ーー夏祭り、アイツと一緒に行くようになったのはいつからだっけ。
「マミ、帰るよー」
「あ、はーい」
私は親友のスズネに呼ばれて、慌てて鞄を持ちその背中を追った。一人でいると、くだらないことに思考が落ちていく。今がまさにそうだった。
「暑いねー。かんっぜんに夏だわこれは」
「ほんと、日差し強くないのにこんなに暑いのはバグだと思う」
休日の午前練が終わり、私とスズネは帰路につく。中学生までは午前練のあと遊ぶ、という選択肢があるほど自由のきくカラダだったけれど、どうにも高校生になるとそれが難しくなることを知った。
はやくも身体の老いを感じていてなんとも言えない感覚になる。
子供ってどうしてあんなに無邪気なんだろう。どうして昔の私はあんなに無邪気にいられたんだろう。
子供は、泣きたくなるほど純粋で、いつだってただ好きな気持ちだけで物事に取り組む。好きだから一緒にいる。
好きだからーーこの気持ちがぐるぐると絡まって鎖のようになることは、決してないのだ。
分かれ道で、スズネが「じゃね」と私に手を振った。生い茂った緑色の雑草が、風に揺れている。
「うん、またあしたー」
「どんまいマミ。明日は部活ないですー」
「うわ、がちか。よかったー、教えてくれて」
サンキュ、と親しい間柄である彼女にしかしない軽率な感謝を述べ、私も家へとカラダの向きを変える。
しばらく歩いていると、突然後ろから「マミ」と呼び止められた。
うわ、サイアク。
だらしなく緩みそうになる自分の頰を今すぐつねってやりたい。私は熱っぽくなる視線をなんとか抑えながら、いたって平然として振り返った。
「なに? 末治さん」
「おいー、だから苗字呼びやめろって。俺たちの仲じゃーん」
「そういうのうざい。好きじゃない」
目の前で、サラサラと黒髪が揺れている。天パで生まれた私には、一生かけてもなれないであろう髪質だ。
サラサラの上に艶もある。神様から恵まれた贅沢なやつだ。
末治リョウ。彼の名は、そう言う。
彼は私の幼馴染みであり、小学生の頃に私の初恋を奪ったやつである。
私の初恋はもっとかっこよくて、優しくて、頼りがいのある男性に捧げるつもりだったというのに。よりによってこんなヘラヘラしたやつに、私は惹かれてしまったのだ。
かれこれ八年と少しの、長い長い片想いである。けれど、その思いは永遠に彼に届くことはない。
「もうすぐ祭りだろ?」
「あー……うん、そだね」
「毎年俺ら一緒に行ってただろ?」
「……うん」
ひとつひとつ、確かめるように聞いてくる。こういうところも嫌だ。
その先に続く言葉なんて分かりきっている。私はそれを聞きたくない。
堂々と耳を塞ぐこともできない。最終手段として私が口を開き、言葉で言葉をかき消すその0.1コンマの間に、彼はすばやく告げたのだ。
「俺、今年お前と行けないから」
分かってるよ。だから、わざわざ言うな。
そんな私の小さな抗議は届くはずもなく、口を開くことさえできないまま、ただ呆然と私はその場に立ち尽くしていた。
おかしい。完全に立ち直れたと思っていたのに、長い間抱いてきた恋慕の情はなかなか根絶えてくれないらしい。
ああ、本当に厄介だ。
相手に言われてしまうよりは、自分で言葉にしたほう楽かもしれない。そう思ったから、口にした。
「末治さんは、彼女とデートですもんね」
「そーなんだよ」
ぐ、と握った拳に力が入る。
やめて、やめてやめて。
私はそんな顔見たくない。
私の前で別の子を想うのだけは、本当にやめて。そんな思いすら目の前の男には届いていないのだと思うと、むなしくて、やるせなくて、同時にそんな彼だから好きだと思った。
