今日は朝から雲一つない青空が広がっていた。天気が雨だろうが晴れだろうが、聖女殺しの捜査は続いている。そして、四日目ともなると苛立ちを隠せないような者たちが増えてきた。カリノを騎士団の地下牢で拘束するのは、十日間が限度だ。
「早く移送させろ」
 犯人はカリノと決めつける第一騎士団たちからは、そう言った声も聞こえてくる。それでも、凶器が見つかっていない以上、彼女が犯人であるとは言い切れない。誰かをかばっている可能性だってあり得るのだ。
 カリノは、自分が聖女を殺したと言っているわりには、凶器については何も証言しない。凶器のありかを知っているのか、凶器が何であるのかを知っているのか、疑わしいところでもある。
 だから彼らも、進展のないこの状況に苛立っているのだ。
 そんななか、フィアナは王太子アルテールから話を聞くこととなった。
 聖女ラクリーアに求婚していた王太子アルテール。ラクリーアがその求婚を拒み続けていたなか、彼女は殺された。単純なシナリオが、今回の事件の事実にどう絡んでくるのか、それを見極めねばならない。
 昨日、タミオスはすぐにアルテールへ話をもっていこうとした。しかし、聖女が殺されたという事実は、大聖堂側からの要求により、王族側にも隠されている。そのため、アルテールに話を聞く前に大聖堂へ寄り、参考人として王太子から話を聞きたいため、事実を一部、王族にだけ公表してもいいかと許可を取ってきたようだ。
 もちろん、その情報は騎士団上層部とも共有され、アルテールから話を聞くことについても承認された。その足でタミオスは王城へと向かう。
 タミオスから聖女の件を聞いたアルテールは悲しみ、事件解明のための協力は惜しまないとのことだった。
 いつもはのらりくらりとしているタミオスだが、やるときはやる男なのだ。
 だから、朝の会議が終わって早々に、フィアナはナシオンと共に王城へ向かっていた。
 建物は互いに独立しているものの、同じ敷地内にあるため、王族と騎士団はそれだけ近い関係でもある。
 王太子に会いに行くというのに、騎士団情報部所属というだけで今日も私服だった。といっても、上着を羽織ってクラヴァットも結んだ。いつものシャツにトラウザーズ姿よりも、少しだけめかし込んだ二人なのだが、ナシオンはクラヴァット片手に「結び方を忘れた」と騒いでいたため、仕方なくフィアナが結んであげた。
 騎士団の一員として式典などに出席する場合は、正装用の騎士服を身につけるため、クラヴァットを結ぶ機会などほとんどない。
「本日は、急な申し出にもかかわらず面会を許可いただき、ありがとうございます」
 フィアナとナシオンは簡単に名乗る。
 案内された場所は、応接の間だった。国内外の重鎮たちと面会をする部屋だと記憶している。だから、室内もいたるところに金色が飾り付けられており、天井の真ん中からつり下がっているシャンデリアも、ろうそくに似た形の魔道ランプを何十本も灯す形状となっている。魔石の無駄遣いのようなこの部屋だが、そう思っても口に出してはならない。
「いや、聖女が亡くなったことについては、私としても協力できることは協力したいと思っていた」
 そう言ったアルテールは金色のまつげを伏せ、悲しんでいるような仕草を見せた。
「だが、すでに犯人は拘束されているのだろう? さっさと処刑すればいいじゃないか。それにまだ、民には公表していないと聞いたのだが?」
「聖女ラクリーア様がお亡くなりになられたことは、まだ伏せております。事実を知った民が、暴挙に出るのを防ぐためでもあります。新しい聖女様が決まり次第、公表するというのが大聖堂からの通達です」
 フィアナとナシオンは、花柄の刺繍の入ったソファに座っている。この刺繍だって凝ったものだというのは、一目見ただけでわかった。しかしこういった華やかな部屋は慣れない。取り調べ室のような、無機質な部屋のほうが、逆に居心地がいいと思ってしまうくらいだ。
「なるほどね。あいつらが考えそうな言い訳だな」
