俺、渡辺 健太は子供頃より人付き合いが苦手だった。
よって学校に馴染めず、いつもひとりぼっち。
しかしそれに比べて彼女、吉永 詩織さんは小学生の頃から明るく、友達に囲まれ、笑顔を絶やさない。物語の主人公のような人だった。
当然ながらそのような人との関わりなどなく、俺の苗字が「渡辺」、彼女は「吉永」の為に、同じクラスになると彼女の後部席になることが多いぐらいの関わりだった。
あれは、高校に入学したての頃。
高校に進学しても変わらず一人だった俺は学校帰りに、河川敷にマウンテンバイクを漕いで向かうのが日課だった。
そこは小学生の頃よりお気に入りの場所だが、架道橋の下で電車が通過する音が響くからか人が立ち入ることはなく、俺が一人になれる居場所だった。
しかし、その日は珍しく先客が居た。
ゆっくりと流れてゆく河を眺めているのかこちらには背を向けており、その後ろ姿はセーラー服で、細く長い脚がすらっと伸びていた。
同じ高校の制服だと気づいた俺は、マウンテンバイクのスタンドを下げる訳もなく、ハンドルを強く握り締めたままそっと転回させる。
人との関わりを避けている俺は、相手が気付いていないことを確認し、その場から立ち去ると瞬時に判断を下す。
しかし焦りの感情が湧いたのか、この時に限ってペダルに足を取られバランスを崩して転倒してしまった。
それは穏やかな河のせせらぎ音でかき消されるはずもなく、その場にガシャンと音を響かせた。
「……え? あ、大丈夫ですか!」
「いや、はは……」
転けた俺の元に駆け寄ってくれたのは、小中高と同じ学校の吉永さんだった。
クラスは違ったが、いつも一学期は前の席だったから彼女のことはよく覚えており、瞬時に分かった。……いや、分かってしまったから困った。
何故なら彼女の目には、溢れているものがあったから。
しかも、席が前後関係とは記憶に残るものなのか、彼女は俺を見て「渡辺くん」と小さな声で呟いていた。
バツの悪そうな表情を浮かべた吉永さんは、これ以上言葉を発することなくその場から去ろうとするが、俺はあろうことか彼女の細くて弱そうな手首を掴んでしまった。
『……え?』
俺を見つめてくるその瞳は潤んでおり、そしてその顔が紅潮していくのに気づき、俺は慌てて手を離した。
だけど今にも目からはそれが溢れ落ちそうで、それをどうしても止めたくて。
気付けば俺は学生カバンから一冊の小説を出し、彼女に差し出していた。
『良かったら読んで。そしたら嫌なことなんか忘れられるから』
そんな言葉まで、いつの間にか出ていた。
彼女はそんな俺を見つめたかと思えば、その本を手に取ることなく一言。
「創作物は嫌い」と呟いた。
どうしてか問うと、その瞳からは光がなくなり。
『物語には片側からしか描かれていない。……ほら、例えばシンデレラとかだって、主人公目線でしか語られていないじゃない? イジワルした義姉にも理由があったかもしれないのに、そんなこと一切触れもせず。……だから、嫌いなの』
と彼女は唇を噛み締め、そのまま立ち去った。
そんな彼女に俺は何も返せず、その小さな背中を見送り、いつもの場所に腰を下ろす。
彼女に渡そうとした小説。
昔より好きで何度となく読み返していて、シーンやセリフすら覚えてしまうぐらいの一作。
だが今日は読む気にならず、彼女の言葉が脳内をグルグルと駆け巡っていた。
物語の、もう片側の理由?
そんなこと考えたことなかった。
俺は本を仕舞い、出したのは一冊の紺色ノート。
ずっとずっと開けようとしても実現させなかったが、今日初めてそのノートを開いた。
それを広げた俺は真っ白なノートを前に早々と手を止めてしまい、同様に真っ白な空に浮かぶ雲を眺めていた。
当然ながらいきなり物語なんて書けるはずもなく、やはり俺は願うだけで何も出来ない奴だと、溜息が溢れる。
シンデレラの義姉は、何故シンデレラにイジワルをしたのか?
