蝋燭に先端をかざすと、シュッ、火がつく。鮮やかな赤色に光りながら、火花を散らす。


「……きれー」


 気づいたら、言葉に出していた。


「やっぱ夏は手持ち花火にかぎるな」
「……私もこっちのほうが好きです」


 え、と顔をあげた彼と目が合う。髪と同じ、色素の薄い瞳だった。



「打ち上げ花火よりも、すきです」



 公園には、パチパチという花火の音と私の声だけが響いている。

 少し止まって何度か瞬きを繰り返した彼は、「そっか」と言って満足げに破顔した。


 その瞬間、今まで変人フィルターを通して見ていた彼の顔からわずかなあどけなさがのぞき、なるほど、と意味不明な納得をしてしまった。

 何がなるほどなのかもよく分からない。ただ、彼もそんなふうに笑うのだと。そして、その笑みに一瞬でも惹かれた自分がいたのだと、そんな単純な事実に「なるほど」と思った。


「自分で買っておいてなんだけど、五千円分って結構あるね」
「……これ、一人でやるつもりだったんですか」
「まーね」
「すごいですね。なんというか、色々と」
「でも結局はほら、二人で花火してるし。結果オーライってやつよ」
「……適当だなぁ」


 驚くくらい適当で、計画性のかけらもない。あと、やっぱり一人で花火五千円分は悪くはないけれど、どこか思考がぶっ飛んでいる。

 それでも、今はその適当加減が嬉しかった。もし彼が彼でなかったら、私は見ず知らずの人間と花火をすることもなかったし、話すことすらなかっただろう。


 次々と花火がバケツの中へと消えていく。バケツの水に浸かる瞬間の音が私はかなり好きだったりするから、最後まで気を抜かない。

 バケツの水が見えるところまでしゃがんで、ゆっくり花火を水につける。


「なんかやけに真剣じゃない?」
「花火の終わりの音を聞きたいんです」
「バケツに入れるときってこと?」



 こくりとうなずくと、彼は「ちょっとわかるわー」と言って、私のとなりで同じようにしゃがんだ。




「あ、そうだ。名前、きいてなかったね」



 花火が消えて、暗い水の中に入る。顔のパーツがはっきりと見える距離で、彼はそう口にした。


「……マミです」
「漢字は?」



 私は腰をあげて、近くにあった枝を拾った。そしてまた彼の隣に腰を下ろし、地面に枝先をつける。

 一画一画、丁寧に線を引く。彼は私の手の動きをじっと見つめていた。


「いいじゃん真実(まみ)。シンジツ」
「言われると思いました」
「別にバカにしてないからね? 素敵だと思ってるから」
「嘘偽りない、って意味なんですって」
「へぇ、シンジツ?」
「そうです」


 以前辞書で調べたことがある。一般的には熟語の印象が強すぎて、最初は戸惑われることもしばしばだ。
 小学生の時、名前から連想するイメージを言い合いましょう、という授業があった。