 アルテールの言葉からわかるように、大聖堂側と王族の仲がよいとはいいきれない。ただ、ファーデン国は太陽神ファデルが建国に尽力を尽くした国であるため、王族関係者たちも太陽神ファデルをないがしろにするわけではない。ファデル神を信仰しながらも、大聖堂に反発しているだけなのだ。
 その関係を、フィアナはもちろん把握している。だからアルテールがラクリーアに求婚した裏には、何が隠されているのかを見極めたかった。
「早速ですが、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「しかし、王族と大聖堂側の関係は君も把握しているだろう? つかず離れず。必要最小限しか付き合わない。そういった関係だ」
「はい。ただ、王太子殿下が聖女ラクリーア様に求婚されたというお話を伺ったものですから、そちらの真偽を確かめに参りました」
「ほほぅ」
 アルテールの顔色が変わった。
「まあ、いいだろう。ここまでくれば隠すようなことはないからな。あぁ、私は聖女ラクリーアに求婚した。それが何か問題でも?」
「いえ。問題はありません。事実かどうかを確認したかっただけですので。つまり、求婚は実際にあったと」
「だけどね。残念ながら、向こうに受け入れてもらえなかったんだ。だから、婚約にはいたっていないよ」
 そう言ったアルテールは肩をすくめておどけてみせる。
「この私を振るとは、聖女も見る目がないよね?」
 どう返事をすれば正解なのか、フィアナにはまったくわからない。隣のナシオンをゆるりと見やれば、うんうんと頷いているから「そうですね」と小さく声に出した。
「ところで、殿下はなぜ聖女ラクリーア様に求婚を?」
 目下のところ、それが謎だった。
 今さらながら、王族と大聖堂のつながりを太くしたいと考えるわけでもないだろう。
「なぜ? なぜと聞かれると難しいな。だが、彼女に惹かれる何かがあったとだけ答えておこうかな。あまり、人の色恋沙汰を追求するものではないよ。私のように傷心を抱く男のことは、そっとしておいたほうがいい。君が慰めてくれるならまだしも」
「それは、失礼いたしました」
 フィアナは素直に頭を下げる。この男も非常にやりづらい相手だ。その身分はもちろんのこと、こちらを探るような形で話をのらりくらりと交わしている。
「では、形式として質問させていただきます」
 つまりこれから質問する内容は、騎士団情報部として決まりきったやり方なのですと、遠回しに伝えたつもりだが。
「君たち騎士団も大変だね。私には何もやましいことがないからね。気がすむまで質問してくれ。だけど、心の傷がやっと塞がり始めたところだからね。それをえぐらないように頼むよ。ただでさえ聖女が亡くなったと聞いて、こう見えてもショックを受けているんだ」
 そうは見えない。だからこそ「こう見えて」なのだろう。
「では、質問させていただきます。三日前の夜から朝方にかけて、殿下はどちらにおりましたか?」
「どこ? その時間は寝室で眠っていたよ」
「それを証明してくれる人はおりますか?」
「控えの間に侍従は控えていたが……」
 つまり、同じ部屋には誰もいなかったということになる。こうなれば、アルテールがずっと自室で眠っていたという証明にはならない。隣室にいた侍従の目を盗み、自室から抜け出すことも可能だろう。
「そのときの侍従からも話を聞くかい? 私が朝までぐっすり眠っていたことを証明してくれるかと思うが?」
「では、あとでお話を伺わせてください」
 フィアナの言葉にアルテールは鷹揚に頷く。
「ところで、聖女ラクリーア様と最後に会ったのはいつですか?」
「う~ん、いつだったかなぁ? 一ヶ月くらい前だったかもしれない」
「最近は、あまりお会いになられていないのですね?」
 聖騎士イアンの話によると、はじめはアルテールがラクリーアを訪れていたが、大聖堂にいる巫女たちが騒ぐからと、ラクリーアが王城に足を運ぶようになった。それでも、最近まで、ほんの十日前にもラクリーアは王城を訪れたと言っていた。
