ。さらに指をくいくいと曲げて、ナシオンも連れてこいと訴えていた。
「ナシオンさん」
「あぁ……」
ナシオンもタミオスの不自然な動きに気がついたようだ。
「どれ、紅茶でも淹れてやろうかな」
「また、あの渋い紅茶ですか?」
「お子ちゃまにはあの美味さがわからないみたいだね」
ふんと鼻を鳴らしてから、ナシオンは席を立つ。やはりお茶を準備してから会議室へと向かうようだ。
フィアナは先に会議室に入った。
「よう、お疲れさん。さっき、総帥がものすごい形相で俺を睨んでいった。やらかしたな?」
「やらかしたわけではありませんよ。私は、ただ事実を述べただけです。それに対して、アルテール殿下が墓穴を掘りました」
「墓穴? 何をやらかしたんだ?」
「聖女様が殺害されたときに、殺害現場にいたと、みなの前で証言してしまいましたね」
そこまで言い終えたとき、銀トレイに人数分のカップをのせて、ナシオンが室内に入ってきた。
「楽しそうですね」
「お前のそれは、あいかわらず不味そうだな」
「へっ。酒の飲み過ぎで、舌が狂ったんじゃないですか?」
トントン、ドンとカップをテーブルの上に置き、ナシオンはフィアナの隣の椅子にドサリと座った。
「ナシオンも揃ったことだ。フィアナ、今日の裁判の内容について教えてほしい」
タミオスの言葉に頷いてから、フィアナは先ほど法廷内で起こった出来事を、静かに語り始めた。感情まかせに言葉を荒らげることもなく、ただ事実を淡々と述べるだけ。
それでも話が進むうちに、ナシオンもタミオスも顔を曇らせていく。
「黒だろ?」
ナシオンがぼそりと呟く。
「アルテール殿下だろ? 短剣を落としたとか、子どものような言い訳じゃないかよ。いったいいくつになったんだ、あの人は」
呆れたように言葉を吐き出したナシオンは、紅茶をこくりと飲んだ。
フィアナもひととおり話を終え、渇いた喉を潤すかのようにカップに口をつけた。
「だが、我々が思っていたよりも大聖堂は腐っていたな」
イアンから聞いた内容も、フィアナは彼らに伝えた。今回の事件の根っこの部分には、大聖堂の歪んだ慣例が関係している。
子どもから大人へと成長しかけている巫女に魔石を取り込ませ、聖女、もしくは上巫女へと仕立て上げる。それだって、たくさん巫女がいるうちのほんの数える程度だというけれど、聖女や上巫女として認められた彼女は、教皇や枢機卿たちに身体を弄ばれながら、定期的に魔石を取り込まなければならない。
「そういえばイアンさんが、大聖堂の地下に何かがあると……」
「地下か……」
うぅむと、タミオスは唸るものの、その顔はどうしたものかと言っている。
彼が悩むのも仕方あるまい。
ドンドン、ドンドンと乱暴に会議室の扉が叩かれた。
「なんだ? 打ち合わせ中だ」
タミオスが慣れた様子で答えるものの、扉は乱暴に開かれた。
「大事な打ち合わせ中に悪いな」
「そ、総帥……」
ガタガタと音を立ててタミオスは立ち上がる。フィアナもナシオンもつられて席を立つ。
「まったく……先ほどのあれはおまえの差し金か?」
「ち、ちがいます。彼女が何を言ったのかなんて、俺はさっぱりわかりませんからね」
「ふん、まぁいい。それよりも、おまえたちも捜査に入れ」
総帥はナシオンとフィアナをギロリと睨みつけた。ナシオンなんて肩をすくめている。
「捜査? どちらにですか?」
フィアナが尋ねれば「大聖堂だ」と返ってくる。
フィアナはナシオンと顔を見合わせる。
「おいおい、フィアナ……お前のせいでもあるんだからな?」
そう言った総帥の声は、けしてフィアナを咎めているわけではない。
「あのあと、アルテール殿下がな。大聖堂の話を暴露し始めて、捜査に入らないわけにはいかない状況になった」
「ですが、今、カリノさんの捜査中ですよね?」
「その件と、アルテール殿下の件は別だ。アルテール殿下が言うには、大聖堂では非人道的な実験が行われていると。そういったたれ込みがあったなら、我々としては事実を確認する必要があるだろう?」
だからアルテールが言ったからではなく、そういった事実があるというたれ込みがあったことが原因だとでも強調するかのようだった。
「先ほどの子も逆移送でこちらに送り返される。そっちはそっちで再捜査。はっきりいって今、手が足りない。おまえたちも大聖堂に行き、捜査にくわわってくれ。特にフィアナ。おまえは怪しいと思ったところを徹底的に洗い出してこい」
はい、とフィアナは返事をした。
「タミオス。お前は私と一緒に、指揮を取れ。あっちもこっちもで、もう手が回らん」
「はい」
こんなときでも、三人分のカップをささっと片づけるナシオンには頭が上がらない。
フィアナとナシオンは、素早く準備をすませると大聖堂へと足を向ける。
「まったく……いったい、何が起こったのやら……」
走りながらもナシオンがそうぼやくのも仕方ないだろう。フィアナだって同じ思いだ。
「ですが。イアンさんが言っていた地下室。もしかしたら、入れるかもしれませんね」
「かもしれない。じゃなくて、入らなきゃやばいだろ?」
大聖堂に近づくと「キャー」という、女性特有の甲高い声が聞こえる。
フィアナはとにかく顔見知りの誰かを探すことにした。門扉の前にはイアンが立っている。
「あ、イアンさん……」
「あぁ。私もあなたを探しておりました。これはいったい、どういうことでしょう? 突然、彼らが押し寄せてきて……今、大聖堂の中は混乱しております」
「申し訳ありません。巫女たちには、自室に戻るようにと言ってもらえませんか? 彼女たちを脅そうとか思っているわけではありません。私たちは、真実を暴きにきました」
イアンはフィアナとナシオンに交互に視線を向けた。
「そうですね。先に来たあの者たちよりも、あなたたちのほうが信用はできますからね。どうぞ……」
そう言ったイアンは、近くにいた聖騎士らに指示を出し始める。
フィアナは大きく息を吸ってから、大聖堂の中に一歩、足を踏み入れた。
回廊には取り込んだであろう洗濯物が、放り出されている。騎士らの姿を目にした巫女たちが、慌てて逃げたようだ。
「もうちょっと、穏便にやれないのかね。あの人たちは……」
ナシオンも、ぼそりと呟いた。
「あいつら。頭の中まで筋肉みたいな存在だから、無理か」
ナシオンが自分で答えを出したところで、目の前に王国騎士団の彼らを見つけた。
「情報部のフィアナ・フラシスです」
フィアナは騎士の証である銀プレートを見せつける。
「同じく、ナシオン・ソレダー」
「私たちは総帥から、こちらの応援に入るように指示されました。ここの指揮を執っているのはどなたですか?」
