「乾杯♪」
 テーブルに座った2人はグラスを合わせた。新はビール、考子はノンアルコールビールだった。
「妊娠中はアルコールを我慢しなくちゃね」
 自らに言い聞かすように呟いた考子が缶に印刷されているアルコール0.00パーセントという表示を見つめた。
「僕だけお酒飲んでごめんね」と謝った新は思い詰めたような声で「君の妊娠期間中は僕もお酒を止めようか」と考子の顔を窺った。
「いいわよ、そんなことしなくても。大丈夫、我慢できるから。その代わり出産して授乳期間が終わったら、素敵なレストランでおいしいお酒を飲ませてね」
「うん、わかった。約束する」
 ほっとした表情で新がビールを飲み干した。
「もう一つ約束するよ。夕食後の片付けは僕がすることにする。食器を洗って拭くことを毎日の日課にするよ」
 あらまあ、と大きく目を見開いた考子に新がウインクをした。
 食後、ソファに移った考子は後片付けを済ませて新が戻ってくるのを今か今かと待ちわびていた。話したいことがいっぱいあるのだ。大好物の地球科学について話したくて話したくてウズウズしているのだ。
「お待たせ」
 エプロン姿の新が考子の横に座った。
「似合うだろ」
 エプロンの胸の部分を両手の親指で前に突き出した。そこには地球のイラストが描かれていた。そして、Save the Earthの文字も。
「地球を救え、か……」
 ウキウキしていた気持ちが一瞬にして萎んでしまった考子は大きなため息をついた。そして、「こんな状態になるとは地球さんもびっくりしているわよね」とエプロンのイラストに向けて同情の言葉を投げた。
 新は無言でエプロンの紐を解いてそれを畳んでテーブルの上に置いたが、Save the Earthの文字を隠すように畳んだので地球のイラストしか見えないようになった。
「ありがとう」
 心情を汲んでくれた新の優しさが嬉しかった。この人が夫で良かったと思った。
「さあ、地球誕生の話を聞かせておくれ」
 父親が娘に話すような口調で促すと、考子はニッコリ笑って新を見つめた。
「むかしむかしあるところに」
「コラ! それは日本昔話だろ」
 新がゲンコツで頭を叩くふりをしたので、考子はペロッと舌を出した。
「んん、大変失礼いたしました。それでは、」
 考子はテーブルの上の地球のイラストを見つめて深呼吸をした。

 誰も知らないはるか昔、ビッグバンによって宇宙が誕生しました。そして、約135億年前には銀河が存在していたようです。それから80億年以上の時を経て、約46億年前に太陽が誕生しました。その成り立ちは宇宙に漂うガスや塵でした。それが集まって徐々に密度が高くなり、それが分子雲になり、自らの重力で収縮して原始星になり、外側にあるガスや塵を取り込んで高密度化し、遂には核融合反応をするようになったのです。そして1千万度以上の高温になり、明るく輝き始めました。太陽という恒星が出現したのです。
 生まれたばかりの太陽はガスや塵で出来た円盤に囲まれていたと考えられています。その塵が集まって数キロメートル程度の微惑星が誕生し、その微惑星同士が衝突・合体を繰り返して原始惑星となりました。更に、原始惑星同士が衝突・合体を繰り返し、遂には惑星になりました。そして1千万年くらいかけて太陽系が出来上がりました。

「ねえ、135億年前とか46億年前とか具体的な数字を君は言ってたけど、どうしてそんなことがわかるんだい?」
 その質問を待ってましたとばかりに考子は自慢げに説明を始めた。
「天体観測と隕石分析でわかるのよ」
「ふ~ん」
「世界中の宇宙研究者たちが世界各地の高性能な天体望遠鏡を使って宇宙最古の光を観測しているの。その研究から東京大学宇宙線研究所などのチームが年老いた銀河を発見したの」
「年老いた銀河?」
「そう。それは既に星を作らなくなった銀河のことをいうのよ。観測データを分析した結果、銀河の誕生が135億年ほど前と推測されたの。もちろん推測なので断定はできないから、彼らは更に精度の高いデータを取得しようとしているの。2021年にNASAが打ち上げる予定の次世代宇宙望遠鏡で観測して、宇宙最初期の星形成の全容を解明したいと意気込んでいるの」
「ふ~ん、凄いね。日本人研究者も頑張っているじゃないか。なんか嬉しくなってきたな」
 新は顔を綻ばせた。
「ところで隕石の分析って何を調べるの?」
「ウランよ。ウランの壊変を調べるの」
「かいへん? 何それ?」
「原子核が不安定な状態から放射線を出して別の原子核に変わったり安定な状態の原子核に変わる現象なんだけど、それによってウランの半減期がわかるの。半減期とは半数の個体が壊れることよ。で、ね、隕石の中には太陽から放出されたウランなどが含まれていて、その半減期を調べることによって太陽の誕生時期がわかるの。具体的に言うとね、ウラン238という放射性物質があって、それが安定した状態の鉛206に変わるまでには45億年かかるのがわかっていて、それを基に推測したのよ」
「ふ~ん」
 よくわからないけど、まっいいか、というような顔をした新に、「この続きはまた明日にしましょう」と考子が微笑んだ。