「こちらの情報によりますと、聖女ラクリーア様が王城を訪れたのは十日前です。そのときは、お会いになられていないのですか?」
「ああ、十日前だったかもしれない。すまないね、日付の感覚が曖昧で」
「いえ。では、十日前には聖女ラクリーア様にお会いになられたわけですね?」
「ラクリーアがこちらに来たときには、顔を合わせている。なによりも好いた女性だ。機会があれば会いたいと思うだろう?」
 隣でナシオンが頷いているから、そういうもののようだ。
「それ以降は、お会いになられていない?」
「おそらく。まあ、私がいつ誰と会ったかは記憶されているだろうから、帰りにそれを確認してもらってかまわない」
「ご協力に感謝いたします」
 決まり切った台詞を、今まで何度、口にしただろうか。
 アルテールから聞いた話の裏付けととるために、彼付きの侍従からも話を聞いた。アルテールの就寝時には隣の間で控えてはいるものの、特別な呼び出しがないかぎり、寝室へ足を向けることはない。夜の事情で人払いされることもあるが、ここ十日ほどはそれもない。
 いつものように礼を告げたフィアナは、王城をあとにする。
「大した収穫も得られなかったな」
 ナシオンが頭の後ろで両手を組んで、とぼとぼと歩く。
 太陽の光がさんさんと降り注ぎ、騎士らの訓練の号令が風にのって聞こえてくる。ここだけはいつものようにゆったりと時間が流れている感じがした。
 フィアナはまっすぐ前を見る。
「ええ、話の内容はあらかた予想していたとおりなのですが……」
 そこでフィアナが言いよどむと「何か、気になることでもあるのか?」と、ナシオンが見下ろしてくる。
「そうですね。ナシオンさんは、気がつきませんでしたか?」
「何を?」
「この国で帯剣が許されているのは?」
「帯剣? 騎士と王族だろ?」
 ナシオンが答えたとおり、この国では騎士と王族のみが帯剣を許されており、今だってフィアナとナシオンも腰紐で剣を吊っている。だが、情報部に属する二人が持ち歩く剣は、刃渡りの短いもの。短剣である。上着によって隠されているため、すぐには誰も気づかない。
「アルテール殿下ですが、いつもは二本、帯剣しています。長剣と短剣、短剣は予備ですよね」
 騎士団でも常に長剣を帯剣している者は、予備として短剣も備えている。フィアナたちのように情報部の者たちは短剣のみを身につけているが。
「ですが、今。アルテール殿下は短剣を持っていませんでした」
「破損でもしたのか?」
 のほほんとしたナシオンの声だが、そこにはどこか憂いを孕んでいる。
「だが、王城に賊が侵入したという話も聞いていないな。短剣を扱う機会なんて、なかっただろう?」
「まあ、王族の帯剣なんて飾りのようなものですから」
 彼らの周囲には常に護衛の近衛騎士たちがうようよとしている。王国騎士団であっても、近衛騎士隊は先鋭の騎士たちの集まりだ。アルテールの身の周りに何かあったとしたら、彼が剣を抜く前に近衛騎士らが動くだろう。
「ですが、いくら飾りであっても短剣ですよ? 人を刺せないわけではないですからね」
 アルテールがなぜ短剣を持っていないのか、それがフィアナには気になった。
 あの場で確認しようと思ったものの、アルテールであればのらりくらりと話をかわすだろう。それとなく侍従に尋ねてみたが、そういった事案に心当たりはなさそうだった。
「その短剣が凶器だったりして」
 軽く言葉にしたナシオンだが、それを否定できないところが怖い。
「ナシオンさん。誤解されるようなことを言ってはダメですよ」
 一つの思い込みが、間違った道を選択してしまうことだってあるのだ。
「冗談だよ、冗談。フィアナは眉間にしわが寄りすぎ」
 まるで子どもをあしらうかのように、頭をぽんとなでられ、フィアナはじろりとナシオンを見上げた。
 司令室に戻れば、先ほど聞いてきた話を報告書としてまとめなければならない。
 話を聞いてはまとめ、まとめたら話を聞いて。