この場の指揮を執っているのは、あの第一騎士団の団長だった。だが、彼の姿が見当たらない。
フィアナは目の前の騎士から、現状を聞き出した。どうやら彼らはこの場での待機を命じられているようだ。
「団長は、この先におります」
フィアナとナシオンは悩んだ結果、奥に進むことにした。まずは団長と会い、情報共有が必要だ。と同時に、巫女らに必要以上に近づかないようにと、念を押すのも必要だろう。
「なんだって、短時間で様変わりした感じだな」
ナシオンの言葉に頷く。
先ほどまで、カリノの裁判を行っていた。それが終わってしばらくしたらこのざまだ。動きが早すぎる。
「あ、団長」
ナシオンが声をあげると、第一騎士団の団長がこちらに気づいて、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
フィアナは自席で、机に突っ伏していた。外はとっぷりと闇に包まれている。長い一日だった。
とにかく疲れた。このひと言にかぎる。
「ほらよ。お疲れさん」
ナシオンが、机の上にコトリとカップを置いた。
「はぁ。今は、ナシオンさんに不味い紅茶が身体に染みます」
渋いはずの紅茶なのに、今はその味すら感じない。
「相変わらず失礼なやつだな」
笑いながら、ナシオンも席につく。
大聖堂の捜査の応援に入ったまではよかった。
大聖堂の地下室にまで捜査の手が伸びようとしたとき、枢機卿らは大反対したらしい。そうなれば、第一騎士団の彼らだって怪しむだろう。
なんだかんだと押し問答を繰り広げた結果、地下室へと踏み込んだのだが――。
「イアンさんの言うとおりでしたね……」
彼は大聖堂の地下室というキーワードをフィアナに伝えた。それはきっと、地下室を捜査しろという意味だったのだろうなと、今になって思う。
地下室から出てきたのは、大量の魔石だ。これは騎士団が把握している国の所有する魔石の量よりも、圧倒的に多いものであった。
つまり、彼らは違法に魔石を手にしていた。
さらに地下室の奥には、いくつかの女性の遺体が隠されてあった。防腐の術が施され、棺に綺麗に納められていた。彼女たちは、魔石を取り込んだものの、魔石に負けた巫女らだった。
魔石を取り込んだ者は、その力に負けるか、その力を奪い取るか、力の影響を受けないかの三種類に分かれるようだ。
そこからバタバタと捜査の手は巫女や聖騎士にも伸び、フィアナは巫女ら一人一人から話を聞くこととなった。といっても、始まった時間が時間なだけに、今日、一日ですべての巫女から話を聞くのは難しい。フィアナの見積もりでは少なくとも五日はかかる。
とにかく今日の分のそれが終わり、イアンとも話をして戻ってきたらすでに夜の時間帯。
それでもまだまだ大聖堂で見張りやら片づけやらを行っている騎士たちに比べれば、マシと言えよう。
教皇や枢機卿らを捕らえたのだが、こちらの地下牢にまで連れてくるには人手が足りないということで、大聖堂の牢を借りることにした。そこに、騎士団の人間を幾人か見張りとして配置している。
フィアナはなんとか戻って来られたが、これから巫女たちの話をまとめて報告書を作らねばならない。
軽く見積もって、日が替わる前に終わらないかコースである。むしろ、徹夜かもしれない。
「本当に大聖堂は腐っていたな……」
紅茶をずずっとすすりながら、ナシオンがしみじみと言葉にする。
「アルテール殿下のおかげで、騎士団も捜査に入れたってわけか……」
子どもの言い訳とか、散々アルテールを馬鹿にしていたナシオンは、コロリと手のひらを返してきた。
「だからって、アルテール殿下がされたことも、褒められたものではありませんけどね」
大聖堂で巫女から話を聞いたフィアナだが、前回、話を聞くことができなかった上巫女らから、気になる話が聞けたのだ。
――アルテール殿下は、聖女様を脅しているようです。
その真偽を確認するために、巫女らから話を聞き終えたフィアナたちは、すぐにアルテールの元へと向かった。
彼はフィアナの顔を見るや否や嫌そうに顔をしかめたが、大聖堂に騎士団が突入し、地下室にある大量の魔石を押収した事実をつきつければ、意味深に口元を歪めた。
『殿下が、聖女様を脅していたというのは事実ですか?』
フィアナが詰め寄れば、彼もこれ以上の隠し事は無駄だと観念したのだろう。
ぽつり、ぽつりと、自身がラクリーアへ行った仕打ちを話し始める。
ナシオンの「くそが」という心の声が聞こえたような気がした。
アルテールはラクリーアを王城の裏庭にある東屋に呼び出し、身体の関係を迫った。ラクリーアには必ず護衛の騎士がついているが、ラクリーアが命じれば側を離れることもあると、アルテールは知っていた。
だからそうするようにと指示を出す。その指示に使ったのは、ラクリーアと通話ができる魔道具だ。あまりにもアルテールがしつこいからという理由で、ラクリーアが誰にも知られずに会話ができる方法として、提案したらしい。
そうやってラクリーアに迫ったアルテールは、すでに彼女の純潔が奪われていたと気がついたようだ。
そして、彼女が拒まないようにと、脅しに使ったのが短剣だった。
情事を済ませたアルテールは、放心状態のラクリーアをその場に捨て置いて、さっさと逃げ帰った。
悪気もなく、さらりと事務的に伝えるアルテールに、ナシオンの(くそが)という心の声が聞こえたような気がした。
『どうやら、そのときに短剣を落としたようだ……』
自身を守るための短剣を、脅しに使うからだ。
そう言いたくなったフィアナだが、その言葉をぐっと呑み込んだ。
『殿下は聖女様を殺していないと、主張なさるのですね?』
『当たり前だ。おまえたちの穴だらけの捜査で犯人にされるだなんて、たまったものではないな。騎士団は、もう少し真面目に捜査しろ』
そのように言われても、捜査の権限は第一騎士団が握っている。情報部所属のフィアナは、よっぽどのことがない限り、捜査そのものにくわわることはないのだ。
しかし今、よっぽどのことが起こっている。
『では、お尋ねしますが。アルテール殿下は、どなたが犯人だとお思いですか?』
『は。そんなの知るか。だがな、あれは俺を犯人に仕立てようとした罠に決まっている。俺を呼び出して、ラクリーアの死体を見せつけて。まして凶器が俺の短剣だなんてな。あの場に俺がいたようにしむけたかったのだろう』
『……ですが、殿下は聖女様から呼び出されたわけですよね? その、言葉のやりとりができる魔道具を使って』
『そうだ』
もしアルテールの言葉が事実だと仮定した場合、考えられる犯人は誰だろうか。
(もしかして、聖女様は……自分で……?)
