そんな一ヶ月後の梅雨の季節。
雨が降った為にその日は徒歩で下校しており、いつもの場所で小説を読もうと学校帰りに立ち寄ると、そこにはまた、あの後ろ姿。
いつもの俺ならあの日と同じく立ち去ろうとするが、俺は彼女が居る架道橋下にゆっくり近づき傘を閉じる。
俺の気配に気づかないのか、そのまま背を向けている彼女に声をかけた。
『吉永さん』
その声にピクっとなった彼女はこちらに目をやり、俺だと分かるとバツの悪そうな表情を見せてくる。
『……あ。ごめんね』
おそらくこないだの詫びだろうと察せられる言葉を溢した彼女は、俺に背を向けて河川敷から去ろうとする。
『ま、待って!』
『え?』
俺はためらいながら、あの紺色ノートを彼女に差し出した。
『し、シンデレラの義姉を主人公にした物語を書いたんだ。良かったら読んでくれないかな?』
早口で捲し立てるように。
『……うそ。本当に?』
混濁の表情を浮かべる彼女。その姿に、俺は完全にやってしまったと思った。
軽口で言ったことを、本当に実行してくる同級生。
しかもそれを見せてくるなんて、彼女からしたらドン引きだろう。
今の言葉を取り消したいと願うが当然叶うはずもなく、今度は俺がこの場から立ち去ろうとした。
すると。
『良かったら、読ませてくれない?』
そんな透き通った声が、俺の足を止めてくれた。
彼女と俺は、コンクリートで出来た階段に座って吉永さんにノートを渡す。
それをペラッと巡った彼女は、神妙な表情で目を通し始めた。
『あ、ごめん。初めはメモ書き! ここから読んで!』
適当に書いた箇条書きを飛ばしてもらい、本文を読んでもらう。
親の再婚により出来た義妹。
美しく、性格も良く、自分を姉として慕ってくれかわいいが、同時に周囲に比べられる辛さ。
両親が幼い義妹に向ける愛情を、目の当たりにする淋しさ。
このままでは義妹に、実母の愛情まで盗られてしまうのではないかという疑心。
そんなことを微塵も案じていない、無邪気な笑顔。
耐えられなくなり、イジワルをしてしまう心情。止められない葛藤。
舞踏会に行かせたら、自分の所業が周囲に知られるかもしれない恐怖。
しかし慎ましく生きていたシンデレラは、王子様に身染められる姿に、心の美しさもあると気付く。
猛省した彼女は、心を入れ替えて人に優しく生きていくと決意する。
そんな素人が考えた物語。
勿論シンデレラにした仕打ちは許されないが、その後許されていい。そんな物語。
だけど彼女は、そんな素人が考えた話を何度も何度も読み返し、適当に書き殴ったメモ書きまで読んでいた。
『……全然違う物語みたい』
『あ、そうだよね。こんなの別作品だよね……』
羞恥心を隠す為に、ははっと笑って見せる。
『違うよ。シンデレラは素敵な恋愛ストーリーだけど、主人公を変え、描き方を変えればこうゆう人間ドラマに成り代わるのすごいなって。……ねえ、良かったら別の物語も読みたいの。リクエストとか、していい?』
そう言った彼女は頬杖をつき、俺に初めて微笑みの表情を見せてくれた。
自分が書いた物語を認めてもらえたと、胸の高鳴りを感じ取った俺は、気づけば「喜んで」と声に出していた。
こうして、彼女が求める「脇役にスポットを当てる物語描写」が始まった。
初めて書いた物語には「」も──もない文章のみで、小説執筆のやり方なんて分からない。
だから改めて小説を見直し、見よう見まねで物語を綴っていく。
それを読んだ彼女は、「小説になっている」と言ってくれ、その内容に「この発想はなかった」と驚いてくれた。
いつの間にか、俺の居場所に彼女が来るのが当たり前になり、新たに読みたい物語のリクエスト、執筆の進行具合の確認、行き詰まった時のアドバイス、完成した作品を読みどこが良かったかを具体的に話してくれた。
別に待ち合わせなんかしていたわけではなく、タイミングが合えば会う、そんな関係。
それは俺にとって心地が良く、気楽に話すことが出来た。初めて自然体に話すことが出来る同級生だった。