 情報部の役割は、聞いた話から真実の糸口を見つけること。
 だというのに、聖女殺しの犯人像はさっぱりと見えてこない。犯人がカリノだと言い切るだけの情報もない。
 カリノの言葉をうのみにして、彼女を犯人にしてしまっていいのだろうかと、何度も自問自答している。
 カリノは犯人ではないと本能はささやいているのに、それを証明できるだけの証拠もない。今のところ、彼女の自供が一番の材料となるだろう。
 このままいけば、カリノが犯人だと間違いなく確定する。
 自席に戻ったときには、タミオスの走り書きのメモが置いてあった。
 ――お嬢ちゃんが、話をしたいそうだ。
 これだけで十分に通じる。
 カリノは、フィアナがアルテールとどのような話をしてきたかが聞きたいのだ。アルテールが何を言ったのか。彼が何を隠しているのか。
 だが、こうやってフィアナがカリノと話をするのも、そろそろ終わりだろう。
 真実を聞き出せないまま、カリノが犯人だと決められ、王城へ移送するのだ。
「ナシオンさん。お昼過ぎたころ、カリノさんのところに行こうと思っているのですが」
 タミオスからのメモをクシャリと握りしめたフィアナは、ナシオンへ声をかけた。
「わかった」
 ひらりと手を振ったナシオンも、今回の事件の資料に手を伸ばす。

 取り調べ室でナシオンと待っていると、カリノが女性騎士につれられてやってきた。
「こんにちは、騎士様。遅くなって、ごめんなさい」
「いいえ? カリノさん。顔色が悪いようですが、体調はいかがでしょうか?」
 カリノを椅子に座らせた女性騎士は、黙って部屋を出ていく。入り口で待っているのだ。仮にカリノがフィアナとナシオンを押し倒して部屋を出ていこうとしても、彼女たちが取り押さえてくれる。
「騎士様もおもしろいことをおっしゃいますね。あのような場所に四日も閉じ込められたら、疲れますよ。だから、早く場所をかえてください。そして、さっさと処刑してくださいな。死ねば、もう苦しむこともないのですから」
「先ほど、アルテール王太子殿下にお会いしてきました」
 カリノの話を遮るように、フィアナは口を開いた。
「そうですか。何か、お話をされたのですか?」
 はい、とフィアナはゆっくりと頷く。
「アルテール王太子殿下が、聖女ラクリーア様に求婚したかどうか、それを確認してきました」
 ニタリとカリノが笑みを浮かべる。
「それから昨日、大聖堂へも行き、そういった事実があったかどうかを聞いてきました」
「それで、どうでした? わたしが嘘を言っていないこと、わかりました?」
「はい。アルテール王太子殿下は、聖女ラクリーア様に求婚されたのは事実でした。ですが、聖女ラクリーア様がそれを拒んだため、婚約にはいたっていないと」
「そうですね。アルテール王太子殿下は、聖女様に振られたんですよ。滑稽ですね」
 くすくすと声を立てて笑う様子は、アルテールを馬鹿にしているようにも見える。
「一方的な思いだけでは、結婚はできませんからね。こればかりは仕方ありません。ですが、アルテール王太子殿下は、それ以降も聖女ラクリーア様とお会いになられていたようです」
「あきらめきれなかったのですよ。しつこい男は嫌われると思うのですが、騎士様はどう思われます?」
「そうですね。それは好みの問題になるので、一概には言えないかと」
「なるほど。騎士様はしつこい男でもかまわないと?」
 右手で口元をおさえながら、カリノは笑っている。
 後方にいるナシオンは黙っているものの、カリノに対する苛立ちが感じられた。それでも立ち上がったり、声を荒らげたりしないのは、立場をわきまえているからだ。
「相手がどのような方であるか。それは、時間をかけて知っていけばよいのです。少なくとも、私はそうします」
「つまり、出会ってすぐに求婚されても受け入れないってことですよね? それをやったのがアルテール王太子殿下なのです。聖女様だって困っておりました。王太子殿下の顔くらいは知っていたようですけれども、どのような人物であるかなんてさっぱりわからないと」
