夕方、私達は駅のホームに立っていた。
「ありがとう。ここまで送ってくれて」
「ああ。……また帰ってこいよ」
「うん」
 そう言っても、私はもう戻らないと決めている。
 あなたが家庭を築いているところを見る勇気はないから、あなたが別の女性に ふにゃとした笑顔を見せるなんて耐えられないから。
 だから、私は。

「元気でね」
 拓也の目を見つめ、別れを告げた。
 あなたと過ごした最後の夜を忘れない。
 あなたと結ばれることはなかったけど、繋いだ手の温もりは忘れない。
 さよなら、大好きだった人。

「綾子! ……独り言だと思って聞いて欲しい」
「え?」
「俺、見合い断ったから。それだけは知っておいて欲しくて」
「え! 嘘! どうして!」
 言っている意味が分からない。だって家業を守る為には。
「綾子のこと引きずりながら結婚なんて、相手に失礼過ぎるだろ? だからいいんだよ。それより、これからも帰ってこいよ? 確かにこの町並みは変わったけど、また新たな風景があるんだよ。見せたい場所、いっぱいあるんだ」
「……でも、私は」
「別に嫁になれとか思ってないし。……まあ、それが俺の気持ちだから。あの頃と違って、綾子に全てをぶつけて送り出せる。あの時より一歩進めたかな、俺?」
 そう言って目を泳がせているから、相当照れているのだと見て取れる。

 私はどうなのだろう。
 拓也は気持ちをぶつけてきてくれたのに、私はまた何も返せない。
 また臆病で、保守的な自分に戻ってしまった。

「ごめんな。十年前のあの日に、いつでも帰ってこいと言えていたら……。綾子の帰って来る場所を奪っていたのは俺だった」
 私は首を横に振る。
 違うよ、拓也のせいじゃないよ。それは私のせい。
 ずっと片意地張って、ただ突っ走っていた。
 だってそうしないと、自分の弱さに気付いてしまいそうで怖かったから。
 だからこの町に帰って来なかったの。
 両親や友達、拓也の顔を見たら泣き崩れてしまいそうだったから。

 でも、私は今日この町に帰って来たことによって自分の本心に、弱い自分を曝け出し認めることが出来た。
 もう一度、仕事と向き直すと決めたんだ。
 だから。

「山の雪が溶ける頃に、一度帰って来ていい?」
 思い切って、わがままを言うことにした。
「ああ、待ってる。綾子が帰って来る場所は、この町なんだから」

 すると聞こえるアナウンスと、電車の停止音。
 それは私達の別れの合図だった。
 後ろ髪を引かれる思いで、私は電車に乗り込む。

「あのね。……拓也のこと好きだから。子供の頃からずっと」
 初めて声に出した気持ち。思わず目から涙が伝わっていた。
「お、俺も」
 ドアが閉じる瞬間にその声は聞こえ、拓也は目を光らせながら、ふにゃっと微笑んだ。

 動き出す電車。
 どんどんと小さくなっていく、その姿。
 見えなくなるまで、ずっとずっと見つめていた。
 私、頑張るからね。もう一度。

 冬の終わりを告げる終雪が降る中、あの夜が最後にならないことをひたすらに願った。