偵察魂 

 新聞を読んでいた考子の目がある記事のところで止まった。
『出生数最小! 90万人を切る』
 厚生労働省が発表した2019年の人口動態統計の年間推計で、日本人の国内出生数は86万4千人となったと書かれていた。そして、1899年の統計開始以来初めて90万人を下回ったとも書かれていた。
「250万人を超えていた時もあるのに……」
 考子の呟きを耳に止めた新が新聞を覗き込んだ。
「最低のクリスマスプレゼントだね」
 新聞の日付は12月25日だった。
「本当、最低!」
 珍しく考子が舌打ちをした。
「1年間で50万人以上人口が減るんだって。これって、鳥取県が無くなったのと同じことなんだって」
「ひえ~、本当? 大変じゃないか。このまま人口減少が加速したら、国の予想よりも早く1億人を割るかもしれないね」
 2人の表情が一瞬にして曇った。
「日本はどうなってしまうのかしら……」
 新は何か言おうとしたが、それを口にすることはなく、ただ首を横に振った。
「ずいぶん前からわかっていたことなのに……」
 考子が大きなため息をついた。
 記事には〈出生数の推移〉の表が掲載されており、団塊の世代が生まれた1940年代後半には250万人を超えていたこと、その後、出生数は右肩下がりが続いたが、団塊ジュニアが生まれる1970年代半ばには200万人台を回復したことが表されていた。しかし、それからあとはほぼ一貫して減少を続け、40年以上に渡ってその傾向が続いているのだ。しかもここにきて減少率は大きくなっている。
「手を打つチャンスは何度もあったのにね」
 新は〈どうしようもないね〉というように両手を広げた。
「確かに自分たちにはどうしようもないことかもしれないけど。でも、このまま放っておいたら大変なことになるわ」
 考子の胸中にぶつけようのない憤りが沸々と湧いてきた。
「国は、政治家は、役人は、何をやっていたのかしら!」
 すると新が強く頭を振った。
「無理だよ。彼らは国の将来のことなんて何も考えていないよ。目先のことだけで頭がいっぱいなんだよ。選挙で勝つこと、権力を手にすること、それによって甘い汁を吸うこと、そんなことばかり考えているんだよ。少子化を重大な問題だと認識している政治家は皆無に等しいんじゃないの」
 新の声が虚しく部屋に響いた。
 政府がまったく何もしていないわけではなかった。2007年8月に内閣特命担当大臣として『少子化対策担当』を新設したのだ。しかし、内閣が変わるたびに、そして、内閣改造が行われるたびに大臣が交替し、1年以上その任を務めた人は皆無に等しい状態が続いている。もし一人の大臣が腰を据えて長期に渡って徹底的に対策を打っていれば、少子化の流れを食い止められたかもしれないのだ。しかし短期任命が繰り返され、〈器があって中身無し〉の状態が続いている。
「12年間で19人だよ。一人当たりの平均在任期間はなんと7.5か月。信じられないよね。7か月で何ができるっていうんだよ!」
 普段は冷静な新が珍しく声を荒げた。
「少子化担当なんて小手先のことばかりやっているから埒が明かないんだよ。もっと本気で取り組まないと」
「本当、その通りだわ」
 強く頷いた考子は新を意味ありげに見つめた。
「もし、もしもよ、あなたが総理大臣だったらどうする?」
「えっ、僕? 僕が総理大臣?」
 いきなりの質問に新は目を白黒させたが、深呼吸を1つしたあと、冷静な表情になって口を開いた。
「僕だったら……、僕が総理大臣だったら……、そうだな、少子化担当省を創るよ。いや、そんな中途半端なネーミングではだめだな。何がいいかな? そうだな~、そうだ、出生増加省でどうかな? 専任の大臣と千人のスタッフを配置して、出生数の増加だけに専念させるというのがいいんじゃないかな」
「いいわね。さすが新。グッドアイディアよ。それを手紙に書いて総理大臣に送ったら?」
「ははは。面白いこと言うね。でも、見ず知らずの一般人からの手紙なんて読んでもらえないよ。秘書が一瞥してゴミ箱行きに決まっているよ」
「そうか~、ゴミ箱行きか~」
 考子が落胆の表情を浮かべたが、それは一瞬のことで、すぐにキリッとした顔に戻った。
「今の状態は国難と言っても過言じゃないわ。本当にヤバイと思うの。毎年毎年、出産適齢期の女性が減り続けていて、その上、結婚しない女性の比率が上がっているのよ。このままでは出生数がどんどん減っていくわ」
 鼻を膨らませると、新が強い口調で応えた。
「おまけに低賃金で働く若い人が増えて、子供を持つことを最初から諦めている人が多いんだ。これって将来に希望を持てない人が増えているってことなんだよ。非正規社員の問題、低賃金の問題をなんとかしないと抜本的な解決にはならない」
「そういう意味では経営者の意識改革も必要よね。利益を貯め込むことばかりに目が行って、賃上げを渋り、正社員登用を渋り、長時間労働を放置し、社員の幸福を後回しにしているのだから」
「それだけじゃないよ。マタハラの問題も重大だ」
「本当ね。妊娠したら辞めてくれ、出産したら辞めてくれ、短時間勤務なんてとんでもない、そんなことを平然と言う経営者や上司が余りにも多すぎるわ」
「その通りだね。社員あっての会社なのに、そのことをわかっていないんだよ。子供が産めないような賃金や職場環境を放置している経営者の頭の中を見てみたいよ。多分スカスカのカラカラだと思うよ」
「その通りよ。だから少子化対策に真剣に取り組まない政治家や役人、経営者は国賊と変わらないわね」
 2人の言葉はどんどんエスカレートしていった。それは苛立ちの大きさの裏返しでもあったが、子供を授かるために愛し合った2人にとってこの現実は受け入れがたいものだった。
「もし私が妊娠していたら……」
 人口減と国力衰退が待ち受ける中で生まれるかもしれない我が子、その行く末に思いを馳せた考子は不安そうにお腹に手をやった。