「でしたら、そこから聖女ラクリーア様は、アルテール王太子殿下を知ろうと努力されたのですか?」
「まさか」
 カリノは大げさに身体を反らす。
「第一印象は大事ですよね。聖女様にとって、アルテール王太子殿下の第一印象は『最悪』だったようです」
「それは、なかなか……」
 フィアナも何を言ったらいいかがわからない。第一印象で『最悪』だと思われるとは、いったい何をしたのだろうか。ちらりとナシオンに視線を向けてみたが、彼も唇を結び机の一点を見つめていた。
「……その後の関係改善というのは、難しいでしょうね。まして、相手が結婚を望んでいるのであれば」
「ふふっ、ですよね。だから、わたしもアルテール王太子殿下は嫌いなのです」
 カリノから感じられるのは、はっきりとした拒絶。
「だから、騎士様にいいことを教えてあげます」
 そう言った彼女の口が、ニィっと笑う。
「騎士様、アルテール王太子殿下と会って、何か、感じたことはありませんか?」
「感じたことですか?」
 フィアナは首を傾げる。フィアナだって頻繁にアルテールと顔を合わせているわけではない。騎士団に所属していながらも、情報部とあれば表に立つことはないからだ。王太子周辺の警護とか警備とか、フィアナには縁遠い仕事である。
「あるべきものがなかったとか、そういったことはありませんか?」
 またカリノがニタリと笑う。
「あるべきもの……」
 それは、例の短剣しか心当たりがない。それを口にしていいのかどうか。
「あっ、騎士様。やっぱり心当たりがあるのですね?」
 どうやら、顔に出てしまったようだ。情報部の人間として、感情を制御すべきところなのに、相手がカリノということもあって油断したのだ。
 それをめざとく見つけるカリノの観察力は、目を見張るものがある。
(……やはり、カリノさんが犯人だとは思えない)
 ずっと巣くっている違和感が、カリノが犯人ではないと訴え続けていた。けれど、その違和感の正体がわからないもどかしさ。
「そうですね。いつも、アルテール殿下が身につけている短剣が、ありませんでした」
「やっぱり、騎士様ですね。わたしが見込んだだけのことがあります」
 口元を手で覆ってくすくすと笑う。
「聖女様がお亡くなりになられた場所。そして王城。この二つの場所を結ぶどこかに、隠されていますよ」
「隠されている?」
 フィアナは腰を浮かしそうになったが、それをぐっと耐えた。
「何が、隠されているというのですか?」
 一つ息を吐いて、カリノに尋ねた。
「さあ? なんでしょう? ですが、騎士様が思っているものかと。それとも、アルテール殿下がなくされたもの、と言えばいいですか?」
 そこでまた、カリノは口を閉ざした。
「カリノさん。ここにいられるのは、十日間が限度です。ですから、知っていることがあれば話をしてほしいのです」
 カリノは答えない。
「王城に移送されると、裁判が開かれ刑が確定します。王城の地下牢では、私はカリノさんを助けることができません」
 その言葉に、カリノは肩をピクリと震わせた。それからニッコリと微笑んだ。
「アルテール王太子殿下の短剣を見つけてください。わたしが、それを隠しました。騎士様、今日のおしゃべりは、もうおしまいです。短剣が見つかったら、またここに来てください」
 そこでピタリとカリノは口をつぐんだ。
 フィアナはナシオンに目配せをして、立ち上がる。
「わかりました。カリノさんの思いを、けして無駄にはしません」
 カリノは先ほどの女性騎士に連れられ、戻っていく。
「フィアナ」
 ナシオンの声は鋭い。
「わかっています。まずは部長の許可をとらなければなりません」
「第一は、動くか?」
 主にそういった外での捜査は第一騎士団の役目だ。
「わかりません」
 彼らは、カリノをそのまま犯人として、王城への移送を希望している。これ以上、証拠らしい証拠が出てこないのも原因だ。だから十日も待たずにカリノを王城へ移そうとしている。
