「もし、で構いません。もし、これから自分の道が見えなくなって、どこにも行く当てがなくなってしまったら……いつでもヴェイユに来て下さい」
「え?」

 アーシャは指につけていた指輪を取ると、アデルの元まで戻って彼にそれを握らせた。
 手の中のものを見てみると、それは高価そうな綺麗な石に、細かい絵が彫刻されている指輪だった。指輪の裏側には、ヴェイユの王韻がしっかりと刻まれている。

「ま、待ってくれ! これ、めちゃくちゃ大事なものなんじゃないのか!?」
「はい、母から贈ってもらった私の宝物です」

 けろっととんでもない事を言い出す王女様に、アデルは息を詰まらせ絶句する。
 アーシャの母君……それは、ヴェイユ王国の王妃だ。王妃が娘に贈ったものを、冒険者崩れのアデルに渡すという。この少女の正気を疑った瞬間だ。

「生憎、今は他に私の物と断定できそうなものがなくて……すみません。もしお城に用がある際は、門兵にそれを見せて私に取り次ぐ様伝えて下さい。通す様に伝えておきます」

 アーシャはもう一度、天の遣いかと思う様な笑顔を見せて、「では」と踵を返した。

「待て、待ってくれ、アーシャ王女」
「はい?」

 アーシャが気の抜けた声を上げて、こちらを振り向いた。

「こんな大切な、それこそ母親からの贈り物を俺なんかの冒険者崩れに渡してどうなるってんだよ。俺なんかに渡したら、売っ払っちまうかもしれないんだぞ!」
「……? もし、その指輪が不要であれば、それに越した事はないんじゃないですか? あまり値は付かないかもしれませんが、それでアデルに美味しいものを食べてもらえたなら、私は幸せです」
「だから、そうじゃなくッ」

 アデルの狼狽ぶりに、〝ヴェイユの聖女〟は不思議そうに首を傾げた。
 アデルはただただ混乱していた。彼女の行動の全てが信じられなかった。
 彼は冒険者として、そして傭兵としてこれまで生きてきた。常に悪意と殺意の中で戦い、ほんの数時間前には仲間にも裏切られ殺されかけた。
 彼の人生で、ここまで人の『善』を感じる出来事が過去になかったのである。この聖女の真意が何一つわからなかったのだ。

「一国の王女がどうして俺なんかの為にここまでしてくれるんだって事だよ。俺はただの冒険者崩れだ。俺に恩を売ったって、あんたに返せるものなんて何もないんだ。それなのに、どうして!?」
「……わからないです」

 アーシャ王女は眉を寄せて困った様に微笑んで続けた。

「でも、初めて会った人とこんなにたくさん話したのは、生まれて初めてでした。そうして話してるうちに、私はもっとアデルと話したいと思う様になって、もしアデルが困っているなら、助けたいと思いました。それだけです。変、でしょうか?」
「変って……そりゃあ」

 もはや何が変なのかわからなかった。
 王族が変なのか、この少女が変なのか、ヴェイユ王国の文化が変なのか、はたまたアデル自身が変なのかすら判断がつかなかった。

「もし、アデルに居場所がなくなったなら……ヴェイユ王国が、いえ、私がアデルの居場所になります。だから、困ったら頼って下さいね?」

 白銀髪の聖女は大地母神フーラを彷彿とさせる笑顔を浮かべてそう言うと、洞窟の出入り口の方へと登って行った。
 アデルはただ、その流れる白銀の長い髪を眺める事しかできなかった。