昔から鈍感で、不器用なくせに、決めたことは最後までやり遂げるやつだから。曲がったことが嫌いで、とにかく優しいやつだから。浮気の心配はまずないだろう。私が必死になって言い寄ったところで無駄だということを、私がいちばん知っている。
どんなに綺麗な学年一の美女が言い寄ったところで、結果は私と変わらないことも分かっている。
だからこそ。
そんな揺らぎのない彼だからこそ、私は好きで好きでたまらないのだ。
「楽しんでね」
「そーなー。楽しむつもりではあるよな」
「ニヤけてるよ、キモチワルイ」
「しょーがねえよな、好きなんだからさ」
私の八年間の片想いは、彼と彼女のデート現場を目撃したことによってあっけなく散った。高校二年生になって出会った、可愛らしくも控えめな女の子の登場によって、粉々に砕けちった。
せめて「彼女ができた」と報告されたとしたら今よりもすんなり受け入れることができたかもしれないのに、よりによってまったく身構えていない時に大失恋をかますことになるとは思いもしなかった。
正直、心のどこかで彼はなんだかんだ私のことが好きで、私を選ぶのだと思っていた。だって近所の人たちには「ほんとに仲良いわね」と言われていたし、小さいころには結婚ごっこもしたわけで。「おおきくなってもずっといっしょにいようね」と手紙に書いたことだってあったから、てっきり大きくなって自然と付き合って、なんとなく結婚して家庭を築くのだと思っていた。
それなのに、なんだこの有様は。
自分が描いていたものは所詮、すべてが妄想だったのだと悟り、今までにない羞恥と憤りに襲われている。
「ばいばい末治さん」
「それは直さないのなー」
「当たり前でしょうが彼女持ち」
「そうでしたそうでした」
家の前まで送ってくれるのも、これからはもういいよって断らなきゃダメかな。
あーあ、サイアク。
二人の間に入ってどうこうしたいわけじゃない。そこまで恋愛を拗らせてはいないはずだし、他人の不幸を願うなんてまねはしたくない。だけど、抑え込んだこの気持ちが自然と昇華されるかといえば、それはまた別の話だ。
「祭りの日なんて来なければいい……」
ドアの先に、きっともう彼はいない。私がドアを開けたところで、あるのは蒸し暑い夏の景色のみ。
彼と行かない夏祭りなんて、まったく意味がない。
浴衣を着たって、美味しいものを食べていたって、花火を見ていたって、ずっと考えるのは末治リョウという男のことだけだ。
「あー……くやしい」
悔しいくやしいと嘆きつつも、なぜだか涙はあふれてこなかった。
*
結局、夏祭りには行かないことにした。年に一度の大きな祭りだから、たくさんの花火があがるらしい。数にすると一万発をこえるとチラシに大きく書いてあった。
私以外の家族は皆祭りに行くと言って、早々に家を出て行った。両親は毎年のごとく二人でデートだし、三人いる姉は全員が彼氏とデートだ。みんな三年以上の付き合いだから、こちらも毎年のごとくといった具合だ。
……結局私だけが残り物だ。なさけない。
家にいてもとくにすることもなく、暇つぶしに開いたインスタには楽しげなストーリーばかりが載っていて気分が滅入り、すぐに閉じた。かといって課題をする気分ではない。
私は仕方なく、近所の公園に行くことにした。
あたりはだんだんと暗くなってきている。打ち上げ花火大会まではあと一時間くらいだ。
足元に視線を落とす。
真っ白だったはずのスニーカーは、今や汗泥雨に汚れてところどころ茶色くなっている。
きっと、こういうところなのだろう。私が選ばれない理由は。
末治リョウの彼女はココロという名前の可愛らしい子だ。ふわふわの髪に華奢な肩幅で、いかにも小動物を連想させるような見た目。以前委員会が一緒になったとき、爪先にまで抜かりなく手入れが行き届いており感動した。