「部長」
 司令室に戻り、自席に座っていたタミオスへと、二人はずかずかと向かう。
「お、おう。二人そろって、どうしたんだ?」
 フィアナもナシオンも、怖い顔をしていたのだろう。タミオスが、一瞬、怯んだ。
「お話があります。カリノさんから、凶器と思われる証言を引き出しました」
 タミオスは室内をぐるりと見渡してから、顎をしゃくる。ここでは話す内容ではない、別室に移動だと、無言で伝えている。
「では、小一で」
 小一とは第一小会議室を指す。各会議室は、魔石を用いて声が漏れないようにされている。小会議室は、五人も入ればいっぱいになってしまうような、狭い部屋だった。
「それで? あの嬢ちゃんが何を言ったんだ?」
 椅子を引いて座るやいなや、タミオスが切り出した。
「凶器は、アルテール王太子殿下の短剣である、と」
「はぁ?」
 フィアナが伝えれば、タミオスは素っ頓狂な声を出す。魔石がなければ、その声は司令室にまで響き渡るのではないかと思えるほどの。
「いやいやいや、ちょっと待て。なぜ、そこにアルテール王太子殿下が出てくる?」
「それは、わかりませんが……とにかく、その短剣が聖女殺害の凶器として使われたようなのです」
「で? その凶器はどこにある」
「それを第一に探してもらいたいのですが……」
 腕を組んで、せいいっぱい背もたれに身体を預けたタミオスは、天井を見上げた。それから、犬のようにぶるぶると顔を左右に振る。
「駄目だ……あいつらには、そんなこと言えない……」
「駄目ってどういうことですか?」
 フィアナがバンと机を叩いて身を乗り出した。
「相手は、アルテール王太子殿下だ。つまり、それは王太子が犯人だと、そう言っているようなものだろう? 俺らはまだしも、第一や近衛は王族の腰巾着だ」
 チッとナシオンが舌打ちをする。
 王国騎士団。その名のとおり、国に忠誠を誓う騎士団だ。国の中心に王族がいるのだから、もちろんそこへも忠誠を誓う。
 彼らが黒といえば、白いものも黒にする。そう教え込まれている。
 公正でありながら、不正がはびこっている組織なのだ。国民のためにと言いながら、結局は王族のための組織。
 だが情報部だけは、他国の諜報活動も行うことから、そういった考えに染められていない部分もあった。
「第一の奴らは、十日も待たずにして嬢ちゃんを王城へ移送するようだ」
「ですが、カリノさんは犯人ではありません。聖女様を殺した犯人は別にいます」
「そう思う根拠はなんだ?」
「それは……」
 そうであってほしいというフィアナの願望かもしれない。勘と言い切ってしまってもいいが、勘のどこかにも希望が含まれている。
「わかりませんが、だけど、彼女に聖女様を殺すことはできません。相手は聖女様ですよ? 魔石のような存在で、神聖力を使えると言われている……それに、彼女一人で首の切断などできるとお考えですか?」
「つまり、共犯者がいると言いたいのか?」
「もしかしたら、誰かをかばっているのか……」
「その誰かが、アルテール王太子殿下だと?」
 流れ的にはそう考えるのが自然だろう。だけど彼女は、アルテールを嫌っている。
「例えばですけど」
 そう切り出したナシオンの声は、ほかの二人よりもずいぶんと明るい。
「相手は王太子ですからね。カリノちゃんが脅されているとか、そういうこともありませんかね?」
「どういうことだ?」
 タミオスが目を細くして、じろりとナシオンを見やった。
「王太子が聖女を殺したところに、たまたま幼い巫女が現れて。焦った王太子は巫女を脅した、とかね? 俺の代わりに聖女を殺したと自首してこい、とか?」
「おいおい、ナシオン。脅すというのは、相手の弱みを握るから成り立つもので、通りすがりの巫女に脅されるような材料があるのか?」
「あるでしょ」
 さも当たり前のようなナシオンの言葉に、フィアナも目を丸くした。