シンデレラを主人公とした物語として、作者はそこまで考えていなかったかもしれないが、俺は思考を巡らせることを止めなかった。
ボーと流れてゆく雲を眺めていると笑い声が聞こえ、振り返ると自転車で過ぎていく同級生たち。
その姿に、気持ちは痛いほど感じ取れた。……嫉妬だ。
あの世界観全て把握出来ているわけではないけど、シンデレラは美しく描かれており、そんな子が義妹なんて複雑な思いがあっただろう。
そう思った俺はボールペンを走らせ、彼女の気持ちを書き出してみた。
そしてそれを時系列に並べていき、物語の流れと彼女の心情変化を描写していく。
こうして一ヶ月の時間をかけて出来た、シンデレラの義姉を主人公にした話。
スポットライトが当たることのない、もう片側の物語。
しかし書き終えた途端、ふぅと溜息を吐いていた。
一体、脇役の物語など誰が読みたいのだろう? と。
そう思いながらノートをカバン奥に仕舞い、久しぶりに小説を手に取り、読み進めていくと異変に気付く。
順風満帆だと思っていた脇役も、実は悩みや葛藤を抱えているのではないか。
そのことに気づき、今まで読んだ小説を読み直す。
すると見えてくるのは「もう片方の立場」だった。
よって学校に馴染めず、いつもひとりぼっち。
しかしそれに比べて彼女、吉永 詩織さんは小学生の頃から明るく、友達に囲まれ、笑顔を絶やさない。物語の主人公のような人だった。
当然ながらそのような人との関わりなどなく、俺の苗字が「渡辺」、彼女は「吉永」の為に、同じクラスになると彼女の後部席になることが多いぐらいの関わりだった。
あれは、高校に入学したての頃。
高校に進学しても変わらず一人だった俺は学校帰りに、河川敷にマウンテンバイクを漕いで向かうのが日課だった。
そこは小学生の頃よりお気に入りの場所だが、架道橋の下で電車が通過する音が響くからか人が立ち入ることはなく、俺が一人になれる居場所だった。
しかし、その日は珍しく先客が居た。
ゆっくりと流れてゆく河を眺めているのかこちらには背を向けており、その後ろ姿はセーラー服で、細く長い脚がすらっと伸びていた。
同じ高校の制服だと気づいた俺は、マウンテンバイクのスタンドを下げる訳もなく、ハンドルを強く握り締めたままそっと転回させる。
人との関わりを避けている俺は、相手が気付いていないことを確認し、その場から立ち去ると瞬時に判断を下す。
しかし焦りの感情が湧いたのか、この時に限ってペダルに足を取られバランスを崩して転倒してしまった。
それは穏やかな河のせせらぎ音でかき消されるはずもなく、その場にガシャンと音を響かせた。
「……え? あ、大丈夫ですか!」
「いや、はは……」
転けた俺の元に駆け寄ってくれたのは、小中高と同じ学校の吉永さんだった。
クラスは違ったが、いつも一学期は前の席だったから彼女のことはよく覚えており、瞬時に分かった。……いや、分かってしまったから困った。
何故なら彼女の目には、溢れているものがあったから。
しかも、席が前後関係とは記憶に残るものなのか、彼女は俺を見て「渡辺くん」と小さな声で呟いていた。
バツの悪そうな表情を浮かべた吉永さんは、これ以上言葉を発することなくその場から去ろうとするが、俺はあろうことか彼女の細くて弱そうな手首を掴んでしまった。
『……え?』
俺を見つめてくるその瞳は潤んでおり、そしてその顔が紅潮していくのに気づき、俺は慌てて手を離した。
だけど今にも目からはそれが溢れ落ちそうで、それをどうしても止めたくて。
気付けば俺は学生カバンから一冊の小説を出し、彼女に差し出していた。
『良かったら読んで。そしたら嫌なことなんか忘れられるから』
そんな言葉まで、いつの間にか出ていた。
彼女はそんな俺を見つめたかと思えば、その本を手に取ることなく一言。
「創作物は嫌い」と呟いた。
どうしてか問うと、その瞳からは光がなくなり。
『物語には片側からしか描かれていない。……ほら、例えばシンデレラとかだって、主人公目線でしか語られていないじゃない? イジワルした義姉にも理由があったかもしれないのに、そんなこと一切触れもせず。……だから、嫌いなの』
と彼女は唇を噛み締め、そのまま立ち去った。
そんな彼女に俺は何も返せず、その小さな背中を見送り、いつもの場所に腰を下ろす。
彼女に渡そうとした小説。
昔より好きで何度となく読み返していて、シーンやセリフすら覚えてしまうぐらいの一作。
だが今日は読む気にならず、彼女の言葉が脳内をグルグルと駆け巡っていた。
物語の、もう片側の理由?
そんなこと考えたことなかった。
俺は本を仕舞い、出したのは一冊の紺色ノート。
ずっとずっと開けようとしても実現させなかったが、今日初めてそのノートを開いた。
それを広げた俺は真っ白なノートを前に早々と手を止めてしまい、同様に真っ白な空に浮かぶ雲を眺めていた。
当然ながらいきなり物語なんて書けるはずもなく、やはり俺は願うだけで何も出来ない奴だと、溜息が溢れる。
シンデレラの義姉は、何故シンデレラにイジワルをしたのか?
シンデレラを主人公とした物語として、作者はそこまで考えていなかったかもしれないが、俺は思考を巡らせることを止めなかった。
ボーと流れてゆく雲を眺めていると笑い声が聞こえ、振り返ると自転車で過ぎていく同級生たち。
その姿に、気持ちは痛いほど感じ取れた。……嫉妬だ。
あの世界観全て把握出来ているわけではないけど、シンデレラは美しく描かれており、そんな子が義妹なんて複雑な思いがあっただろう。
そう思った俺はボールペンを走らせ、彼女の気持ちを書き出してみた。
そしてそれを時系列に並べていき、物語の流れと彼女の心情変化を描写していく。
こうして一ヶ月の時間をかけて出来た、シンデレラの義姉を主人公にした話。
スポットライトが当たることのない、もう片側の物語。
しかし書き終えた途端、ふぅと溜息を吐いていた。
一体、脇役の物語など誰が読みたいのだろう? と。
そう思いながらノートをカバン奥に仕舞い、久しぶりに小説を手に取り、読み進めていくと異変に気付く。
順風満帆だと思っていた脇役も、実は悩みや葛藤を抱えているのではないか。
そのことに気づき、今まで読んだ小説を読み直す。
すると見えてくるのは「もう片方の立場」だった。