「ごめーん。仕事残ってたの忘れてて、今日中に帰らないといけないのー! 今からなら間に合うから帰るね!」
 手をパチンと合わせ、笑って戯けてみせる。
 話なんて全く聞こえていない。そんなフリをして。

 それを聞いていた拓也は表情を変えるけど、スッと目を逸らした。

「え? ……あ、そっか」
「無理しないでよ?」
 会場外まで送ってくれようとする朱莉と直美を止め、女子メンバーの元に駆けて行く。

「みんな、またねー!」
 手をブンブンと振ってくれる女子達に同じテンションで返し、会場出口へと向かって行く。

「綾子ー! また連絡するから! 返事してよー!」
 背後より聞こえる、朱莉と直美の声。だけど私は聞こえないフリをして、駆け足で出て行く。
 ごめんね。その約束は出来ないな。

 そう思いながらホテルを出ると、身を切るような寒さが全身に刺さる。
 漆黒の空下で、真っ白な牡丹雪がふわふわと舞う中、向かった先は駅だった。
 
 今なら最終電車に乗れる。それで行けるところまで行って、適当な場所で泊まろう。
 実家にも立ち寄らない。
 両親と兄は今日の帰省を知っていて、待ってると言ってくれていたけど。こんな私の姿を見せるなんて、一番の親不孝だから。

 積もった雪を掻き分けて歩くと、街並みは十年前と変わっていて、私はまるで全然知らない世界に迷い込んだみたいだった。
 私だけ目的地に辿り着けず、永遠と迷い続けるのだろうか……。

 そんな思いを抱えながら歩き続けていると、目の前には廃校予定の高校。
 私は十年前も、この場所で立っていた。


 物心ついた頃から服のデザインを考えるのが好きだった私は、落書き帳にドレスの絵ばかり描いていた。
 私達幼馴染六人はずっと一緒で、拓也と私は高校に進学して付き合うようになった。
 どっちから言った訳でなく、ただ手を繋ぐだけの関係で、本当に付き合っているのかは分からなかった。
 でも子供ながらに真剣だった。

 高校二年生の冬。
 本格的に進路を考える頃、私はデザインについて学びたいと考え始めた。なんとなくで思っていた夢を本気で叶えたいと。
 でも専門学校は都会にしかなく、家にも代々と続く家業がある。
 両親には、好きなことをしたら良いと言われていたけど、本当は兄と家業を継いで欲しいこと分かっていた。

 その板挟みで一人悩んでいると、母が受験するように言ってくれた。
 父と兄は何も言わなかったけど、私がやりたい事が出来るようにお金を準備してくれていた。

 私は、両親と兄のそんな想いに絶対に合格すると決意し、ひたすら勉強した。
 だけどそのことを友達にも拓也にも言えず、やっと打ち明けられたのは高校三年生の夏。進路を本格的に決める時だった。
 殆どの子が家業を継いだり地元での就職を決める中、私だけ親のお金で進学する。
 そこには後ろめたさがあったけど、みんな応援してくれて私は頑張ると決めた。

 ……でも、拓也だけは何も言ってくれなかった。
 だから私も、何も言わず受験した。

 三月一日。雪がまだ残る中、卒業式が執り行われた。
 だけど拓也はやっぱり何も言ってくれなくて、本当の意味で別れが近いのだと察していた。

 だけど私は、終わらせたくなかった。
 進路について相談出来なかったことを謝り、遠恋になるけどこれからも付き合っていきたいと拓也に伝えようと決めた。
 メッセージアプリで、上京前日の夜八時に高校の校門前で話がしたいと連絡した。
 返事はなかったけど既読表示はされ、読んでくれたと分かった。
 だから私は、ただ待っていた。

 ……だけど拓也は来なかった。
 時間が過ぎても、牡丹雪が降り続けても、手が悴んで震えても。
 ずっと待っていたけど、やはり来てくれることはなかった。

 私はやっと悟った。
 この恋は……。
 私の初恋はとっくに終わっていたのだと。
 何の相談もせず勝手に遠くにいく私を、拓也はとっくに見切りをつけていたのだと。

 一番の理解者だから私の考えを分かってくれている。
 なんて傲慢な考え方だったのだろう。
 こんな私だから、拓也は愛想を尽かし離れていった。
 それに気付いた私は牡丹雪が降る中、一人大声で泣いた。

 そして決意した。
 もう泣かない。泣き言も言わない。恋もしない。この地にも帰って来ない。
 全てを捨てて、夢にのみ向かって生きていくことを。

 上京する為に電車に乗る私を見送る為に来てくれた幼馴染達に別れを告げ、都会は行かないと言っている父と兄に育ててくれた礼を告げた。

 それから東京で、がむしゃらに頑張って十年。今の立場を手に入れた。
 しかし、私はこの町に帰って来てしまった。
 その理由は……。

 校門横には、私と同じぐらいの大きさである雪だるまがあった。
 それはきっと、廃校となる校舎を最後に彩る為に、みんなで一生懸命に作ったのだと分かる。

 そういえば子供の頃、作ったな。……拓也と。
 中学生の頃には、学校に通う時に意味もなく拓也と雪の中を駆けていた。
 高校生の頃には、付き合っているという何とも言えない気恥ずかしさに、拓也にふざけて投げた雪のかけら。

 もっと、もっと、思い出はある。
 降り続ける牡丹雪のように私達の思い出は無限にあり、私はもっと楽しかったことを思い出そうと空を見上げる。
 すると私の頬に牡丹雪がそっと触れ、牡丹の花が崩れるように溶けていった。
「……あ」
 私は、その雪の結晶だったものに手を触れる。
 それはあの日、流した涙みたいだった。

 私は十年経っても成長していない。
 また拓也に縋りつこうとして、その手を振り払われてしまった。
 そうだよね。私に帰って来る場所はなかったんだ。

 やっとそのことに気付き、今度こそ帰ってこないこと決意した私は、思い出の高校を後にしようとした。