「大聖堂の巫女。この存在だけで、十分に脅しの材料になりますよ。ほかの巫女に手を出す、大聖堂への援助を打ち切る、などなど。彼らの考えそうなことではありませんか?」
「おいおい、お前たち。自分がどれだけ危険なことを言っているのか、わかっているのか?」
「わかっています。ですが、このまま闇に葬り去ってもよい案件だとは思えません。仮に王太子殿下が聖女様を殺害したのであれば、やはりそこははっきりすべきです」
 フィアナがこれほどまで大きな声を出すのも珍しいだろう。
「動機はなんだ? お嬢ちゃんが聖女様を殺す理由がないのであれば、王太子殿下にだってないだろ?」
「聖女と王太子という関係であればないのかもしれませんが。男と女になればあるのでは?」
 ナシオンの言葉にタミオスもぎょっと目を見開く。ナシオンののんべんだらりとした言い方が思い雰囲気をやわらげてはいるものの、それがタミオスの眉間のしわの原因にもなるのだ。
「王太子は聖女に求婚して振られているようです。しかも、聖女からみれば王太子の第一印象は最悪ときたもんだ。それはもう、挽回できないくらいに。それでも王太子はしつこく聖女のもとへ通っていたようですが、聖女はそれを全力で拒否する。だというのに、それが突然、聖女のほうから王城へ向かうようになった。あれだけ王太子を嫌っていたはずなのに、なぜ王城へ行くようになったのか? この心変わり具合もよくわからないのですがね。まあ、二人の関係は交際にまでは発展していないみたいですけど。とにかく、聖女を手に入れたい王太子と、その王太子から逃げたい聖女。そんな男女であれば、もめ事も起こりやすいのではないですか?」
 タミオスが額に右手を押しつけて唸っている。
「お前たちは、頭が痛くなるようなことしか言わないな」
「俺が言ったわけではないですよ? カリノちゃんが言ったんですって。王太子は聖女に振られたってね。ですがね、振られてもしつこく言い寄って、その挙げ句に感情が爆発したってこともあるかもしれませんよね? まあ、そんな事件、その辺にもごろごろしているでしょう?」
 ナシオンの言ったことが間違いではないのが恐ろしい。
 恋人、夫婦関係のもつれから事件が起こるというのは、ここ王都エルメルでも珍しい話しではない。そういった事件の捜査に駆り出されたことだって、何度もある。
「とにかくだ。この件について、俺からはなんも言えねぇ。第一の奴らにも伝えない。だが、お前たちがそれを時間外にやるというのであれば、止めはしない。なにしろ、時間外だからな。俺の管轄外だ」
 フィアナはナシオンと顔を見合わせた。
「お前たちの言い分もわかるし、現場から王太子殿下の短剣が出てきたら、事件の内容がひっくり返る。だが、それを俺が主導でやってはいけないんだ。そうなったとたん、この情報部は王国騎士団全部と王族を敵にまわす」
「だけど、俺たちが勝手にやったことであれば、万が一のときには、俺たちだけばっさりと切ればいい。そういうことですね?」
 ナシオンが右眉をひくりと動かした。
「すまん。俺には俺の部下を守る義務がある」
「いえ、知っていながらも黙って見過ごしてくれる。これほど心強いものはありません。もしものときは、骨を拾ってください」
 フィアナは真っ直ぐにタミオスを見つめる。
「拾いはするが、お前たちの意志は継がないからな。お前たちが骨になれば、この事件の真相は闇に葬り去られるわけだ。だから、真実を明らかにさせたいのであれば、骨になるなよ」
 先ほどからタミオスも素直ではない。だけど、その素直ではない言葉が、フィアナには嬉しかった。
 間違いなく、カリノは聖女殺しの犯人ではない。
 それを信じてくれる仲間がいるのだから。

**~*~*~**

 水面にうつる月は、ゆらゆらと揺れている。
「え? お兄ちゃんが、聖女様の専属護衛騎士にですか?」
「ええ、そうよ」
 そう言ってゆっくりと頷くラクリーアは、自信に満ちている。
「キアロをわたくしの専属護衛として推薦したの」
「お兄ちゃん、すごい」
