——知る為にはまず、家族について知った方が良いのかもしれない。
 ずっと自宅に帰って来てから家族との接点が薄かった。家族全員で食事を摂るタイミング以外で話をするような事の無い生活に、何故今まで疑問を抱かなかったのだろう。
 今思えば不自然なほどに、話そうと自分から動かなければ話を出来ない環境に身を置いていた。それぞれが自分の場所を持ち、そこにこもりがちなのだ。仕事があるからと受け入れていたけれど、それすら私に何らかの情報を与えないようにする為ではないかと今では疑える。ぼんやりとした頭ではあるけれど、一度薬が切れたせいか、疑う気持ちで物事を見る事が出来るようになっていた。

「お、おばあちゃん」
「はい。どうしましたか、恵子さん」

 夕食後、いつも通りに部屋へ戻ろうとするおばあちゃんに思い切って声を掛けてみた。おばあちゃんは何も驚いた様子もなく私の声掛けに足を止めて振り返ると、にこりと微笑みを返す。

「あの、おばあちゃんと話す機会があまり無いなと思って」
「まぁ。いつでもお話ししましょう。お部屋にいらして下さって良いのよ?」
「え、良いの?」
「もちろん。今からいらっしゃる?」
「行こうかな! もう遅いし少しだけ」

 まさかの快諾に驚いたけれど、部屋へ戻るおばあちゃんと一緒におばあちゃん達の部屋へ行ける事になり、よし、と心の中で気合いを入れる。物凄いチャンスなのではと思ったからだ。だってそこにはお母さんがいない。一番気をつけなければならない事はお母さんに勘付かれる事だから。あの日から変わらず恵子としての仕事をこなし続ける私に今、お母さんからの警戒は解かれていた。

「さあどうぞ、座って下さい」
「ありがとう」

 おばあちゃんとおじいちゃんの部屋は旅館の一室のような間取りの和室だった。真ん中にある茶色の長机は私の仕事部屋にあるものと同じもので、座布団が二枚置いてあり、もう一枚おばあちゃんが出してくれたのでそこに私が座ると、電子ポットから急須にお湯を注いでお茶を淹れてくれた。

「で、恵子さん。何かお話があるのかしら」
「あー……えっと」
「ふふっ、私で良ければ何でもお答えしますよ」
「……じゃあ、私が産まれた時の事について教えてもらえたらなと」

 淹れてもらったお茶を一口飲むと、ちらりとおばあちゃんの顔色を窺う。おばあちゃんは「産まれた時ね」と、微笑んだまま答えた。

「あなたは二千五百グラムぎりぎりの小さめの赤ちゃんでね、泣き声も控えめで、その後の過程も大人しい子どもだったわ」
「……そうなんだ」
「あなたの事を待ち望んでいたからね、大人が大騒ぎしすぎたのかもしれないわね。赤ちゃんよりも大人が大騒ぎの毎日よ。けれど恵子さんが産まれて来たのだから仕方のない事よね」
「…………」

 もしかしたら本当はこの家の子じゃないという現実もあるかと心構えていたから、恵子さんが産まれて来た、という事は、私がこの家の子として産まれて来ているのは間違いないという事なのかな。

「私、お母さんから産まれて、ずっとここに住んでるの?」
「そうです。ここはあなたの家よ」
「お母さんが受け継いできたって前に言ってたんだけど、お母さんが子どもの時もここに住んでたの?」
「そう」
「おばあちゃんも?」
「そうよ。代々長く続いているお家だからね。恵子さんも次の子に引き継ぐのよ」
「次の子……それは私の赤ちゃんって事?」
「そうね。そうなれば一番良いわね」
「でもなんで私なの? お兄ちゃんもお姉ちゃんもいるよね? 普通昔の日本って言ったら男の人が受け継いでいくものだと思うけど、うちは違うの?」
「…………」
「それって私がお客様のお仕事をしている事と何か関係があるのかな。私がする前は誰がやってたの? いつから私がこのお仕事をしているんだろう」
「…………」
「おばあちゃんが受け継いで、お母さんに引き継がれて、その次が私の番って事かな。このお仕事も、家の事も、」

 コンコン、

 扉をノックする音でハッと我に返ると、おじいちゃんが部屋に入って来た所だった。

「なんだか一生懸命お話をしていたようだけど、何の話だったんだい?」

 にっこり微笑むおじいちゃんが私の隣のにある空いている座布団に座る。

「あ、えっと……私が産まれた時とか、このお仕事とか、家の話を聞いていて」
「そう。恵子さんは記憶が無いものね。で? 何かわかったかな」
「……ずっと受け継がれてきたもので、次は私が引き継いでいくものだって」
「その通りだよ。他に何か知りたい事は?」
「……あの、おばあちゃんの名前は?」

 おじいちゃんが笑顔で対応する中、黙っているおばあちゃんに目を向けてついにその疑問を口にする。
 この家では誰一人として名前を口にしないと気付いたからだ。恵子という名前以外のものが、この家には無い。

「椿だよ」
「つばき……」
「そう。これでおばあちゃんの事は知れたかい? さぁ、そろそろ遅い時間だからお戻りなさい」
「……うん」

 おじいちゃんは笑顔だった。おばあちゃんも。でも明らかに笑顔の裏には何かが隠されている。隠す為に笑顔を貼り付けている、そんな気がするのに、私はそれ以上何か訊ねる言葉を重ねる事は出来なかった。
 パタンと部屋の扉を閉める。やってしまった。つい、どんどん溢れ出す疑問にストップをかける事が出来なかった。これじゃ何かを探ってますと言っているようなものじゃないか。疑われるに決まってる……あぁっもう、上手くいかない。
 薬のせいでぼんやりした頭は咄嗟のことに弱く、自分が上手く制御出来ない時があった。今回も始めこそ慎重に行動出来ていたはずなのに——今更後悔してももう遅い。
 ……でも、得られたものもある。無駄では無かったはずだ。
 まず、この家は代々女に引き継がれていくものだという事。だからお母さん、その前はおばあちゃんが受け継いで来て、次は私の番らしい。それでお兄ちゃんが受け継ぐ事にならなかった理由は一応納得出来る。でも、私にはお姉ちゃんもいる。本来なら上の子が優先されるだろうと思うけど、なぜか次は私が受け継ぐ事になっている。……何故だろう。
 それと名前。おばあちゃんには名前がある。誰も普段口にしないから気づかなかったけれど、もしかしたらちゃんと全員に名前があるのかもしれない。お客様が名前を言ったらいけないルールがあるように家の中にもルールがあるのだろうか。
 最後に、恵子という存在について。女が家を引き継いできたという理由はきっと恵子にあるのだと思うけど、そうなると私の前はお母さん、その前はおばあちゃんが恵子のお仕事をしていたという事にはならないだろうか。でも、おばあちゃんの名前は椿。その時は椿さんと呼ばれていた?
 ——でも、恵みを与える人を恵子と呼ぶと信じられているのに、椿では説得力に欠けるような。ここにもまだ何か秘密があるような気がする。
 というか、そもそもなぜおじいちゃんは私の質問に答えてくれたのだろう。おばあちゃんはつい話の中でバラしてしまった感じがあったけれど、おじいちゃんは完全にわかって入ってきていたはずだ。それなのに、誤魔化す事なく答えをくれた。あの笑顔はとても心を開いたものとは思えなかったから、もしかしたら言っていたことも嘘だった可能性がある?
 ……謎が多い。まだ私は色々と知らないといけない。
 とにかくこの現実の答えを知りたい。そして私を取り戻した後、今後どうしていくべきか考えたいと思う。それが、過去の私からの伝言だから。