***

「栞里、どうかした?」

 葵と友梨奈から文也の噂を聞かされたその日、昼休みに当の本人から声をかけられた。不意の出来事だったので、面食らう。実は、文也と言葉を交わすの自体、一週間ぶりぐらいだ。

「……文也」

 一時間目から昼休み前の四時間目まで、頭の中を支配していたのは文也と、バレー部の城戸先輩のことだ。気にしたくないと思うかたわら、しっかりと意識してしまっている。幼稚園時代から共に成長してきた文也のことだ。気にならないはずがなかった。
 それに、私は城戸先輩を見たことがある。四月にバレー部の見学に行った時のことだ。美人で、栗色の髪の毛を一つに括ってバスケットボールを追いかけていた。前髪は汗でおでこに張り付いていたのに、不思議と不潔な感じはしない。むしろ、まっすぐにボールを追いかける彼女は美しく、私はコートの外で息をのんだ。

 その後、部について説明をしてくれた時も朗らかで愛想が良く、親しみやすい人だった。
 一緒に見学に行った葵や友梨奈も、城戸先輩に分かりやすくときめいていた。部活の内容そのものよりも、先輩の言動一つ一つに感嘆のため息をもらし、帰路に着いた頃には「ああはなれないよね」と冗談みたいに笑い合った。
 その、見た目も性格も完璧な先輩が、文也に想いを寄せている。
 文也はどう思っているのだろう?
 高校生になって、文也は昔よりもずっと大人っぽくなったと思う。
 髪の毛は前よりさらさらとしているし、肌の手入れを始めたのか、私以上に白くて清潔感にあふれている。クラスの女子が密かに「格好良い」と言っているのを聞いて、小学生の頃とは正反対だと思った。

「浮かない顔して、なんか変なもんでも食べた?」

 文也は、私が高校であえて距離をとっているのを感じているはずだ。
 にもかかわらず、こうして自分から話しかけに来てくれたのは、今の私が相当ひどい顔をしていて心配になったからだろう。

「食べてない。ちょっと、悲しい本を読んじゃっただけ」

 咄嗟についた嘘は、嘘と分からないくらいには私の私生活に馴染んでいたように思う。文也も、特に不思議には思わなかったようだ。
 本を読むのが好きなのは小学生の頃から変わらない。むしろ、中学で打ち込んでいたバレーを辞めたことで、これまで以上に読書に没頭する日々が続いていた。

「そうなんだ。どんな本読んでるの? 俺、読んだことあるかな?」

「ないと、思う。青春小説で、ずっと好きだった幼馴染に、ヒロインが振られてしまうの。十年以上も、恋をしていたのに」

 口からでまかせがするすると吐き出される。全部、作り話だ。私の創作。でも、文也は本当に私がそんな青春小説を読んで凹んでいると勘違いしたようだ。

「それは、なんというか、切ないね。確かに読んだことないし、俺だったら耐えられない」

 眉根を下げて笑う文也の顔を見ていると、やるせない気持ちになる。
 文也に聞いてみたい。
 城戸先輩のこと、好き? って。
 それで、「好きだ」って言われたら、もう諦めるしかない。むしろ、清々しい返事が聞けて諦めがつくんじゃないか。
 そう思って、「文也は」と口を開きかけた。
 でも私は、どうしてもその先を彼に聞くことができない。
 どうしようもなく臆病者だ。
 もし私が青春小説の主人公だったら、読者をイライラさせてしまうに違いない。

「あ、ごめん。俺さ、今から練習行かないといけないんだった」

「練習って、バレーの?」

「ああ。もうすぐ新人戦があるんだ。だからちょっと、昼休みも練習しようって話になってて。よかったら栞里、試合見に来てよ」

「試合か。うん、時間あったら見に行く」

「ありがとう。また日程送っておくよ」

 文也は爽やかな笑みを浮かべて、颯爽と教室をあとにした。文也が高校でバレー部に入ったのは想定外だった。運動が苦手で、中学の頃も科学部というインドアな部活に入っていたから。どうして急にバレー部に入ったんだろうか。バスケでもテニスでもサッカーでもなく、バレー。気になってはいるが、ずっと、聞けずにいる。
 もしもその答えが、城戸先輩だったら——なんて考えてしまうのは、今の私が煩悩の塊だからかもしれない。