この問題は、持ち帰りだ。この場で結論づけるには時期尚早だと判断した。
そうしてやっと司令室へと戻ってきた。その頃には、すでに外は暗かった。
ずきりと、こめかみが痛む。
「……おい、フィアナ。大丈夫か?」
はっと顔をあげると、ナシオンがこちらをのぞき込んでいた。
「急に黙り込んだから、眠ったのかと思った」
「あぁ、すみません。少し、考えごとを……」
だけど少しだけ意識を飛ばしてしまったのも事実。
ナシオンが淹れた渋めの紅茶を飲んで、目を覚ます。
「……アルテール殿下の話を聞いたら、やっぱりわからなくなってしまいました」
「何が?」
「……犯人ですよ。聖女様を殺した真犯人……」
「犯人がアルテール殿下説は完全に消えたのか?」
そう問われると、完全に消えたわけではない。もしかしたら、という気持ちがないわけでもない。
「仮に、アルテール殿下でないとしたら、誰が犯人だと思うんだ?」
ナシオンになら言っても大丈夫だろうか。
「一つは、聖女様が自ら命を絶った。そのうえでアルテール殿下を犯人に仕立てようとした」
ナシオンはカップを口元まで運ぼうとして、それを途中で止めた。
「そうなれば……カリノちゃんが共犯ってことか?」
「そうなんです。そうだった場合、カリノさんが一人であれをしなければならなくなり……やはり、そこは無理があるのかな、と考えています。それに、カリノさんの話を照らし合わせても、おそらく腹部を刺したことによる失血が直接の死因かと思うのです。聖女様自ら、腹部を刺す……ことはできなくなはいですが……」
ずずっと、ナシオンが紅茶を飲む。渋さを味わうかのようにしながら、何かを考え込んでいた。
「手っ取り早いのは、手首を切るか?」
ぼそりとナシオンが呟く。
「左手。見つかっていないだろ? 聖女が自ら手首を切った、その証拠を隠すために左手首が持ち去られた、とかな?」
「そうなれば……真犯人は手首を持ち去った人間……」
犯人確定のための情報量が少なすぎる。
「だがフィアナ。アルテール殿下の話を信じるということはだ、カリノちゃんが嘘をついてるってことだろ?」
ナシオンの言うとおりだ。カリノはアルテールに脅され、ラクリーアの首を切断したと証言したのだ。
「カリノさんを操っている人間が、他にもいるのではないでしょうか?」
「……それは、誰だ?」
むしろそれをフィアナが聞きたい。首を横に振る。
今までの登場人物で、犯人となりそうな人物はいるのだろうか。
「そういえば……カリノさんのお兄さん、キアロさんの行方はわかったのでしょうか?」
これ以上、フィアナが知る人物と言えばキアロくらいだ。
「さあな? 情報が入ってこないというのは、見つかっていないからだろ?」
誰が聖女を殺したのか。聖女の左手はどこへ消えたのか。
そして、カリノは嘘をついているのか。
それがさっぱりとわからなかった。
まずは情報を整理しなければならない。そう思って、報告書を書いていた。
――ドーン、ドーン!
地響きするような激しい爆発音が鳴った。それによって、司令室の窓が共振する。
「なんだ?」
窓際に駆け寄ったナシオンは、窓を開けて外を確認する。
夜だというのに、その先には明るく輝く何かがあった。
「フィアナ……火があがってる」
「えっ?」
フィアナも急いでナシオンの側に駆け寄って、彼の視線の先を確認する。同じように、室内に残っていた人間も、何事だと集まってきた。
「あの建物は……王城じゃないですか! 王城が燃えてる……?」
「おい、大変だ!」
そう言って司令室に勢いよく入ってきたのは、タミオスだった。彼もまた、大聖堂の件で振り回されている人間の一人だ。
「大聖堂に、火が放たれた。すぐに消火、人命救助に当たる」
「部長。大聖堂ですか? 王城ではなく?」
ナシオンの声に、タミオスが目を細くする。
「王城……? 火があがってるのか?」
開け放たれた窓から、燃えあがる炎が見えた。
「王城も? ちょっと待て。大聖堂から火の手があがったと俺は報告を受け、手の空いている者はそっちへ向かうように指示された。まずは、大聖堂に向かってくれ」
「王城はどうするんですか?」
ナシオンが声を荒らげる。
「とにかく今、他の者も呼び出し、すぐさま救助に当たるように指示を出す。王城には近衛騎士らが控えているから、彼らを信じるしかない」
「ナシオンさん。部長の指示に従いましょう。私たちは大聖堂に……」
誰もが、タミオスの言葉に従い、大聖堂へ向かおうとしたとき――。
ドーン! と、近くで爆発音が聞こえ、目の前が真っ暗になった。
**~*~*~**
わたくしは、隣国グラニト国の出身です。
十数年前には、グラニト国では幼い女児が行方不明になる事件が起こっておりました。そうですね、十歳までの女児が狙われているようでした。
わたくしも、両親からはけして一人で外を出歩かないようにと、しつこく言われておりました。
ですが彼らは、城の中にまで潜り込んでいたのです。
両親も使用人も誰もが寝静まった夜。わたくしは使用人に扮した彼らに、連れ去られました。
そして連れてこられたのが、この大聖堂です。
当時のわたくしは……そうですね、カリノがここに来たときと同じ八歳の頃。
他にも、わたくしと同じように連れ去られた子がいたので、彼女たちと励まし合って生活をしておりました。
教皇や枢機卿たちの言うことさえ聞けば、普通に生活ができておりましたので。
そうやって五年ほど、過ごしたでしょうか。
ちょうど十三歳になる年、当時の聖女様が特別なお菓子は食べないようにと、わたくしたちに言ったのです。そのときはなんのことかさっぱりわかりませんでした。
大聖堂では、二か月に一度、誕生日会が行われますよね。
そこでは、誕生日を迎えた者には、特別なお菓子が振る舞われるのを知っていますね?
当時の聖女様は、そのお菓子を食べないようにと言いたかったのでしょう。ですが、幼いわたくしたちにとって、特別なお菓子は楽しみなもの。
聖女様のお言葉なんて、すっかりと忘れていました。
それからしばらくして、身体が熱くて力が抜けるような感覚がありました。
寝台から下りることもままならず、見かねた同室の巫女が、枢機卿を呼んできたのは覚えています。
すぐに地下にある部屋へと運ばれ、特別な食事をとるようになりました。熱が高いからだと、彼らは言いましたが、今、思えば、きっとあれにも魔石が交ぜられていたのでしょうね。
熱に浮かされながら、枢機卿たちの言葉に従っておりました。
するとある日、熱はすっと下がり、身体が軽く感じられたのです。
部屋へとやってきたのは教皇でした。ファデル神からの神託がおりたとおっしゃったのです。つまり、わたくしが次の聖女であると。
実は、そのときにはすでに聖女様の神聖力も弱まっていたのです。
教皇の言葉に従えば、わたくしに神聖力が備わっているのがわかりました。何もないところに火がつき、風を起こし、ものを移動させる。
わたくし自身、信じられませんでした。
そこから、大聖堂でのわたくしの生活は一変しました。
前の聖女様から引継ぎ、次はわたくしが聖女として、みなの模範となり、人々を導いていく立場となったのです。
もちろん、まだ十三歳でしたので、そこには教皇や枢機卿の助けが多くあったのも事実。
そしてわたくしが聖女となって数日後、前の聖女様はお亡くなりになられました。
それから一年後、わたくしはカリノと出会ったのです。
戦争孤児を、巫女や聖騎士見習いにするというのは、教皇の考えです。
表向きは魔石の採掘権を巡ってグラニト国と争ったとされていますが、それを口実に戦争を起こし、一つの町を潰すのが目的だったのです。
それが鉱山近くにある国境の街、グルです。
そう、カリノたちが住んでいたあの街ですね。
そうやって彼らは、定期的に巫女や聖騎士見習いとなる子どもたちを手に入れていたのです。
さすがに、そろそろ子どもをさらってくることに限界を感じていたのでしょう。
どうして、子どもたちが必要なのかって?
