東の空が明るくなりつつある。
 フリオ山の向こう側から太陽がゆっくりと昇り、王都エルメルの街を明るく照らし始めた。王城と大聖堂の真っ白な尖塔は、朝日を浴びて黄金に輝く。
 エルメルの街には、東西南北の四カ所に騎士団の分所がある。広い王都の治安を、昼夜問わず守るのが王国騎士団の責務。そのため分所には、深夜であろうが、早朝であろうが、必ず騎士が常駐している。
 その日、東分所で寝ずの番をしていたのは、アロンとデニスの二人の男性騎士であった。
 アロンは二十代で、騎士となって二年目の若手だ。デニスは四十代の熟練の騎士である。特に夜間は、二人一組で動くようにと厳しく言われている。
 カタンと物音がして、アロンははっと目を開けた。この明け方がもっとも眠い。
 分所の建物の入り口には、朝日を浴びて人の影がぬーっと伸びている。誰かがやって来たようだ。
「デニスさん……」
 こんな早朝から、静かにここを訪れる人間に警戒心を抱いた。
 非常識な時間帯に分所にやって来る者は、たいてい大声をあげたり走ってきたりと、何かと慌ただしい。だから、静かに訪れるというのが、不気味なのだ。
 デニスもアロンと同じ考えだったようで、ゆっくりと頷く。
「誰だ? 何か、あったのか?」
 アロンが影に向かって声をかける。
 ふるっと震えた影は、ゆっくりと中に進んできた。
「……あっ。女の子? 人さらいにでもあったのか? それとも野犬に襲われたのか?」
 アロンがそう声をかけたのも無理もない。
 こんな朝早くから分所を訪れたのは、年端もいかぬような少女だった。身につけている衣類から判断すると、大聖堂で巫女として神に仕えている娘だろう。しかし、その少女の顔は血にまみれていた。
 いや、顔だけではない。身にまとう服も、そこから伸びる手足も、血まみれだった。
 だから人さらいから逃げてきたのか、それとも野犬に襲われたのかと、アロンは考えたのだ。
 それと同時に矛盾も感じていた。大聖堂の巫女が、なぜ血を浴びなければならないのか。
 大聖堂内に人さらいが現れたのか。それとも野犬が現れたのか。そうであったとしたら、それはそれで大事件だ。
 さらに、少女が両手で大きな荷物を抱えているのが気になった。その荷物も血に濡れている。
「何があったんだ?」
 アロンはおもわず喉をゴクリと鳴らした。やはり、大聖堂で大きな事件があったのだろうか。となれば、すぐに本部に連絡をし、大聖堂に他の騎士を向かわせなければならない。いや、あそこには聖職者たちの警護をする聖騎士がいるはず。彼らはいったい何をしているのだろうか。
 そんな考えが、アロンの頭の中を駆け抜けていった。
 少女は泣きもしない。わめきもしない。怯えもしない。このような状態で静かに口を開く彼女が、少しだけ怖いと感じた。
「騎士様。わたし、聖女様を殺してしまいました……」
 その声もまだ幼い。だというのに、不気味な言葉を言い放った。
「聖女様を殺した?」
 言葉の意味はわかるが、それを理解するのを本能が拒む。デニスを見やると、彼は眉間に深くしわを刻み、少女が抱えている荷物に鋭い視線を向けた。
「はい。わたしが聖女様を殺しました」
 彼女は膝をつくと、手にしていた荷物を床においた。布地で包んであった荷物だが、それをゆっくりと開いていく。
「……ひっ」
 そこから現れたのは、女性の頭部。白銀の髪は長くそれもまた血で汚れており、何色かわからぬその目はしっかりと閉じている。
 だけど、アロンもその顔に見覚えはあった。
「せ、聖女……ラクリーア様……」
 精気の宿らぬ顔であったとしても、その造形が大きくかわるわけではない。
「う、うわぁああああああああ」
 少しだけひんやりとするさわやかな朝、エルメルの東部には男の叫び声が響きわたった。