 そのときいちばん多く書かれたのは【正直そう】だとか【嘘つかなさそう】だとか、そういった類のものだった。




「……けど、私嘘ばかりなんです」




 立ち上がって、花火を手に取る。線香花火だった。蝋燭にかざして火をつける。

 彼はまだバケツのそばから、私を見上げている。



「……さっき言ってたの、正解です。失恋したんです私」


 彼はただ、目を伏せたまま私の話に耳を傾けてくれた。そう見えた。

 もはや、ほとんど壁打ち状態だった。押し込んでいた気持ちが濁流のようにあふれ出す。



「情けない話です。ずっと好きじゃないふりして、ただそばにいられればいいって思ってました。でも、違ったんです。私は、私自身にも嘘をついていたんです」



 パチパチと火玉が音を立てて弾ける。ずいぶん暗くなった空間を照らすように、光を放っている。



「私、ほんとうは」


 線香花火を待つ手が揺れる。







「本当は……アイツの彼女として、隣にいたかったんです、ずっと」







 とっくに分かっていた。なんでもないただの幼馴染みとして隣にいるなんて、嫌だって。

 それでも私は自分の気持ちに嘘をついて、いつも真実(しんじつ)を隠してばかりだった。




 ポタ、と火玉が地面に落ちる。

 決して派手じゃない。勢いもないし、カラフルな色だってしていない。揺れたら簡単に落ちて、たちまち消えてしまう。

 目立たなくて、控えめに燃えている恋。けれど何もしなかったら今のように地面に落ちて、あっさり消えてしまう。ある日、突然消えてしまう。





 ーー私の恋は、きっと線香花火に似ていた。






「あーー……くやしかったなぁ、……っ、くやしい」



 頬を濡らす涙が、静かに地面に落ちる。
 おかしいな、一人の時は全然涙なんか流れなかったのに。



「真実」

「……っ、」

「俺ね」




 ゆっくり腰を上げた彼は、放り出された枝を手にして近づいてくる。そのままガリガリと地面に文字を彫った。



波玖(はく)。これが俺の名前」



 「俺も線香花火しよ」と軽い口調で言って袋に手を伸ばす彼────波玖。

 私の涙交じりの吐露など、彼はちっとも気に留めていない。



「いやぁ、実はさ」



 蝋燭に線香花火をかざしながら、波玖が口を開いた。




「俺も失恋したんだよね、最近」
「……え」
「だからいっそ、花火しちゃえば忘れられるのかなとか思ったり。でも無理だな、割とクるものがある」




 こんなに整った顔立ちをしていても失恋をすることがあるんだなぁ、とぼんやり場違いなことを思ってしまう。もちろん口には出さなかった。




「今ごろ何してんのかな、デートしてんのかなって思ったりね。夏祭りで出くわすかもなとか思ったら、フツーに行きたくないし」
「……」
「バカみたいに俺ばっか想ってて、くだんないなって思うよ」



 線香花火が燃えている。音を立てて、はじけている。



「これ終わったら、敢えて花火大会行ってみるのはどう?」
「……うん」
「なかなか失恋の痛みは癒えないかもしれないけどさ。俺たちばっかり落ち込んでんのはイヤじゃん」
「……うん」
「一人じゃ嫌だけど、失恋した奴二人ならなんか乗り越えられるかもなーとか思うんだよね」



 うん私も、とは言葉にしなかった。

 別に、おしゃれする必要もない。出会ったときから波玖には"死にそうな顔"を見せているわけで。着飾る必要もないと思えば、まぁいいやという気分になってしまうから不思議だ。



「こっからどれくらい?」
「徒歩十分くらい」
「おお、近いな」
「唐揚げ食べたい」
「……俺の奢りってこと? 無理無理、金欠なんだって」
「五千円花火買うからじゃん」




 私が笑うと、波玖も笑う。それが少しうれしかった。



「ちょっとまって、一旦片付け」
「りょーかい」



 あっという間に空になった袋。花火がたまったバケツ。
 時計に視線を移す。

 もうすぐ、花火大会が始まる。




 大失恋とも言える私の悲恋の傷は、なかなか癒えない。おそらく、波玖の傷もはやくには治らない。



 それでも。

 泣いたからか、それとも花火をしたからか。波玖と出会って、自然と前を向けている自分に驚く。



「よし、行くか」
「焼きそば楽しみー」
「いや、唐揚げじゃなかったのかよ」
「全部食べる」
「うっわ、強欲」



 自然とお互いに隣を歩く。言えやしないけれど、案外波玖の隣も悪くないと思った。彼の隣は居心地が良い。

 まだ出会って一時間なのに、この安心感はなんだろう。




 もし、リョウとの未来と、波玖との未来が目の前にあったとして。
 どちらかを選択しなければならないとしたら。


 リョウへと進む道は、波玖との道へと進むために用意されたものだったのかもしれない。リョウへの道を閉ざされてはじめて、私は本当の道を選べるのかもしれない。



「俺、やっぱり打ち上げ花火も好きかも」
「結局花火が好きなんでしょ」
「そーかも」



 もし、そうだとするならば。
 そんなことを思っていいのなら。


 私が抱いていたリョウへの恋心は、いつか消えてしまう花火のようなもので。


 はじめから決まっていたみたいに。





 ーーきっと散りゆく恋だった。