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「これは、腰椎分離症(ようついぶんりしょう)ですね。二宮さんは確か、バレーボールをやられているんですよね。腰椎の後ろ半分の『椎弓』という部分に負担がかかり、疲労骨折が起こったんでしょう。幸いまだ初期の段階なので、完治できる可能性はあります。ただ、中学校を卒業するまでは、スポーツは中止しなければなりません」

 整形外科で検査を受けた際に医者から言われた言葉が、今でも時々フラッシュバックする。
 中学三年生の夏、私が通う中学校の女子バレーボール部は、地区大会を乗り切り、県大会出場の切符を手にしていた。目標はいわずもがな、全国大会出場。前の年も、その前の年も全国出場を果たした強豪校だった。だから今年も、みんなで心血を注いで練習に取り組み、全国大会で汗と涙を流す予定だった。
 その矢先の、想定外の事故。
 大会前の合宿、毎日体力の限界まで自分を追い込み続けた練習、その最中、私は腰に猛烈な痛みを感じた。初めはちょっとした腰痛かと思っていたのだけれど、日に日に痛みが増していくのに、さすがにおかしいと感じて、母に相談したのだ。

 母は私の症状を聞くと、真っ先に整形外科に連れて行ってくれた。
 下された診断は腰椎分離症というもの。症状は医者が話してくれた通りで、私は卒業まで一切のスポーツの中止を言い渡された。

「なんとか、大会に出る方法はないんでしょうか?」

 そう聞いたのは私ではなく母だ。
 お母さん……。
 母は私が、中学に入ってから初めて挑戦したバレーボールで、どれだけ心を尽くして頑張ってきたかを知っている。もともとそんなに運動する方ではなかったから、人一倍練習を頑張った。幸い運動神経は良かったので、着々と実力を伸ばし、三年生になり、最後の大会に向けて準備をしていた最中だった。
 私の努力を間近で見てきた母だからこそ、なんとかして娘を本番の舞台に立たせてやりたいという気持ちは理解できた。私の代わりに医者にそう聞いてくれたことは、感謝してもしきれない。でも、私の中では絶望と諦めが大きく渦を巻いていた。
 無理だよ、そんなの。
 だってこんなに痛いもん。
 お母さんは分からないと思うけど、今もすっごく辛い。
 心の中で、母に対する感謝と、母の浅はかな考えに辟易する気持ちが、ごっちゃになった。感情の整理がつけられなくて、言いようもないほどのイライラが襲う。こんな気持ちになるのは初めてだった。
 私は診察室の椅子から立ち上がり、逃げるようにして部屋を出た。

「ちょっと栞里!」

 母が私の名前を叫ぶ。だけど私は、振り返ることができない。
 だって、医者の口から「大会は諦めてください」なんて言葉、聞きたくなかったから。
 母が診察室で説明を聞き終えるまでの間、私は受付前の待合室で、一人静かに涙を流していた。