巫女にするためです。最終的には、聖女、もしくは上巫女ですね。
以前は高貴なる血筋には神聖力が宿りやすいと思われていたようですが……。
そして大聖堂の秘密が漏れないようにと、聖騎士によってここを守らせるのです。
ファデル神に祈りを捧げたい民を受け入れながらも、彼らには大聖堂の深部までは見せることはありません。
そして彼らがファデル神によって救われたと思ったなら、大聖堂に多額の寄付金を納めるのです。
その寄付金を搾り取るために、わたくしも神聖力を使ったことがあります。
枢機卿らに言われて仕方なく……だなんて、言い訳にもなりませんね。
ですが、わたくしたちは教皇や枢機卿らに逆らえないのです。
わたくしは、魔石がないと生きていけません。十三歳の誕生日会で食べたお菓子に交ぜられていたのが魔石です。
その魔石によって、身体に神聖力が宿りました。
そこから定期的に魔石を食べて生きています。
魔石を食べなければ生きていけない身体になってしまったのです。
魔石の効果が切れると、激しい痛みに襲われます。その後、待っているのは死とも言われました。
大聖堂の地下の奥には、そうやって死を迎えた聖女や巫女たちの遺体が棺に納められております。
魔石の摂取を拒んだ彼女たちの遺体です。
それをわたくしに見せ、教皇らは脅すのです。
死してもなお、こうやって大聖堂に囚われてしまうのかと絶望しました。
となれば、彼らが死ぬまで生きてやると、そう決意したのもそのときです。
ですが、彼らから魔石をもらうために、わたくしは身体を差し出す必要がありました。
こんなに穢れたわたくしを、癒してくれたのがカリノです。
あなたとここで話をするときだけは、聖女ではないわたくしに戻れたような気がしました。
カリノはわたくしを姉だと言ってくれましたね。
その言葉が、どれだけわたくしを救ったか、あなたにはわからないでしょう。
そしてキアロ――。
彼は、わたくしを守るために専属の護衛に名乗り出てくれましたが、わたくしはそれを拒みました。
専属の護衛は、聖女の一番近くにいる代わりに、男性としての機能を奪われてしまうのです。
キアロはそれでもいいと言ったのですが、やはり、わたくし自身がそれを許すことができませんでした。
キアロには普通に幸せになってもらいたかったのです。
こんな腐った大聖堂にいつまでも捕らわれてほしくない。
そう思っていたのに、キアロも同じように思っていたようでした。
キアロは、わたくしに一緒に逃げようと言ってくださいました。
ですが、わたくしは魔石がないと生きていけない身体。そして、何よりも穢れています。
今、わたくしのお腹にはその穢れの証が宿っていることがわかりました。
わたくしだって、心のどこかではキアロと一緒になれる将来を夢みていました。
ですが、もう――…………。
カリノ、わたくしと出会ってくれてありがとう。
そして、キアロと出会わせてくれてありがとう。
あなたには心から感謝いたします。
どうかあなただけは幸せになってください。
あなたのことはわたくしの兄、グラニト国の王太子、ソティルに頼んであります。
そうですね。神聖力によって、わたくしは兄と連絡を取れるようになったのです。
わたくしの言葉が、兄に届くようになった。それだけは感謝しなければなりませんね。
ですから、わたくしの死。それはグラニト国がファーデン国へ攻め入る合図です――。
――そこで、魔道具はぽんと白い煙と共に消え去った。
「まず、カリノさんの逆移送を求めます。それから騎士団は、本件についてもう一度関係者から話を聞き、真相を洗い出してください。現状のままでは、カリノさんが犯人であるという証拠が揃っておりません。大聖堂では、例の短剣の血痕について調べてください」
その言葉に総帥らは神妙な面持ちで頷いた。ややこしくなってしまった、とでも思っているのだろう。
それに引き換え、イアンは涼しい顔をしている。
「以上で、閉廷とします」
カツーンと甲高い音が鳴り響いた。
「おい、フィアナ。どういうつもりだ」
退室しようとするフィアナを呼び止めたのは、第一騎士団の団長だ。
「どういうつもりも何も……私は、ただ事実を口にしただけです」
「そうじゃない。あの証拠品はなんだ!」
「証拠品……とまで言えるものかどうかわかりませんでしたので……」
「おまえ、情報部の人間だからって調子にのるなよ」
場所を考えろ、と二人のやりとりに入ってきたのは総帥だった。
「こうなったら、我々も身の振り方を考えるべきだ。行くぞ」
団長は総帥の声に素直に従いつつも、フィアナに向かって舌打ちするのは忘れなかった。
一気に気が抜けた。
「大丈夫ですか?」
イアンが穏やかに声をかけてきた。
「はい、大丈夫ですが。間違いなく彼らを敵に回しましたね」
フィアナは、ははっと笑って誤魔化した。
「騎士さま……」
右手にあたたかなものが触れたと思ったら、それはカリノの手だった。
「ありがとうございました……」
「カリノさん。まだお礼を言うのは早いですよ。これから真実を明らかにするため、再捜査が行われますから。そこで、アルテール殿下が今まで何をやってきたのかがわかるでしょう」
フィアナの言葉でカリノの口元がゆるんだ。
「カリノさんは、また騎士団預かりとなります。その手続きが終わるまではこちらで過ごすことになりますが……」
フィアナがそう言い終えたところで、カリノを引き取るために近衛騎士隊の人間がやってきた。
「今日は、なかなか面白いものを見させていただきました」
近衛騎士の男も不気味に笑う。
「手続きが終わり次第、騎士団本部にお戻ししますので」
「わかりました」
近衛騎士の男は、イアンに視線を向けた。
「大聖堂側も無傷とはいかないでしょうね」
「……覚悟のうえですよ。あの王太子を引きずり出せただけ、マシでしょう」
二人は腹の内を探り合うかのように視線を絡ませる。フィアナがそれに割って入る。
「では、カリノさんをよろしくお願いいたします」
フィアナが近衛騎士の男に頭を下げると、今までのイアンとのやりとりなどなかったかのように、彼も「お預かりします」と紳士に対応してくれた。
退室するカリノの背を見送ってから、フィアナも部屋を出ようと動き出す。
「……フィアナさん」
イアンに名前を呼ばれたのは初めてかもしれない。
「少し、お時間をいただけますか?」
それはフィアナにとっても願ってもない話だ。
アルテールの言葉には、いろいろと含みがあった。確認しておきたい点はいくつもある。
「はい……よろしくお願いします」
部屋を出て、二人並んで回廊を歩く。天窓から降り注ぐ太陽光により、生暖かい空気が頬にまとわりつくのが、ほんの少し不快だった。
王城の裏手にある庭園――裏庭は開放されていた。そこにぽつぽつと並ぶ東屋の一つに、二人は入った。
そよそよと風が吹き、花の香りを運んでくる。
「それで、どんなご用でしたか?」
フィアナが声をかけた。
時間をとってほしいと言ったのはイアンのほうだ。
「はい。あなたには、聖女の秘密を知っておいてもらったほうがよいのかと思いました」
「聖女様の秘密ですか?」
同じ日差しであるのに、天窓越しに感じる光と花々を照らす光は、違うもののように見える。
