広大に溢れる青空。ふわふわと柔らかそうな白い入道雲。照り付ける太陽に茹だる暑さをみせる八月下旬。
 高校二年生の夏休みも終盤に迎えた昼下がり、俺は今日も白いマウンテンバイクを走らせ、いつの居場所に辿り着く。
 そこは一面に広がる河川があり、マウンテンバイクのスタンドを下げた俺はコンクリートで出来た低い階段を降りていき、周囲を見渡す。
 しかしやはり今日も待ち人はおらず、またいつもの架道橋により影が出来たいつもの場所に座り、青いノートを広げボールペンを握る。
 今の想いを書き綴ろうとするが、結局一文字も書けない不甲斐ない俺は、ふぅと溜息を吐き。トートバッグにノートとボールペンを入れ、立ち上がる。

 すると目の前に、一人の女性が佇んでいた。
 太陽に照らされる栗色の髪、キラキラとした瞳はまるで宝石のように美しく、微笑みを浮かべたその姿に「待ち人である彼女」を彷彿させてくる。

 いや、そんなわけはない。人違いだと心付いた俺は、まじまじと見つめた無礼な振る舞いに頭を下げ、マウンテンバイクを停めていた場所に走る。
 そのままハンドルを持ち、退散しようと足早に行動を取ると、背後より聞き慣れた声が俺の鼓膜を心地よく揺らした。

「初めまして、渡辺(わたなべ)くん。私は同級生の吉永(よしなが) 詩織(しおり)です」
 彼女が名を告げた途端、柔らかく吹いた風が彼女の髪を揺らした。

「……え?」
 風のせいで聞き違えたのかと、自身を疑う。
 だってその名前は、高校の同級生。吉永さんと同じ名前だったから──。

「吉永さんのお姉さんですか?」
 そうに違いない。名前は一字違いとかで、聞き違えたのだろう。

「いえ。私は吉永 詩織、本人です」
 この女性はそう言うが、しかしどう見ても高校生には見えず、そこには大人の美しさや気品が満ち溢れていて。そして何より、俺が知ってる吉永さんではない。

「ごめんなさい。順序立てて話すから……。私は吉永 詩織、二十六歳。この世界の十年後から、やってきたの」
 そう話す彼女は、確かに吉永さんと同じ栗色の髪に、微笑んだ表情も同じであるも。でも、それを簡単に飲み込めるほど俺は柔軟な性格ではなく、気付けば後退りしていた。

「うん、そうよね。普通こんな話、信じられるわけないわよね」
「すみません」
「また明日、来てくれないかしら? 話の続きがしたいの」
 そう言う彼女は変わらずの笑顔だった。

「……約束出来ません」
「ふふ。今度は、来てくれるまで待ってる」
 そう言い、大人っぽく微笑む女性。
 俺はそんな彼女から目を逸らしマウンテンバイクのペダルに足を乗せて跨ぎ、全力で漕ぎ始めると照り付けてくる太陽は容赦なく汗が止まらなかった。

 家に帰って来た俺はマウンテンバイクを停め、二階の自室に駆けて行く。
 握り締めていたトートバッグを机にボンと置き、椅子に座ってしばらく突っ伏していた。

 しばらくし顔を上げた俺は、トートバッグから一冊の青色ノートを取りパラパラと巡ると、最後のページにそれは書き綴られていた。

『渡辺くんへ
 話したいことがあります。明日、いつもの場所に来てくれませんか?』
 例年より遅い、梅雨明けを控えた夏の始まり。
 雨がポツポツ降った終業式前日。
 渡辺さんは俺に直接ノートを手渡してきて、初めての約束をしようとしてきた。
 しかし俺は、あの日行かなかった。