ツヤツヤと光沢を放つ爪や、ぷるんと潤った唇。真っ白い肌に可憐さと清楚さを兼ね備えた服装。
遺伝子勝ちという言葉があるけれど、この子の場合はそれに加えて日々の努力があるのだと感心した。
「……当たり前の結果か」
がんばったほうが報われる。何事もそうだ。
それに嫉妬していたって、仕方がないことだ。もう、彼のことは忘れよう。
何度そう思って、立ち直ろうとしたことか。失恋から立ち直る方法、と検索しても出てくるのは【新しい恋を見つける】だの【推し活をする】だのでたいして参考にはならなかった。
公園につくと、ひとりの男性がなにやら準備をしていた。無意識に息を呑む。
ひとりで、ワクワクという表現が似合いそうな表情をして、彼はバケツやら花火セットやらを用意していた。
ふんふんと聞こえるのはどうやら鼻歌らしい。驚いて見つめていると、こちらを向いた彼とばちりと目があった。
「……わ」
おいで、といったふうに手招きされる。普通なら、近づいたりしない。けれどこの日は失恋のショックと、家族からも退けられた孤独でおそらく精神がどうかしていたのだろう。私は気付けば、彼のそばに寄っていた。
遠目からだとよくわからなかったけど、近づいてみるとなかなか綺麗な顔立ちをしている。年齢は私と同じ17歳くらいだというのが私の予想だ。
「……あの」
「暇? 暇なら一緒に花火しよっか」
「え」
「もしかして祭り行く? そんな死にそうな顔で祭り?」
顔を覗き込まれる。透明な瞳とまっすぐに目があった。
「どしたん眉間に皺が」
「失礼すぎてどうしようかと」
「うは、それはごめんな」
気づけば眉根を寄せていたらしく、指摘される。
悪びれるようすもなく笑って、断りもなくわしゃわしゃと頭を撫でてくる。なんというか一歩間違えれば通報しているかもしれない、と思った。
「でもほんとのことだからさ。顔、大丈夫そ?」
「どういう意味ですか」
「失恋したみたいになってる」
「……まさか」
軽く笑ってみせると「なんだ笑えるじゃん」と返ってきたので真顔に戻した。
それより、まさか失恋に勘づかれるとは。変な人だと思っていたけど、色々な意味で警戒しなければならないかもしれない。
「手持ち花火のほうが俺は好きなんよ」
「……へぇ」
「君はもっと人に興味持ったほうがいいよ。キョーミを」
「……はぁ」
苦笑いをすれば、へらっとよく分からない笑みが返ってくる。それは嘲笑でも失笑でも微笑でもなくて。今の笑い方に意味をつけろと言われたら、私は言葉に詰まってしまう。
「花火って結構高いのなー」
「……物によると思いますけど」
「これいくらだったと思う? 五千円近かったんだよね」
「それを、ひとりで」
「五千円っていったら、単行本四冊くらい買える」
「すいません、本とかあまり興味なくて」
単行本うんぬんはよく分からないが、とにかく本好きからしたらかなり痛い出費だということは分かった。
そしてどうやら、彼は一人でこの大掛かりな花火をする予定だったらしい。
ふつう、花火って仲良い人とやるから楽しいんじゃないのか。それか、純粋に花火を楽しむのであれば千円くらいで買えるものもあるだろう。
それを五千円分、って。散財にもほどがある。
「ちょっとミスったんだよね、俺。だからさ、付き合ってよ。花火がもったいないから」
「……」
「あ、お金とかとらないから安心して。全部こっち負担ね」
ーーどうせ花火大会行かないんでしょ。
続けざまにそう言った彼の、少し明るい茶髪が揺れる。
「じゃ、やろ」
ほい、と軽い素振りで手持ち花火が差し出される。近くには蝋燭とバケツまで用意されており、準備は完璧だった。