「はい。幼い巫女たちは、だいたい十三歳を境目に聖女になれるかどうか、判断されます」
淡々と言葉を紡ぎ出すイアンに、フィアナは耳を傾ける。
聖女になれるかどうかは、魔石の力を使いこなせるかどうかによるものらしい。
魔石の力を使いこなせると認められたら、その巫女は聖女と呼ばれる存在となるのだ。聖女とまではいかなくとも、魔石を利用できる力が認められれば上巫女と呼ばれるようになる。上巫女と呼ばれる彼女たちは、たいてい十八歳前後で力が発現するらしい。
しかし、それには代償が伴う。
一度、魔石の力を覚えた身体は魔石を欲するようになる。
「魔石を欲するって、具体的には魔石をどうしているのですか?」
フィアナが思いつくのは、魔石に触れることくらいだろう。だが、イアンの話を聞いているかぎり、聖女と魔石の関係はもっと深いもののように思えてきた。
「聖女や上巫女たちは、魔石を食べて生きているのです」
「えっ?」
自分の声とは思えぬような声を、フィアナは無意識に発していた。
「聖女になれる力があるかどうかを判断するとき、教皇らは巫女らに気づかれぬよう、彼女たちに魔石を食べさせます。それはお菓子の中に細かく砕いて紛れこませるのです。あの年の彼女たちにとって、お菓子は魅力的な食べ物ですからね。それからしばらくして、神聖力と呼ばれるような力が発現したら、その巫女は聖女として認められます。それから数年後、じんわりと魔石が身体に馴染んだ頃、微力ながら力が発現した巫女を上巫女と呼びまる。ですから、巫女らにとって十三歳前後、十八歳前後が彼女たちの将来を決める境目でもあるのです」
「つまり、神聖力と呼ばれる力は魔石によるものだと?」
「そうです。体内に魔石の力をため込み、それを神聖力として使っているのです」
にわかには信じられない話だ。だが、神聖力という不思議な力を持つ存在そのものも、冷静に考えれば信じられない話だ。
「では、その魔石の力を取り込むのをやめれば、神聖力は失われるということですか?」
「そうです……ですが、一度魔石の力を知った身体は、魔石を欲するようになります。それをやめれば、待っているのは死のみ」
ようは、一度魔石を食べて魔石の力を利用できるようになったら、その後は、つねに魔石を食べ続けなければならないということなのだろう。
食べても何も反応がなければ、魔石の力を受け入れる器ではないと判断されるようだ。
フィアナは知らぬうちに眉間に力を込めていた。魔石を食べるという行為が想像つかない。
「ですが、聖女の魔石は教皇が、上巫女の魔石は枢機卿が管理しています。だから彼らの許可がなければいくら聖女であっても、魔石を手にすることはできません。もちろん、上巫女の彼女たちも……」
そこでイアンは言いにくそうに顔を伏せた。
フィアナはさっと考えをめぐらせる。
魔石が必要となった聖女や上巫女。その魔石を管理しているのは教皇や枢機卿。となれば、彼女たちの命を握っているのは彼らとなる。
――ラクリーア。あいつは純潔じゃなかった。すでに奪われたあとだったよ。聖女なのに、おかしいよな?
アルテールの言葉が、頭の中で繰り返される。
「……もしかして、先ほどのアルテール殿下の言葉……聖女さまの純潔を奪ったのは……」
それ以上は言うなとでも言うかのように、イアンは大きく頷いた。
「フィアナさんの考えているとおりです。それに、あなたは……私がもう男性としての機能がないことをご存知なのでしょう?」
自嘲気味に笑うイアンだが、それでも彼は艶めいている。
「ええ、そういった話を耳にしたことはあります」
「大聖堂とは、そういうところなのです。私も若かった。聖騎士として聖女様の専属となれるのは、誇れるものだと思っていたのです。ですがね、この年になって考えるようになりました。本当にそれは正しいのかと……。そう思うようになったのも、あなたに出会ったからでしょうね」
「……えっ?」
「フィアナさんとは、何度か仕事で一緒になっております。お互い、騎士という職についておりますからね」
イアンの言うとおり、今までも同じ騎士として同じ任務についたことはある。だから今回も、顔見知りの聖騎士ということでイアンを頼ったのだ。名前は忘れていたが。
「そして、巫女であるカリノを信じようとするあなたの真っ直ぐな姿勢に、私もそろそろ自分の思うように動いてみようかと思ったのです。これ以上、私たちのような犠牲者を増やしてはならない……」
そして、イアンは小さく言葉を続ける。
――大聖堂の地下。
フィアナは素早く頷いた。
「さて、そろそろ戻りましょうか。カリノが逆移送となれば、王国騎士団のあなたもまた忙しくなるのでは?」
「私は情報部の人間ですから、直接的な捜査権はもっていないのです。こうやって話を聞いたり、あとは人知れず潜入したりして、情報を手に入れるのが仕事ですから」
「なるほど。情報には嘘も紛れ込んでいますからね。それを見抜くのもあなたたちの仕事というわけですね?」
「そうですね」
送ります、とイアンが言うので、フィアナは素直にその言葉に従うことにした。
ここから騎士団本部の建物まではすぐだというのに。
建物の入り口まで送ってもらい、フィアナはそこでイアンと別れた。
心の奥でくすぶっている熾火は、何に対しての思いなのかわからなかった。
「ただいま戻りました」
普段よりも明るい声で司令室内に入れば、すぐにタミオスが「こいこい」と手を振っている。ちらっと顔でしゃくった先は小会議室だ。さらに指をくいくいと曲げて、ナシオンも連れてこいと訴えていた。
「ナシオンさん」
「あぁ……」
ナシオンもタミオスの不自然な動きに気がついたようだ。
「どれ、紅茶でも淹れてやろうかな」
「また、あの渋い紅茶ですか?」
「お子ちゃまにはあの美味さがわからないみたいだね」
ふんと鼻を鳴らしてから、ナシオンは席を立つ。やはりお茶を準備してから会議室へと向かうようだ。
フィアナは先に会議室に入った。
「よう、お疲れさん。さっき、総帥がものすごい形相で俺を睨んでいった。やらかしたな?」
「やらかしたわけではありませんよ。私は、ただ事実を述べただけです。それに対して、アルテール殿下が墓穴を掘りました」
「墓穴? 何をやらかしたんだ?」
「聖女様が殺害されたときに、殺害現場にいたと、みなの前で証言してしまいましたね」
そこまで言い終えたとき、銀トレイに人数分のカップをのせて、ナシオンが室内に入ってきた。
「楽しそうですね」
「お前のそれは、あいかわらず不味そうだな」
「へっ。酒の飲み過ぎで、舌が狂ったんじゃないですか?」
トントン、ドンとカップをテーブルの上に置き、ナシオンはフィアナの隣の椅子にドサリと座った。
「ナシオンも揃ったことだ。フィアナ、今日の裁判の内容について教えてほしい」
タミオスの言葉に頷いてから、フィアナは先ほど法廷内で起こった出来事を、静かに語り始めた。感情まかせに言葉を荒らげることもなく、ただ事実を淡々と述べるだけ。
それでも話が進むうちに、ナシオンもタミオスも顔を曇らせていく。
「黒だろ?」
ナシオンがぼそりと呟く。
「アルテール殿下だろ? 短剣を落としたとか、子どものような言い訳じゃないかよ。いったいいくつになったんだ、あの人は」