 たいていカリノはラクリーアとキアロの間に座っていた。そこに座れないときは、同室のメッサがなかなか眠らなくて、いつもよりここに来る時間が遅くなってしまうとき。
 キアロは恥ずかしいのか、カリノから視線を逸らした。
「キアロでしたら、信頼できますから」
「聖女様にそうおっしゃっていただけるのは、嬉しいような恥ずかしいような気がします」
 カリノは、キアロがファデル神の教えに従い、日々、鍛錬に励んでいたのを知っている。遠くの場所へ行けと言われても、文句言わずにそこへ行き、やるべきことを終えて返ってくる。
 大聖堂側にとっても、キアロは黙っていうことをきく扱いやすい人間だろう。
「ええ、どうせ側にいるのなら、知らない人より知っている人のほうがいいでしょう? キアロであれば気が楽ですし」
「気が楽って……どういう意味ですか?」
 笑いながらも、キアロは声を荒らげた。
 二人の間にいるカリノは、ラクリーアを見てキアロを見てと、忙しい。
「お兄ちゃん、すごいね」
 それがカリノの本心だった。こうやって兄が聖女に認められていく。まるで自分のことのように誇らしい。
 いつもの他愛ない話でさえ、心はわくわくと躍っていた。
 だけど、そんな楽しい気持ちは長続きしない。
「ごめんなさい、キアロ……」
 その日のメッサは寝付きが悪く、川辺へと足を向けたのは、いつもよりも遅い時間であった。
 だからカリノがその場についたときには、ラクリーアとキアロの間にはなんとも表現しがたい気まずい空気が流れていたのだ。
 キアロは悔しそうに唇を噛みしめ、顔を背けている。ラクリーアとキアロが並んでいるときは、キアロの隣に座るカリノも、今日はラクリーアの隣に腰をおろした。
「聖女様、どうかされたのですか?」
 そう尋ねれば、ラクリーアは困ったように目尻を下げる。
「駄目になったんだ……」
 キアロのぽつんとした言葉に、ラクリーアがかぶせてきた。
「ごめんなさい。キアロをわたくしの専属護衛騎士にするという話なのですが、枢機卿たちが反対したため、なくなったのです」
「そう、なんですね……」
 後頭部をガツンと殴られたように、頭の中がぐらんぐらんとした。
 聖騎士の中でも、もっとも名誉ある地位。それが聖女の専属護衛騎士。
 だから、カリノも期待していたのだ。それでも一番がっかりしているのは、キアロ本人だろう。
「お兄ちゃん……?」
「別に僕は、僕の幸せなんて求めていない。ラクリーアが幸せであれば……」
「そんなことを言わないで。わたくしだって、専属護衛騎士にあのようなことを求めるなど知らなかったの……イアンは先代の聖女からの専属だったから……」
 二人が何を言っているのか、カリノにはさっぱりわからない。
 だが、今までラクリーアについていた専属の護衛騎士はイアンという聖騎士だった。だが彼は、年齢を理由に専属を退くとのことだった。これからは一歩引いて、次世代への育成に力をいれたいそうだ。
「だけど、専属になれば、いつでもラクリーアの側にいられる」
「だからって、そのために代償を支払う必要はないの。キアロにはカリノもいるでしょう? カリノが悲しむようなことはしないで」
 それではまるで、カリノがキアロの重荷になっているかのよう。
「……お兄ちゃん、ごめんなさい」
「カリノが謝る必要はない。むしろ、カリノは関係ない。これは僕の問題なのだから……」
 キアロのその声には、どこか怒りが滲んでいた。
「僕が弱いからだ。ラクリーアを守ると言いながらも、中途半端な気持ちでふらふらとしているから。だから、ラクリーアの専属護衛になることをためらったんだ」
 カリノにはさっぱりわからない話だった。
 それでもキアロとラクリーアの間には、二人だけで成り立つ話であり、キアロがその結果を後悔しているのだけは伝わった。
「キアロ。あなたがわたくしの幸せを願うように、わたくしもキアロとカリノの幸せを願っております。ですから、自らを犠牲にするようなことだけは、けしてなさらないでください」