「綾子」
 声がする方に目を向けると、そこには拓也が立っていた。速い息遣いと、顔と耳が赤いことから、走って追いかけて来てくれたのだと分かる。
「大丈夫か?」
 眉と口元を下げて真剣な表情をして、声まで低くて深刻で。
 その言動に、私の心臓がドクンと鳴る。
 ああ、やっぱり隠せてなかったんだって。

 私はこの十年間で、本心を隠すのが上手くなったと思っていた。
 そうならないと、あの厳しい世界で生きていくことは出来ないから。
 辛くても苦しくても、それを表に出さずにひたすら突っ走るしかなかったから。

 いや、他人にだけでなく自分にも本心を隠していた。
 ……私は自分の限界にとっくに気付いてた。

 周りを見れば才華にあふれ、その持ち前のセンスでデザインを開花させ、それを形として彩っていく同僚達(なかまたち)
 それは私には絶対思いつかないものばかりで、努力では埋められないものがあるのだと思い知った。
 そんな辛い気持ちを誰にも言えなくて、若い才能に嫉妬する自分の醜さに苦しんで、才華のない自分を認められなくて、私は私にずっと本心を隠して生きていた。

 でも、もう限界で。ご飯とか食べられなくなって。何も考えない時間が怖くなって、気付けば目を閉じるのが怖くて、眠れなくなっていって。
 そんな私は、体を壊してしまい現在は休職中だった。
 そして今日、私はこの町に逃げ帰って来てしまった。

 そんな気持ちを隠していたつもりだったけど、やっぱり両親も幼馴染も元彼も、誤魔化すことなんて出来なかった。
 情けないよね。みじめだよね。
 もう、消えてしまいたい……。

「バカぁ! あの日、来てくれなかったくせに! いまさら何なの! バカ! バカぁー!」
 喉の奥に押し込んでいたものは一気に溢れ出し、気付けば感情のまま叫んでしまっていた。
 もうとっくに終わったことを引き合いに出して、拓也からしたら呆れるだろう。

「……ごめん。あの頃さぁ、悩んでて。綾子は夢に向かって進んでいるのに、俺、何もないなって……」
 それは初めて見る、今にも崩れそうな笑顔だった。

「そんな。拓也は、家業継いで立派に働いているじゃない?」
 ……私なんかと違って……。

「まぁ、今は……な。だけどさ、あの頃は本当に悩んでて。だからこそ綾子は眩しくて、俺は何も言えなかった。振られるのが怖くて、あの日、行けなかったんだ」
 拓也はそう言い、俯き震えていた。

 ……あの頃、私は一度でも拓也の気持ちを考えたことがあっただろうか?
 置いていかれる側のことを、考えたことがあっただろうか?
 自分ばっかで、相手の気持ちを考えられていなかった。
 だからあの日、来てくれなかったんだ。

 あの頃は互いにまだ十八歳で、進路を決めないといけない時期だけど、そこまで大人になりきれていなくて。
 自分が分からなくなり不安で周りを見ると、みんな大人に見えて。余計に、相手を思いやる余裕なんてなかった。

 だから。この十年の月日があったからこそ。
 互いに成長し、互いの気持ちをぶつけられ、間に出来た心の壁を言葉で溶かし、向き合うことが出来たのかもしれない。

 気持ちのすれ違いに気付いた私達は、ただ力強く抱きしめ合った。
 まるで、この十年間の時間を埋めるかのように強く。