呆れたように言葉を吐き出したナシオンは、紅茶をこくりと飲んだ。
フィアナもひととおり話を終え、渇いた喉を潤すかのようにカップに口をつけた。
「だが、我々が思っていたよりも大聖堂は腐っていたな」
イアンから聞いた内容も、フィアナは彼らに伝えた。今回の事件の根っこの部分には、大聖堂の歪んだ慣例が関係している。
子どもから大人へと成長しかけている巫女に魔石を取り込ませ、聖女、もしくは上巫女へと仕立て上げる。それだって、たくさん巫女がいるうちのほんの数える程度だというけれど、聖女や上巫女として認められた彼女は、教皇や枢機卿たちに身体を弄ばれながら、定期的に魔石を取り込まなければならない。
「そういえばイアンさんが、大聖堂の地下に何かがあると……」
「地下か……」
うぅむと、タミオスは唸るものの、その顔はどうしたものかと言っている。
彼が悩むのも仕方あるまい。
ドンドン、ドンドンと乱暴に会議室の扉が叩かれた。
「なんだ? 打ち合わせ中だ」
タミオスが慣れた様子で答えるものの、扉は乱暴に開かれた。
「大事な打ち合わせ中に悪いな」
「そ、総帥……」
ガタガタと音を立ててタミオスは立ち上がる。フィアナもナシオンもつられて席を立つ。
「まったく……先ほどのあれはおまえの差し金か?」
「ち、ちがいます。彼女が何を言ったのかなんて、俺はさっぱりわかりませんからね」
「ふん、まぁいい。それよりも、おまえたちも捜査に入れ」
総帥はナシオンとフィアナをギロリと睨みつけた。ナシオンなんて肩をすくめている。
「捜査? どちらにですか?」
フィアナが尋ねれば「大聖堂だ」と返ってくる。
フィアナはナシオンと顔を見合わせる。
「おいおい、フィアナ……お前のせいでもあるんだからな?」
そう言った総帥の声は、けしてフィアナを咎めているわけではない。
「あのあと、アルテール殿下がな。大聖堂の話を暴露し始めて、捜査に入らないわけにはいかない状況になった」
「ですが、今、カリノさんの捜査中ですよね?」
「その件と、アルテール殿下の件は別だ。アルテール殿下が言うには、大聖堂では非人道的な実験が行われていると。そういったたれ込みがあったなら、我々としては事実を確認する必要があるだろう?」
だからアルテールが言ったからではなく、そういった事実があるというたれ込みがあったことが原因だとでも強調するかのようだった。
「先ほどの子も逆移送でこちらに送り返される。そっちはそっちで再捜査。はっきりいって今、手が足りない。おまえたちも大聖堂に行き、捜査にくわわってくれ。特にフィアナ。おまえは怪しいと思ったところを徹底的に洗い出してこい」
はい、とフィアナは返事をした。
「タミオス。お前は私と一緒に、指揮を取れ。あっちもこっちもで、もう手が回らん」
「はい」
こんなときでも、三人分のカップをささっと片づけるナシオンには頭が上がらない。
フィアナとナシオンは、素早く準備をすませると大聖堂へと足を向ける。
「まったく……いったい、何が起こったのやら……」
走りながらもナシオンがそうぼやくのも仕方ないだろう。フィアナだって同じ思いだ。
「ですが。イアンさんが言っていた地下室。もしかしたら、入れるかもしれませんね」
「かもしれない。じゃなくて、入らなきゃやばいだろ?」
大聖堂に近づくと「キャー」という、女性特有の甲高い声が聞こえる。
フィアナはとにかく顔見知りの誰かを探すことにした。門扉の前にはイアンが立っている。
「あ、イアンさん……」
「あぁ。私もあなたを探しておりました。これはいったい、どういうことでしょう? 突然、彼らが押し寄せてきて……今、大聖堂の中は混乱しております」
「申し訳ありません。巫女たちには、自室に戻るようにと言ってもらえませんか? 彼女たちを脅そうとか思っているわけではありません。私たちは、真実を暴きにきました」
イアンはフィアナとナシオンに交互に視線を向けた。
「そうですね。先に来たあの者たちよりも、あなたたちのほうが信用はできますからね。どうぞ……」
そう言ったイアンは、近くにいた聖騎士らに指示を出し始める。
フィアナは大きく息を吸ってから、大聖堂の中に一歩、足を踏み入れた。
回廊には取り込んだであろう洗濯物が、放り出されている。騎士らの姿を目にした巫女たちが、慌てて逃げたようだ。
「もうちょっと、穏便にやれないのかね。あの人たちは……」
ナシオンも、ぼそりと呟いた。
「あいつら。頭の中まで筋肉みたいな存在だから、無理か」
ナシオンが自分で答えを出したところで、目の前に王国騎士団の彼らを見つけた。
「情報部のフィアナ・フラシスです」
フィアナは騎士の証である銀プレートを見せつける。
「同じく、ナシオン・ソレダー」
「私たちは総帥から、こちらの応援に入るように指示されました。ここの指揮を執っているのはどなたですか?」
この場の指揮を執っているのは、あの第一騎士団の団長だった。だが、彼の姿が見当たらない。
フィアナは目の前の騎士から、現状を聞き出した。どうやら彼らはこの場での待機を命じられているようだ。
「団長は、この先におります」
フィアナとナシオンは悩んだ結果、奥に進むことにした。まずは団長と会い、情報共有が必要だ。と同時に、巫女らに必要以上に近づかないようにと、念を押すのも必要だろう。
「なんだって、短時間で様変わりした感じだな」
ナシオンの言葉に頷く。
先ほどまで、カリノの裁判を行っていた。それが終わってしばらくしたらこのざまだ。動きが早すぎる。
「あ、団長」
ナシオンが声をあげると、第一騎士団の団長がこちらに気づいて、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。
フィアナは自席で、机に突っ伏していた。外はとっぷりと闇に包まれている。長い一日だった。
とにかく疲れた。このひと言にかぎる。
「ほらよ。お疲れさん」
ナシオンが、机の上にコトリとカップを置いた。
「はぁ。今は、ナシオンさんに不味い紅茶が身体に染みます」
渋いはずの紅茶なのに、今はその味すら感じない。
「相変わらず失礼なやつだな」
笑いながら、ナシオンも席につく。
大聖堂の捜査の応援に入ったまではよかった。
大聖堂の地下室にまで捜査の手が伸びようとしたとき、枢機卿らは大反対したらしい。そうなれば、第一騎士団の彼らだって怪しむだろう。
なんだかんだと押し問答を繰り広げた結果、地下室へと踏み込んだのだが――。
「イアンさんの言うとおりでしたね……」
彼は大聖堂の地下室というキーワードをフィアナに伝えた。それはきっと、地下室を捜査しろという意味だったのだろうなと、今になって思う。
地下室から出てきたのは、大量の魔石だ。これは騎士団が把握している国の所有する魔石の量よりも、圧倒的に多いものであった。
つまり、彼らは違法に魔石を手にしていた。
さらに地下室の奥には、いくつかの女性の遺体が隠されてあった。防腐の術が施され、棺に綺麗に納められていた。彼女たちは、魔石を取り込んだものの、魔石に負けた巫女らだった。
魔石を取り込んだ者は、その力に負けるか、その力を奪い取るか、力の影響を受けないかの三種類に分かれるようだ。
