日記を再読していると、どうしてもあのひと夏のことを思い出してしまう。もしかしたら今日、ハルカに会えるかもしれない——そんな奇跡、起こるはずがないのに。緑色の文庫型ノートが目印になるように、ここぞとばかりに持ち続けた。

 サラサラサラ

 ふと耳に飛び込んできた音に、身体がぴくりと震える。
 今の音……。
 聞き覚えのあるサラサラの音に、はっと読んでいた日記を閉じて、視線を周囲に向けた。

「もしかして、透くん?」

 僕の右隣に、いつのまにか立っていたのは、見覚えのある女の子。記憶の中の彼女より少し髪が長くて、青みがかった瞳は変わらなかった。白いシャツに黄色いスカートを履いたその女の子は、僕の隣でそっと腰を下ろす。よく見れば近くに彼女が乗ってきたと思われる白い自転車が置いてあった。

「ごめんなさい、人違い……かな?」

 不安そうな表情で問いかける彼女。動揺を隠せない僕。それでもなんとか首を横に振った。

「透です。ハルカ、ですか?」

 あのサラサラの音は三年前に聞いたものと同じだったから間違いないと思いつつ、恭しく尋ねる。僕らが会っていなかった年月を思えば、軽々しくタメ口で話しかけるのは憚られた。

「うん。そう、ハルカです。ひさしぶり! 透くん、本当に来たんだ」

 三年前、「待ってる」と言ってくれたのはハルカの方なのに、僕の存在に驚いている様子だった。

「約束したからね。……と言っても、三年も来られなかったんだけど」

「約束、覚えててくれたんだ。お母さん忙しかったんだね。仕方ないよ。うわー本当に透くん! 向こうから歩いて来た時はびっくりして夢なんじゃないかと思ったよ」

 ハルカは三年前と変わらずハイテンションな口ぶりで、にこにこと明るい声を上げた。一気に、昔に戻ったような感覚に襲われる。

「僕の方こそ、驚いた。まさか本当にハルカが来るとは思わなかったし、あれから三年も経ってるし。音だって、あの時と変わらなくて」

「ん、音……?」

 ハルカが小首を傾げる。あれ、三年前に音の話、したんじゃなかったっけ? 確か、彼女の日記にも僕が音の話を打ち明けたことが書いてあったはずなんだけど……。
 僕が訝しく思っているのに気づいたのか、ハルカは「ああ、音ね!」と両手でポンと手を打った。

「人によって違う音が聞こえるっていう話か。ごめん、私ぼけっとしてて一瞬忘れちゃってた」

「ううん、いいんだ。むしろ思い出してくれただけでも嬉しい」

ハルカは日記で僕の音の話を深刻に受け止めてくれていたから、忘れていたというのはにわかには信じがたい話だったけれど、逆の立場に立ってみれば、僕だって相手が何年も前に話したことを、一言一句覚えている自信はない。

「そっかあ。やっぱり、“同じ”音がするんだね」

 感慨深そうに頷く彼女に対し、僕は深く頷く。

「その時の感情によっても変わってくるみたいなんだけど、まったく同じ音が違う人から聞こえたことはないかなあ。ハルカの音は今まで聞いたことないくらい綺麗だったから、ずっと覚えてたんだ」

 僕がそう言うと、ハルカは惚けたようにぽかんと口を開けて、それから頬を赤く染めた……ような気がした。

「ねえ、せっかくだからさ、この三年間の話聞かせてよ。私と会ってない間にあったこと、全部」

「ぜ、全部……? さすがにそれは難しいんじゃ」

「えー大丈夫だって。また前みたいに、夏休みの間はこっちにいるんでしょう?」

「うん、そのつもりだけど」

「じゃあ大丈夫。時間は掃いて捨てるほどあるから! ね、聞かせて」

 僕の方にずいっと身を寄せて、じっとこちらに視線を向ける彼女の熱が、少しだけ触れた肌から伝わってきた。
 この感じ……本当に懐かしい。
 ハルカはこうやって、独特のペースで会話の主導権を握る。僕は彼女の勢いにのまれて、それでも不思議と嫌な感じはしなくて。むしろ、口下手な僕でも彼女と話している時は、自然体でいられる。夏休みの間、毎日でも彼女と話していたいって思ってしまうんだ。