そこからバタバタと捜査の手は巫女や聖騎士にも伸び、フィアナは巫女ら一人一人から話を聞くこととなった。といっても、始まった時間が時間なだけに、今日、一日ですべての巫女から話を聞くのは難しい。フィアナの見積もりでは少なくとも五日はかかる。
とにかく今日の分のそれが終わり、イアンとも話をして戻ってきたらすでに夜の時間帯。
それでもまだまだ大聖堂で見張りやら片づけやらを行っている騎士たちに比べれば、マシと言えよう。
教皇や枢機卿らを捕らえたのだが、こちらの地下牢にまで連れてくるには人手が足りないということで、大聖堂の牢を借りることにした。そこに、騎士団の人間を幾人か見張りとして配置している。
フィアナはなんとか戻って来られたが、これから巫女たちの話をまとめて報告書を作らねばならない。
軽く見積もって、日が替わる前に終わらないかコースである。むしろ、徹夜かもしれない。
「本当に大聖堂は腐っていたな……」
紅茶をずずっとすすりながら、ナシオンがしみじみと言葉にする。
「アルテール殿下のおかげで、騎士団も捜査に入れたってわけか……」
子どもの言い訳とか、散々アルテールを馬鹿にしていたナシオンは、コロリと手のひらを返してきた。
「だからって、アルテール殿下がされたことも、褒められたものではありませんけどね」
大聖堂で巫女から話を聞いたフィアナだが、前回、話を聞くことができなかった上巫女らから、気になる話が聞けたのだ。
――アルテール殿下は、聖女様を脅しているようです。
その真偽を確認するために、巫女らから話を聞き終えたフィアナたちは、すぐにアルテールの元へと向かった。
彼はフィアナの顔を見るや否や嫌そうに顔をしかめたが、大聖堂に騎士団が突入し、地下室にある大量の魔石を押収した事実をつきつければ、意味深に口元を歪めた。
『殿下が、聖女様を脅していたというのは事実ですか?』
フィアナが詰め寄れば、彼もこれ以上の隠し事は無駄だと観念したのだろう。
ぽつり、ぽつりと、自身がラクリーアへ行った仕打ちを話し始める。
ナシオンの「くそが」という心の声が聞こえたような気がした。
アルテールはラクリーアを王城の裏庭にある東屋に呼び出し、身体の関係を迫った。ラクリーアには必ず護衛の騎士がついているが、ラクリーアが命じれば側を離れることもあると、アルテールは知っていた。
だからそうするようにと指示を出す。その指示に使ったのは、ラクリーアと通話ができる魔道具だ。あまりにもアルテールがしつこいからという理由で、ラクリーアが誰にも知られずに会話ができる方法として、提案したらしい。
そうやってラクリーアに迫ったアルテールは、すでに彼女の純潔が奪われていたと気がついたようだ。
そして、彼女が拒まないようにと、脅しに使ったのが短剣だった。
情事を済ませたアルテールは、放心状態のラクリーアをその場に捨て置いて、さっさと逃げ帰った。
悪気もなく、さらりと事務的に伝えるアルテールに、ナシオンの(くそが)という心の声が聞こえたような気がした。
『どうやら、そのときに短剣を落としたようだ……』
自身を守るための短剣を、脅しに使うからだ。
そう言いたくなったフィアナだが、その言葉をぐっと呑み込んだ。
『殿下は聖女様を殺していないと、主張なさるのですね?』
『当たり前だ。おまえたちの穴だらけの捜査で犯人にされるだなんて、たまったものではないな。騎士団は、もう少し真面目に捜査しろ』
そのように言われても、捜査の権限は第一騎士団が握っている。情報部所属のフィアナは、よっぽどのことがない限り、捜査そのものにくわわることはないのだ。
しかし今、よっぽどのことが起こっている。
『では、お尋ねしますが。アルテール殿下は、どなたが犯人だとお思いですか?』
『は。そんなの知るか。だがな、あれは俺を犯人に仕立てようとした罠に決まっている。俺を呼び出して、ラクリーアの死体を見せつけて。まして凶器が俺の短剣だなんてな。あの場に俺がいたようにしむけたかったのだろう』
『……ですが、殿下は聖女様から呼び出されたわけですよね? その、言葉のやりとりができる魔道具を使って』
『そうだ』
もしアルテールの言葉が事実だと仮定した場合、考えられる犯人は誰だろうか。
(もしかして、聖女様は……自分で……?)
この問題は、持ち帰りだ。この場で結論づけるには時期尚早だと判断した。
そうしてやっと司令室へと戻ってきた。その頃には、すでに外は暗かった。
ずきりと、こめかみが痛む。
「……おい、フィアナ。大丈夫か?」
はっと顔をあげると、ナシオンがこちらをのぞき込んでいた。
「急に黙り込んだから、眠ったのかと思った」
「あぁ、すみません。少し、考えごとを……」
だけど少しだけ意識を飛ばしてしまったのも事実。
ナシオンが淹れた渋めの紅茶を飲んで、目を覚ます。
「……アルテール殿下の話を聞いたら、やっぱりわからなくなってしまいました」
「何が?」
「……犯人ですよ。聖女様を殺した真犯人……」
「犯人がアルテール殿下説は完全に消えたのか?」
そう問われると、完全に消えたわけではない。もしかしたら、という気持ちがないわけでもない。
「仮に、アルテール殿下でないとしたら、誰が犯人だと思うんだ?」
ナシオンになら言っても大丈夫だろうか。
「一つは、聖女様が自ら命を絶った。そのうえでアルテール殿下を犯人に仕立てようとした」
ナシオンはカップを口元まで運ぼうとして、それを途中で止めた。
「そうなれば……カリノちゃんが共犯ってことか?」
「そうなんです。そうだった場合、カリノさんが一人であれをしなければならなくなり……やはり、そこは無理があるのかな、と考えています。それに、カリノさんの話を照らし合わせても、おそらく腹部を刺したことによる失血が直接の死因かと思うのです。聖女様自ら、腹部を刺す……ことはできなくなはいですが……」
ずずっと、ナシオンが紅茶を飲む。渋さを味わうかのようにしながら、何かを考え込んでいた。
「手っ取り早いのは、手首を切るか?」
ぼそりとナシオンが呟く。
「左手。見つかっていないだろ? 聖女が自ら手首を切った、その証拠を隠すために左手首が持ち去られた、とかな?」
「そうなれば……真犯人は手首を持ち去った人間……」
犯人確定のための情報量が少なすぎる。
「だがフィアナ。アルテール殿下の話を信じるということはだ、カリノちゃんが嘘をついてるってことだろ?」
ナシオンの言うとおりだ。カリノはアルテールに脅され、ラクリーアの首を切断したと証言したのだ。
「カリノさんを操っている人間が、他にもいるのではないでしょうか?」
「……それは、誰だ?」
むしろそれをフィアナが聞きたい。首を横に振る。
今までの登場人物で、犯人となりそうな人物はいるのだろうか。
「そういえば……カリノさんのお兄さん、キアロさんの行方はわかったのでしょうか?」
これ以上、フィアナが知る人物と言えばキアロくらいだ。
「さあな? 情報が入ってこないというのは、見つかっていないからだろ?」
誰が聖女を殺したのか。聖女の左手はどこへ消えたのか。
そして、カリノは嘘をついているのか。
それがさっぱりとわからなかった。
まずは情報を整理しなければならない。そう思って、報告書を書いていた。
――ドーン、ドーン!
地響きするような激しい爆発音が鳴った。それによって、司令室の窓が共振する。
「なんだ?」
窓際に駆け寄ったナシオンは、窓を開けて外を確認する。
夜だというのに、その先には明るく輝く何かがあった。
「フィアナ……火があがってる」
「えっ?」
フィアナも急いでナシオンの側に駆け寄って、彼の視線の先を確認する。同じように、室内に残っていた人間も、何事だと集まってきた。
「あの建物は……王城じゃないですか! 王城が燃えてる……?」
「おい、大変だ!」
そう言って司令室に勢いよく入ってきたのは、タミオスだった。彼もまた、大聖堂の件で振り回されている人間の一人だ。
「大聖堂に、火が放たれた。すぐに消火、人命救助に当たる」
「部長。大聖堂ですか? 王城ではなく?」
ナシオンの声に、タミオスが目を細くする。
「王城……? 火があがってるのか?」
開け放たれた窓から、燃えあがる炎が見えた。
「王城も? ちょっと待て。大聖堂から火の手があがったと俺は報告を受け、手の空いている者はそっちへ向かうように指示された。まずは、大聖堂に向かってくれ」
「王城はどうするんですか?」
ナシオンが声を荒らげる。
「とにかく今、他の者も呼び出し、すぐさま救助に当たるように指示を出す。王城には近衛騎士らが控えているから、彼らを信じるしかない」
「ナシオンさん。部長の指示に従いましょう。私たちは大聖堂に……」
誰もが、タミオスの言葉に従い、大聖堂へ向かおうとしたとき――。
ドーン! と、近くで爆発音が聞こえ、目の前が真っ暗になった。
**~*~*~**
わたくしは、隣国グラニト国の出身です。
十数年前には、グラニト国では幼い女児が行方不明になる事件が起こっておりました。そうですね、十歳までの女児が狙われているようでした。
わたくしも、両親からはけして一人で外を出歩かないようにと、しつこく言われておりました。
ですが彼らは、城の中にまで潜り込んでいたのです。
両親も使用人も誰もが寝静まった夜。わたくしは使用人に扮した彼らに、連れ去られました。
そして連れてこられたのが、この大聖堂です。
当時のわたくしは……そうですね、カリノがここに来たときと同じ八歳の頃。
他にも、わたくしと同じように連れ去られた子がいたので、彼女たちと励まし合って生活をしておりました。
教皇や枢機卿たちの言うことさえ聞けば、普通に生活ができておりましたので。
そうやって五年ほど、過ごしたでしょうか。
ちょうど十三歳になる年、当時の聖女様が特別なお菓子は食べないようにと、わたくしたちに言ったのです。そのときはなんのことかさっぱりわかりませんでした。
大聖堂では、二か月に一度、誕生日会が行われますよね。
そこでは、誕生日を迎えた者には、特別なお菓子が振る舞われるのを知っていますね?
当時の聖女様は、そのお菓子を食べないようにと言いたかったのでしょう。ですが、幼いわたくしたちにとって、特別なお菓子は楽しみなもの。
聖女様のお言葉なんて、すっかりと忘れていました。
それからしばらくして、身体が熱くて力が抜けるような感覚がありました。
寝台から下りることもままならず、見かねた同室の巫女が、枢機卿を呼んできたのは覚えています。
すぐに地下にある部屋へと運ばれ、特別な食事をとるようになりました。熱が高いからだと、彼らは言いましたが、今、思えば、きっとあれにも魔石が交ぜられていたのでしょうね。
熱に浮かされながら、枢機卿たちの言葉に従っておりました。
するとある日、熱はすっと下がり、身体が軽く感じられたのです。
部屋へとやってきたのは教皇でした。ファデル神からの神託がおりたとおっしゃったのです。つまり、わたくしが次の聖女であると。
実は、そのときにはすでに聖女様の神聖力も弱まっていたのです。
教皇の言葉に従えば、わたくしに神聖力が備わっているのがわかりました。何もないところに火がつき、風を起こし、ものを移動させる。
わたくし自身、信じられませんでした。
そこから、大聖堂でのわたくしの生活は一変しました。
前の聖女様から引継ぎ、次はわたくしが聖女として、みなの模範となり、人々を導いていく立場となったのです。
もちろん、まだ十三歳でしたので、そこには教皇や枢機卿の助けが多くあったのも事実。
そしてわたくしが聖女となって数日後、前の聖女様はお亡くなりになられました。
それから一年後、わたくしはカリノと出会ったのです。
戦争孤児を、巫女や聖騎士見習いにするというのは、教皇の考えです。
表向きは魔石の採掘権を巡ってグラニト国と争ったとされていますが、それを口実に戦争を起こし、一つの町を潰すのが目的だったのです。
それが鉱山近くにある国境の街、グルです。
そう、カリノたちが住んでいたあの街ですね。
そうやって彼らは、定期的に巫女や聖騎士見習いとなる子どもたちを手に入れていたのです。
さすがに、そろそろ子どもをさらってくることに限界を感じていたのでしょう。
どうして、子どもたちが必要なのかって?
巫女にするためです。最終的には、聖女、もしくは上巫女ですね。
以前は高貴なる血筋には神聖力が宿りやすいと思われていたようですが……。
そして大聖堂の秘密が漏れないようにと、聖騎士によってここを守らせるのです。
ファデル神に祈りを捧げたい民を受け入れながらも、彼らには大聖堂の深部までは見せることはありません。
そして彼らがファデル神によって救われたと思ったなら、大聖堂に多額の寄付金を納めるのです。
その寄付金を搾り取るために、わたくしも神聖力を使ったことがあります。
枢機卿らに言われて仕方なく……だなんて、言い訳にもなりませんね。
ですが、わたくしたちは教皇や枢機卿らに逆らえないのです。
わたくしは、魔石がないと生きていけません。十三歳の誕生日会で食べたお菓子に交ぜられていたのが魔石です。
その魔石によって、身体に神聖力が宿りました。
そこから定期的に魔石を食べて生きています。
魔石を食べなければ生きていけない身体になってしまったのです。
魔石の効果が切れると、激しい痛みに襲われます。その後、待っているのは死とも言われました。
大聖堂の地下の奥には、そうやって死を迎えた聖女や巫女たちの遺体が棺に納められております。
魔石の摂取を拒んだ彼女たちの遺体です。
それをわたくしに見せ、教皇らは脅すのです。
死してもなお、こうやって大聖堂に囚われてしまうのかと絶望しました。
となれば、彼らが死ぬまで生きてやると、そう決意したのもそのときです。
ですが、彼らから魔石をもらうために、わたくしは身体を差し出す必要がありました。
こんなに穢れたわたくしを、癒してくれたのがカリノです。
あなたとここで話をするときだけは、聖女ではないわたくしに戻れたような気がしました。
カリノはわたくしを姉だと言ってくれましたね。
その言葉が、どれだけわたくしを救ったか、あなたにはわからないでしょう。
そしてキアロ――。
彼は、わたくしを守るために専属の護衛に名乗り出てくれましたが、わたくしはそれを拒みました。
専属の護衛は、聖女の一番近くにいる代わりに、男性としての機能を奪われてしまうのです。
キアロはそれでもいいと言ったのですが、やはり、わたくし自身がそれを許すことができませんでした。
キアロには普通に幸せになってもらいたかったのです。
こんな腐った大聖堂にいつまでも捕らわれてほしくない。
そう思っていたのに、キアロも同じように思っていたようでした。
キアロは、わたくしに一緒に逃げようと言ってくださいました。
ですが、わたくしは魔石がないと生きていけない身体。そして、何よりも穢れています。
今、わたくしのお腹にはその穢れの証が宿っていることがわかりました。
わたくしだって、心のどこかではキアロと一緒になれる将来を夢みていました。
ですが、もう――…………。
カリノ、わたくしと出会ってくれてありがとう。
そして、キアロと出会わせてくれてありがとう。
あなたには心から感謝いたします。
どうかあなただけは幸せになってください。
あなたのことはわたくしの兄、グラニト国の王太子、ソティルに頼んであります。
そうですね。神聖力によって、わたくしは兄と連絡を取れるようになったのです。
わたくしの言葉が、兄に届くようになった。それだけは感謝しなければなりませんね。
ですから、わたくしの死。それはグラニト国がファーデン国へ攻め入る合図です――。
――そこで、魔道具はぽんと白い煙と共に消え去った。